42話(戦闘シーンあり)
戦闘シーンがございます。
苦手な方はお気をつけください。
リドルと少しばかり話したアイーシャはその後、荷物の整理を終わらせ周囲を散策することにした。
周囲には調査隊の面々がいる。調査隊の人達と離れないよう気を付けながら、アイーシャは近場を見て回った。
「お父様と一緒に来た時と、凄く違う」
だが、十年も時間が経てばそれもそうだろう。
両親が亡くなってしまった後。
アイーシャはケネブ夫婦に引き取られ、子爵領に向かうと言うケネブとエリシャに一緒に行きたいと駄々を捏ねたこともあるが、アイーシャはいつもタウンハウスの子爵邸に置いていかれてしまっていた。
何故一緒に連れて行ってくれなかったのかは分からないが、この子爵領の別邸にケネブ達三人は長期間滞在することもあれば、妻であるエリザベートを連れて行かず、ケネブとエリシャ二人だけでこの別邸に来ることも多かった。
「エリシャが、別邸を気に入ってお義父様に強請っていたのかと思っていたけれど……」
マーベリックやリドルの言葉を思い出すと、どうやら事は単純では無さそうだ。
「私が知らない所で、お義父様はエリシャに魔法を覚えさせていた? それ以外にも、この子爵領に来る予定があった。何のために?」
アイーシャは呟きながら、開けた野営地の端の方に歩いて行く。
と、そこで。
「あ、ここ崖になっているのね」
進んだ先。
視界に映ったのは、崖だ。
そこから足を滑らせ、滑落すると大怪我若しくは命を落としてしまいそうなほど、危険な光景が眼下に広がり、アイーシャはぞっと背筋を凍らせた。
崖下が見えないくらいの高さに慄いたアイーシャは後退する。
「殿下と、アーキワンデ卿に伝えておいた方が良いかしら。それとも先鋒隊が見付けている場所だから既にご存知かしら」
呟きながらふ、と足元に視線を落としたアイーシャは、僅かな違和感を覚えその場にしゃがみ込んだ。
アイーシャが立つ崖の直ぐ傍に僅かな足跡と、一部分だけ茶色に変色した地面。
「これって……足跡? それに……これ、もしかして血の痕かしら」
足跡は靴底のような物が見て取れる物が一つ、二つと崖まで続き、何か大きな物が地面に擦れたような跡が一つ。
目を凝らして確認していると、広い面積のような跡は崖の際まで行った後、広場に戻って来るように擦れた跡が続いている。
その跡はアイーシャ達が天幕を張っている地面にまで続いており、擦れた跡のような物は張られた天幕に紛れて見えなくなってしまった。
もし、この茶色のような物が血痕ならば。
アイーシャは嫌な予感を感じ、勢い良く立ち上がりマーベリックとリドルがいる所に駆け出した。
「殿下! アーキワンデ卿!」
「──ルドラン嬢?」
アイーシャは調査隊の数名と話しているマーベリックとリドルに向かって声を上げる。
常に無いアイーシャの慌てたような様子に、マーベリックもリドルも何かを感じ取りアイーシャに向かって歩き出した。
「何かあったのか?」
マーベリックの問いにアイーシャはこくこく頷き、先程自分が見つけた足跡のような物。それと血痕のような物がある崖の方向を指差し、答える。
「はい、人の足跡と、恐らく血痕が!」
「確認しよう」
アイーシャの言葉に、マーベリックはさっと表情を引き締め数名の護衛を連れてアイーシャに着いて行く。
崖に向かい、アイーシャが見つけた足跡と、血痕を確認しているその時。
マーベリックとリドル、そしてアイーシャがいる崖の方向とは真逆。
開けたこの場所に入って来る入口の方向から、調査隊の叫び声が聞こえた。
「──魔物だ! 応戦しろ!」
鋭く緊張を孕んだ声が響き、アイーシャ達三人は瞬時に方向へと振り向く。
「──魔物!?」
「ルドラン嬢、魔物から離れるように!」
