77話
エリシャの視界にアイーシャの姿が入った瞬間、アイーシャへの怒りでエリシャの頭の中の感情は塗り替えられた。
(どうして……っどうしてお姉様はあんな所にいるのに私は……っ!)
エリシャの怒りの感情に比例して、エリシャの豊富な魔力が制御を失い膨れ上がっていく。
暴走した魔力がそのまま暴発しそうになった時――。
――ぱつん。
と、エリシャの頭の中で何かが弾けた感覚がして。
そしてその瞬間、今まで暴発しそうになっていた膨大な魔力が消失していた。
「……っえ」
唖然としつつ呟いたエリシャの声に被さるようにしてリドルの声が響く。
「エリシャ・ルドラン!! 大人しく手枷を嵌めろ!」
すぐ側までやってきていたリドルによって、エリシャの両手には魔力封じの手枷がガチャリ、と嵌められた。
◇
「エリシャ・ルドランに口封じの布を。消滅魔術を完全に封じる事はできぬやもしれんが、ないよりましだろう」
「殿下。あまり近付かないようにしてください」
あの後。
手際よくケネブとエリシャを拘束したクォンツ達は後方でぽつり、と立って待っているアイーシャに向かって手招きする。
「アイーシャ嬢。もう大丈夫だからこっちに」
「わ、わかりました」
付近には先ほど咆哮を上げていた生き物がまだいるかもしれない。
ケネブやエリシャからの攻撃を懸念してアイーシャを離れた場所に避難させていたが、手枷も嵌め、口封じの布もエリシャには施した。
安全を確保できたと判断されアイーシャを呼ぶクォンツに、たたた、と小走りでアイーシャが駆け寄る。
拘束されていたケネブがアイーシャの名前に反応し、がばりと勢い良く顔を上げる。
駆け寄ってきていたアイーシャを強く睨み付け、怒鳴りつけた。
「アイーシャ! 私の拘束を解くように殿下を説得しろ! 誤解がある……、全ては誤解だ……っ!」
「何を苦し紛れな嘘を……」
リドルが呆れたように呟く声がその場に落ちる。
ケネブの言葉を聞いたアイーシャは、ぐっと唇を噛み締め、ケネブと視線を合わせた。
「何が誤解だって言うんですか……? 十年前、私の両親を殺そうとした事? それとも、エリシャに国で禁止されている魔法を覚えさせた事? それとも、お母様を合成獣にした事ですか……」
ぷるぷる、と微かに震えながらアイーシャはケネブに向かって静かに問う。
怒りに任せ、叫び、口汚く罵ってしまいたい気持ちを必死に耐えながら言葉を紡ぐアイーシャの心情を慮り、クォンツがそっと側に立ち、震えるアイーシャの拳を優しく包み込んだ。
アイーシャの言葉に、ケネブはうろ、と瞳を彷徨わせた。どもりながらアイーシャに言葉を返す。
「ち、違う。ぜ、全部誤解だ……! 今一度話し合おう、一緒に過ごした十年間を忘れたか? お前は実の両親より、私達と過ごした時間の方が長いだろう? 思い出も何もないウィルバートより、私達と過ごした長い時間を思い出せ――」
アイーシャの問いには一切答えず、ケネブは厚顔無恥な主張を無理くり通そうとする。そんなケネブの態度に、アイーシャは怒りでくらりと眩暈がした。
「──っ、なんて事をっ!」
「アイーシャ嬢、あんな奴の言葉に構うな」
クォンツに静止されるが、アイーシャはケネブの言葉にムカムカと苛立ちが募る。
──あれだけの事をしておきながら。
──この十年間、辛い思いをどれだけ抱えて来たか。
それを分かろうともせず、自分の都合しか考えないケネブの言い分にアイーシャはくしゃり、と顔を歪めた。
「──アイーシャ! お前っ、その目は何だ! 育ててもらった恩も忘れ、厚かましい……っ!」
「暴れるな! ケネブ・ルドラン……!」
アイーシャに怒りを顕にし、拘束された状態にも関わらず食ってかかるように体を滅茶苦茶に動かすケネブに、護衛が鋭い声を上げる。
だがケネブは護衛の声になど一切答えず、アイーシャを睨みつけた。
「お前は私の言う事を聞いていればいい……! お前は私達ルドラン家のために生かされていた事を忘れるな……! お前の価値はそれだけだ!」
興奮するケネブの隣、その隣で口封じの布をされたエリシャが背後から近付く気配に気付き、怯えるように肩を跳ねさせた。
「──ふごっ、むぐぅーっ」
「……っ何だ、エリシャ……! 少し黙って──」
どんどん、とエリシャがケネブに体当たりをしてケネブの注意を引こうとする。
エリシャの行動に煩わしそうに眉を顰め、視線を向けたケネブはエリシャが目を見開き、見つめる先につられて視線を向けた。
その視線の先には。
先程、ウィルバートから逃げてきた方向からは、急速に接近する禍々しい気配を感じる。
時折咆哮が聞こえて来て、ケネブはさぁっと顔色を悪くさせた。
その気配には勿論クォンツ達も気が付いた。
俄かにその場が騒然とする。
「──何だ!?」
「何かが近付いて来る? 殿下、お下がり下さい!」
獣にしては、近付く速度が恐ろしいほど速い。
だが、咆哮を上げている声を聞けばとても理性ある生き物とは言い難い。
ケネブやエリシャに構っている余裕はない、と判断したマーベリックは即座に指示を出し、戦闘準備を行う。
クォンツはアイーシャとマーベリックを守るように二人に背を向けて、近付いて来る気配に真っ直ぐ向き直った。
「それ」が距離が近付いてくるにつれ、アイーシャ達が立つ地面に振動が伝わってくる。
それに加え、距離が近付く度に重苦しい空気が周囲に立ち込み、息がし辛くなってきた。
アイーシャは荒く、細かくなる呼吸に思わず自分の喉に手を添えた。
そして、その場にいる一同は姿を現したその存在に驚愕のあまり絶句した。




