47話
「保護だと? 聞き捨てならないな。どうしてアイーシャが侯爵家に保護されるような事に?」
ウィルバートが握り込んだ拳に力が入っている。
ぷるぷると拳が震え、クォンツはこれ以上ウィルバートを刺激しないよう、慎重に言葉を選びつつ続けた。
「アイーシャ嬢は……馬車事故のあの日以降、ウィルバート卿の弟君であられるケネブ・ルドランに養子として迎えられました」
「ああ。アイーシャから聞いている」
「それで、アイーシャ嬢を引き取り爵位を継いだ弟君は、アイーシャ嬢に相続されるものを使い込み、アイーシャ嬢には必要最低限の物しか与えていなかった」
アイーシャは自分の情けない話をこれ以上ウィルバートに聞いて欲しくなくて、やめてほしくてクォンツの裾を引く。だが逆にアイーシャの手はクォンツに絡め取られてしまった。
「アイーシャ嬢。酷い仕打ちを受けたんだ。君の父君には知る権利がある。そうだろう?」
「ですが……っ」
今思い出せば、情けない日々なのだ。
やっとアイーシャの所に戻ってきてくれたウィルバートに知られたくなんかなかった。
子爵家の長女として、ケネブにいいように家を使われてしまったことは、アイーシャにとって汚点で。ウィルバートに失望されたくない。
アイーシャの考えは痛い程わかる。
クォンツはアイーシャを安心させるように先ほど絡め取ったアイーシャの手を力強く握る。
「アイーシャ嬢。ケネブ・ルドランだけじゃなく、あの子爵家の面々から受け続けた仕打ちは伝えなきゃならねえ。アイーシャ嬢の父君が事実を知ったところで軽視する筈ないだろう?」
「愚問だな」
クォンツの言葉に被せるようにウィルバートが即答する。
ウィルバートは眼光鋭く、クォンツに「それで?」と続きを促した。
「アイーシャ嬢は幼少期からケネブ・ルドラン及びエリザベート・ルドランから虐待を。今までは暴力こそ振るわれていなかったようですが、先日は大怪我をする恐れがありました」
「──……」
「義妹であるエリシャ・ルドランはケネブ・ルドランが覚えさせた魅了魔法と信用魔法……それと恐らく消滅魔術を併用し、アイーシャ嬢の周囲から友人を奪い、婚約者も奪い、孤立させました」
「……孤立」
クォンツの「婚約者」と言う言葉にウィルバートはぴくりと反応したが、アイーシャはそう言えば自分には婚約者がいたのだった、と今更ながら思い出す。
あの日、マーベリックとリドルに助けられた後、元婚約者であるベルトルトは王城の貴族牢に入れられた、と聞いているがこの後彼は一体どうなるのだろうと一瞬だけ頭に過ぎった。
「このままではアイーシャ嬢の身に危険が及ぶと危惧し、我がユルドラーク侯爵邸で保護しておりました。私が父の捜索に発った後は分かりませんが……ケネブ・ルドランとエリシャ・ルドランが捕らえられている事から、短期間で罪が露見したのでしょう。……以降、特に何も起きていないか、アイーシャ嬢?」
くるり、と振り返ったクォンツに、アイーシャは強く頷く。
クォンツの今の話だけでウィルバートの表情が恐ろしいものに変わっている。
これで、元婚約者ベルトルトのことまで話したら、ウィルバートは今すぐにでもベルトルトを始末してしまいそうだ。
必死に頷くアイーシャの様子に、クォンツが眉を顰める。
ウィルバートもクォンツと同じような顔をしていて、アイーシャが「なんで疑われているの!?」と心の中で叫ぶと、クォンツが口を開いた。
ジトっとした目で見つめられ、アイーシャはごきゅり、と喉を鳴らした。
「なんか、怪しいな。俺がいない間に何かあったような気がする」
「娘と少しの期間しか過ごしていないにも関わらず、嘘を見破るのは癪だ。だが、アイーシャは嘘をつく時に左耳が動く」
「えっ!?」
ウィルバートの言葉にぎょっとしたアイーシャは、咄嗟に自分の左耳を覆ってしまう。だがその行動が「嘘をついていました」と白状したようなものである。
「ああ、すまんアイーシャ。もしかしたら右耳だったかもしれん。何せ十年振りだからな。記憶が戻り切っていなかったかもしれん」
しれっと告げるウィルバートに、アイーシャは顔を真っ赤にして目を釣り上げると叫んだ。
「お、お父様! 酷いです!」
「そうだな、アイーシャに酷いことをした奴がまだいるんだな?」
「ああ。俺も聞いておきたい。アイーシャ嬢から離れた後、何が起きたのか。マーベリックに聞きに行ってもいいが?」
先程までギスギスした雰囲気だったクォンツとウィルバートがいつの間にか結託し、アイーシャを追い詰める。
二人の追求から逃れるのは難しい、とアイーシャは観念したのだった。
◇◆◇
夜も更け、見張り以外が寝静まった頃。
ウィルバートはむくり、とベッドから起き上がり横のベッドで眠るアイーシャを優しく見つめた。
「十年。本当に辛い思いをしてきたんだな……」
ウィルバートはアイーシャの顔にかかってしまっている髪の毛を指先で退かしてやると、きゅうっと瞳を細める。
今は閉ざされてしまっているが、アイーシャの瞳は亡き妻のイライアと同じエメラルドグリーンだ。
キラキラと輝き、とても美しい光を放つイライアの瞳がウィルバートは好きだった。
