7話
「アイーシャ……? どうしてアイーシャがユルドラーク卿と……?」
ベルトルトも戸惑ったようにアイーシャとクォンツが出て行く姿を見つめた。
隣にいたエリシャはぎりっ、と自分の唇を噛みベルトルトの興味が自分から逸れたことに苛立ちも感じて、きゅうっ、とベルトルトの制服の裾を握る。
「ベ、ベルトルト様ぁ……。お姉様が、クォンツ様に迷惑をかけていたらどうしたら……。もしかしたら、お姉様が無理矢理クォンツ様に自分を運ばせてしまっているかもしれません……ルドラン子爵家の悪評が広まってしまったら、私はどうすれば……」
ぐすぐすと鼻を鳴らすエリシャに、ベルトルトははっと表情を変え、エリシャに向き直る。励ますようにエリシャの背中にそっと手を添えた。
「大丈夫だ。大丈夫だよ、エリシャ。もしアイーシャがそのようなことを企てていたとしても、僕のケティング侯爵家がアイーシャの悪巧みを阻止してみせるよ。……あまり、ユルドラーク卿とは面識がないけれど、彼にも話をしてアイーシャに気を付けるように伝えておくから」
ベルトルトの言葉に、エリシャは俯いていた顔を上げると「嬉しいです、ありがとうございます!」と声を上げベルトルトに体を寄せる。
ベルトルトはエリシャから体を寄せられたことに頬を染め、周囲に分からないようにエリシャの腰に腕を回して引き寄せた。
エリシャはベルトルトの腕に抱かれながら、頭の中で様々なことを考える。
アイーシャと親しげに会話をしていたクォンツ。
クォンツにどうにか接触して、話をしなければならない。
(クォンツ様は公爵家のご嫡男とも、王子様とも面識がありそうだったわ……。公爵家のご嫡男とは仲が良さそうな感じだったから……ベルトルト様にしたようにすれば、きっとクォンツ様も私の言うことを信じて、あの人から離れて行くわ。学園で孤立してしまえばいいのよ、あんな人……っ! 子爵家に居候している分際で、学園にまで通おうとするなんて厚かましい人なんだから……っ)
実際、学園に通う費用も。
子爵家が裕福に暮らせていることも。
アイーシャの今は亡き両親がアイーシャのため、と遺していた莫大な遺産から使われているのだが、エリシャはその金も今は全て自分達の物だと思っている。
父親であるケネブの兄の娘だから、仕方無く成人するまではルドラン子爵家で面倒を見ているが、成人したら直ぐに疫病神であるアイーシャはルドラン子爵家から追い出さなくてはならない。
(それに、元々お父様もお母様も、ベルトルト様は私と婚約させるつもりだったんだから……。あんな、少ししか血の繋がりの無いあの人の婿になっちゃったら、子爵家が乗っ取られてしまうわ)
エリシャは仄暗い光を瞳に映しながら、にんまりと気味の悪い笑みを口元に浮かべたのだった。
◇◆◇
「──ク、クォンツ様……クォンツ様……もうよろしいのではないでしょうか……?」
「いや、駄目に決まってるだろう?」
大講堂を出たアイーシャとクォンツは、常勤医を背後に連れたままボソボソと会話をする。
「だ、だって……っお医者様に診ていただいたら、嘘がバレてしまいます……っ」
「あの常勤医は昔からの知り合いだから大丈夫だ。初めからそこまで痛くはなかった、と言っておけば大丈夫だろう」
「で、ですが……っその……っ」
クォンツの言葉に、それでも納得がいかないような顔でアイーシャがしどろもどろになりながら言葉を返す。
何か言い淀んでいる雰囲気を感じて、クォンツが腕に抱いたアイーシャの顔を見つめるとアイーシャは頬を染めて自分の顔を両手で覆った。
「お、重いから、下ろしていただきたいのです……っ」
蚊の鳴くようなか細い声でそう告げるアイーシャに、クォンツは「は?」と間抜けな声を出してしまう。
「そんなことを気にしてたのか……?」
「そ、そんなことでは……っありません……っ」
恥ずかしそうに小さく声を上げるアイーシャの可愛らしさにクォンツはついつい声を上げて笑ってしまう。
「全然重くない。寧ろ、アイーシャ嬢は軽すぎる。しっかり飯を食べてんのか?」
「た、食べております……っ」
重い、と言われず寧ろ軽すぎると言われアイーシャはほっと安心したが、いかんせんクォンツはまだアイーシャを下ろしてくれそうにない。
本当に、医務室までこのまま抱き上げられたままなのだろうか、とアイーシャがチラリ、とクォンツに視線を向けるとクォンツはとっても良い笑顔をアイーシャに向けた。
クォンツの有無を言わさない笑顔に黙らされてしまったアイーシャは、その後大人しくクォンツの腕に抱かれたまま、医務室に連行された。
