86話
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王都までの道中、とても穏やかに時間が過ぎ、慌ただしかった日々が嘘のようにその後は魔物などにも襲われずに数日後、王都に到着した。
邪教の人間がケネブを奪い返しに仕掛けて来るかもしれない、と警戒していたがそれもなく杞憂に終わった。
本当に、全てが終わったのだ。
「王家の馬車とは言え、長時間乗っていると体が辛いな」
馬車から降り立ったウィルバートが苦笑を浮かべながら告げ、アイーシャも同調する。
「ええ、そうですねお父様。体を伸ばせてほっとしました」
「アイーシャも疲れただろう。殿下からお呼び出しがかかるまでは家に戻って休んでいなさい」
アイーシャの頭を撫でて、ウィルバートは目を細めながら言葉をかける。
すると、最後に馬車から降りたクォンツがウィルバートに話しかけた。
「アイーシャ嬢をルドラン子爵邸に? あそこはもう使用人しかいないから、ユルドラーク侯爵邸に来たらどうですかね? 妹もいるし、呼び出しの間少しでも気が紛れると思いますよ」
「ああ、そうか。そうだったな。そうしなさい、アイーシャ」
「え? でも、お父様はルドラン子爵邸に戻られるのでは?」
キョトン、としつつアイーシャが不思議そうに疑問を口にすると、ウィルバートは「すまない」とアイーシャに告げる。
「私は殿下から王城に滞在するように、と言われているんだ。十年前から姿が変わっていない私が子爵邸に戻る事はできないだろう?」
「──そんなっ」
悲しそうに目を伏せて告げるウィルバートに、アイーシャは言葉を失う。
だが、確かに言われてみればその通りだ。
エリザベートを使い、エリシャをおびき出す際はウィルバートも子爵邸に戻ったが、あれは一時の事。それに、使用人もウィルバートが健在の時から働いていた、信頼できる人間しかいなかったからこそウィルバートもあの子爵邸に戻ったのだ。
それが、今となっては事情が違う。
現ルドラン子爵当主、ケネブが捕まった。
恐らく子爵家は取り潰し若しくは、良くても降爵処分となるだろうということはアイーシャにも分かっている。
もう、あの邸でウィルバートと一緒に過ごす事はできないのだろうか、とアイーシャが沈んでいるとウィルバートが明るい声で言葉を続ける。
「そうだ、アイーシャ! イライアの墓標をこちらに移そうか。アイーシャも手を合わす時間がなかっただろう? それくらいの時間はある筈だし、殿下もそれくらいは許して下さる。イライアもきっと家に戻りたいだろう」
「本当ですか!? とても嬉しいですっ!」
ウィルバートからの思ってもいなかった提案に、アイーシャは嬉しそうに顔を綻ばせる。
「それくらいの時間はある、そうですよね殿下──?」
まるで希うようにマーベリックを見つめ、言葉を紡ぐウィルバートに、マーベリックは小さく頷き口を開いた。
「ああ。それくらいの時間はある……終わったら城に来てくれればいいさ」
アイーシャ達の会話を聞いていたマーベリックはこくり、と頷き嬉しそうに笑い合うアイーシャとウィルバートを目を細めて見つめた。
その横顔を、何とも言えない難しい顔でクォンツはじっと見つめていた。
◇
アイーシャの母イライアの墓標は、隣国の山中、小高い丘にある。
魔力がとても豊富な場所らしく、一年中花々が美しく咲き誇る、不思議な場所だ。
どういった原理で花が枯れないのかは分からないが、とても美しい場所に墓標がありアイーシャは記憶が無くとも妻と認識したイライアを丁寧に葬ってくれたウィルバートに感謝していた。
(お母様の身体がそこにはなくても……綺麗な場所にお母様の墓標があって良かった)
肉体はなくとも、故人の魂はきっとその場所にある。
そして、十年ぶりに母と再会できる事をアイーシャは心の底から感謝した。
