79話
「お父様!」
「アイーシャ、怪我はないか? 良く見せてくれ」
先程まで流れていた緊迫した空気がいつの間にか霧散しており、アイーシャはクォンツと共にウィルバートに駆け寄った。
不思議な事に、合成獣は大人しく、ウィルバートやアイーシャに対して敵意を感じない。
クォンツはアイーシャと共にウィルバートに近付きつつも合成獣を注視しているが、ぴくりとも動かず、殺気を纏ったクォンツやリドルが近付いても一切反応しない。
(これは……)
ちらり、とウィルバートを見やった後クォンツは近付いて来るリドルに話しかけた。
「リドル。ケネブ・ルドランとエリシャ・ルドランが邪魔だ、回収してくれ」
「分かった。万が一それが暴れ出したら援護してくれよ」
「勿論だ」
まあ暴れ出す事はないだろうがな、とクォンツは独りごちる。
それほど、先程と比べ、合成獣は大人しい。まるで主に従うかのようなその様子にクォンツは奥歯を噛み締めた。
(嫌な想像だが……だが、その想像が現実に起きている気がする。闇魔法が本当に使用者の思い通りに魔法を創れるのであれば、あり得ない事ではないよな……)
アイーシャと穏やかに話しているウィルバートを見ていると、ケネブ達の苦痛に満ちた声が聞こえる。
焼け爛れ、溶け出した皮膚に激痛を感じているのだろう。
ケネブは痛い痛いと喚き、エリシャは声ならぬ声を上げている。
護衛達に指示を出しながら二人の回収を終えたリドルは、前方にいるウィルバートへ視線を向けた。
どうしてこの場所にケネブと捕らえられていたエリシャがいるのか。
そして、計ったかのようにあの二人の後を合成獣が追い、そしてウィルバートが姿を現したのか。
恐らく、この場にいる殆どの人間がその理由を察している。
(あれは恐らくウィルバート卿が)
リドルはウィルバートに向けていた視線を外し、直ぐに合成獣に戻す。
「クォンツ、取り敢えずあれを処理しよう」
「ああ」
二人が話していると、アイーシャとの会話が終わったのだろう。
ウィルバートが「手伝おう」と二人に近付いて来る。
「助かります。ウィルバート卿の闇魔法は強力ですから」
「だが、この場ではあまり強力な闇魔法を放てない。アイーシャに万が一の事があれば大変だ」
「それは、確かにそうですね。アイーシャ嬢にはマーベリックと一緒に離れてもらいましょうか」
三人でぽつりぽつりと討伐方法について話し合い、アイーシャはマーベリックと共に少し離れた場所に待機してもらう。
そうして、被害が及ばぬよう注意を払いながら三人は合成獣を討伐する為に動き出したのだった。
◇◆◇
三人が合成獣を討伐するために動き出してからは早かった。
クォンツとリドルがウィルバートが魔力を練り上げる間、時間を稼ぎ膨大な魔力を練り上げ終えたウィルバートが闇魔法を発動する。
闇魔法が発動するなり一瞬で合成獣の体は黒い粒子に覆われ、その粒子が霧散した後には何も残らなかった。
三人がアイーシャとマーベリックの所に戻ると、アイーシャの隣にいたマーベリックが一歩前に踏み出してウィルバートに声をかけた。
「ウィルバート殿、少しいいだろうか」
「構いませんよ」
「ケネブ・ルドランとエリシャ・ルドランの捕縛は完了した。邪教の人間は残念ながら捕らえる事はできなかった、が……」
マーベリックはそこで言葉を切ると、ちらりとウィルバートを見やった。
視線を受けたウィルバートは、目を伏せてゆったりと口元に笑みを浮かべているだけでマーベリックに視線を返す事はない。
「……重罪人の処罰を優先しよう。邪教については追々だな。ウィルバート殿は私の馬車に。城に戻るまでに色々と聞きたい事がある」
「かしこまりました。アイーシャ、また後で」
マーベリックに促され、馬車に向かう途中。
ウィルバートはアイーシャに顔を向けると笑顔で片手を上げて声をかける。
「はい、お父様。また後ほど」
