90話
◇◆◇
数時間前。
アイーシャ達が王城でマーベリックと話をしている時。
ユルドラーク侯爵家に一人の家庭教師がやって来た。
その家庭教師はシャーロットの礼儀作法や勉学を見るために国の王太子、マーベリックの紹介で遣わされたらしい。
見た目は三十代程の男性で、礼儀正しい姿にクォンツの母であるユルドラーク侯爵も気に入り、侯爵の夫、クラウディオも彼を見た瞬間表情を綻ばせ、まるで旧知の中のように彼を迎え入れた。
そんなクラウディオの様子に、侯爵とシャーロットは首を傾げたのだが、シャーロットの授業が終わるとその人物は帰宅した。
シャーロットはその家庭教師の去って行く後ろ姿を見つめながら、何の気なしに呟く。
「家庭教師さんの髪の色……アイーシャ嬢と同じ綺麗な躑躅色ね」
◇◆◇
翌日。
目が覚めたアイーシャは朝食の席でシャーロットと顔を合わせ、シャーロットに家庭教師が付いた事を知らされた。
「シャーロット嬢に、家庭教師が?」
「はい、そうなのです。何だかお父様も知っている方のようで……。ああ、そうですわ! その家庭教師の方、アイーシャ嬢と同じ綺麗な躑躅色の髪色をしていたのです。この国では珍しいので、とっても印象に残っていて……」
シャーロットは朝食を食べる手を止め、アイーシャに向き直り嬉しそうに言葉を続ける。
「私、その家庭教師の方に褒められてしまいました! 礼儀作法も、お勉強もとっても覚えが早いそうです!」
「──こらこら、シャーロット。嬉しいのは分かるが、そんなに話しかけてはアイーシャ嬢が食事をとれないだろう?」
「あ……っ! も、申し訳ございませんお母様……! アイーシャ嬢も、大変失礼致しましたわ……先生についてはまた時間がある時にお話しますわね」
淑女らしくシャーロットは恥じ入るように頬を染め、そっと瞳を伏せる。
「い、え……お気に、なさらず」
アイーシャはただただその言葉だけを返すのに精一杯だった。
シャーロットは今、何と言っただろうか。
同じ髪色、と言っただろうか。
と、ぐるぐる考えてしまい、アイーシャがその家庭教師の名前をシャーロットに聞こうと口を開いた所で、食堂に使用人が入室してくる。
「お食事中、大変申し訳ございません。……お時間です」
「ああ、もうそんな時間か。……ばたばたしてしまいすまないがそろそろ出ようか」
頭を下げる使用人にクォンツの母親は食事を終え、口元を軽くナプキンで拭うと席を立つ。
「アイーシャ嬢。シャーロットの話は後にしよう。ひとまず処刑場に向かおう」
「クォンツ様……。分かり、ました……」
そわそわ、としつつアイーシャとクォンツは邸を出て馬車に向かった。
馬車に乗り込み、走り出して暫し。
侯爵とクラウディオはもう一台の馬車で、アイーシャとクォンツは残るもう一台の馬車で向かう。
どうして一緒の馬車に乗って向かわないんだ、という侯爵の問いにクラウディオはまあまあ、とクォンツとアイーシャの背中を押して馬車に押し込んだ。
かたかた、と馬車に揺られながらアイーシャはそわそわと落ち着きなく窓に視線を向けたり、クォンツに視線を向けたりと忙しない。
シャーロットから聞かされた話の内容が気になるのだろう。
(昨日に比べて、今朝のアイーシャ嬢は大分落ち着いているように見えたが、表情は暗かった。昨日も部屋に戻ったあと、一人で泣いてたんだろう)
クォンツは向かいに座っていたアイーシャの横に座り直し、薄っすらと目元が腫れてしまっているアイーシャの頬に手を伸ばした。
「クォンツ様?」
「目元、腫れてる。少しでも冷やしたほうがいい」
クォンツの指がアイーシャの目元に触れた瞬間、ひやりとした冷たさを感じる。
冷たさに咄嗟に目を瞑ったアイーシャは、お礼を口にする。
「すみません、クォンツ様には何でもお見通しなんですね……」
「まぁ……見てるから、な……」
「そ、そうなんですね。あり、がとうございます」
「ああ。暫くはこうして目元を冷やしていたほうがいい。目的地に着くまでには腫れも引くだろう」
