38話
アイーシャの了承を得て、部屋の死角にいたマーベリックとリドルは安心したように顔を見合わせた後、ゆっくり姿を現した。
女性の治癒術士を先頭に、次いでマーベリックとリドルがアイーシャの方に近付き、たっぷり距離を取った所で足を止めたマーベリックはソファに座るよう促した。
「ありがとうございます、殿下。失礼いたします」
アイーシャが言葉を返し、ソファに座った後。
マーベリックとリドルもアイーシャの向かいのソファに腰を下ろすと、女性治癒術士がアイーシャから近いソファに座った。
気まずそうにしながらもマーベリックが口火を切る。
「ルドラン嬢。災難だったな……あの部屋の惨状を見れば、何があったのかは察しが付く。その、聞いてはいると思うが、ベルトルト・ケティングは黙秘を貫いていて、事の詳細が分からん……。辛いだろうが、教えてもらってもいいだろうか?」
アイーシャを気遣うように話したマーベリックが、次いでちらりと女性治癒術士に視線を向ける。
「勿論、途中で気分が悪くなったら治癒術士に言ってくれ。私達は退出しよう。話せる範囲で良い……無理はせずでいいので、お願いしたい」
「……殿下」
アイーシャは、自分を気遣い声をかけてくれるマーベリックに感謝の気持ちで一杯になる。
気遣ってくれ、更には王城勤務の貴重な治癒術士まで伴い駆け付けてくれたのだ。
マーベリックの隣にいるリドルも、アイーシャが怖がらぬように無理に声を発することはなく、気配を殺すようにして黙っていてくれている。
アイーシャは、二人の配慮にじんわりと心が暖かくなってくる。
こんなにも自分のことを気にかけてくれているだけで、気を強く持てる。
アイーシャは顔を上げ、真っ直ぐマーベリックと目を合わせ凛とした声で話し始めた。
「大丈夫です。あの場所で、ケティング卿と何があったのか。一部始終、全て包み隠さずお話させていただきます」
アイーシャが話し、途中マーベリックが質問を挟み、それにアイーシャが答えて。
アイーシャが全てを説明し終わった頃、既に日付が変わる時間になっていた。
アイーシャの説明を全て聞き終わったマーベリックとリドルは額に手を当て「なるほど」と言葉を絞り出す。
「一応両者から話を聞く決まりにはなっているが……ルドラン嬢の話に嘘など一切ないな。話しを誇張している素振りもない。本当に事実だけを淡々と語ってくれて有難う」
「いえ、とんでもございません。寧ろ、我が家とケティング侯爵家のいざこざに殿下とアーキワンデ卿まで巻き込んでしまって……どうお詫びをしたらいいか」
アイーシャがしゅん、と肩を落としつつ告げるとマーベリックは気にするな、と微笑む。
「巻き込んだ、など。そんなこと考えないでくれ。ルドラン嬢は、私が守るべき我が国の国民だ。困っていれば私は手を差し伸べるし、解決策を共に考える。それができずに、国民を導く国の主導者にはなれん」
ふわり、とマーベリックが微笑みを見せてアイーシャにそう告げる。
アイーシャはマーベリックの言葉と、気遣う様子にじん、と胸が温かくなる。
ぐっと自分の胸元を押さえ、アイーシャは深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、殿下――」
「なに、気にするな。さて、ルドラン嬢。話してくれてありがとう。これから私とリドルでケティング卿の話を聞いてくる。……少し時間がかかるが、この場で待っていてくれ。体調が悪くなったら治癒術士に話して、治癒を受けてくれ」
マーベリックはアイーシャにそう告げると、ソファから立ち上がり扉へ向かう。
アイーシャから話しを聞いた以上、相手のベルトルトにも話しを聞かなければならない。
