53話
アイーシャとクォンツ、二人は少しの時間、窓の外に広がる幻想的な光景を楽しんだあと皆が休んでいる部屋に戻った。そして先ほどまで眠っていた場所に戻り、眠りに付いた。
クォンツが零していた通り、ウィルバートを含む全員は起きていたが、二人が何事もなく戻って来たことを確認すると再び眠った。
翌朝。
王都へ帰還するマーベリック達が出立の準備をしていると、ウィルバートがマーベリックに話しかける。
「殿下」
「ウィルバート殿? どうした?」
「私は、皆と別行動で王都に戻ります」
さらりと告げるウィルバートにアイーシャは目を見開いた。
それは、周囲にいた一同も同じようで、怪訝そうな顔をしている。
言われた当人マーベリックも驚いていて、意図を問うようにアイーシャを見やった。だがアイーシャ自身もウィルバートから何も聞かされておらず、ふるふると首を横に振って答える。
マーベリックは戸惑いを隠し切れぬ様子でウィルバートに言葉を返した。
「理由を聞いても良いか?」
「勿論です、殿下」
頷いたウィルバートは、背後にある保養所跡に視線を向けた後、マーベリックに視線を戻す。
「まず、私は既にこの世にいない人間です。十年前に事故で死んだ筈の男が、十年前と変わらぬ姿で戻ってしまえば、周囲は混乱しますし、この姿に恐怖を抱く者も出てくる可能性がございます。そして、私はまだ少しこの場所の確認をしたいのと、私が住んでいた家を片さねばなりません」
ウィルバートが住んでいた家の近くには、イライアの墓標もある。
不思議な魔力豊富なその場所から、墓標も移さねばならない。
アイーシャは、ウィルバートと再会した時に墓標に行こう、と話していたことを思い出す。馬車に荷物を運び込もうとしていた手を止めた。
荷物を手に抱え直し、ウィルバートに歩いて行く。
「ルドラン嬢? 君も、ここに残るつもりか?」
ウィルバートの隣に立つアイーシャに、マーベリックは問う。
出来れば、ルドラン親子には共に王都に戻って来て欲しかったのだが、とマーベリックは悩む。
確かに、保養所跡の調査は全部終わった訳ではない。
それよりも、ウィルバートから聞いた邪教の話の衝撃が強く、ケネブ・ルドランに一刻も早く会わなければと王都に帰還する事を決めたのだが、ウィルバートが残り、保養所跡を調査してくれるのであれば助かるのもまた事実。
「はい、殿下。お母様の墓標に手を合わせに行きたく……。勝手ではございますが私と父は少し遅れて王都に戻ってもよろしいでしょうか?」
「そう、だな……」
母親の墓標に手を合わせたい気持ちは痛いほど分かる。
マーベリックは「分かった」と呟くと、二人に視線を向けて口を開いた。
「ウィルバート殿とルドラン嬢が残り、この地を調査してくれるのであればこちらとしても助かる……。我々は先に王都に戻り、やるべき事をしておこう」
「感謝致します、殿下!」
ウィルバートとアイーシャは表情を輝かせてマーベリックにお礼を伝える。
するとやり取りを見ていたクォンツが、馬車から荷物を取り出してウィルバートとアイーシャの近くにやってくる。
クォンツの行動に怪訝な表情を浮かべていたウィルバートは、次にクォンツの口から発せられた言葉に嫌そうに表情を歪ませた。
「ならば、殿下。俺も二人と共に後から王都に戻りますよ。ウィルバート卿は闇魔法のみ、アイーシャ嬢は強力な攻撃魔法が使えませんから。万が一に備えて、戦える者がもう一人くらいいた方がいいかと思います」
「尤もな事を言って……お前は……」
呆れたように言葉を零すマーベリックに、クォンツはにぃ、と口端を持ち上げて笑みを浮かべる。
ウィルバートはクォンツとアイーシャを交互に見やった後、諦めたように小さく息を吐き出すと、マーベリックに向き直った。
「クォンツ卿の言葉は尤も、です……癪ですが。闇魔法があるとは言え、魔力切れを起こしてしまっては命に関わります。王都に帰還する際には殿下方に遅れを取らぬよう、同時期に戻れるよう調整いたします。二日後、ですね?」
