50話(戦闘シーンあり)
戦闘描写があります。
「──いやあああっ! お母様!!」
「アイーシャ!」
咄嗟に駆け出そうとしたアイーシャの体を、ウィルバートが止める。
あのドレスはアイーシャが幼い頃、ルドラン子爵邸にやって来たデザイナーがイライアのために一から作ったドレスだ。
アイーシャが好きな色を取り入れ、イライアが嬉しそうにアイーシャを膝に乗せながら生地の指定をして、そして完成したドレスをイライアはとても気に入り、度々身に付けていた。
貴族の女性は通常、同じドレスを何度も着ない。
だが、ルドラン子爵家は倹約でも有名で。茶会や夜会用のドレス以外の普段身に着けるドレスは質素で物持ちの良い物を好み、複数回着用していた。
それに加え、あの時作ったドレスはアイーシャの好きな色を入れている。
ドレスを身に纏ったイライアにアイーシャはよく喜び、はしゃいでいたためイライアも娘が喜んでくれるから、と何度も身に着けていた。
だからこそアイーシャも、そしてウィルバートもイライアのデイドレスを見間違うはずがなかった。
馬車が転落した十年前。
その日も、イライアはそのドレスでウィルバートと出掛けたのだ。
だから、間違いなくあれはイライア自身が身に付けていたドレスで。
この場に有る、と言う事はもしかしたらイライアはこの場所にやって来たのかもしれない。
イライアが亡くなってしまった、と言うのはもしかしたら勘違いで──。
アイーシャの頭の中には一瞬で様々な仮説が浮かび上がり、そしてそれが僅かな希望に繋がる。
「お父様、離してっ!! 離して下さい!! もしかしたらお母様は事故に遭った後、この場所に辿り着いたのかもしれません……っ、きっとお父様が見たお母様は違う人ですっ、だって、だってあそこにお母様のドレスが……っ、もしかしたら怪我をしてお一人でずっと私達が来るのを待っていたのかもしれません!!」
「──っ、落ち着け……っ、落ち着いてくれアイーシャ! そんな事は、ない……! イライアは確かに私の目の前で息を引き取った……! 亡骸を埋めたのは私だ……っ! イライアが生きてここにいる事は有り得ない!」
「だって、! でも、お母様……っ!」
ウィルバートに抱えられ、駆け出そうとしていた体を抑えられる。
アイーシャは必死に視界の奥にあるイライアのドレスに向かって手を伸ばし続けるが、ウィルバートがアイーシャを離す事はない。
「──アイーシャ……! 昨晩、話しただろうっ、アイーシャもあの合成獣を見て、確かに感じ取った、だろう!」
「……っ」
ウィルバートの悲痛な叫びに、アイーシャはぐしゃり、と顔を歪ませるとウィルバートの腕の中で脱力する。
ぐにゃり、と膝が折れて地面に崩れ落ちる寸前、ウィルバートが慌ててアイーシャを受け止めた。
アイーシャの突然の取り乱し様に、その場にいたマーベリックやリドル、クラウディオは呆気に取られたような表情を浮かべているが、クォンツは奥歯を噛み締め、目前に迫っていた魔物の胴体をダガーで刺し怯んだ魔物の頭を鷲掴みにして床に叩き付ける。
ぎゃん! と声を上げて動かなくなった魔物をそのまま横に蹴り飛ばすと、前方で先鋒隊の退却を阻んでいた魔物複数に向かって広範囲の氷魔法を発動する。
「──くそっ、くそっ!」
やるせなさをどうにも出来ず、クォンツは悪態を付きながら闇雲に氷魔法を魔物に叩き込んでいく。
クォンツの氷魔法の犠牲になる魔物の中には、恐らく合成獣の成り損ないもいて。
一瞬だけ攻撃魔法を放つことを躊躇したが、こうなってしまっては助け出すことはもう不可能だ。
クォンツが考えていた、「最悪の事」が起きている。
人道に反した、悍ましいことが行われていたのだろう。
そして、この場所に衣服が落ちているということは。
それを身にまとっていた人間が恐らく何らかの方法で合成獣の成り損ないになっている。
だが、ウィルバートとアイーシャの母親イライアは恐らく──。
そこまで考えてしまったクォンツは、氷魔法で氷漬けになったただの魔物を蹴り砕いた。
魔物の一掃が終了し、先鋒隊の無事も確認出来た。
だが、開けた広間になっているこの場はしん、と静まり返っていた。
先程のアイーシャの取り乱し方を目の当たりにしたマーベリックやリドルは、戸惑いの表情を浮かべている。
顔を覆い、震えているアイーシャに痛ましい視線を向けつつ、マーベリックがアイーシャを支えるウィルバートに何事か問うような視線を投げかける。マーベリックの視線を受けたウィルバートは、近くにいたクォンツにちらり、と視線を向けた。
ウィルバートの視線を受けて頷いたクォンツは、二人に近付いていく。
「ウィルバート卿」
「アイーシャを支えてやっていてくれ……。床に崩れ落ちたら汚れる」
「分かりました」
短くやり取りをした後、ウィルバートはマーベリックに向き直り、口を開いた。
「何処からお話すれば良いか……」
「ウィルバート殿の判断に任せよう」
「ありがとうございます、殿下……。アイーシャは、そこにある母親のデイドレスを見つけ、取り乱してしまいました」
ウィルバートの言葉にマーベリックとリドルが痛ましげに瞳を細めると、先鋒隊の隊員が静かに動き出し、ウィルバートが示したイライアのドレスを散らばった衣服の中から拾い上げる。
