66話
「お父様!」
「アイーシャ。無事か? どこにも怪我はない?」
のたうち回る合成獣の向こうからウィルバートが近付いてきて、心配そうにアイーシャに話しかける。
クォンツは抱えていたアイーシャを下ろし、合成獣にそっと視線を向ける。
(……消滅している。ここから再生する事はもう不可能だろう)
警戒を解き、長剣を鞘に戻したクォンツはウィルバートと合流する。
「クォンツ卿もアイーシャを助けてくれてありがとう。君がいなかったらと思うとゾッとするよ」
「いえ。間に合って良かったです」
朗らかに感謝を伝えてくるウィルバートに、クォンツも笑顔を返す。
先ほど。合成獣の向こうに見えたウィルバートの表情が凍り付くように冷たく感じたが、今はそんな気配など微塵も見えない。
アイーシャの無事を喜び、会話をしている二人を眺めつつクォンツは合成獣に視線を戻す。
ウィルバートの闇魔法でもう殆ど消滅しかけている。
その向こうにいるマーベリック達を視界に入れ、彼らと合流しようと二人に提案した。
「クォンツ! ウィルバート殿も、ルドラン嬢も無事で良かった!」
少し離れた場所にいるマーベリック達と合流したアイーシャ達は言葉を交わしつつ状況の共有を行う。
エリシャを捕らえた事。
エリザベートの怪我を治さなければならない事。
そして、教団側にいるケネブの捕縛方法。
(お義母様が大怪我をしたなんて……)
アイーシャは地面に横たわり、意識を失っているエリザベートをちらりと視界に入れ、俯く。
エリシャは先ほどからエリザベートの近くでじっと俯いていて、表情が全く読めない。
(エリシャもきっと気が動転しているわ。……酷い事をされてきた、とは言えやっぱり見知った人が大怪我を負っている姿を見るのは心が痛い……)
アイーシャがそんな事を考えているとは露知らず。
エリシャは必死に怒りを抑え込んでいた。
ウィルバートと、クォンツと共にやってきたアイーシャを視界に入れた瞬間、エリシャはアイーシャに対して現しようのない怒りが込み上げてきた。
ふつふつと後から後から込み上げてくる激情。
(お姉様さえ、いなければ……! そもそも、お姉様が両親と一緒にいなくなってれば、私達がこんな目に合う事はなかったのに……!)
エリシャの息がふうふう、と荒くなる。
(どうにか、してやりたい――!)
エリシャは俯いたままちらり、と周囲に視線を巡らせた。
クォンツも、マーベリックも、リドルも今は話し合いに夢中になっている。
エリシャは地面にぺしょり、と体を横たわらせ、少し体を揺する。
肩を上下に動かし、自分の口元を覆っている口封じの布をどうにか外そうと何度も何度も肩を動かす。
(これさえ、外れれば……確かコレを付けられていると、いつもの説得は効果が弱いって言っていたわ)
父親ケネブから言われた事をエリシャは必死になって思い出す。
効果が弱い、と言っていた。
けれど、とても効果が強い説得の魔法もあると言っていた気がする。
幼少期。別邸に何度も赴き、地下にあった良く分からない書物に書かれていた魔法だ。
その魔法の言葉が分からなかったけれど、ケネブが必死に分かる人を探した。
他国の行商人だ、と言われて紹介された男はエリシャに優しくその書物に書かれている言葉を教えてくれて、そして。
(確か、凄く魔力を消費しちゃったのだった……)
教えてもらった言葉で、ケネブが書物を読み解き、エリシャにその魔法を覚えさせた。
その魔法を実際に発動した幼少期のエリシャは意識を失ってしまった、らしい。
膨大な魔力の消費により意識を失ったのだろうが、今のエリシャは幼少期とは比べ物にならない程魔力の総量が増えた。
数日後、目が覚めた時にケネブが大層喜んでいたような気がする。
(──そう。お父様がどうしても困った時にはこれを唱えれば良いって言っていたわ)
もぞもぞ、と何度も動いている内に口封じの布がずれてきたように感じる。
実際、口封じの布は魔道具であるため完全に解除しなければ効果は発揮したままなのだが、エリシャはそれを知らない。
布さえ外れてしまえば魔法が効くと思っている。
実際、エリシャが発動しようとしている消滅魔術に関しては、口封じの布では防ぎきる事はできないのだが――。
(今なら近付いて来るお姉様もろとも……!)