「着いたぞ」
ガラガラ、と行儀悪く医務室の扉を足で開けたクォンツはそのまま勝手知ったる様子で医務室の中にずんずん進み、ベッドにアイーシャを下ろす。
怪我の治療だけじゃ? とアイーシャが不思議そうにクォンツを見上げるとクォンツは見上げて来るアイーシャの頭を些か強めに撫でて説明を始めた。
クォンツの背後からは呆れたように常勤医がアイーシャとクォンツの後に続く。
「悪いが……、あの場をさっさと退場したことで恐らくリドル……。あー……あの壇上にいて、喋っていた男だが、あの男は俺がアイーシャ嬢を抱えて出て行ってるのをしっかりと見ているからな……だから、きっとこの後ここに来る」
「リドル、様ですか……あの壇上にいた……」
アイーシャはクォンツの言葉を聞き、壇上にいた男子生徒──リドルを思い出す。
そもそも壇上にいるということは、この学園の中心人物であり、爵位も高い人間だ。
アイーシャの目の前にいるクォンツも、そもそも今までの生活では知り合うことなど到底なかった侯爵家の嫡男。
ベルトルトのケティング侯爵家も、クォンツと同じ侯爵家ではあるが、ベルトルトのケティング侯爵位は元は伯爵位の家である。
数代前の当主が戦争か何かで優れた働きをし、そののち戦争で討たれた結果、陞爵した。
それに比べて、クォンツのユルドラーク侯爵家は古くから続く由緒ある侯爵家で、この国が国家として周囲の国々に認識され始めた頃から既にあった。
建国は遙か昔となるため、正しい資料はあまり残されていないがベルトルトの侯爵家と、クォンツの侯爵家では同じ侯爵家と言えどもかなりの差がある。
そのため、クォンツのユルドラーク侯爵家と交流のある家と言えば、相手もまた高位貴族である可能性が高い。
(──いえ……、可能性と言うより……絶対そうよ……!)
クォンツ自身が高位貴族にありがちな下の者を見下す、といった態度を一切取らないため、ついついアイーシャは気軽に接してしまっているが、本当はこんな気軽に接していいような相手ではない。
「あの、クォンツ様……。リドル様、というお名前を聞いて……そのお名前で思い付く家名は一つしか無い、のですが……」
「ん……? ああ……、リドルは公爵家の嫡男だ」
アイーシャの言葉にこれまたあっさりとクォンツが返答すると、アイーシャはひぃっ、と小さく悲鳴を上げた。
「こうしゃく、こうしゃくけの嫡男様……」
生気を抜かれたかのような表情で、アイーシャは呟く。
クォンツはあっさりと、なんてことないかのように公爵家の嫡男だ、と言っているが「リドル」と「公爵家の嫡男」という言葉だけで壇上にいた男子生徒の家名が分かってしまう。
リドル・アーキワンデ。
アーキワンデ公爵家の嫡男は、空色の髪の毛に髪の毛よりも濃い海のような瞳をしていると聞いたことがある。
先程、壇上にいたリドルは公爵家の嫡男で間違いない。
水色の髪の毛に、深い蒼色の瞳をしていた。リドル・アーキワンデの特徴と一致しているのだ。
「そっ、それで……っ私はどうすれば……っ! アーキワンデ卿がいらっしゃった時、私はどうすれば……っ!」
「落ち着け、落ち着け。アイーシャ嬢は、そうだな……気分が優れなくなった、とでも言ってベッドに横になっていてくれれば良い」
「──えっ、そんな感じで大丈夫なのですか……っ」
アイーシャとクォンツが話している間に、後ろにいた常勤医が「失礼しますよ」と声をかけ、アイーシャの足元に跪く。
「焦って、沢山歩きましたかね……? ユルドラーク卿が仰っていた"迷っていたご令嬢"と言うのもあながち間違いではなさそうですね」
「お恥ずかしい限りです」
「言ったろ? 本当にアイーシャ嬢は足を痛めているんだよ」
何故かクォンツが得意げにしている横で、常勤医が手早く慣れた様子でアイーシャの足首に何かの薬剤を塗り、固定できる清潔な包帯を上から巻いていく。
これで、何処からどう見ても「足を怪我してしまった令嬢」の出来上がりとなってしまい、アイーシャは入学早々、こんなことになってしまい本当に良いのだろうか、と首を捻った。
「ありがとうございます。確かに……急いでいたせいで変な歩き方をしてしまっていたかもしれません。固定して下さり助かりました」
「いえいえ。どういたしまして」
アイーシャと常勤医が和やかに、にこやかに会話を交わしていると。
医務室に向かって急いで駆けて来る足音が二つ。
その足音は、医務室の前で止まるとノックもせずにガララ、と勢い良く扉を開けた。
次いで小さな影が飛び込んで来た。
「お姉様っ! ご無事ですか!?」