いつまでも見ていたい、と思わせるような美しい瞳で、その瞳に見つめられるのが好きだった。
そう、本当に好きだったのだ。
「僕が……イライアの瞳を見間違える筈が、ない……っ」
ウィルバートはくしゃり、と顔を歪め両手で顔を覆う。
隣で眠るアイーシャを起こしてしまわないようにと気を付けるが、殺しきれない嗚咽が手の隙間から漏れ出てしまう。
考えたくない。考えたくなどなかったのだが、周囲が静かになり瞼を閉じていると先程の戦闘で合成獣に止めを刺した時の光景が蘇る。
濁った瞳の中に、小さく小さく輝いていた大好きなエメラルドグリーンの瞳。
エメラルドグリーンが、自分の放った闇魔法で跡形もなく、消えた。
「──ぅあっ、あぁぁあ……っ、」
ウィルバートは、抑えきれなかった嗚咽を漏らしながらベッドに蹲った。
翌朝。
太陽の眩しい光を感じて、アイーシャはころん、と寝返りを打ち、小さく呻きながら瞼を上げた。
「もう、朝?」
アイーシャは呟いた後、むくりと体を起こして隣のベッドに視線を向ける。
父はもう起きているだろうか、それともまだ眠っているだろうか、と考えながら向けた先のベッドは空で。
ウィルバートの姿はない。
「お父様!?」
アイーシャが細く悲鳴を上げ、ベッドから飛び降りる。
ウィルバートが眠っていたであろうベッドに駆け寄り、シーツに触れるとシーツは冷たく、人の体温は残っていない。
アイーシャは真っ青になり、寝巻きの上に薄手の上着を引っかけただけの恰好で天幕の入口へ駆け出した。
昨夜、確かにウィルバートと再会した筈。
夜遅くまでクォンツと、ウィルバートと、アイーシャの三人で話した。
クォンツを見送ってからも、確かにウィルバートと遅くまで話していたのに。
全てが夢、幻だったのか。
家族恋しさに、自分が見せた願望だったのだろうか、とアイーシャは瞳を滲ませながら天幕の入口から勢い良く外に飛び出した。
「うわっ、アイーシャ嬢!?」
「クォンツ様っ!?」
外に出た途端、天幕の入口に立っていたクォンツにぶつかってしまった。
用事でもありクォンツも丁度天幕に手をかけようとしていたようで、アイーシャはクォンツの胸に飛び込んでしまったようだった。
飛び出して来たアイーシャを難無く自分の胸で受け止めたクォンツは、アイーシャの姿を見るなり、ぎょっとした。
「──っ!? ちょっ、中へっ!」
「へ、えっ!?」
混乱したクォンツは、がばっ、と周囲から隠すように真正面からアイーシャを抱きしめ、アイーシャを再び天幕の中に入るように促す。
だが、アイーシャは姿を消してしまったウィルバートを探しに行きたいのだ。
天幕の中に戻っていては意味がないし、そのような行動を取るクォンツの意図が分からない。
「お父様がいないんですっ! 早く探しに行かなくては……っ!!」
「そんな格好で出歩くなっ! ここは男が多いんだぞ! 刺激を与えるな! それに、ウィルバート卿ならさっき──」
わたわたと真っ赤になりながら言葉を紡ぐクォンツの言葉に被さるように、背後から恐ろしく低い声が響いた。
「私の娘に何をしている、クォンツ卿」
「──ひっ」
クォンツは、自分の視界に映った黒い粒子に情けない声を上げてしまった。
「アイーシャ。そんな格好で外に出るなんて自殺行為だ。外には下劣で、脳が下半身にある奴らが──」
「ウィルバート卿! 殿下が呼んでました……!」
「…………分かった、今向かう」
ウィルバートの言葉を遮るようにクォンツが叫ぶ。するとじとりとした視線をウィルバートから向けられたクォンツは、必死に首を横に振った。
「何もしません」と言う意味を込め、両手を胸の前に掲げたクォンツにウィルバートはようやっと安心したのか、アイーシャに微笑む。
「驚かせてすまないな、アイーシャ。まだ起きないだろう、と思って外に顔を洗いに行ってたんだ。今の私は他の属性魔法が発動できないからね。少しここを離れるがすぐに戻ってくる。戻ったら朝食を一緒にとろう」
「私こそ、お父様がいなくて取り乱してしまい……申し訳ございません。クォンツ様、みっともない格好で失礼しました」
朝、ウィルバートの姿がなかったのは外に顔を洗いに向かっていたから。
どうやらウィルバートは今まで発動できていた火や水の元素魔法を発動する事が出来なくなったようだ。
そのため、外にいる隊員に水魔法の手助けを頼んでいたらしい。アイーシャは自分に頼んでくれれば、とウィルバートに伝えたのだが、気持ちよさそうに眠っている娘を起こしたくなかったから。と言われてしまえば何も言えない。
アイーシャとクォンツに見送られウィルバートが天幕から出て行くと、居心地悪そうにそわそわとしていたクォンツにアイーシャは視線を向けた。
寝巻き姿をクォンツに見られてしまった気恥ずかしさはあるが、アイーシャにはそれよりも気になる事があり、クォンツに向かって口を開いた。
「クォンツ様。お父様の目元が赤かったです……。寝不足、と言うより……何だか泣き腫らした後、みたいな……」
「ウィルバート卿の目元が?」
アイーシャの言葉に、僅かに頬を染めたままではあるがクォンツは怪訝そうに眉を寄せた。




