54話
アイーシャが動き回る度に高い位置で結い上げた髪の毛がぴょこぴょこと跳ねている。
アイーシャの後ろ姿を見ていたクォンツは無意識に「可愛いな」と呟いてしまう。呟いた自分の声に反応したクォンツははっとして自分の顔を片手で覆う。
頬が軽く熱を持っている事に気付き、クォンツは気恥ずかしいような、でもどこか満更でもない感情を抱く。
クォンツが一人で百面相をしていると、唐突にアイーシャがくるりと振り返った。
「クォンツ様。この保養所内、地下があるみたいです。地下って調べたんですかね?」
「──へ? あ、ああ。地下?」
どきり、とクォンツの心臓が跳ね、アイーシャの質問にすぐに反応できない。
頭の中でもう一度アイーシャから言われた言葉を思い出し、クォンツは前方で不思議そうにこちらを窺うアイーシャの隣にやってきた。
アイーシャが指し示す方向に顔を向ける。するとそこには保存庫のようなものがあるのが見える。
保養所が運営されていた頃には、食べ物や備品などを保管していたであろう、倉庫のような部分に繋がる階段がひっそりとそこに存在していた。
クォンツは階段をじぃっと見つめ、ある事に気付く。自分の唇に指を当て「静かに」と声を潜めて話し出す。
「見ろ、アイーシャ嬢。あそこ、足跡があるのが分かるか? 新しいものではなさそうだが、この保養所が閉鎖してから、出入りしていた奴がいるようだな」
「──!」
クォンツの指示通り、アイーシャは声を発してしまわないよう自分の口元を手で覆いながら、目を凝らす。
階段には、クォンツが告げたようにいくつかの足跡があり、その靴底の跡から同一人物ではなさそうだった。
「少なくとも二人以上……複数人が目的があって、地下に向かったんだろうな。ただの旅人が立ち寄っただけなのか、賊のような輩が根城にしていたのかは分からねえが……」
クォンツは腰に下げていた剣を右腕で抜き放ち、一歩踏み出した。
「地下を確認してみるか……アイーシャ嬢には補助魔法を頼みたい。いいか?」
「勿論です。下に到着したらすぐに灯りを点けますね」
「ああ、頼む」
なるべく足音を立てぬよう気を付けながら階段を降りて行く。
降りきる直前にクォンツは風魔法を発動し、自身の刀身に纏わせた。
剣と風魔法の相性はとても良いという事を、アイーシャは学園の教材で見た記憶がある。風魔法を刀身に纏わせる事で斬れ味が増し、術者の力量にもよるが風魔法を付加した刀身は、硬い岩でも、太い幹でもすっぱりと両断できてしまうらしい。
クォンツは学園に通いながら魔法剣士として自ら魔物討伐に赴く事が多い。実戦経験も豊富だ。
侯爵家の嫡男であるクォンツはそのように討伐に赴かなくても良い身分ではあるのだが、気質は彼の父親クラウディオにとても似ているのだろう。
魔物が出たと知れば率先して討伐に赴き、魔物を屠る。
国民や侯爵家の領地の領民が困っているのであれば率先して討伐に赴く。
だが、そんな彼は貴族としてはとても異端な部類でもある。
(改めて……私はとても凄い方と一緒にいるのね。高位貴族の方によく見受けられるような傲慢さなんて微塵もないし、とても優しいし、責任感のある素敵な方だわ)
討伐隊を組むのでは無く、力があるのだから、と自ら討伐に赴き危険を排除する姿勢は領地の民を守る次期当主として好ましい。
この人が治める領地で暮らしたい、と思えるほどの安心感を与えるだろう。
(私も、少しでも恩返しをしないと……)
学園で出会って以降、クォンツにはとても助けられている。
少しでもクォンツの助けになるよう、頑張ろう。とアイーシャを決意を改めていると、前方を歩いていたクォンツが足を止めて顔だけ振り返る。
「アイーシャ嬢、着いた。中に入るぞ」
「分かりました」
クォンツの言葉にアイーシャはきゅ、と唇を引き結びいつでも魔法が発動できるよう警戒する。
クォンツが扉を開けたと同時に、倉庫内を照らすようにアイーシャは火魔法で光源を作り、中を明るく照らした。
戦闘に対応出来るよう構えていたクォンツは息を長く吐き出すと、構えていた剣を下ろした。
「人の気配はない」
言葉通り室内が照らされ中の様子が分かるようになると、様々な備品が壁際に高く積まれている様子が見て取れる。
ある程度広さがあるようだが、見える範囲には人も、魔物もいなさそうだ。
ひとまず緊張感から解放されたアイーシャは、ほっと息を付いた。
「だが、以前はやっぱり誰かがここに入り込んでいたみたいだ。備品を物色している痕跡がある。非常食の保存されている箱も開封されてるから……賊か、旅人か?」
「誰かが、この場所で体を休めていたのでしょうか?」
「いや……。まだこれだけだと分からねえが……根城にしていたのか、一時的に避難していたのか。何か決定的な痕跡があれば、な……」
前を歩くクォンツに、アイーシャも付いて行く。
壁に沿って積まれている備品類を物色するクォンツから視線を外し、アイーシャも周囲を見回した。
棚と棚の間にある小さなテーブルの上にある物を見て、アイーシャは僅かに目を見開いた。
子爵邸、別邸の蔵書室にあったような似たような本が沢山散らばっているのが見え、アイーシャはついつい声を上げてしまった。
「──! クォンツ様、あれっ!」
「何か見つけたか……!?」
アイーシャの声に反応し、アイーシャを背に庇いつつ視線の先を見やる。
アイーシャの視線を辿った先には、複数の本が積まれている小さなテーブルがある。
