59話
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「──あの人は、夫はどこ!? エリシャは、エリシャは何処なのよ!?」
「おっ、落ち着いて下さいエリザベート夫人……っ!」
──ガシャン!
──パリン!
と、扉の奥からエリザベートの叫び声と何かが割れる音が聞こえる。
扉を開けようとしていたアイーシャの手をクォンツが握り、後ろにいるウィルバートにアイーシャを任せる。
「クォンツ様?」
「アイーシャ嬢は、ウィルバート卿の後ろにいた方が良い。夫人がまた手当り次第物を投げてくる可能性がある」
「そうだな、アイーシャ。クォンツ卿の言う通りにした方がいい。アイーシャが万が一傷付けられてしまったら。……人が死ぬ所を見たくはないだろう?」
どことなくウィルバートの声にひやり、とした冷たさを感じる。アイーシャはこくこくと何度も頷くと、クォンツの言う通りウィルバートの後ろに大人しく収まった。
未だ扉の奥で騒ぐ声が聞こえて来ているが、クォンツは構わずドアノブを握り、勢い良く開け室内に足を踏み入れた。
「──あー……大分暴れたな、これは……」
室内の惨状を目にしたクォンツがぽつりと言葉を零すと、中にいたエリザベートが勢い良く振り返る。
止めようとしていた兵士達を押しのけ、エリザベートがクォンツに近寄ろうとしたが、足に付けられた足枷の鎖がジャラッ! と音を立てた。
鎖に引っ張られ、それ以上近付く事ができなくなったエリザベートは叫び出す。
「ユルドラーク卿! この鎖を外して下さい! 私は罪人と同様の扱いを受けるような事はしておりませんわ!」
「それはどうだろうか、ルドラン夫人。先程も貴女はアイーシャ嬢に向かって物を投げたではありませんか。打ち所が悪かったら大怪我をする。……そのような人に対して対処するのは当たり前です」
「ア、アイーシャに何をしようが私達の勝手ですわ! あれはこのルドラン子爵家の者です……! あれを家族である我々がどうしようと、私達の自由……! 家族の事に他人が口を出すのは些か行き過ぎておりますわ!」
クォンツの言葉に、悪びれる様子も見せずにエリザベートは笑みさえ浮かべて叫ぶ。アイーシャをどう扱おうが、自分達の勝手だと。子爵家の事情に首を突っ込むな、とエリザベートは愚かにもそう告げたのだ。
アイーシャの実の父親、ウィルバートが聞いているなど露程も思わずに。
ウィルバートは拳を握り締め、クォンツの隣に歩み出た。
隣から感じるウィルバートの怒気に、クォンツは背中に嫌な汗をかきながらそっと話しかける。
「ウィルバート卿、お気持ちは分かりますが……。殺さぬようお願いします。エリシャ・ルドランを誘き寄せるために必要なので」
「分かっている。この場で処理してしまいたいが、そうするとケネブとエリシャを捕えられない。それは十分わかっているのだが……っ」
フードを被った男が突然前に出て来た事に、エリザベートは怪訝な表情を浮かべた。
「お前は誰なの!? 突然ユルドラーク卿と私の間に入ってきて……! 恥を知りなさい、罰せられたいの!?」
大声で言葉を紡ぐエリザベートに、ウィルバートの背後にいるアイーシャは眉を顰める。
フードを被り顔が見えないとは言え、クォンツと同等に会話をしている人物だ。その様子を見て相手がどのような立場の人間なのか、察する事が出来ていない。
アイーシャが「何と愚かな」と心の中で呟いているとウィルバートが「やれやれ」と零しつつフードを取った。
「久しぶりだな、エリザベート嬢。いや、今は夫人と呼ぶべきか」
「……は? え?」
突然フードを取ったウィルバートに、エリザベートは始めはぽかんと惚けたような表情をしていたが、素顔を晒したウィルバートの容姿の良さに瞳を煌めかせると「女」の顔になった。
「あ、あら……。どなたか存じませんが……昔の私をご存知で……? 何処かでお会いしたかしら……?」
しなを作り、まるで媚びるようにウィルバートを見上げるエリザベートに、クォンツもアイーシャも不快感に眉を顰めた。
ウィルバートはそんなエリザベートに対し、冷たい表情で言葉を返す。
「何度か会って挨拶をしたのだが……娘と同様、その頭の中は空っぽか」
見惚れていたウィルバートから辛辣な言葉を浴びせられ、エリザベートは羞恥に顔を真っ赤にさせる。
「なっ、なっ、無礼な……っ! 名を名乗りなさい! 私はこの家の女主人よ!」
「ああ、申し遅れたな。私はウィルバート・ルドラン。義妹よ、義兄の顔も忘れたか?」
胸に手をあて、紳士の礼をとるウィルバートにエリザベートはぽかん、と口を開けてしまう。
「──は? あに、義兄……? ウィルバート?」