「ああ、そうか。闇魔法ではそのような事も可能なのか」
「ええ。三人程であれば可能ですので。帰還した後は、人目に付かぬよう、アイーシャとクォンツ卿とは別に殿下の下に向かわせていただきます」
「分かった。ならば、後ほど会おう」
ウィルバートの提案にマーベリックは頷く。順にアイーシャとクォンツに視線を向けて「城で待ってるぞ」と言い残し、馬車に乗って三人の前から去って行った。
残されたアイーシャ達三人は、誰からとも無くくるりと体を反転させ、保養所跡に足を踏み出した。
保養所跡に戻って来た三人は、入口にほど近い開けたスペースに荷物をどさり、と置きウィルバートはアイーシャとクォンツ二人に視線を向けた。
「二手に別れよう。私は自分が暮らしていた家を片しに向かう。それ自体には時間はかからないから、アイーシャとクォンツ卿はその間、この保養所跡を調べていてくれるだろうか?」
「それ、は可能ですが……。アイーシャ嬢と離れて行動して大丈夫ですか?」
娘を溺愛しているウィルバートが、まさかアイーシャと行動を別にすると言い出すとは思わず、クォンツは些か呆気に取られたように言葉を返した。
「ああ。クォンツ卿の実力は把握している。状況判断も長けている。短時間であれば大丈夫だろう」
「あ、ありがとう、ございます」
まさかウィルバートからそのような言葉をかけられるとは思っていなかったクォンツは、素直に礼を口にするが、ウィルバートがぐっ、とクォンツに近付き、耳元で低く呟いた。
「……だが、アイーシャに手を出したら、分かっているな? 葬るぞ」
「──肝に銘じます」
本気だ、と判断したクォンツは間髪入れず言葉を返す。
反射的に言葉を返してしまったクォンツは、「状況判断」とはこの事か。と妙に納得してしまう。
クォンツの返事を聞いたウィルバートは、満足気に頷き不安そうなアイーシャに笑いかけた。
「アイーシャ。別行動とは言ってもほんの短時間だ。私は転移魔法を使えるから、家でやる事を済ませたらすぐに戻って来る。短時間だからあまりこの保養所跡の調査はできないかもしれないが……クォンツ卿と先に調べておいてくれ」
「分かりました、お父様。ですが、無理だけはしないで下さいね……? 魔力切れを起こしたら、闇魔法はどのようなことが起こるか分かりませんから……」
「ああ、気を付けるよ。アイーシャも保養所内の調査には十分気をつけてな」
心配してくれるアイーシャに、ウィルバートは嬉しそうに頭を撫で「じゃあ行ってくるよ」と言い放ちその場から一瞬で消えてしまった。
「──っえ!? ほ、本当に一瞬で!?」
キラキラとした黒い粒子を残してウィルバートの姿が消え、アイーシャはぎょっとしたまま声を上げる。
「ああ。俺と父上もウィルバート卿の転移魔法で転移した時は本当に驚いた……」
闇魔法は本当に滅茶苦茶だ、とクォンツが苦笑するのが分かる。
「さて、アイーシャ嬢。この建物内を調べるとするか。もしかしたら、ケネブ・ルドランが邪教に関わっている証拠が出てくるかもしれねぇしな」
「あっ! そうですね……! ならば、早く調べないと。お父様がすぐに戻って来てしまいそうですね」
アイーシャは急いで荷物を端に寄せると、動きやすいように羽織っていた外套を外し、髪の毛を高い位置で結い直す。
が、慌てているためか上手く纏められず、ぱらぱらと落ちて来てしまう。
それで更に慌てるアイーシャにクォンツは苦笑すると、近くまでやって来てアイーシャに告げる。
「アイーシャ嬢。もし俺が髪の毛に触れても大丈夫なら、俺が結び直そうか?」
「えっ、クォンツ様が、ですか!?」
「ああ。妹のシャーロットにねだられて何度か髪の毛をいじった事がある。意外と手先は器用だぞ」
クォンツが結び直してくれるのであればアイーシャとしてもとても助かる。
アイーシャは自分の不器用さと、クォンツに結び直してもらう恥ずかしさに薄らと顔を赤くしつつお願いした。