ひとまず危険はなさそうか、と力を抜いたクォンツはアイーシャの腕を取りそのテーブルに向かって歩いて行く。
そのテーブルにはアイーシャの見間違いではなく、やはり蔵書室にあったような本が沢山散らばっている。
「これは……」
本を視界に入れたクォンツは、小さく舌打ちを零す。
「ケネブ・ルドランが邪教と繋がり、合成獣を作る手助けをしてやがった、つー事が確定したな」
クォンツは眉を顰め、蔵書の一つを指先でなぞる。
あちこちの蔵書の背表紙には「神話」「神話生物」「作り方」などなど、古語と言うほど昔の言葉ではないが、恐らく百年から二百年ほど前に使用されていたこの国の共通語で記載されている。
アイーシャはその中から一冊を手に取り、ぱらぱらと中を確認する。
クォンツは周囲に警戒を怠らず、アイーシャに倣い適当に一冊を手に取ると本の中に書かれている文章に目を落とした。
「お父様が昔、話して下さった内容と同じ事が書かれていますね」
「どっかの国の創世神話では合成獣がいたっつー内容だな。……この本にも書かれている」
「はい。お父様とお母様は多くの本を読まれていました。合成獣はやはり神話に登場する生物として記載されていますね」
「どっかの研究者が合成獣について興味を持って調べているな。作り方なんぞも考察してやがる」
クォンツは新たに開いた本の中身を見て嫌そうに眉を顰めた。
「こんな、眉唾みたいなもんを信じ込み実行するなんてな……」
「どれですか?」
アイーシャはクォンツが開いている本を見ようとクォンツに体を寄せてひょい、と覗き込む。
アイーシャにも見易いようにクォンツは本を下げてやると「生み出し方を考察している部分がある」と自分の指先でトン、とその部分を叩いた。
クォンツに示された場所にアイーシャも目をやり、合成獣の生み出し方について考察されている箇所に視線を落とし、記載されている文章を読む。
「纏まりなく様々な事が記載されていますが、これは……」
「ああ。考えが散らかっていて……証拠として強い物ではないが」
「──でも。もし、もしですよ? 万が一、邪教の人達がこの書物を昔から研究していて、ありとあらゆる方法を試していたら。試していく内に"有効"な研究結果が出て、それが増えていったら……?」
「眉唾ではなくなるな」
アイーシャの考えに、クォンツは後頭部をがりがりとかくと溜息をついた。
「──何をしてでも、ケネブ・ルドランに邪教について話してもらわねえと駄目だな」
◇◆◇
アイーシャとクォンツと別れたウィルバートは、転移魔法で隣国山中にある自分の家に戻って来ていた。家の中に入り、必要な物を手早く纏めていく。
「助けてくれたあの人には申し訳ないが……。この家は処分してしまった方が良いだろうな」
ウィルバートを助けてくれたのは、この家に住んでいた年配の男性だった。
昔は隣国の騎士をしていた、と言っていたが魔物討伐で怪我を負い、引退した。人があまりやって来ない山中でひっそり暮らしていたらしい。
元騎士だったという事もあり、山での生活について沢山の知恵や知識をウィルバートに授けてくれた。
この人に助けてもらっていなければ、恩人が亡くなった後、ウィルバートも数年間もの間、一人で生活していくことなどできなかっただろう。
ウィルバートは家の中から最低限の荷物を運び出し、少しばかり離れた場所で立ち止まり家全体を視界に収める。
「──ありがとうございました」
ぽつり、と呟いたウィルバートはその家に向かって頭を上げる。
次いで魔力を練り上げ、闇魔法を発動した。
ウィルバートには自分を待ってくれている人がいる。
帰る家も思い出した。
闇魔法の黒い粒子に覆われ、じわじわと呑み込まれて行く家を少しだけ悲しそうに見やる。
感傷に浸ったのは少しの時間だけで、ウィルバートは次の場所に転移した。
絶対に確認しておかねばならない事。
アイーシャの前では絶対にできない。
「──イライア」
魔力が宿る不思議な丘。
花が咲き乱れ、小高い丘の頂上にイライアの墓標はある。
「あの日、僕は確かにイライアの亡骸をこの地に弔った……」
だが、それなのにあの保養所跡には何故か亡くなった日にイライアが着ていたドレスが落ちていた。
「僕が埋めたんだ……見間違うことなんてあり得ない」
不規則に早鐘を打つ自分の胸に手を当て、ウィルバートは震える足を何とか踏み出し墓標の前までやってくる。
そうしてウィルバートはその場にかくん、と両膝を着き地面に向かって自分の両手を押し当てた。
──途端。
土がじわじわと消えていき、ウィルバートはぐっと眉を寄せて唇を噛み締めた。
「ごめん……っ、ごめんイライア……っ」
故人の墓を暴くなど、許されざる行為だと分かっている。
だが、確かめねばならない。
あの合成獣を生み出すために犠牲になった人々の中に、イライアが含まれているのか。
合成獣の中にあった綺麗なエメラルドグリーン。それだけで嫌な予感はしている。いや、本当は分かっているのだ。けれど、実際に目にしていなければ。本当はウィルバートの勘違いで、あのエメラルドグリーンは関係なくて、イライアは犠牲にはなっていないかもしれない、という希望が捨て切れない。
けれど。
「もし君が犠牲になっていたら──。どんな手を使ってでも、報いは受けさせるっ」
闇魔法によって土が全て取り除かれ、ウィルバートの眼前に大きな窪みが晒される。
窪みに収められているものの蓋を開けた。
刹那、美しい花々が咲き誇る丘でウィルバートの悲しげな慟哭が響いた。




