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88話


 マーベリックが発した言葉を理解する事が、できなかった。

 

 ひゅっ、と息を呑む音が聞こえる。

 それは自分の喉が奏でた音だ、と遅ればせながら気付いたアイーシャは、無意識に自分の喉に手を添えた。


 アイーシャが茫然としていると、静まり返っていた室内に、クォンツの怒声が響く。


「……っ、ふっざけんな……!!」


 びりっとクォンツの魔力が室内に溢れ、室内に緊張が走る。

 クォンツの剣幕に、室内に控えていた護衛が動こうとする気配を見せたがマーベリックが片手を上げ、遮る。


「待て、それは一体どういう事だマーベリック! ウィルバート卿をいない事として扱え、だと!? その名すら口にする事を禁止するってっ、納得出来るように説明しろ!!」

「ク、クォンツ……!」


 今にもマーベリックに掴み掛りそうなクォンツを、リドルが慌ててクォンツの肩を掴み制止しようとする。

 だが、マーベリックはそんなリドルに対して緩く首を横に振って「構わん」と口にした。


「この場には私達と、私の護衛だけしかいない。声が外部に漏れぬように魔道具を設置している。普段通りで構わないし、こいつの気持ちも分かる。構わん」

「それ、ならば……いいのですが……」


 肩を掴むリドルの腕を払い、クォンツは足音荒く苛立ちを顕にマーベリックに近付く。


「それならば、教えてくれマーベリック。……ウィルバート卿のお陰でケネブを捕らえる事ができた。それ以外にも、討伐困難な合成獣(キメラ)を倒す事にも協力してもらった!」


 それに、とクォンツはぐっと唇を噛み締める。

 行方知らずとなった父クラウディオを捜索しに行って、崖から落下した時に助けてくれたのもウィルバートだ。

 クォンツは自分と、クラウディオはウィルバートがいなければ、助けてくれなければ恐らくあの場で命を落としていただろう、と分かっている。


「ウィルバート卿は、俺にとって……いや、俺だけじゃなくユルドラーク侯爵家の恩人だ! そんな人を、恩人を存在しない者として思え、だと……!? できるわけねえだろ!」


 マーベリックに詰め寄るクォンツの姿をアイーシャは見つめた。じわりと滲んで来る視界を瞬きを繰り返してクリアにし、ふるふると頭を振って気持ちをしっかりと持つ。

 クォンツがこれほどウィルバートの事で怒ってくれるなんて。

 こんなにも恩を感じてくれていたのだ。と知り、アイーシャは咽び泣きそうになる気持ちをぐっと抑え、嬉しさと勇気をもらう。

 クォンツと同じく、アイーシャもマーベリックに近付き、躊躇いがちに声をかけた。


「殿下、本来で、あれば……っ殿下のご命令に従わなくてはいけないのは分かっています。……分かってはいるのです。理由があって、殿下がそう仰っているのは分かるのです……っ、けれど……っ、殿下のお言葉にすんなりと従う事が……っ、できないのですっ」


 だって、そんなの。

 存在しなかったものだと、今後名を口にする事すら禁じる、というのはまるで──。


「お父様を……っ、罪人のように思う事はできません……っ!」


 アイーシャの悲痛な叫びに、それまでマーベリックに食ってかかっていたクォンツも、クォンツを止めようとしていたリドルも、室内にいた護衛達も気まずそうに顔を曇らせる。

 だが、その中でただ一人表情を変えなかったマーベリックはアイーシャの言葉にクォンツに向いていた顔をアイーシャに向けた。

 その顔はどこまでも冷静で、ともすればとても冷ややか。

 そんな顔を向けられた事がなかったアイーシャは、びくりと肩を跳ねさせた。


 アイーシャが言葉に詰まったその数秒の内に、マーベリックは小さく溜息を吐き出し、口を開く。


「──そうだ、アイーシャ・ルドラン嬢。君が言った通り、彼──ウィルバート・ルドランは罪を重ねた。重罪人であるエリシャ・ルドランを脱獄させ、保管していた私物を与えた」

「だ、脱獄させた、とは……!」

「それにまだある。私利私欲のため、国で禁止されている精神干渉魔法を発動、重要参考人である邪教の教団の男に精神干渉魔法をかけ、人道に反した人体実験──人間を合成獣(キメラ)に変貌させた。……これは、本人が自白した」


 マーベリックは一度言葉を切ると、信じられないと蒼白になる一同をぐるりと見やった後、言葉を続ける。


「一連の所業は、残虐極まりない行為だ。例え彼が合成獣(キメラ)の討伐に協力したとしても、例えだれかの恩人だとしても……犯した罪は揺るぎない事実。……忘れろ、いなかった人間と思え、という意味は分かるな?」


 マーベリックの言葉を聞いた瞬間、アイーシャはかくん、と膝から崩れ落ちた。


「──アイーシャ嬢……っ!」


 膝を着く寸前、隣にいたクォンツが慌ててアイーシャを抱き留めた。


「待って、待って下さい、意味……」


 マーベリックは口にはしないが、いない人間、元から存在しない人間だ、と口にした。その意味を考えて、アイーシャはウィルバートがもうこの世にいない事を悟った。

 ぼろり、アイーシャの瞳から次々と雫が零れ落ちる。次々に頬を伝い、床に流れ落ちる涙をそのままにアイーシャはマーベリックに向き直った。

 どこかぼんやりとした頭で、か細く声を発する。


「昨日まで、お父様と一緒にいたので、す……邸の庭園の片隅に、お母様の墓標を移して……二人でまた、ここで……、お母様と一緒に三人でお茶を飲もう、と……確かにそう約束したのです……! お父様もそうだな、って! 笑って……っ!」

「アイーシャ嬢……っ」


 咽び泣き、嗚咽混じりにか細く叫ぶアイーシャにクォンツは顔を歪めた。

 抱き留める腕を緩めれば、今にも床に崩れ落ちてしまいそうなアイーシャをしっかりと抱き締めながらクォンツはマーベリックを強く睨み付けた。


「マーベリック……! あの人が犯した罪は消えないにしてもっ、もっとやれる事はあっただろう……! 悪逆非道な人間じゃない事はお前も分かっている筈だろう!? 処刑が免れないにしてもっ、アイーシャ嬢に何も知らせず、二人を会わせる事もせずに……っ!」

「これはウィルバート・ルドランも納得の上だ」

「それでもっ!」


 言い募ろうとするクォンツにマーベリックは話は終わりだ、と言わんばかりにくるりと背を向け、部屋の扉へ向かう。

 護衛の人間が扉を開け、退出する寸前。

 ちらりと半身だけ振り向いたマーベリックが良く通る声で室内にいる一同に向かって声をかけた。


「──いいか。ウィルバート・ルドランは、もうこの世に存在しない。……明日はケネブ・ルドランの処刑の日だ。早く邸に戻り、休め。遅れないように」


 それだけを言い終えるとマーベリックは退出し、無情にも扉はパタンと閉まった。



 室内にはアイーシャの悲痛な叫び声がいつまでも響いた。



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