マーベリックが立ち上がったことで、リドルもソファから腰を上げてマーベリックに倣い扉に向かう。
(それにしても……ケティング侯爵家の次男は、無理矢理ルドラン嬢を手に入れようと姑息な真似を)
リドルもベルトルトに対して怒りが込み上げてくる。
もし、アイーシャにベルトルトを退けるほどの魔法の力がなければ。
もし、媚薬の効果がもっと強く、思考が麻痺してしまっていたら。
最悪の状況になっていただろう。
(女性に媚薬を盛って、事を成そうとするなんて……マーベリックもお怒りだし……。ただじゃ済まないだろうな)
マーベリックとリドルが扉のドアノブに手をかけた時。
思い出したかのようにマーベリックが声を上げた。
「──ああそうだ、ルドラン嬢。クォンツから報せが届いた。お父上も無事で、怪我をしているから今は助けてくれた人の下に身を寄せているらしい」
「──ぇっ!」
マーベリックの言葉に、アイーシャは弾かれたように顔を上げる。マーベリックはアイーシャに笑みを向け、そのまま扉から姿を消した。
リドルも共に部屋から退出してしまったので、室内に残っているのはアイーシャを含めて女性の治癒術士と、使用人のルミアと、もう一人の女性使用人だけの四人だけ。
「お嬢様……! 良かったですね!」
「ルミア……。ええ、ええ。本当に良かったっ」
ルミアの嬉しそうな声に、アイーシャも表情を綻ばせる。
クォンツは無事だ、と。
王城に報せが入った、とマーベリックが言っていた。
「クォンツ様のお父様も、ご無事だったみたいで本当に良かったわ。ただ、お怪我をしていると殿下が仰っていたので、それが心配だけれど……」
「そう、ですね……けれど、王太子殿下の表情から深刻な事態にはなっていなさそうですね!」
アイーシャはルミアの言葉に「確かにそうね」とはにかみながら言葉を返す。
「殿下と、アーキワンデ卿は子爵領のあの山中にもう一度行かれるのよね……」
アイーシャは、ぽつりと呟き部屋の窓から子爵領のある方向に視線を向ける。
自分も一緒に向かうことが出来たら、とアイーシャは考えてしまう。
だが、同行したとしても足手まといになってしまうだろうことはアイーシャにもはっきりと分かる。
(幼い頃、お父様と散策したことはあるけど……。うろ覚えだし、殿下達を目的の場所まで案内もできそうにないわ)
でも、それでも。とアイーシャは考えてしまう。
クォンツの無事を早く自分の目で確かめたい。
もしクォンツが大変な目に合っているのであれば。怪我で苦しい思いをしているのであれば。
クォンツが自分を助けてくれた時のように、今度は自分が役に立てれば、と考える。
「私にも、できることはあるかもしれないわ」
「お嬢様?」
ぽつり、と呟いたアイーシャの言葉が聞き取れず、ルミアは不思議そうにしながら話しかけた。だが、アイーシャは曖昧に笑って誤魔化した。
◇◆◇
部屋を出たマーベリックは、先程までアイーシャに向けていた穏やかな顔から一転、表情を消し冷たく正面を見据える。
後に続き廊下に出たリドルは、マーベリックのその変わり様に些か恐れを抱いた。
「マーベリック」
「何だ?」
リドルの言葉にマーベリックは無表情のまま冷たく返事をする。二人が向かう先は、ベルトルトが拘束されている部屋。
「姑息な手を使った人間が許せないのは分かるが……頼むからその場で斬りかからないでくれよ?」
後処理が面倒だろう、とぼやくリドルにマーベリックはちらりと後ろを振り向くと「当たり前だ」と答える。
「許し難い所業ではあるが、この場で簡単に命を奪う訳にはいかん。ベルトルト・ケティングにはしっかりと罪を償わせる」
「ああ、そうしてくれ」
「……着いたな」
二人で廊下を進んでいる内に、ベルトルトが拘束されている部屋の前に到着した。
