62話
エリザベートを抱え、その場から跳び退いたクォンツの後を追い、合成獣の触手が地面を抉る。
「マジかよ……っ!」
抉られた地面を目にしたクォンツはゾッとし、驚愕に目を見開く。
少しでも跳び退く速度が遅ければ。エリザベートを助ける事に躊躇していたら。
あの触手は、地面ではなくクォンツの足を抉っていたかもしれない。
「クォンツ……! 大丈夫か!」
「俺は大丈夫だ! 場所を移動する!」
「分かった!」
マーベリックの声にクォンツは大声で返答し、エリザベートを抱え直す。
マーベリックとリドルはクォンツの提案に頷き、すぐに行動に移した。リドルがエリシャを担ぎ、走り出す。
一度、アイーシャとウィルバートと合流したほうが良さそうだ。
「アイーシャ嬢とウィルバート卿、二人と合流する!」
クォンツの言葉に、先を走っているマーベリックが頷いたように見える。
合成獣との距離は今どれくらい離れているのか。そう考えたクォンツがちらり、と背後を確認する。
「――っ、なんだ?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
だが、それもそのはず。
合成獣は、人間でいうところの頭部分に当たる場所をぐねりと曲げていて、まるで人間が思案しているような体勢になっている。
先ほどまでは動きはのろいが、それでも明確に敵対する意思を見せていた。
それなのに今は何か考え込んでいるような気配がして、クォンツはエリザベートを抱え直し、僅かな違和感を覚えつつ前方に向き直り、再び移動する速度を上げようとした。
『あ゙……いぃージャ……』
「……っ!?」
背後から聞こえた、悍ましい声。
クォンツは咄嗟に足を止め、振り返った。
足元でじゃりっと瓦礫を踏んだ音がするが、今のクォンツには自分の心臓の音が嫌に耳に届く。
「今、なんて……?」
名前、のように聞こえた。
合成獣になっても尚、邪教の男の意識が残っているのか。
だが、例え男の意識が残っていたとしても――。
「なんでアイーシャ嬢の名前に反応した……!?」
嫌な予感に、どきどきと心臓が騒ぐ。
クォンツが混乱し、足を止めていることに気付いたのだろう。
前方を走っていたマーベリックが振り返り、その場を動こうとしていないクォンツにぎょっとする。
「クォンツ!? 何をしている! 早く来い!!」
「えっ、あ……ああ、悪い!」
マーベリックの声にはっと思考を切り替えたクォンツは、止まっていた足を再び動かす。
嫌に心臓が早鐘を打っている。
だが、その事はひとまず無視してクォンツはマーベリック達の後を追った。
◇◆◇
時間は少しだけ遡る。
──どん
と邸全体が揺れ、アイーシャは側にいたウィルバートに慌てて駆け寄った。
「お、お父様……!」
「何かあったみたいだな。アイーシャ、私から離れないように。周囲を警戒するんだ」
「わ、分かりました!」
アイーシャとウィルバートは、マーベリックとリドルが邸にやって来たあと、エリザベートの監視のため、同じ階の部屋で待機していた。
マーベリック、リドル、クォンツが邸内外の侵入者を対応する役割を担ってくれたので、有難く三人に侵入者――エリシャの対応を任せた。
その代わり、アイーシャは邸全体に気配察知の補助魔法を展開していた。魔力量が多くないアイーシャは、気配察知の補助魔法を発動するだけで精一杯だがアイーシャの補助魔法の精度、精密さは群を抜いている。
だからこそ、アイーシャの補助魔法で感知した侵入者を三人は捕らえに行ってくれたのだったが。
「クォンツ様達が向かってから、時間が経ちすぎてます。何かあったのでは……?」
心配そうに言葉を紡ぐアイーシャに、ウィルバートは考え込む。
これほどの揺れからして、何かあった事は確かだろう。
だが、この場を離れエリザベートの監視を辞めてしまうのは不味い。
「……殿下から指示がくるかもしれない。少しだけこの場で待とう、アイーシャ」
「分かりました。気配察知の精度を上げますか?」
「そうだな、そうしよう」
アイーシャとウィルバートが話していると、先程よりも大きく邸が揺れた。
「──っ!?」
「アイーシャ!」
大きな音。
次いで、突然ぼこりと足元の床が崩落した。
アイーシャとウィルバートがいる部屋から然程離れていない場所から大きな音が立った。
床が崩落する中、ウィルバートはアイーシャを引き寄せ、闇魔法を発動する。
闇魔法で少しでも落下の衝撃を和らげ、怪我をしないように階下に着地する。
「しまったな。今の衝撃で逃げ出さなければいいが……」
「もし、拘束が解けてしまったら大変ですよね」
「ああ。その場合は仕方ない。私が対応しよう」
こうなってしまっては仕方ない。
二人は頭上のエリザベートの私室を見上げながら言葉を交わす。
「だがしかし、今はこの揺れの原因を調べないとだな。取りあえず殿下と合流しよう、アイーシャ」
「わかりました。その方がいいですよね」
クォンツ達と合流し、マーベリックに指示を仰ごうとウィルバートが体の向きを変えようとした。
その時。
「お、お父様……! エリザベート夫人が……!」
「なに?」
焦ったようなアイーシャの声に、ウィルバートは急いでアイーシャの視線を辿る。
すると、危惧していた通り先程の衝撃で拘束が解けてしまったのだろう。
室内外にいた兵達も、崩壊に巻き込まれてしまったのか、誰の姿も見当たらない。
そんな中、足を怪我でもしたのだろうか。足を引き摺りながらエリザベートが姿を現し、周囲を見回している。
「くそっ! 私が彼女を拘束し直す! その間、アイーシャは」
ウィルバートは逃走する恐れのあるエリザベートを捕まえに行こうとしてアイーシャに声をかけた。
だが、ウィルバートの声にアイーシャは返事を返さず、その違和感にウィルバートがアイーシャに視線を戻した。
「アイーシャ?」
すると。
アイーシャは顔を真っ青にし、小刻みに震えている。
尋常ではないその様子に、ウィルバートはアイーシャが見つめる先に視線をやったが、崩壊の衝撃で土煙が上がっているからか、視界が悪い。
「アイーシャ、どうした? 何か補助魔法に引っかかったかい?」
アイーシャが継続展開していた気配察知の補助魔法。
その魔法に生き物が引っかかると、その魔法を展開しているアイーシャが感知する。
アイーシャが使う補助魔法は精度が高く、張り巡らせた魔力の網のような魔法に生き物が引っかかるとその物体の保有する魔力量から、その存在がどれ程の力を持っているかが分かる。
だからこそ、アイーシャは自分が発動した補助魔法に触れた存在の、膨大な魔力量に恐怖を抱いていた。
「──……っ、お父様……っ、あれはっ、また……っ」
恐れ、戦きアイーシャが呟くのをじっと見つめているウィルバートの視界の先で、上がっていた土煙が収まって来る。
次の瞬間、大きな大きな体がその場に姿を見せた。
アイーシャが恐れていた存在が、はっきりとウィルバートの視界にも映った。




