67話
「消滅魔術の魔法すら闇魔法で完全に取り除けるのか……」
「そのようですね。安心いたしました」
慈しむようにアイーシャを見つめるウィルバートに、マーベリックはふむ、と考える。
「ウィルバート殿。貴方の闇魔法でエリシャ・ルドランの消滅魔術を封じる事はできないか?」
「消滅魔術をですか?」
「ああ。どうにも口封じの布では完全に無効化できんようだからな。見たところ、あの魔法は魔力消費量が大きい。頻発はできないと思うが、できれば完全に封じたい」
マーベリックの言葉にウィルバートも顎に手をやり数秒考える。
そしてぱっと顔を上げると、口を開いた。
「……発声を封じる、という事で良ければ、私の魔法でどうにかできるかもしれません」
「本当か、ウィルバート殿」
ウィルバートの言葉にマーベリックはぱっと顔を向ける。
頷くウィルバートを見て、マーベリックはほっとしたように安堵の表情を浮かべ、「ならば」と口を開いた。
「ならば、お願いしたい。エリシャ・ルドランが声を出せぬようにしてくれ」
「かしこまりました」
マーベリックの言葉を「命」として受け取ったウィルバートは、自身の胸に手を当てて軽く頭を下げるとエリシャに近付いて行く。
(闇魔法とは、便利なものだ)
恐らく、この場の一同がそう考えているだろう。
それはウィルバート本人でさえも実感している。
他の属性魔法では決して成し得ない魔法を闇魔法は術者の力量や発想力で補い、魔法を創る事ができる。
声を封じる魔法がないのであれば、それを創り出してしまえばいい。
構築式もウィルバートの頭の中には不思議と浮かんで来る。
何故分かるのか、と説明を求められてもできるような物ではない。
何故なら分かるから、分かるのだ。
ウィルバートはエリシャの目前で足を止めた。
エリシャの喉元に腕を伸ばし、闇魔法を発動する。
途端「きゅるっ」と空気が圧縮されたような音が響き、ウィルバートは腕を下ろした。
後方で見守っているマーベリック達に振り返り、無言で頷いた。
◇◆◇
ウィルバート・ルドランと言う男は、貴族男性にしては珍しくとても子煩悩で子供好きな人間だった。
領内にある孤児院に寄付をして、通常、当主夫人やその娘が足を運ぶ所を当主自ら足を運んでいた。ウィルバートは子供達の様子を眺める事が好きだった。
身重の妻が孤児院を訪れる事ができなくなった際は、誰か代わりの者をやるのではなく。自らが孤児院に足を運び続けた。
そして、待望の子供が生まれた後は。
貴族の子供は通常乳母に任せ、子供部屋も階を分けるのが普通であるにも関わらず、二人は子育てに積極的に関わった。
ウィルバートも、妻イライアも、自分の子であるアイーシャを可愛がり、乳母と一緒に手助けしてもらいながらアイーシャに沢山の愛情を注ぎ、育てた。
だからこそ、自分の弟であるケネブとエリザベートの間にも女の子が生まれた時には大層喜んだ。
将来、大きくなったら従姉妹同士、遊ばせてやりたいと思っていたのだ。
だが。
そんな機会は訪れなかった。
◇◆◇
ウィルバートは、自分の目の前で気絶しているエリシャ・ルドランを無表情で見下ろしている。
弟のケネブは愛する妻を殺し。
姪のエリシャは、愛する娘を虐げ続けた。
怒りや憎しみ、憎悪、嫌悪、怨嗟──。
様々な負の感情がウィルバートの胸中を激しく荒らしている。
ウィルバートは無意識に足元にいるエリシャを見下ろしつつ、ぴくり、と自分の腕が震えた。
──殺してしまっても良いのではないか。
──イライアは、あのような辛い目にあったのだから、弟が愛する娘を自分の手で。
(やって、しまおうか)
どこか冷静な部分が「よせ」と言っているような気がするが、それには気付かない振りをする。
遠くから自分の名前を叫ばれているような気がするが、膜を張ったかのようにそれは不明瞭で。ウィルバートは思考が霞がかったような不思議な感覚に陥っていた。
「──お父様っ!」
「……!?」
突然自分の腕をしっかりと掴まれたと思ったら、アイーシャの声が聞こえて、ウィルバートははっと目を見開いた。
「アイーシャ」
ウィルバートが掠れた声でアイーシャの名をぽつりと落とす。すると、どこか焦ったような様子のアイーシャが、強い視線でウィルバートを射貫いた。
ウィルバートが、エリシャに何をしようとしていたのか。
それが垣間見えてしまって、アイーシャはどくりどくり、と心臓が大きく鼓動を打つのを感じている。ウィルバートの腕を掴んだ手とは反対の腕で、アイーシャは自分の心臓辺りを押さえた。
「お父様、駄目です……っそれだけはやってはいけません……っ」
「……」
懇願するようなアイーシャの言葉に、ウィルバートはふと自分の目の前のエリシャに視線を戻す。
先程、エリシャに向かって腕を伸ばしたウィルバートは明確にその首元を狙っていた。それが離れた場所にいたアイーシャにも伝わったのだろう。
アイーシャはそんなウィルバートの行動を止めようと、クォンツやマーベリック達の静止を振り切り、ウィルバートに駆け寄ったらしい。
ウィルバートは何度か頭を振り、思考を切り替える。
先ほどまでの思考は、とても残忍で冷酷なものだった。
(いくらなんでも……姪を手に掛けようとしていたのか、僕は……)
思考が得体の知れないものに呑まれていくような気味の悪さを感じて、ウィルバートはぞっとした。
未だに心配そうにウィルバートの顔を覗き込んでいるアイーシャに笑いかけると、いつものように頭を撫でてやる。
「すまない、アイーシャ。大丈夫、もう大丈夫だ」
アイーシャは安心したように表情を緩ませ、ウィルバートの腕から自分の手を離した。
エリシャとは距離を取っておいた方がいいだろう。
そう考えたウィルバートはアイーシャの背に手を添え、二人でエリシャから離れるように歩き出す。
ウィルバートとエリシャの間にいつの間にかやってきていたマーベリックとリドルが、エリシャの連行に取りかかる。
「殿下、申し訳ございません」
「──いや。ウィルバート殿が謝る必要はない。……貴方の気持ちも分かる」
気遣うようなマーベリックの声に、ウィルバートは眉を下げたまま感謝の言葉を告げた。
合成獣は、先ほどの闇魔法で完全に消滅した。
そして、合成獣に変貌した男と共に来たエリシャはこうして捕らえた。
この国の王太子、マーベリックの目の前で禁じられた消滅魔術を発動したのだ。
マーベリックとリドルが魔道具を持っていなければ。
この場にウィルバートがいなければ。
エリシャが発動した消滅魔術は間違いなくこの場にいた人間にかかっていただろう。
アイーシャを陥れる事に何の疑問も持たないエリシャだ。
ウィルバートがいなければ、発動した魔法でもってマーベリックやクォンツ達を操り、アイーシャを傷付けていたかもしれない。
その危険性が今後はなくなった事に、一同は胸を撫で下ろした。
「そもそも……。王族の私に対して精神干渉魔法を発動する事自体が重罪だ。極刑は免れぬかもしれんな」
ぽつりと零したマーベリックの言葉はアイーシャの耳に届くことはなく、エリシャを連行するために一旦マーベリックとリドルは王城に戻る事となった。




