4話
エリシャが退室し、残されたベルトルトの沈みようはそれはもう酷かった。
アイーシャがベルトルトに話しかけても上の空。返事は生返事。
挙句の果てにはアイーシャと過ごすことを早々に切り上げ、帰宅するために腰を上げてしまう。
だが、ベルトルトはそこでハッとしたように顔を上げると、初めてアイーシャとまともに視線を合わせた。
「アイーシャ。君も来週から学園へと通い始めるだろうけれど……。君が妹君へ取っている態度を同じご令嬢方にしてはいけないよ。君達は義理とは言え、姉妹だからまだ許されているんだと思う。けれど、学友達は他の貴族の家の者達だ。妹君へ接するようにしてはいけない。……家同士の問題へと発展してしまう可能性があるからね」
「ちょ、ちょっとお待ちを……! ベルトルト様が義妹のエリシャから何をお聞きになっているかは分かりませんが、私は今まで一度だってエリシャに対して辛く当たったことなどありませんわ……!」
アイーシャの言葉に、ベルトルトは悲しそうに瞳を細めると、「妹君の言った通りだ」と呟く。
「──妹君が、アイーシャならばきっとこう言うだろうと教えてくれたよ……。今までもそうだったように、きっとアイーシャはこう言う筈だ、って」
「──……」
「ふふ、びっくりするだろう? アイーシャの妹君は本当に姉である君を慕っているからアイーシャの言うであろう言葉が分かるみたいだ」
エリシャを思い浮かべているのだろう。
ベルトルトは僅かに頬を染め、ぼうっ、とエリシャに想いを馳せるような表情でエリシャが出て行った方向に視線を向けている。
(──……まるでエリシャを婚約者として慕っているような態度だわ……)
アイーシャは、ベルトルトからそっと視線を外して俯いた。
◇◆◇
アイーシャが学園に入学する日。
届いた学園の制服に袖を通し、少しばかりどきどきと胸を弾ませて向かった子爵邸の玄関で、アイーシャは有り得ない光景を見てしまう。
「──えっ、何で……エリシャが……っ」
「あっ、お姉様! 私も学園に通うことになりましたの! これから毎日一緒に学園に行けますわ」
輝く笑顔の筈なのに、アイーシャにはエリシャが弱者をいたぶるような歪んだ笑みに見えてしまい、手摺を掴んでいた自分の手のひらにぎゅう、と力を込めた。
「エ、エリシャも……学園に……、?」
「アイーシャ。エリシャが学園に通うのは嫌なの? エリシャももう十五歳。充分に学園に通う資格は有しているわ」
「お、お義母様……。確かに、そうですが……」
アイーシャは、エリシャが学園に通うことになるのは来年だろうと勝手に思い込んでしまっていた。
だが、貴族学園は十五歳から十八歳までの貴族子息や令嬢が通う場所である。
昨今、十六歳から通い始める子息や令嬢が殆どである為、エリシャも来年から通い始めるのだろう、とアイーシャはすっかり思い込んでしまっていたが、エリシャが通おうと何ら問題は無い。
アイーシャが狼狽えている間に、ベルトルトがやって来たようで、玄関にいるエリシャの制服姿を見て「可愛らしいね」と褒めているのが視界に入る。
まさか、三人で仲良く学園まで馬車で向かうのだろうか、とアイーシャが考えているとエリシャがアイーシャに向かって笑顔で話しかける。
「お姉様! さあ早く行きましょうっ!」
「──……、分かった、わ……」
今降ります、とアイーシャは呟き、手摺を強く握り締めてから階段を降り玄関ホールに向かう。
相変わらず、ベルトルトはエリシャに優しい笑顔を向けていてアイーシャには目もくれない。
本当に、この三人で同じ馬車に乗り学園まで向かうのだろうか、とアイーシャは気持ちが沈むのを感じた。
学園に向かう馬車の中。
