6話
アイーシャが百面相をしているのに気付いていたのだろう。
隣を歩いていたクォンツは声を殺して肩を震わせ、笑っている。
「ク、クォンツ様……っ!」
「わ、悪い……アイーシャ嬢……。年頃の令嬢が、そんなに感情を顕にしているのが珍しくて、なっ」
とうとう耐え切れなくなってしまったのか。
クォンツは自分の腕で腹を抱え、声を出して笑っている。
「ふ、普段は私も淑やかさを心掛けております……っ! ただ、ちょっと……っ、今日は不測の事態が発生してしまいましたので……っ」
「──あぁ、迷子に焦って催しをサボろうとしてたもんな?」
「さ、サボるなどっいたしません……!」
貴族令息にしては軽い調子でぽんぽんと言葉を投げるクォンツに、アイーシャもついつい素の自分で言葉を返してしまう。
普段、あの家にいる時は自分を押さえ込み、義理の家族の様子をじっと観察し、下手な発言をしないように、と何処かいつも緊張していた。
けれど、クォンツに対しては高位貴族で、しかも嫡男で普段の自分であれば絶対に関わりになどなれない程の人物なのに、クォンツの性格なのだろうか。
それとも、学園という特殊な場所にいるせいか。
自分を偽ることなく、自然体の自分自身でいられることにアイーシャ自身も驚いていた。
誰かと会話をするのが、こんなにも楽しいものなのだ、ということを久しぶりに実感し、アイーシャはクォンツと言葉を交わしながら大講堂へと向かう。
その間、二人の間では会話が途切れることはなく、クォンツは楽しそうに笑い続けていた。
暫くクォンツに案内されるまま、学園内の長い廊下を歩き、何度か廊下を曲がり足を進める。
途中途中、クォンツから大講堂に向かうまでの道すがら、どこどこに行くにはここをこう突っ切った方が近道だ、とか。先生が殆ど来ない場所を教えて貰う。
「一番のサボり場所だ」と言う所もしっかりとアイーシャに案内してくれて、アイーシャは呆れ笑いをしてしまった程である。
「──さて、もうすぐ大講堂に着く」
「本当ですか! クォンツ様、ありがとうございます……!」
クォンツに声をかけられた場所から、大分歩いたような気がする。
それほどに大講堂がある場所から離れ続けてしまったのだ、とアイーシャは恥じると廊下を曲がり、渡り廊下の先に聳える煌びやかな建物──大講堂に視線を向けて、感嘆の声を漏らした。
「す、凄いですね……とても綺麗です……」
「──貴族達の見栄のために各家が金を出し合った結果だな。……こんな物に金なんてかけず、もっと必要なところに金を使えばいいのにな……」
クォンツは呆れたように、何処か憎々しげに吐き捨てるように呟き、直ぐにぱっと表情を変えてアイーシャににんまりと笑む。
「着いた、のはいいが……。もう始まってるな……。今から入れば注目を浴びるだろうが……いいのか……?」
「──ぅっ、それは……仕方ありません……。そもそも、私が迷ったりしなければ間に合いましたもの……」
「注目を浴びるのは仕方ないってことか……まあ、そうだな、仕方ない。入口に向かうか」
クォンツは不安そうな表情をしているアイーシャに、元気付けるように頭を何度か撫でてやると入口に向かって足を進める。
渡り廊下を通り、大講堂の入口の付近に近付いて行く。
入口に立っているのはこの学園の教師だろうか。
近付いて来るアイーシャと、クォンツに気付き、ぎょっと目を見開いて焦ったような表情を浮かべる。
そして、何食わぬ顔で近付いて来るクォンツに慌てて駆け寄り、声を潜めて話しかけて来た。
「ユルドラーク卿……っ! 今日は、貴方の表彰もあるとお話したでしょう……っ! 今、貴方を探しに教師達が学園内を走り回っているのですよ……っ!」
「──え、ああ……確かにそんなことを言われましたね。それならばこうしましょう」
クォンツはそう言うなり、隣にいるアイーシャににっこり胡散臭い笑顔を向ける。そして「失礼」と声を発した。
アイーシャがきょと、と瞳を瞬かせているとさっと屈んだクォンツがアイーシャの膝裏と背中に腕を回し、そのまま抱き上げてしまう。
「──っ、!??」
突然のことに吃驚してアイーシャがぴしり、と固まると突然そのような行動をしたクォンツに学園の教師が慌てたように声を上げた。
「ちょ、ちょっとユルドラーク卿! 女性に対していきなりっ、それに女性にそう簡単に触れるものではありませんよ……っ」
「今だけ、今だけだから目をつぶって欲しい、アイーシャ嬢。……いいか、こうしよう。俺は大講堂に向かう途中、学園内で迷い、焦って学園内を進むアイーシャ嬢が足を捻った所に出くわして、彼女をここまで連れて来た。そうすれば、俺も、アイーシャ嬢も参加が遅れたことは仕方ないと認識される」
「でも……私はもうそちらのご令嬢が普通に歩いて来た姿を見ていますよ」
じとっ、とした視線を向けて来る教師に、クォンツは肩を竦めると「先生が言わないでくれたら大丈夫ですよ」とあっけらかんとそう言い、アイーシャが固まっている内に大講堂内へとスタスタと入って行ってしまった。