街の警備隊の見張りが二名、扉前で待機しておりマーベリックとリドルの姿に緊張した面持ちで頭を下げ、ドアノブに手をかけ開ける。
「さぁ、ベルトルト・ケティングは一体どんな言い訳をするか……見物だな」
「無茶はしないでくれよ……」
「無論だ」
扉が開き、マーベリックとリドルの入室に、拘束されていたベルトルトがびくり、と体を震わせた。
何故こんな場所にこの国の王太子であるマーベリックと、アーキワンデ公爵家の嫡男であるリドルがいるのだ、とベルトルトは狼狽えているようで。
ベルトルトは後ろ手に拘束された姿勢のまま、もぞりと体を動かした。
「──ああ、動くな。ベルトルト・ケティング。お前には婦女暴行……いや、強姦未遂の疑惑がある」
「なっ!? お、恐れながら殿下っ!」
室内に入ってくるなりそう口にするマーベリックに、ベルトルトは顔を真っ青にしながら悲鳴を上げるように言い縋った。
ベルトルトの発言を許可していないと言うのに、声を発したベルトルトに僅かに苛立ちを覚えたが、マーベリックは片眉を上げ、ベルトルトに視線を向ける。
「何か誤解があるのであれば、聞こうか?」
「あっ、ありがとうございます殿下! 恐れながら、そもそも私がこのように捕らえられていること、その物が間違っております!」
「ほう? 貴殿は女性を襲っていない、と?」
「えっ、いえっ、そのっ。確かに、語弊が……いえっ、誤解があったのです! 私とアイーシャは婚約を結んでおります! 少しアイーシャと口喧嘩を……っ! 私の態度に激怒したアイーシャが大事にしてしまっただけなのです!!」
真っ青なまま、ぺらぺらと言い訳を口にするベルトルトにマーベリックは蔑むような視線を向ける。自分の顎に手を当て、思い出すように言葉を返した。
「婚約者? だが、ルドラン嬢は現在ケティング侯爵家に婚約破棄の申し出をしているな? ケティング侯爵家が応じていないだけで、資料を確認した限りベルトルト・ケティング卿の有責は明らかである。侯爵家が引き伸ばしているだけで、本来であれば両家の婚約は迅速に破棄されているはず。よって、貴殿とルドラン嬢が未だに婚約者同士、と言う言い分には些か無理があるが」
「そっ、それは……っ」
何故、国内の一貴族の婚約状況をそこまで把握しているのだ、とベルトルトが驚愕に瞳を見開く。
マーベリックの言葉は尤もで、本来であればアイーシャとの婚約はベルトルト有責で既に破棄が済んでいても何らおかしくはない。
だが、ケティング侯爵家側がごねて、アイーシャの申し出を突っぱねているだけだ。
ベルトルトは、他に何か良い理由はないか、と瞳を泳がせそしてはっと瞳を輝かせた。
「そっ、そうです! アイーシャは、私に長年懸想しておりまして、私がアイーシャの妹君であるエリシャ嬢にばかり構うことに嫉妬を! アイーシャはエリシャ嬢に嫉妬するあまり、エリシャ嬢に体罰を! その体罰の証拠もエリシャ嬢の体に残っております。こ、今回は私に執着しているアイーシャが、嫉妬のあまり騒いだだけなのです!」
つらつらと言い訳を口にするベルトルトに、マーベリックは冷たい視線を向けた後「分かった」と溜息と同時に吐き出す。
ベルトルトは「助かった」とばかりに表情を輝かせたが、マーベリックは言葉を続けた。
「ならば、ルドラン嬢にこの場に同席してもらい、今の話の真偽を問おうか。ルドラン嬢が愛する婚約者に執着するあまり、自分の妹君のエリシャ・ルドランに嫉妬している、だったな?」
マーベリックが伏せていた瞳を真っ直ぐベルトルトに向ける。
冷たく、今にも射殺してしまいそうな程に殺気の籠った視線に、ベルトルトはひゅっと息を呑み込んだ。