アイーシャも笑顔でウィルバートに手を振り、その姿を見たウィルバートは笑みを深くしてくるりと背を向けてマーベリックに促され、馬車へ向かった。
マーベリックの乗る馬車には、ウィルバートとマーベリックのみが同乗し護衛は馬で進む。
リドルは珍しく、マーベリックからアイーシャとクォンツと一緒に戻れ、と言われた事に首を傾げたが、深く追求する事なく帰りは学友達とゆっくり王都へ戻る事にした。
──数日かけて王都へ戻る道中。
罪人を乗せている馬車からエリシャの悲鳴が上がり、突然馬車が横転した。
最低限の休息を取りながら馬車の速度を保ったまま進んでいた最中。
辺りは真っ暗で時刻は恐らく深夜だろう時間帯。
クォンツに凭れさせてもらい、仮眠を取っていたアイーシャは外から聞こえて来たけたたましい破壊音に驚き、飛び起きた。
「──止めろ!」
リドルが御者に向けて叫んでいる声が聞こえ、アイーシャはリドルを見やる。
「な、何事ですか!?」
慌てふためくアイーシャに、クォンツが答える。
「あいつらが乗っていた馬車が横転した。最悪だっ! 死んじまってるかもしれねえ」
アイーシャの疑問にクォンツが答えるが、返答を聞いてアイーシャの顔色がさっと青くなる。
王都への帰還を急くあまり、馬車の移動速度は上がっていた。
その勢いのまま横転したのであれば、クォンツの言う通り最悪の結果になっている可能性もあるだろう。
扉を開けて外に出て行くリドルを筆頭に、ウィルバートとマーベリックも馬車から降りて横転した馬車に駆け寄って行く様子が見える。
馬車と並走していた護衛達も同じくケネブやエリシャの乗っていた馬車に近付いて、そして護衛達の表情から思わしくない様子が見て取れる。
「クォンツ様」
「アイーシャ嬢はここにいろ。見てくる」
「分かりました」
こくりと頷いたアイーシャを見た後、クォンツはアイーシャの頭にぽん、と手を乗せリドルが出て行った扉から自らも外へと出て行く。
深夜帯、という事もあり辺りは真っ暗だ。
アイーシャは補助魔法でほんのりと周囲を明るく照らす。
どうして急に馬車が横転したのかは分からないが、アイーシャの場所から見る限り、馬の足は折れてしまい、命を失っている馬もいる。
それになにより横転時の衝撃が大きかったのだろう。
王都から護送用にと用意されていた馬車だが損傷が激しく、馬車の外壁が崩れ崩壊している。
──あの下に人間がいるとしたら、もう。
アイーシャがどんより、と胸に重たい物を抱えていると外から「生きているぞ!」と声が上がった。
◇
──痛くて、熱くて辛い。
それに、真っ暗で怖い。
何でこんな事になっているの?
私が何かいけない事をしたの?
体中が痛くて叫びたいのに声も出せない。
エリシャ・ルドランは崩れた馬車の外壁の下、ぼろぼろと涙を零しながら体を襲う激痛に苛まれていた。
(何で私ばっかりこんな目に合わなくちゃいけないの? 元はと言えばお姉様が全部悪いのに)
周囲は真っ暗で何も見えない。
(お父様、お父様は……?)
先程まですぐ側にいた自分の父親の姿が見えない事にエリシャは焦る。
今までだって、ケネブが全部何とかしてくれた。
だから今回だってきっとケネブが全部何とかしてくれる筈だ。
エリシャがほろほろと涙を流していると、どこからか声が聞こえて来る。
その声は自分を覆う真っ暗な空間の外から聞こえて来ている。
何やら「助けろ」「どこにいる」「腕が見えた」など声が聞こえてくる。エリシャはそこでようやっと先程までの事を思い出した。
(ああ、そうだわ……。確かさっきまで馬車に乗っていて……、そしてお父様が逃げ出すと言って……その後に凄い衝撃が?)
考えていると、真っ暗だった自分の視界に僅かに光が差し込んで来る。
太陽はとうに沈んでいて、時刻は深夜だったと記憶している。陽の光ではなく魔法で発現した光量だろう。
その光がエリシャの顔を明るく照らし、エリシャは眩しさに目を細めた──。




