78話(閲覧注意)
残酷な描写がございます。ご注意ください。
アイーシャ達一同の前に姿を現した生き物は、獣と言うには禍々しく魔物と言うには歪過ぎた体躯を持っていた。
「なん、だ。あれ……」
ぽつり、と呟いたのはクォンツかマーベリックか。
だがその呟きに答える者は誰もおらず、皆が微動だにできずソレに注目する。
身長の高いクォンツやマーベリックが頭上を仰いでも視界にソレを捉えるのは難しい程に、ソレの体躯は大きい。
呆気に取られていたアイーシャ達であったが、ソレがのそりと動いた瞬間、弾かれたようにクォンツが動いた。
「逃げろ……!」
クォンツは言葉少なに叫ぶと、隣にいたアイーシャを抱き寄せ、跳躍する。
クォンツの声に、硬直が解けたようにマーベリックやリドル、護衛達がハッとしてソレから大きく距離を取った。
まるでアイーシャ達が動くのを待っていたように、ソレ――合成獣はその場に残されていたケネブとエリシャに向かって何かを吐き出した。
びしゃり、と音を立てた液体は嫌な音を立てて地面をじゅうじゅうと溶かしている。
「嘘だろ。酸性の体液を吐き出すのかよ……」
「ク、クォンツ様……、あれも……魔物なのですか?」
クォンツに抱き寄せられた体勢のまま、アイーシャが怖々と聞く。するとクォンツはゆるり、と首を横に振った。
「いや、あんな魔物は見た事がない。恐らくあれも合成獣だと、思う」
いつになく自信なさげに告げるクォンツに、アイーシャは首を傾げる。
すると、近くに退避していたマーベリックもクォンツと同様、合成獣の姿に違和感を覚えていたらしく、口を開いた。
「クォンツも違和感を感じるか?」
「マーベリック、殿下。ああ……合成獣にしては……なんつーか……」
マーベリックの問い掛けにクォンツは合成獣を仰ぎ見た。
合成獣にしては禍々し過ぎるような気がする。
クォンツがマーベリックと視線を合わせ、話を続けている間。
注意深く生き物を観察していたアイーシャは、その巨体からふわり、と黒い粒子が立ち昇るように体から放出されているのが見えて、息を吞む。
(あれはっ、お父様が闇魔法を発動する時に発生していた粒子……?)
まさか、と思いアイーシャはきょろりと周囲を確認する。だが近場にウィルバートの気配はない。
(まさか……まさか、よね? お父様が犠牲になっていたり……)
嫌な考えが頭をよぎる。
(お父様が、手を下していたり……しないわよね?)
昨夜のウィルバートの様子を思い出し、不安になる。
ウィルバートの態度に、違和感を覚えた。
どこか吹っ切れたような雰囲気を感じた。
そして、今朝方。
マーベリックの不吉な言葉を思い出したアイーシャは、無意識にクォンツの胸に縋ってしまった。
「アイーシャ嬢、どうした?」
頭上からアイーシャを心配するような声が聞こえるがアイーシャはクォンツの腕の中でじっと考え続ける。
(ケネブ・ルドランを殺すつもりだと、殿下は確かにそう言ったわ……)
どきどき、と逸る心臓の音が嫌に耳に響く。
アイーシャが考え込んでいると、突然ケネブとエリシャの苦痛に濡れた絶叫が響いた。
「──あああああっ!」
「んぐぅーっ!!」
耳を劈く絶叫に、アイーシャもクォンツも勢い良く顔を向ける。
その瞬間、風が吹きふわりとアイーシャ達のいる場所に異様な匂いが漂う。
生きてきた人生の中で、一切嗅いだ事などない、何とも言えない匂い。
その匂いの元を察したクォンツは、咄嗟にアイーシャの視界を奪うように自身の胸にアイーシャの顔を押し付けた。
「ふぐっ! クォンツ様!?」
アイーシャが苦しげな声を上げ、顔を上げようとするがそれをさせまいとクォンツは更にアイーシャを抱き込んだ。