「誰か! ルドラン嬢を!」
「大丈夫ですっ、私も自分の身を守れる程度の魔法でしたら使えます!」
アイーシャは自分の身よりもマーベリックやリドルの身を優先して欲しくて返事をしたが、リドルに声をかけられた魔法防御部隊の中から一人、アイーシャに向かって駆けて来る。
「ルドラン嬢。魔物からなるべく距離を取りつつ、孤立しないように!」
「わ、分かりましたアーキワンデ卿」
マーベリックは既に腰の長剣を抜き、魔物が出た入口に向かっている。
その背を見つめながらアイーシャもいつでも魔法を発動できるよう、マーベリックから遅れて魔物へと駆けて行くリドルの背中を見つめる。
緊張によってじわり、と背中に嫌な汗が伝うのが分かる。
そんなアイーシャに気付いたのだろう。隊員がアイーシャを落ち着かせるように優しく声をかけた。
「ルドラン嬢。攻撃魔法が得意な部隊に加え、殿下とアーキワンデ公爵家の子息がいらっしゃるので大丈夫ですよ。ただ、念のため我々も魔法防御の部隊に合流しましょう。崖の近くは危険ですから」
「そ、そうですね。失礼しました、あちらに──」
隊員の言葉に頷き、促された場所へと向かおうとした時に聞いた事も無いような、耳を劈く不快な声が周囲に響き渡る。
「なっ、」
咄嗟にアイーシャが耳を塞ぎ、魔物がいる方向に視線を向けて、そして。
アイーシャは、視界に映った魔物の異形さに瞳を見開いた。
「な、何ですか……あの、魔物……」
掠れる声で何とか呟く。隣で同じように唖然と魔物を見つめる隊員と同じく、その場に立ち尽くしてしまった。
魔物、と言っても小型から中型の動物のような一般的な魔物の姿を想像していた。
犬や、狼。その類の魔物を想像していたと言うのに。今、アイーシャの目の前にいる魔物は今まで見たことも、聞いたことも無いような姿をしていて。
歪な存在が確かにそこにいる恐怖に、アイーシャは握り締めていた自分の拳の指先が真っ白になっている事に気付けない。
「な、あれは……」
魔法攻撃部隊の攻撃に怯み、魔物が傷を負い、先ほどのような痛々しい咆哮を上げている。
マーベリックやリドルも呆気に取られていたような様子だったが、それも一瞬で。瞬時に長剣に付加した魔法を発動し、魔物に斬りかかっている。
だが、マーベリックやリドルの刀身はその魔物の硬い爪に弾かれ、受け止められ、上手く攻め切れていない。
「あれ、は……」
「ルドラン嬢! こちらに!」
アイーシャの手を取り、隊員が魔法防御部隊へと駆け出す。
アイーシャは腕を引かれながら、何故か魔物から目を逸らすことが出来ない。
不快な咆哮を上げる異様な、醜い姿。
その姿に恐れ、不安を感じている筈なのだが──。
「あれ、は……合成獣……?」
まるで、どこかの神話に出てくるような異質で異様な姿。
沢山の動物を混ぜこぜにしたような姿に、恐怖心を抱くのと同時。アイーシャは何故か悲しみを抱いていた。
この山中で、あのような姿を見たことなど無い。
神話に登場するような生物が生息している筈が無い。
アイーシャの父、ウィルバートが昔話して聞かせてくれた御伽噺で出てきた可哀想な合成獣。
その可哀想な合成獣は、自分勝手な欲望を持つ人間に作り出された生物だ。
幼い頃の好奇心で、アイーシャはウィルバートに聞いたことがある。
自分の国の創世神話でも、そのような生物が出てくるのか、と。
だが、アイーシャの質問にウィルバートは首を横に振ったのだ。
合成獣が自然発生することは無い、と。
それならば、答えは一つだけだ。
自分達の目の前で暴れるあの魔物はきっとこの場所で造られた存在だ──。
アイーシャは、何故かそう感じてしまう。
魔法攻撃に咆哮を上げ続ける合成獣を青い顔でじっと見詰めた。




