46話
どくり、どくり、と心臓が嫌に騒ぐ。
懐かしい感覚が、した。
エメラルドグリーン。
優しい光を放つエメラルドグリーンを知っている。
ばくばく、と心臓が鼓動する。
ウィルバートは無意識の内に自分の胸を押さえていて、茫然としていた。
そこで背後からじゃり、と足音が聞こえウィルバートははっとして顔を上げた。
「ウィル殿?」
「ウィルバート卿?」
クォンツと、クラウディオの声が聞こえ、ウィルバートは慌てて振り返る。
「な、何でもない」
ウィルバートが言葉に詰まりつつ言葉を返す。心配そうにしているクォンツとクラウディオの奥から、マーベリックとリドルが近付いて来た。
「クラウディオ殿、それにクォンツ。無事で良かった。そちらの御仁もご助力感謝する」
マーベリックがゆるりと口元を緩め、三人に言葉をかける。
クォンツとクラウディオが胸に手を当て、マーベリックに向かって頭を下げると、ウィルバートも二人に倣い同じように頭を下げる。
「それ、で。クォンツ、こちらの御仁は?」
マーベリックがウィルバートの尋ねると、背後から焦ったようなアイーシャの声が響いた。
「お父様、クォンツ様! ご無事ですか!?」
泣き腫らした真っ赤な瞳のまま駆けて来るアイーシャの言葉を聞き、マーベリックとリドルは珍しく素っ頓狂な声を上げてしまったのだった。
◇◆◇
アイーシャの言葉に一時場が乱れたが、それも落ち着きを取り戻した。
アイーシャを初めウィルバート、クォンツ、クラウディオ、マーベリック、リドルはマーベリックの天幕に集まっていた。
先程の動揺を微塵も感じさせず、マーベリックはクォンツとクラウディオに視線を向けると柔らかな笑みを浮かべる。
「クォンツ、クラウディオ殿。無事で良かった。二人と合流出来た事は幸運だったな。助力、感謝する」
マーベリックの言葉に、クォンツとクラウディオは頭を下げる。
そしてマーベリックは次にアイーシャの隣にぴったりと寄り添うウィルバートに視線を向けると同じように笑みを浮かべ口を開く。
「──ウィルバート・ルドラン殿。貴殿も、良くぞ戻って来てくれた。この十年、大変な思いをしただろう。辛い思いをしただろう。……だが、こうして会えた事に感謝を」
「勿体無いお言葉です、殿下」
「色々と……そうだな、ウィルバート殿には色々と聞きたい事があるのだが……」
「仰りたい事は分かります、殿下。ですが……全てをご説明するには十年前に起きた転落事故の時に遡り、ご説明をせねばなりません……。娘のアイーシャから聞いております。我が弟、ケネブ・ルドランが何やらこの山中で怪しげな事をしていると」
「……ああ。そう、そうだな……。先ずはこの地にやって来た本来の目的を果たさねば……。ウィルバート殿の話は王都に戻ってから聞こう」
「かしこまりました。ご質問には全てお答えさせて頂きます。──何一つ、包み隠さず」
「感謝する」
ウィルバートの言葉にマーベリックも表情を緩めると話題を変えた。
「当初は、この山中に縁のあるアイーシャ・ルドラン嬢に案内を頼もうと思っていたのだが、子爵領を治めていたウィルバート殿がいるのであれば話は早い」
マーベリックはそう話を切り出すと、ケネブ・ルドランが仕出かした事やエリシャ・ルドランが国で禁止されている魔法を取得している事、そして消滅魔術も取得している事をウィルバートに説明した。
「ケネブ・ルドランは長年この地に執着していた。この地の何処かで、恐らく……」
そこでマーベリックは一旦言葉を切ると、躊躇うようにアイーシャに視線をやったが、アイーシャもこの地に深く関わりがある、ルドラン子爵家の人間だ。
隠して守るだけではアイーシャにも良くないだろうと考えたマーベリックは一瞬の躊躇の後、言葉を続けた。
「──人身売買や、精神干渉に関する魔法の研究を行っていた。これが本当なのであれば、重大犯罪である。そして、人身売買には第三者の関与もある。この子爵領で、人に怪しまれずそういった取引ができる場所はあるか?」
「人身売買」と真っ青になりながら呟くアイーシャの背を支えてやりながら、ウィルバートは自分の顎に手をあて、考える。
「本当に、それだけなのでしょうか……?」
「──それだけ、とは?」
ウィルバートの言葉に、マーベリックは表情を強ばらせながら答える。
「いえ……。先程の合成獣と言い……。どうにもそれだけでは無いような気がするのです……。蔵書室にある資料をケネブが見たと言うのであれば、全てを悪用しようとしていてもおかしくありません……」
「蔵書室にあった資料は全て回収済みの筈……」
