87話
アイーシャとクォンツは話をしながら玄関を出る。
今日はこのままクォンツのユルドラーク侯爵邸に向かい、暫くの間滞在させてもらう事になっている。
数日分の荷物を手に持って歩くアイーシャの手元から荷物の入った大きなカバンに手を伸ばしたクォンツはひょい、と自然な流れで荷物を持った。
「――あ! クォンツ様、大丈夫です。自分で運びます!」
「いやいや。馬車までは少し歩くだろ? 女性に荷物を持たせて俺は手ぶらで隣を歩く、なんてみっともない真似をさせないでくれよ?」
「うう、ありがとうございますクォンツ様」
「ああ。どういたしまして。言われるならお礼の方が何倍もいい」
口角を上げ、満足そうに笑ったクォンツに頭を撫でられ、アイーシャは擽ったそうに笑った。
馬車に乗り込み、暫し。
向かい合わせで座っていたアイーシャとクォンツは世間話をしていたが、ふとクォンツが神妙な顔付きになる。
「どうしました、クォンツ様」
首を傾げつつアイーシャが問いかけると、クォンツは今この場で話そうか話さまいか躊躇っている様子だったが、この場で話す事にしたのだろう。
アイーシャの目をしっかり見返し、口を開いた。
「邸に着いてから話そうかと思ったんだが。マーベリックから明日、王城に登城するように。と今朝方報せが来た」
「殿下からですか?」
「ああ。昨日、今日でケネブから様々な事を聞き出すんだろう……」
それに、ウィルバート卿の処遇も、とクォンツは心の中で言葉を続ける。
ウィルバートも被害者とは言え、全くの無罪、と言う訳にはいかないだろうとクォンツは考えている。
(きっとあの人は色々と手を下している筈だ……。何度も不可解な場面はあった。その違和感に俺が気付いているってことはマーベリックも勿論気付いている。あの二人は何かを話していたようだったが……話が纏まったのは恐らく昨夜だろう)
クォンツが考え込んでいると、対面にいるアイーシャがぽつり、と呟いた。
「それならば……明日、王城でお父様とお会い出来るでしょうか」
「──ああ。多分会えるだろう」
二人は少しだけしんみりとした空気の中、ユルドラーク侯爵邸に向かう馬車の道中、残りの時間を無言で過ごした。
◇◆◇
翌日。
王城で会えるかと思っていたウィルバートにアイーシャは会う事が叶わなかった。
王城にアイーシャとクォンツが到着するなり客間に集められ、アイーシャとクォンツ。そしてリドルは数日振りに顔を合わせた。
入室した三人が軽く言葉を交わしていると、遅れてマーベリックがやってきた。
「ああ、三人ともご苦労だった。わざわざすまないな」
軽く手を上げてそのままソファに座るマーベリックに着席を促され、アイーシャもソファに腰を下ろす。
マーベリックの顔色はあまり良くなく、睡眠もあまり取れていないのだろう。
目の下にはくっきりと隈が刻まれており、王都に戻ってから多忙な日々を送っているのだと言う事が分かる。
「この後も仕事が立て込んでてな……。手短に説明する」
マーベリックは一度大きく息をつくと、アイーシャ達を順に見やった後口を開いた。
「まず、ケネブ・ルドランだ。やつは邪教との接触及び合成獣創造について加担していた事を認めた。国で禁止されている消滅魔術を娘に覚えさせた罪も認めた。よって奴は数日後、王都の処刑場で処刑が決まった」
「――っ、処刑」
アイーシャ自身、分かっていた。
ケネブは大きな罪を犯していた。処刑も免れないだろう、という事は察していた。
(けれど……実際、処刑されるという事を殿下の口から言われると……)
何とも言えない後味の悪さを感じる。
アイーシャは自分の胸の前できゅ、と拳を握る。
マーベリックは一度言葉を切った後、続けた。
「次にエリザベート・ルドランだな。奴は今回の一件とは無関係だった。……だが、十数年前のウィルバート・ルドランとイライア・ルドランの殺害計画を知っていながらそれを止めもせず、結果計画は実行に移されてしまった。その罪も、また重い。……合成獣の攻撃によって大怪我を負い、今は治癒に専念しているが、体が元に戻れば罪は償わせる。国境の採掘場へ送る予定だ」
エリザベートが両親の殺害計画を知っていた、と聞いてアイーシャは言葉を失った。
何の罪もないウィルバートを。イライアを排除し、自分達がその後釜に着く、などどうしてそんなに酷い事を思いつけるのだろうか、とアイーシャはじわじわと自分の視界が涙で歪んでくるのを自覚した。
「そして、エリシャ・ルドランだが――。教養がなく知らなかったとは言え、消滅魔術を発動した事は事実。また、王族に対する精神干渉魔法の発動もまた重罪だ。だが、奴は合成獣に変貌した腕を持つ。……邪教の合成獣研究への対抗策として、エリシャ・ルドランは我が国のために一生研究対象として働いてもらう事になった。……母親と一緒の採掘場へ行った方がどれだけ幸せか分からんがな……」
「研究、対象……?」
エリシャが犯した罪に対して、研究対象のみの罰とは些か釣り合いが、とアイーシャは不思議に思ってしまう。
だが、そう考えているのはアイーシャだけのようで、同席していたクォンツやリドルは顔色を些か悪くして、マーベリックから視線を逸らしている。
リドルが「一生とは、酷な事を」と呟いた声は、幸いにもアイーシャの耳には届かなかった。
「最後に、ベルトルト・ケティングだ」
「――っ!」
マーベリックの口からベルトルトの名前が出て、アイーシャはびくりと体を跳ねさせた。
「アイーシャ嬢? どうした……? それに、ベルトルト・ケティングだと? あいつは今回の件とは無関係なんじゃ……」
アイーシャの隣に座っていたクォンツが気遣うようにアイーシャに声をかける。
そして、ベルトルトの名が出てきた事に首を傾げた。
確かに、邪教や合成獣。消滅魔術に関してベルトルトは無関係だ。
だが。
「奴は、……婦女暴行未遂の罪で十年間、貴族牢に送る。……以上だ」
「――は?」
マーベリックは話は終わりだ、とでも言うようにソファから立ち上がる。
ベルトルトの罪を初めて耳にしたクォンツは呆気に取られ、気の抜けた声を発してしまう。
「ま、待て、マーベリック……。あいつが、そんな罪を……その相手って、まさか……!」
憤ったクォンツが勢い良くその場に立ち上がり、立ち去ろうとしたマーベリックの腕を掴む。
ぱしり、とクォンツの手に掴まれ、マーベリックはその場に足を止めた。
マーベリックは、一度視線を床に落とした後にもう一度口を開く。
「……すまん、もう一人の件を伝え忘れていた」
「……あ? もう、一人、って」
どくり、とアイーシャの心臓が嫌に跳ねる。
騒ぎ出す心臓に、アイーシャが手を添えた時。
半身振り返ったマーベリックが、こちらに視線を向けないまま淡々と言葉を発した。
「ウィルバート・ルドランという名前の男は、存在しなかった……。いや……存在してはいけない人間だ。いいな? 今後、一切この名前を口にするな」