王都へ戻ったアイーシャ達は、あれからマーベリックに許しをもらい、イライアの墓標を移動させるために再び山中へ来ていた。
「こうして、数人程度ならば私の闇魔法で転移する事ができるから、アイーシャを連れてこられて良かったよ」
墓標の前で手を合わせ、祈りを終えたウィルバートがすくっ、と立ち上がりアイーシャに向かって歩いて来る。
風が吹くと花々がさわさわと揺れ、甘い香りが鼻腔をくすぐる。
空は澄んでいてとても綺麗で、その様を全身で感じていたアイーシャは閉じていた瞳をぱちり、と開けた。
「連れて来て下さりありがとうございます、お父様」
「約束したからね。遅くなってしまってすまないな、アイーシャ」
ウィルバートは辛そうに表情を曇らせ、アイーシャの頭を撫でる。
「ここも綺麗だけど、イライアも家に戻りたいだろうし、アイーシャもすぐ側にイライアがいた方がいいだろう?」
「はい。いつでもお母様に会いに行けますし……。そうだ、お父様! もしすぐにルドラン子爵邸に戻る事ができなくても、お母様の下に沢山足を運んで下さいね? お母様のお好きだったお花を植えたり、お母様がお好きだった食べ物……、それに近くでお茶会をしても良いかもしれません。ご友人達とお茶会をするのがお好きだったので!」
自分の顔の前で手を合わせ、ぱあっと嬉しそうに瞳を輝かせるアイーシャにウィルバートは自分の視界が滲んで来る事を悟り、そっと顔を背けた。
「お父様?」
不自然な態度のウィルバートにアイーシャが心配そうに声をかける。
するとウィルバートはアイーシャから顔を背けたまま優しく頭を撫でた後、イライアの墓標に向かって手のひらを向けた。
「そろそろ移動させようか。墓標をあの場所からルドラン子爵邸の庭の片隅に移動させよう」
「分かり、ました……」
アイーシャに顔を見られないよう、真っ直ぐ墓標を見つめるウィルバートの口元は戦慄き、瞳からは堪えきれなかった涙が一筋頬を伝ったのだが、それにはアイーシャは気付かなかった。
◇
そうして、迎えた翌日。
イライアの墓標の移動に伴い、当日はルドラン子爵邸に滞在していたアイーシャをクォンツが迎えに来る日。
「お父様は一体どちらで過ごされたのかしら?」
ルドラン子爵邸には既に多くの使用人が戻っていた。
以前、ウィルバートと顔を合わせた家令のディフォートと料理長のハドソン達だけがいる訳ではない。
突然ウィルバートが子爵邸に戻って来てしまっては混乱を招く。その上、ケネブやエリザベート、エリシャの事もある。
王族から、今回の一件について発表があるまで使用人への説明は控えていてくれ、とマーベリックに言われていたアイーシャはその言葉に従いディフォートにも、ハドソンにも何も伝えなかった。
彼らからは何度か視線を受けたが、アイーシャが困ったように笑うのを見て察してくれたのだろう。それ以上アイーシャに対してウィルバートに関して何かを問うような視線は送られなくなった。
もうすぐクォンツが迎えに来てくれる時間。
正面玄関でクォンツを待ちながらぽつり、とアイーシャが呟く。
「クォンツ様の所? それとも殿下の下に行かれたのかしら……?」
ウィルバートとマーベリックの間で何か話し合いがあった事は定か。
けれど、その内容まではアイーシャは知らない。
不安のようなもやもやした感情が沸き上がってくる。
墓標に行きたいから、と告げた時。マーベリックはいつも通りの様子に見えた。
けれど、イライアの墓標でウィルバートと一緒にいた時の彼の雰囲気を思い出したアイーシャは不安を覚える。
どこか思いつめているようで、苦し気で、悲しそうだった。
アイーシャが色々考えていると、不意に名前を呼ばれた。
「アイーシャ嬢。俺の所にウィルバート卿は来てない。昨日、母君の墓標を移した後に別れたのか?」
「クォンツ様!」
約束の時間になっていたのだろう。
ルミアに案内されながら、クォンツがやってきてアイーシャの疑問に答えた。