扉の開く音に、中にいた学園生達が何事か、とちらりと視線を向けてくる。
そんな数多くの視線など意に介さずクォンツは進んでいく。
学園の常勤医が控えている場所にアイーシャを連れて行き、常勤医の側にアイーシャを座らせ、自分もアイーシャの隣に腰を下ろした。
クォンツは遅れてすまない、とでも言うように大講堂の壇上にいる──学園役員、だろうか。
その生徒に向かって手を上げると、その役員の男子生徒は苦笑して話の続きを話し始めた。
突然、後から入って来た生徒二人に周囲はちらちらとアイーシャとクォンツに視線を向けているが、学園役員も、学園の教師達も誰も咎めないことから、次第にアイーシャ達から視線は外れて行く。
自分に向けられる視線が減ったことに、アイーシャはほっと息を付いたが、未だにアイーシャを鋭い視線で見つめる者がいるとは思わなかった。
アイーシャをまるで視線で殺してしまえるのではないか、と言える程恨みや憎しみの篭った瞳で見つめるのはアイーシャの義妹──エリシャだった。
エリシャは、遅れて入って来た自分の義姉に憎しみの籠った視線を向けながら、アイーシャと一緒に大講堂に入って来たクォンツに視線を向ける。
「──あれ、誰かしら……」
「エリシャ?」
隣に座っていたベルトルトがエリシャの声に反応して、不思議そうに話しかけてくる。が、エリシャはにっこり笑みを浮かべ首を横に振った。
「何でもありません、ベルトルト様」
「そ、そうかい……?」
エリシャは、愛らしい笑顔で隣に座っているベルトルトに甘えるように体を寄せた。
エリシャに甘えられたことにベルトルトは頬をだらしなく緩ませ、そっとエリシャの肩を抱いた。
(──ベルトルト様をあの人から奪って……あの人が持っている物を殆ど奪ったと思ったんだけどなぁ)
エリシャはこてん、とベルトルトの肩に自分の頭を預けるとアイーシャの隣に座るクォンツに視線を向ける。
(狡いな……。あんなに格好良い人、私の周りにはいない。何であんなに格好良い人があの人と一緒にいるのかしら……狡いなぁ……)
アイーシャが持っている物は全部自分の物だ。
だから、アイーシャの隣にいるクォンツも自分の物にしなくちゃ、とエリシャが考えていると、この学園に通っている公爵家の嫡男が新しく入学した生徒達への祝いの言葉を終え、次に発した言葉に、再び意識を壇上へと戻す。
「──では、次にクォンツ・ユルドラークの表彰に移ろう。……クォンツ・ユルドラークは先の魔物の発生に際して魔法剣士として現地に赴き、魔物を倒し、現地の住民達を救ってくれた。皆も、クォンツのように学園の授業以外にも魔物の被害を受けている住民達の手助けになってくれ」
公爵家の嫡男がそう告げると、先程アイーシャの隣に座っていたクォンツが椅子から立ち上がって、壇上へ歩き出す。
「──えっ、嘘っ、あの方が……!?」
「エリシャ……?」
エリシャが食い付くようにベルトルトの肩からガバリ、と頭を退ける。
身を乗り出してクォンツの姿を見つめた。
「あんな凄い方と、あの人はいつの間に知り合ったのよ……」
エリシャが悔しげにぎり、と歯を食いしばるとエリシャの底知れぬ感情に反応したのだろうか。
壇上に向かっていたクォンツが一瞬だけちらり、とエリシャとベルトルトがいる方向に視線を向けた。
「──っ」
エリシャが咄嗟にクォンツから視線を外し、ドキドキと不安に胸を騒がせ、俯いていると興味を失ったのだろう。
クォンツはふい、と興味無さげに壇上に視線を戻し、先程の公爵家の嫡男から礼の言葉と共に、何か贈呈品を贈られていた。
クォンツはそれを受け取るなり、一言二言公爵家の嫡男と親しげに言葉を交わした後、さっさと壇上から降りて先程まで自分が座っていた場所に戻って行く。
エリシャは、クォンツを視線で追いながら隣のベルトルトにクォンツのことを聞いた。
「ベルトルト様。今、褒められたクォンツ様って……?」
「──ああ、彼はクォンツ・ユルドラークと言って、ユルドラーク侯爵家の嫡男だよ。魔法の素質が素晴らしく、座学も完璧だ。魔法剣士として国内の魔獣退治に、学生の身でありながら向かえる程の力を持つ、その、何と言うか……化け物みたいな方だよ」
「ユルドラーク……侯爵様になる方なのですか?」
「ああ。そうだね。近い将来、彼は爵位を継いでユルドラーク侯爵になるだろうね。公爵家の嫡男とも仲が良いし、確か王太子殿下とも仲が良好だった筈だよ」
「すごおい……! 王子様とも、仲良しなんですね……!」
エリシャは、ベルトルトの言葉にぱあっと表情を輝かせるとうっとりと瞳を細め、クォンツを見つめる。
「──……ぇ?」
だが、エリシャが見つめた先。
クォンツを見ていれば、当の本人クォンツは隣に座るアイーシャを気遣うような様子を見せ、何事か常勤医と話している。
そうして、あろうことか隣にいたアイーシャを優しく抱き上げたかと思えば常勤医を伴い、大講堂を出て行くではないか。
エリシャの視線を追って、クォンツの方へ顔を向けたベルトルトも、そこで初めてアイーシャがクォンツに抱き上げられ、大講堂を出て行く姿を目撃し、驚きに目を見開いた。