ぎゅう、と抱きしめる力を強め、クォンツ自身もケネブ達から思わず顔を逸らした。
「見ない方が良い」
硬い声で告げられた言葉にアイーシャはぎくり、と体を硬直させた。
アイーシャとクォンツがそうしている内に、ケネブとエリシャは悲鳴を上げ続けている。
耳を澄まさずとも、何かが焼けるような音と、地面にボタボタと何かが落ちる音。そしてその音の後に風に乗って、異臭が漂う。
「熱い熱い熱い! 早く拘束を解けぇぇぇ!」
「んーっ! んぐううぅ!」
ケネブとエリシャの悲鳴が絶え間なく聞こえる。
アイーシャはケネブとエリシャの近くに先程の生き物がいた事を思い出し、そして彼らの身に何が起きているのかを察してぞっとした。
「もしかして……叔父様と、エリシャが」
アイーシャの言葉にクォンツは躊躇いながら頷き、「ああ」と答えた。
「溶けている……見ない方が良い。だが、それよりも、だ……」
緊張を孕んだクォンツの言葉にアイーシャもそうだ、と考える。
このような場所にあのような生き物が出現したのであれば、討伐せねばならない。
放置すれば、人里に合成獣が下りてきてしまう。
そうなればその地に住む人々が犠牲になってしまう。
「あの合成獣を、どうにかしないといけない、ですよね……?」
「……ああ。骨が折れるだろうがここにはリドルもマーベリックもいる。護衛もいるからな……どうにか出来るだろう」
「私も、補助魔法であればいくらでも……! お邪魔にならない場所でお手伝いいたしますね」
「危ないと感じたら一人でも山を降りろよ?」
クォンツの言葉にアイーシャは強く頷く。
アイーシャ達のすぐ後ろでは、リドルやマーベリック達が動く気配がして、戦闘について話し合っている声が聞こえて来た。
◇◆◇
アイーシャ達から少し離れた木々の間。
ケネブやエリシャが逃げて来ていた方向。
そちらの方からゆっくりと歩いて来ていたウィルバートは、自分の娘とケネブ達が顔を合わせてしまった事。そして、教団の男が変貌した姿を見て舌打ちした。
「ああ、くそっ。最悪のタイミングだな……。まさかまだ生きているとは……」
ウィルバートは木々の間からアイーシャ達を見つめながらどうしたものか、と考える。
「このままではアイーシャが怪我をするかもしれない……。それならば、消してしまう? だが、あれ程の質量を消滅させるには時間もかかるし魔力の消費も大きい」
この場にマーベリックがいなければまだ良かったものを、とウィルバートは嘆息する。
「殿下がいるのでは、誤魔化せんな……」
どうにもマーベリックには、ウィルバートの心境や、やろうとしている事を見破られている気がする。
アイーシャやクォンツだけであればどうにか誤魔化す事ができるかもしれないが、マーベリックは洞察力に優れ、他人の感情の機微に敏い。
そんな人間がいるのであれば誤魔化しはきかないだろう。
「あれも私の手で変貌したものだ、と気付かれそうだな」
溜息を吐き出し、ゆるゆると首を横に振ったウィルバートはアイーシャ達の所に向かうため、足を踏み出した。
◇◆◇
近付いて来る気配を一早く察知したクォンツは、抱き締めていたアイーシャを自分の背後に隠し切羽詰まったように口を開いた。
「気配が近付いて来る、リドル! マーベリックを退避させろ!」
「了解した!」
ざわり、と周囲がざわめき近付いて来る気配に備える。
巨体の生き物だけならばまだしも、新たに近付いて来る気配もある。
――敵か味方か。
場が緊張感に包まれた瞬間、アイーシャ達に近付いて来ていた気配の正体が木々の間からひょこり、と姿を現した。
「わ、私だ。そんなに警戒しないでくれ、攻撃してこないでくれよ?」