「いえ……。もしかしたら全てを話していない可能性もあります」
ウィルバートは一旦言葉を切ると、マーベリックと視線を合わせる。
「……思い当たる場所を全て確認いたしましょう、殿下。合成獣……もしかしたら他の場所でも発生しているかもしれません」
ウィルバートの言葉に、全員が言葉を失った。
◇◆◇
ウィルバートが語った後。
既に日も沈み、闇の中、闇雲に調査に出るのは得策ではないと判断したマーベリックは、早めに休む事を指示した。
調査は明朝。
アイーシャとウィルバートは一緒に天幕に戻っていた。
「いまだにお父様が目の前にいらっしゃるのが信じられません……。本当に、夢じゃないのですよね……?」
「ああ、夢じゃないよ、アイーシャ。十年間辛かっただろう……」
ウィルバートはアイーシャの頭を撫でてやるとアイーシャは嬉しそうに笑う。
嬉しそうに細められたアイーシャのエメラルドグリーンの瞳を見て、ウィルバートは嫌な考えがじわり、と胸中に滲み出て来るがそれを無理矢理追い出す。
アイーシャの手を引き、簡易的なベッドに腰かけた。
「アイーシャ、この十年……。私がいなかった間のアイーシャの事を沢山教えてくれ。アイーシャが成長する姿を見れなくて悔しくて仕方ないんだ」
「ふふっ、そうですね。お父様にお話ししたい事が沢山あります」
拗ねたように眉を寄せて告げるウィルバートに、アイーシャはくすくすと声を出して笑ってしまう。
(こんなに笑えるようになるなんて……クォンツ様と出会ってから、良い事が続き過ぎて何だか反動が怖い)
ウィルバートに何から話そうか、と考えていると真向かいに座っていたウィルバートが不機嫌そうにぴくり、と片眉を上げた。
「お父様……?」
「……折角の親子水入らずの時間に」
ウィルバートが呪詛を吐くような低く重たい声を発する。
言葉の意味がわからなくてアイーシャがきょとん、としていると二人の天幕の外から見知った人の声が聞こえた。
「お休みの所申し訳無い。アイーシャ嬢について、ウィルバート卿にお伝えしておきたい事がございます」
その声の主はクォンツで。
アイーシャは微かに嬉しそうに頬を綻ばし、天幕の入口に小走りで向かう。
嬉しそうなアイーシャに、ウィルバートは舌打ちしてしまいそうになったが何とか飲み込んだ。
「クォンツ様、どうぞお入り下さい!」
「あ、ああ……、アイーシャ嬢。折角お父上と過ごしているのにすまないな」
「いえいえ! とんでもないです!」
天幕の外に立っていたクォンツの腕を取り、アイーシャが中へ促す。
嬉しげに笑いかけるアイーシャには見えていないのだろう。ウィルバートがまるでクォンツを射殺すような瞳で見つめている。
青白い顔をしたクォンツはさっとウィルバートから視線を逸らし、普段よりもぎこちなく歩き、ウィルバートの下に向かった。
「明朝の出立だ、と殿下が言っていたがクォンツ卿は休まないで大丈夫なのか?」
「え、ええはい。……ウィルバート卿の家でしっかり休ませていただきましたし……。先程の戦闘でも魔力の消費は少なかった、ので」
「だが、まだ怪我は完全に治っていなかった。……早く休んだほうがいいんじゃないか?」
にこにこ、と笑顔ではあるがウィルバートの目は笑っていない。
クォンツは今にもこの場から逃げ出したい衝動に駆られるが、なんとか踏みとどまり、言葉を返す。
「お気遣いいただき、ありがとうございます。ですが、ウィルバート卿にご息女アイーシャ嬢が子爵家でどう暮らしていたのか……。それを私からも説明させてください」
「アイーシャが……?」
アイーシャの話題に、先程までの冷たい空気が一瞬にして霧散する。
クォンツは安堵すると、こっそりと息を吐き出す。
些か娘を溺愛し過ぎている気があるウィルバートにクォンツは緊張しきっていたが、話題はその溺愛する娘の事だ。
ウィルバートは直ぐに態度を軟化させ、聞く姿勢になった。
だが、アイーシャは気まずげにクォンツに話しかける。
「クォンツ様。まさかお話するつもり、ですか……?」
「当り前だろう。アイーシャ嬢が受けた仕打ち、長年辛い日々を過ごしてきたんだ。お父上に知ってもらわないと駄目だろ」
「仕打ち……?」
クォンツの不穏な言葉に、ウィルバートがぴくりと反応すると「続きを」とクォンツに促した。
「仕打ち、とは聞き捨てならないな……。私とイライアの可愛い娘が辛い思いをしていた、と……?」
「ええ、そうです。そのため、アイーシャ嬢はルドラン子爵邸から離れ、暫く私のユルドラーク侯爵邸で保護しておりました」
「──保護」
クォンツの言葉に、ウィルバートの瞳に剣呑な光が宿った。




