45話(戦闘シーンあり)
戦闘描写があります。
魔物の血などが飛び散ります。そういった描写が苦手な方はご遠慮下さい。
アイーシャは事もなげに飛び移ったウィルバートの姿に驚愕する。
身体強化の魔法を発動していただろうか。いや、発動していなかった筈である。その証拠に、魔法を発動した際の微かな魔法発光は認められなかった。
それ所か、ウィルバートの体は黒い粒子のような物に包まれており、その粒子は崖を飛び移って来たウィルバートが地面に降り立った瞬間、ぱっと霧散した。
アイーシャが混乱しながら前方に視線を移せば、遠くにいた筈のウィルバートの顔が見える距離まで近付いて来ていて。
ウィルバートは、アイーシャと同じく今にも泣き出してしまいそうな顔をしたまま、アイーシャに手を伸ばした。
◇
──妻と、同じエメラルドグリーンの瞳。
──妻、イライアと同じような美しい顔立ち。
──どうして自分はこんな大切な大切な家族のことを忘れてしまっていたのか。
ウィルバート・ルドランはクォンツの隣にいるアイーシャを視界に入れた瞬間、全てを思い出した。
自分の頭の中を様々な記憶が濁流のように流れ、記憶がしっかり定着する。
その瞬間には、アイーシャに必要以上に寄り添うクォンツを憎々しげに睨んでしまったが、アイーシャの頬を流れる涙を認めた瞬間、自然と体が動いてしまった。
アイーシャの唇が「お父様」と戦慄き、泣いている。
最愛の娘が泣いている、とウィルバートが気付いてからは何も考えずに行動に移してしまっていた。
沢山の人がいる場所で、魔法を発動するのは不味い。
しかも、この場所には王族までいるのだから、誤魔化すことも、隠し通すことも出来はしないのだが。
それでも、娘が泣いて呼んでいるのだ。
逸早く駆け付けるためには、そんなものに構っている暇はない──。
◇
「アイーシャっ!」
「……っ、……っ、!」
伸ばされたアイーシャの腕を掴み、ウィルバートは自分の腕でしっかりアイーシャの体を抱き込んだ。
アイーシャはウィルバートの腕の中で嗚咽を上げ、肩を震わせて泣いている。
抱き込んだアイーシャの体が震えていることに気付き、ウィルバートは安心させるように更に腕の力を強め、ぎゅうぎゅうと抱きしめる。
切なく零れるアイーシャの涙に濡れた声に、泣くまいと我慢していたウィルバートもとうとうぽろり、と瞳から零が落ちた。
ウィルバートも声を漏らし、ただただ何度もアイーシャの名前を呼んだ。
「──ぅ……っ、アイーシャっ、アイーシャ……っ」
嗚咽混じりにアイーシャの名前を呼び、抱きしめたまま膝から力が抜けてしまったウィルバートはかくり、と地面に座り込んでしまう。
それでもまるで離すまい、と言うようにアイーシャの腕が背中に回っていて、アイーシャの気持ちを痛い程感じ、ウィルバートの瞳からは最早止められないほど涙が幾重にも落ちる。
どれだけの時間、こうしていたのだろうか。
アイーシャは力強く抱きしめてくれるウィルバートの腕の中でぐりぐりと胸に頭を擦り付けて甘える。
幼少の頃からの癖になってしまっているその行動に、ウィルバートは懐かしそうに、嬉しそうに笑みを零すとしっかりとアイーシャを抱きしめ直した。
ややあってアイーシャが言葉に詰まりながら声を上げる。
「お父様っ、本当にっ、生きて……っ」
「──ああ、転落事故の後……酷い怪我を負ったのだが、何とか生きながらえた……。だが……っ」
ウィルバートは、優しくアイーシャの両頬に手を添え、顔を上げる。
目を合わせ、アイーシャの母親であり自分の妻であるイライアがあの事故で亡くなってしまった事実を話して聞かせる。
「だがっ、だが……っ、イライアは……っすまない……っ」
「お母様は、助からなかった、のですね……っ」
ぶわり、とアイーシャの瞳に再び涙が溜まるが、アイーシャはぐっと唇を噛み締めると何とかこれ以上泣いてしまわないように耐えている。
「──ああ。すまない……。隣国の山中に、私が今暮らしている家がある……その近くにイライアの墓標を立てたんだ……。後で、そこに一緒に行こう……」
「──っ、はいっ、はい……! 私、も……っ、お母様にお会いして、手を合わせたいです……っ」
声を震わせ、お互い涙に濡れた声で会話を続けるルドラン親子に、様子を見守っていた隊員達も自分の目頭を押さえたり、目元を拭ったりしている。
クォンツも自分の鼻の奥がつん、としてくるのを感じるが背後から聞こえる魔物の咆哮が激しくなり、はっと意識を魔物の方へ向けた。
クラウディオもあちらに加わったため、早々に片が付くと考えていたが未だに討伐できていない。
クォンツは、アイーシャとウィルバートの再会に水を差すようなことにならぬよう、長剣を再度強く握り締めると魔物へと振り向いた。
合成獣は身体の至る所から血を流し、咆哮を上げ、のたうち回っている。
合成獣にも痛覚があるのか。そんなことを考えつつ、クォンツは自分の視界が滲んでいることに気付き軽く目元を拭い、しっかり魔物を見据える。
のたうち回る合成獣の尾を避けたり、捨て身の体当たりのような攻撃をマーベリックやリドル、クラウディオは避けつつ攻撃している様子が見て取れるが、致命傷と見られるような攻撃を与えられていない。