「重ね重ね……ありがとうございます。この冷たさ、氷魔法ですか?」
「ああ。こういった微調整はリドルの方が得意なんだが。冷たすぎないか? 冷えすぎたら言ってくれ」
「大丈夫、です。ありがとうございます」
ぽつりぽつり、と会話をしつつアイーシャは一度言葉を切ると、きゅっと唇を噛み締める。
シャーロットが言っていた事が気になるのだろう。
クォンツがそう考えていた通り、アイーシャの口からおずおず、とシャーロットの名前が出た。
「その、先ほどシャーロット嬢が言っていた事なのですが」
「ああ。新しい家庭教師、な」
「わ、私と同じ髪色をしていたって……」
「躑躅の髪色はこの国では珍しいよな。俺はアイーシャ嬢とウィル、……彼しか見た事がねえや」
「で、ですよね……! その、先ほどのクラウディオ様の様子もなんだか……!」
「ああ。まるでこの事について目的地に着くまでじっくり話しとけ、とでもいうような顔と態度だったな」
話が進む度に、アイーシャの顔色がどんどん良くなっていくのが目に見えて分かる。
昨日は悲壮感いっぱいの様相だったが、今は目を閉じているから分からないがきっとアイーシャの瞳は希望に煌めいているだろう事が分かる。
ほんの少し、またアイーシャに希望を、とクォンツは自分が昨日考えていた事を口にした。
「そう言えばマーベリックは昨日、彼を処刑したとは言ってねえんだよな。俺達が勘違いしたんだが……マーベリックは彼の名前を口にするな、と。彼はもう存在しない、ってだけ言ってたんだよな」
「――! た、確かに殿下はお父様を処刑した、とは一言も……!」
「な? まあ、わざと勘違いさせるような事を言ったのもあるんだろうけどよ。確かに彼の存命を大っぴらにはできねえもんな」
「そう、ですよね……。お父様も、罪を犯してしまったのは事実ですもの……。けれど、もし今後もう二度とお父様と直接お話ができない、としても……お父様が生きていてくださる、というだけでとても嬉しいです」
アイーシャの閉じられた瞳から、すう、と一筋涙が零れ落ちる。
クォンツは優しく目を細め、もう片方の腕でアイーシャの頭を抱き寄せた。
◇
王城には、罪を犯した者を処罰する場所がある。
その場所は普段は解放されていないが、罪人が罪を償う際に解放され、貴族が集う。
罪人が平民の場合はその場に平民も入る事ができるが、今回は貴族の処刑。
罪人が貴族の場合、その処刑は一般公開はされない。後日、処刑された事実だけが国民に知らされる。
アイーシャ達が到着した頃には、既に王都に滞在している貴族達の多くが参列していた。
「もう、既にこんなに……」
「重罪人の処刑だ。罪状が如何程か、確認しに来ているんだろうよ」
アイーシャの言葉にクォンツが答え、そっと人目に付かない場所で待機する。
ルドラン子爵家当主であるケネブ・ルドランの処刑だ。
アイーシャは無関係、とマーベリックは告げるだろうが目立つ場所にアイーシャがいれば、好奇の目に晒される事は必定である。
クォンツはアイーシャと共に離れた場所に残り、ユルドラーク侯爵とクラウディオは前方に向かう。
シャーロットはまだ十一歳という事もあり、邸に残して来ている。
「アイーシャ嬢、もし気分が悪くなったら直ぐにこの場を離れよう。何も無理してこの場に残らなくても良い筈だ」
気遣うように声をかけてくれるクォンツに、アイーシャは眉を下げて微笑んだ。
「お気遣いありがとうございます、クォンツ様。……けれど、叔父が犯した罪を、そして罪をその命でもって償う瞬間をしっかり見届けないといけないと思うんです。私はルドラン家の人間ですから」
「……そうか」
二人が待機する場所の先。
断頭台の前方にある高台にマーベリックが姿を現した。
マーベリックの後ろには何人かの執行人がおり、その者達は皆全身黒ずくめで、顔が見えないよう隠されていた。
それまではざわついていた空間が、マーベリックが姿を現した事でしん、と静まり返った。