怪我をさせてやる事も出来るかもしれない。
エリシャはそう考えると、僅かにずれた口封じの布の隙間から大きく息を吸い込んだ。
そして、腹の底から力いっぱい声を発した。
「──μΦΜφ&!!」
エリシャの言葉に一番に反応したのは、近くにいたアイーシャ。
皆が喋る、この国の共通語ではない耳慣れない言葉に慌ててエリシャに顔を向けた。
ぞわり、と背筋に悪寒が走り、次いでかくん、と膝から力が抜けてしまったアイーシャは地面に倒れ込んだ。
「アイーシャ!」
エリシャの行動とアイーシャの様子に一番初めに気付いたのはウィルバートで。
急いでアイーシャの下に駆け付けたウィルバートは、何やら魔法を発動し、アイーシャを支えた。
エリシャの魔法によって、マーベリックとリドルが持っていた精神干渉を防ぐ魔道具がバリン、と割れた音がその場に響いた。
「エリシャ・ルドラン……!」
マーベリックとリドルは、体内に流れる魔力が大きく揺さぶられるような不快感を感じる。そして、その不快感を感じたと同時に装備していた魔道具が割れた事に気付き、顔色を変えた。
「殿下、こちらに!」
アイーシャを支えていたウィルバートが咄嗟にマーベリック達を呼ぶ。
先ほどまで顔色を悪くさせていたアイーシャの顔色が元に戻っている。ウィルバートが何かしらの魔法をアイーシャに掛け、エリシャの魔法を打ち消したのだ、と察する。
闇魔法の汎用性の高さに舌を巻きつつ、マーベリック達はウィルバートの下に駆け寄った。
「ウィルバート殿! あれは、消滅魔術を発動したのか!?」
「恐らく、魔力の消費量から見てその可能性が高いでしょう」
魔力を大量に消費すると、その人間は疲労困憊となり自力で体を動かす事すら難しくなる。
大量消費を越えて、魔力が枯渇すると命にも関わって来るのだが、目の前のエリシャの状態は魔力消費や枯渇しかけている状況と合致している。
このまま捨ておけば、命を失う危険性すらある。
通常の魅了魔法や信用魔法の発動とは違い、消滅魔術はウィルバートが使う闇魔法と同じくらい不明点が多く、その魔法については不明瞭だ。
どれだけの魔力を消費するのかは分からないが闇魔法を放ったウィルバートよりもエリシャの状態が悪い。
「未知の魔法を発動する危険性を、エリシャ・ルドランは知らなかった可能性がありますね」
「だが、無知は時に罪になる。このまま放っておけば命を落としてしまうだろう。それだけは避けねばならん」
ウィルバートの言葉にマーベリックが答え、リドルが動く。
「口封じの布では完全に防ぎきる事は難しいですね」
「ああ。だが、ないよりはましだろう」
リドルが新しい口封じの布を用意し、意識を失ったエリシャの口を僅かに開く。言葉すら発する事ができないよう、小さな布を口内に押し込み口封じの布で頑丈に覆うのを眺めつつ、マーベリックがリドルに言葉を返した。
「ウィルバート殿。体が楽になった。これも貴殿の魔法の効果なのか……有難い」
「とんでもございません殿下。エリシャに魔法を発動させてしまい、面目ございません」
「いや。我々もエリシャ・ルドランから意識を逸らしてしまったからな……失態だ。ルドラン嬢は大丈夫そうか?」
「アイーシャは大丈夫です。すぐに取り除きました」
あっさりと言ってのけるウィルバートに、改めて闇魔法の恐ろしさにマーベリックは頬を引き攣らせた。