馬車に揺られながら、アイーシャは朝から何とも言えない疲労感に苛まれながら窓の外に視線を向け続けている。
アイーシャのルドラン子爵邸にやって来たベルトルトはアイーシャに向けて軽く挨拶をした後、にこにこと笑顔を浮かべながらエリシャをエスコートし、アイーシャを残したままさっさと二人で馬車に乗り込んでしまった。
アイーシャは御者の手を借りて馬車に乗り込むことになったのだが、アイーシャの婚約者の筈のベルトルトはエリシャとのお喋りに夢中になっていて、アイーシャにはちっとも興味を抱かない。
(今更だわ、本当に……)
まるで、アイーシャの存在など無いかのようにエリシャとベルトルトは楽しげに二人で会話をしている。
「エリシャ。学園内を僕が案内しよう。内部はとても広くて、最初の頃は迷ってしまう可能性があるからね」
「本当ですか……! 嬉しいですベルトルト様……! あっ、でも……お姉様は……」
ちらり、とエリシャから気まずそうな視線を向けられてアイーシャは二人の方に顔を向けた。
ベルトルトはあからさまに残念そうな、エリシャと二人で学園内を歩きたいと言う感情が透けて見えて、アイーシャは小さく首を横に振る。
「私は、結構ですわ……。ベルトルト様はどうぞエリシャを案内してあげて下さい」
「──そ、そうかい? 悪いねアイーシャ。上の学年の人にお願いすればもしかしたら案内してくれるかもしれないから、声をかけてみるといいよ」
ベルトルトはほっと安心したように表情を綻ばせると、アイーシャに向けていた視線を直ぐにエリシャへ戻し、会話を再開する。
アイーシャは、その様子にこそりと溜息を吐き出すと、まだ学園に着かないのかしら、と窓の外をじっと見詰めた。
学園に到着し、ルドラン子爵邸を出る時と同様ベルトルトはエリシャが馬車から降りるのを手伝うと、アイーシャが馬車を降りるのを待つことなく学園の門の方向に向かってしまう。
前方を指差し、学園の説明を始めている。
ベルトルトと、エリシャの楽しげな声が薄らと聞こえて来て、アイーシャはその声が耳に入らないよう、学園の門を仰ぎ見た。
貴族学園は国内にいくつかあるが、アイーシャ達が通うこの学園は、王都にあり国内で一番規模が大きい。
王都近郊や、王都に居を構える貴族達の殆どがこの学園に入学し、約四年間しっかりと魔法やマナー、学問を学ぶ。
「──凄い、大きい……」
国で一番の規模を誇る為、まるで高位貴族の居城のような華やかで豪奢な造りに、アイーシャがついつい感嘆の声を漏らしていると、背後から声をかけられる。
「──ご令嬢。そんな所でつっ立ってどうしたんだ……? 新しい生徒か? それならば早く中に入った方が良い。新しい生徒を迎える催しがあるだろう」
「へっ、……あっ、! も、申し訳ございません……っ! ありがとうございますっ!」
この学園に勤める先生だろうか。
低く、落ち着いた声音にアイーシャはびくりと体を震わせた後、声をかけてくれた人物に素早く振り返り、深く頭を下げる。
頭を下げる際にちらり、と見えた男性の服装は、アイーシャと同じ学園の制服を身に付けていた為、先生ではなかったのね、とアイーシャは勘違いしてしまった自分に少しだけ恥ずかしくなりながら、下げていた頭を上げると直ぐに前方に向かって駆けて行く。
貴族令嬢である自分が走る、などとはしたないと思ってしまうが、生徒の姿がまばらになった門付近であれば、誰かに見られて咎められる事はないだろう。
学園の方向へ振り向く際に、一瞬だけちらり、と視界に入った学園生の夜明け前のような美しいネイビーブルーの髪の毛がふわりと風に靡いていて、その美しさに目を奪われたが、アイーシャはそのまま振り返る事無く、門の奥、建物内に向かい駆けた。