エリザベートはウィルバートから言われた言葉が理解出来なかったのか。
呆気にとられていたが、それも暫しの時間。はっ、と瞳を見開きウィルバートから距離を取り恐怖に唇を戦慄かせた。
「なっ、何で生きているの!? ウィルバートと妻は確かに殺した、ってあの人が……!」
自分の口元を手で覆い、幽霊を見るような目でウィルバートを見つめるエリザベートにウィルバートとクォンツが視線を合わせる。
「クォンツ卿」
「ええ。殿下から預かった映像記憶の魔道具でしっかりと撮ってますよ」
「ならば良かった」
二人の会話に、距離を取っていたエリザベートがぎょっと瞳を見開き、声を荒らげる。
「は? 殿下から……撮ってるってどういうこと!? それに、ウィルバートが生きているなんて嘘だわ! 貴方は若すぎるっ、ウィルバートが生きていれば、今頃は四十! 貴方みたいに若くないわ!」
エリザベートの言葉に、クォンツもウィルバートも反応せずに起動していた魔道具の確認に入る。
この部屋に入った瞬間から魔道具は起動されており、先程のエリザベートの発言も記憶されているのを確認した。
「──よし。私と、妻のイライアを殺したとの発言は撮れているな。あとはエリシャ・ルドランの接触を待つだけだ」
「はい。そのようですね。どうしますか、エリシャ・ルドランが接触してくるまで夫人には寝ていてもらいますか?」
クォンツの言葉にウィルバートは考え込むように顎に手をやり暫し考え込む。
その間もエリザベートは未だに声を荒らげているが、ウィルバートとクォンツの後ろにアイーシャの姿を見つけくわっ、と瞳を見開いた。
「──アイーシャ! お前っ、どうしてお前がここにいるの!!」
「えっ」
「私達がこんな大変な目に合っていると言うのに……っ、お前!」
エリザベートはぎりぎりと歯を食いしばり、血走った目をアイーシャに向ける。
ぎょろり、と血走った目がアイーシャを捉え、アイーシャはエリザベートの尋常ではない様子に一歩後ずさってしまう。
「何の役にも立たぬお前を、十年間育ててやったのに!」
エリザベートがそう吐き捨てると、アイーシャに向かって徐に自分の片腕を振り上げ、手のひらをひたりとアイーシャに向けて固定する。
エリザベートの魔力だろうか。
アイーシャに向けられた手のひらに、エリザベートの魔力がぎゅる、と収束していく。
あろう事か、エリザベートはクォンツとウィルバートの目の前でアイーシャに向かって攻撃魔法を放とうとした。
「──!?」
エリザベートの魔法は炎を作り出し、圧縮された密度の濃い火魔法が明確な悪意を持ってアイーシャに向かって放たれる。
アイーシャは自分に放たれた魔法に驚き咄嗟に目を瞑ってしまったが、エリザベートの手のひらから発現した炎は、アイーシャに向かう前にその場でぷしゅり、と消失した。
近くで見ていたクォンツとウィルバートは焦る様子もなく、追加で映像を記録した。
自分の魔法があっさりと消滅して驚き、唖然としているエリザベートに向かってクォンツは近付いた。
「アイーシャ嬢に危害を加えようとした事を確認。危険人物と見なし、拘束する。今後、貴方の身柄は王太子に引き渡す。その時まで厳重に拘束、監視する」
「え……っ、あっ、ちょっとお待ちを……! どうして私が……!」
逃げ出そうと踵を返すエリザベートをクォンツは素早く拘束する。マーベリックから預かった拘束魔法の魔道具を取り出し、エリザベートの手首に嵌める。
途端、がちゃんと勢い良くエリザベートの手首が合わさり、後ろ手に拘束された。
「アイーシャ嬢に並々ならぬ感情を抱き、彼女を害そうとしていた事は周知の事実だ。貴女の魔法を防ぐ魔法をアイーシャ嬢にかけておく事など、造作もない。もっと頭を使って行動した方が良かったな?」
「ユ、ユルドラーク卿っ、これは何かの間違いよ……! 私をっ、ルドラン子爵家にこんな事をしてっ、大変な事になっても知らないから!」
エリザベートの拘束を問題無く終えたクォンツは、室内の兵士に顔を向けて指示を出した。
「エリシャ・ルドランが見付けやすいよう、夫人の私室に連れて行ってくれ」
「かしこまりました!」
クォンツの言葉にさっ、と頭を下げた兵士達は拘束から逃れようと藻掻くエリザベートを連れ、部屋を退出した。
◇◆◇
同時刻、ルドラン子爵家の裏門。
目深にフードを被り、こそこそ子爵邸に侵入する二つの影は、敷地内に侵入が完了するとほっとしたように表情を綻ばせた。
「さっさと見付けて戻るぞ、エリシャ・ルドラン」
「あっ、待って下さい……っ! お母様のお部屋はこちらから行った方が近いですよっ」
予想していた通り、邪教の信徒である男と、エリシャが邸にやってきた。