隊員はウィルバートに向かってドレスを両手で掲げると、ウィルバートは礼を述べて、大切そうに受け取った。
「ルドラン嬢の母君のドレスがここに? だが、子爵夫人は……その」
マーベリックが言葉を選び、濁しているとウィルバートはこくりと頷く。
「ええ。確かに私が妻の死を看取り、私自身の手で埋葬しました。……ですが、あの日に着ていたドレスが何故かここにあるのです」
「見間違い、ではないようだな……」
「はい。このドレスは幼い頃、アイーシャが妻と共にデザイナと一から作成した物です」
懐かしそうに目を細め、薄らと涙を溜めながら言葉を紡ぐウィルバートに周囲は静まり返る。
耳に痛いほどの静寂の中、ウィルバートの声だけが響いた。
「──私も、アイーシャも……。以前野営地で目にした合成獣の中に、イライアの気配を感じておりました」
「──なっ!?」
ウィルバートからの信じられない言葉に、マーベリック達一同は言葉を失う。
だが、すぐに気を取り直したマーベリックは、ウィルバートの言葉を否定するように口を開いた。
「待て……っ、待て……! そのような事! 人を合成獣にするなど……っ、そんな方法があるはずないだろう!!」
人道に反したそんな行いがあってたまるか、と叫ぶマーベリックにウィルバートはゆるりと首を横に振った。
「──古い神話の書物や、言い伝えられている神話にはあのような合成獣の記述がございます。それに、古くから伝わる神話を拠り所にする団体があることも、殿下は知っておられるはずです」
「──っ! 邪教か……!」
ウィルバートの言葉にマーベリックは眉を顰め、吐き捨てるように言葉を紡ぐ。
──邪教。
それは、いつから存在しているのか分からない正体不明の団体である。
マーベリック達の国以外にも、世界中にその邪教は浸透しており、邪教徒は様々な国に潜んでいる。
国々は邪教を取り締まり、団体を解散させているが解散させてもそれは氷山の一角。邪教が人の営みの中から根絶することはなかった。
神を信じ、讃える教会があれば、己達が信ずる神を作り出し、または神話に登場するものを神と崇め、心酔し讃える邪教もある。
だが、邪教徒達は自分達が人道に反している自覚などない。
讃える神のため、信ずる神のために行動し、そして再び神がこの世に戻るのを信じているのだ。
罪の意識のない者がこのような残酷な所業を行ったのか、とマーベリックは考える。
確かに、古くから存在している邪教には普通の人間が知ることのない魔法が存在している。と聞いたことはある。
「──だが、俄には信じがたいそんなことが本当に……? そんな得体の知れない魔法などがあると?」
「……得体の知れない魔法は、殿下もしっかりと見ておられるではございませんか」
「……? どういうことだ?」
ウィルバートの言葉に、マーベリックが怪訝そうな顔をすると、ウィルバートは苦笑する。
「十年前から姿の変わらない人間を、殿下はその目で見ておられます。馬車事故に合った当時、私は三十でした。十年もの月日が流れているというのに、私は四十には見えないと思います」
「──っ!」
すっかり頭の中からその不自然さが抜けてしまっていたが、確かにウィルバートの言う通りである。
ウィルバートは、十年経った今でも当時の姿のまま。老いることなく目の前に存在している。
そんな事、あれば有り得ない。
ウィルバートは苦笑すると、次に自分の手のひらに魔力を込め、可視化させる。
真っ黒い光の粒子が煌めき、ウィルバートの手のひらの上で輝いている様子を、マーベリックを初め、リドルやクラウディオも時間が止まったかのようにじっと凝視した。
「殿下方も薄々勘付いておられたと思いますが……存在があやふやである、闇魔法──。その闇魔法の使用者が殿下の目の前にいます。あり得ない事はあり得ないのです」
悲しげなウィルバートの声が静かな空間に響き、マーベリック達はこくり、と喉を鳴らした。
◇
アイーシャ達一行は魔物の死骸や血で汚れた場所から移動し、大人数が休憩できる部屋に落ち着いた。
クォンツ、リドル、クラウディオが風魔法と水魔法を組み合わせた複合魔法で人が座れる程度にソファを清潔にし、マーベリックの護衛を数人同室させて他の隊員達は外の広間に待機させている。
母親、イライアの形見であるドレスを腕に抱いたアイーシャを挟むようにクォンツ、ウィルバートがソファに座り、その正面にマーベリックとリドルが。
一人掛けのソファにクラウディオが腰を下ろしている。
マーベリックは疲れたように眉間を揉んだ後息を吐き出し、ウィルバートに視線を向けた。
「ウィルバート殿。貴殿が闇魔法の使用者だと、確かに気付いていた。戦闘時にあの黒い粒子を見たからな。あのような現象は、他の属性では発生しない」
ソファの背もたれに力無く凭れたマーベリックは「それで……」と言葉を続ける。
「何故ウィルバート殿が闇魔法を発動できるようになったのか。変わらぬその姿は何故なのか、王都に戻ってから訪ねようと思っていたが……悠長に構えている場合ではなさそうだ」
「ええ。もし邪教が絡んでいるのであれば、早急にお話した方が良い、と思います」
ウィルバートはそこで一度言葉を切ると、隣に座るアイーシャの腕の中にあるイライアのドレスを悲し気に見つめたあと、話し始めた。