困ったように眉を下げて笑うウィルバートの姿に、その場の一同はぎょっと目を見開き、次いで安堵の表情を浮かべる。
「ウィルバート卿!? 早くこっちへ! その生き物――合成獣から早く離れてくれ!」
安心したのも束の間。
ウィルバートが姿を現した場所は、ケネブやエリシャに近く、必然的に合成獣からも近い。
危険だ、と言うクォンツの叫びにウィルバートは何とも言えないような表情を浮かべ、アイーシャ達の元へ足を向ける。
不思議な事に、先程まで敵意を剥き出しにしていた合成獣は、ウィルバートが姿を現してから大人しくなり、ウィルバートが近くを通過する際もじっと縮こまり静止している。
先程まで撒き散らしていた酸性の体液すら吐き出さず、ウィルバートがアイーシャ達の元へ向かうのを静かに待っているような、そんな風に感じてしまう程。
「──……」
その違和感に、マーベリックは僅かに眉を顰めた。
「お父様、早くこちらに! 危険ですっ」
アイーシャがハラハラとしつつ、声を潜めてウィルバートを呼ぶ。
合成獣も今はじっと静止しているが、いつ暴れ出すか分からない。ウィルバートが背を向けている間に先程のような体液を吐き出したら大変な事になる。
その懸念からアイーシャはウィルバートに声をかけたのだが、それを痛みに呻きながら聞いていたのだろう。
地面に崩れ落ちていたケネブが、土を掻き毟るように指先で引っ掻きながら首だけを上向けた。
「良く……言う……っ、この合成獣もそこにいる……ウィルバートが……」
ぼそりぼそり、と呟くケネブの声は小さく。また痛みに呻きながらのためアイーシャは上手く聞き取れない。
だが、アイーシャの近くにいたマーベリックにはしっかりと聞き取れてしまっていた。
マーベリックがちらり、とウィルバートを責めるような視線を向ける。するとその視線に気が付いたウィルバートは申し訳なさそうに眉を下げた。
「くそ……っ、くそ……っ上手く行っていた、と言うのに……何故、どこで崩れた……」
喉まで焼かれたのか、ケネブが言葉を発する度にこぷり、と咥内から血が吹き出る。
このままではケネブが命を落としてしまう、と判断したマーベリックは何とかケネブとエリシャをこちら側に連れ、傷の手当ができないものか、と考える。
あっさりと死んでしまっては意味がない。
まだ聞き出さねばならない件も多岐にわたる。
邪教との繋がりや、消滅魔術の習得方法。
教団関係者の大まかな人数。
それらを洗いざらい吐かせた後、罪を償わせる。
「ウィルバート殿」
「……何でしょうか、殿下」
マーベリックはリドルの制止を無視し、ウィルバートに一歩近付いた。
合成獣がいつ動き出すか、と周囲は警戒しているが、この場にウィルバートが現れてからは、嘘のように大人しくなっている。
マーベリックは、あの合成獣はもう自分達を攻撃して来る事はない、と理解していた。だからこそ言葉を続ける。
「あの二人は、国で裁く。治療し、生かす。──いいな?」
「……」
ウィルバートはマーベリックから一度視線を外し、次いでアイーシャを見やる。
ウィルバートの身を案じているようなアイーシャの顔を見たウィルバートは、諦めたように苦笑する。
「勿論でございます。二人が見つかって良かったです」
「そうだな。命があって良かった、と思っている」
「では、何故か大人しいあの合成獣を始末した方がいいですね? このままにしておけば国民が被害を被ります」
「ああ。クォンツやリドル達と協力して始末を頼む……」
「承知しました、殿下」
二人は言葉を交わした後、数秒だけ視線を交わし合う。
そしてその後不意に視線を外したウィルバートは、笑顔を浮かべアイーシャの下に歩き出した。