「──ちっ、悪足掻きを……っ」
舌打ちを零し、身体強化の魔法をかけてアイーシャとウィルバートから離れようと体を前のめりにさせた所で背後から声をかけられた。
「……クォンツ・ユルドラーク卿」
「──っはい?」
ウィルバートの低い声がクォンツを呼び、クォンツは肩を跳ねさせ振り向く。
アイーシャとウィルバート二人の十年ぶりの再会を邪魔してはいけない、と考え向こうの戦闘に加わろうとしていたクォンツは、まさか自分の名前が呼ばれるとは思えず、僅かな驚きに瞳を開いたまま、ウィルバートに視線を向ける。
「あの魔物……合成獣、だろうか。あれを討伐するのであれば、私も加わろう……。戦える者が多い方が良い筈だ」
アイーシャから離れ、立ち上がるウィルバートが目元を拭いながら話す。
だがウィルバートの身を案じたアイーシャがぶんぶん、と首を横に振りながらウィルバートの服の裾をぎゅう、と握る。
「でも、お父様はクォンツ様のように戦えないではありませんか……っ」
だから、危険なことは止めてくれと言うようなアイーシャの言葉に、ウィルバートは瞳を涙で潤ませたまま微笑むとアイーシャの頭をそっと撫でた。
「そう、だな……。昔の私では、足手まといになっていただろうな……。だが、十年前に私を助けてくれた人が授けてくれた魔法が今の私にはあるから心配しないでくれ。……後で一緒にイライアの所に挨拶しに行こうな?」
未だに不安そうにウィルバートとクォンツを見つめるアイーシャにウィルバートは苦笑すると、クォンツに向かって「行こう」と声をかけた。
「わ、分かりました。ウィルバート卿が仰るなら……。アイーシャ嬢、危なくなったら魔物から離れてくれ」
「分かりました、クォンツ様」
アイーシャが頷いた事を確認し、クォンツとウィルバートは合成獣が暴れる方に駆け出した。
クォンツとウィルバートの参戦に、マーベリックやリドルがウィルバートのことを問う視線をクォンツに投げるが、その視線に答える暇はない。
「──何だ、こいつ!? 以前に対峙した時よりもデカくなってねぇか!?」
「お前もそう思うか!? 俺がこいつとやり合った時よりも成長してる!」
呆気に取られたクォンツの言葉に、即座にクラウディオが言葉を返す。
マーベリックやリドルは新たな事実にぎょっと目を見開いたが、少しでも隙を見せれば相対している合成獣はそこをついてくる。
クォンツは、死角から迫る合成獣の毒針の付いた尾を前方に倒れ込むようにして避け、握った剣を上方に振り上げ合成獣の尾先を切断する。
途端、甲高い咆哮を上げて切断された尾をバタバタと跳ねさせる合成獣の後ろ足付近に駆け寄ったクラウディオが重量のある長剣で一凪した。
クラウディオが斬り付けた瞬間、合成獣の後ろ足がぼとり、と地面に落ちて間近にいたクラウディオの身体に返り血が降り注ぐ。
合成獣が体勢を崩している間に、魔法攻撃部隊の攻撃準備が整ったのだろう。
「皆さん離れて下さい!」
攻撃部隊の声が大きく響き、クォンツ達五人はそれぞれ合成獣から距離を取った。
瞬間、電のような閃光がぱっと発生し、轟音が轟く。
合成獣の体が雷に打たれたように痙攣して、その後ジタバタと大きくのたうち回る。
「──まだ、死なぬか……」
「凄い生命力だね」
随分前から戦闘に加わっていたマーベリックとリドルは、疲労感たっぷりといった表情で流れ落ちる汗を手の甲で拭いつつ、忌々し気に呟く。
皆が攻撃をしている間、ウィルバートは時間をかけて自分の体内を流れる魔力を最大限練り上げていた。
もしこの場に一人だったら、このように魔力を練り上げることに集中できなかった。
だが、マーベリックやリドル。クォンツやクラウディオが合成獣の注意を引いていてくれたからこそウィルバートは集中して己の魔力を最大限練り上げることができた。
ウィルバートは魔力を放出する寸前、戦闘中の皆に向かって合成獣から距離を取るように叫んだ。
「皆、後方に退避してくれ!」
ウィルバートの鋭く響いた声に、戦闘を行っていた面々は考えるよりも先に体が反応し、跳躍して距離を取った。
瞬間、ウィルバートは練り上げていた魔力を放出した。
魔法を発動するためには「構築式」が必要だ。だが、構築式を無視した最大火力の魔法を躊躇なく発動した。
ぶわり、とウィルバートの周囲に黒い粒子が出現する。
その場にいたクォンツ達の背筋にはぞわりとした悪寒が走った。
ウィルバートの発動した魔法は、それほどまでに悍ましく恐怖を煽った。味方でこれなのだから相対する魔物・合成獣はどれほどの恐怖を感じたのだろうか。
――ウィルバートの魔力に反応し、のたうち回っていた合成獣が濁った瞳をウィルバートに向けた。
「──ぇ」
合成獣の身体全体が黒い粒子に覆われ、じゅわりじゅわりと身体が侵食されていく。
身体を全て覆われる瞬間、合成獣の濁った瞳の中に。
中心部に小さく小さく輝くエメラルドグリーンの色が見えた気がして、ウィルバートは瞳を見開いた。
だが、合成獣は瞬く間に黒い闇に飲み込まれ、何も残らず消滅した。




