37話
「うぐっ!? げほっ、げほっ!!」
「ごめん、ごめんアイーシャ。こうする他なかったんだ」
無理矢理飲まされた液体が、気管に入り咽るアイーシャにベルトルトはごめん、ごめんと何度も何度も謝罪を口にする。
幾ばくかは吐き出すことに成功したが、それでも液体を少量ばかり摂取してしまったアイーシャは自分の背後で拘束するベルトルトに向かって魔法を発動しようと魔力を練り上げ始める。
(強力な攻撃魔法が使えないとはいえ、この場を脱するにはこうする他ないわ……!)
アイーシャが攻撃魔法を発動しようとしていることに気付いたのだろう。
ベルトルトはアイーシャを拘束していた手を素早く動かし、アイーシャの両手を一纏めにして空いた片手で自分のカフスボタンに触れた。
そしてカフスボタンに魔力を流し、バキンと割れる。
「――っ!? 何を、ベルトルト・ケティング卿!!」
ベルトルトのカフスボタンが割れた瞬間、アイーシャが練り上げていた魔力が突然消失した。
ふっ、と空気に溶けて消えてしまったような感覚に、アイーシャは真っ青になりながら背後のベルトルトを仰ぎ見る。
叫び声を上げられ、外の使用人を呼ばれても困ると判断したベルトルトはアイーシャの口元を手のひらで覆い、声を封じた。
「ごめん、本当にごめん。こんなことしたくなかったんだ。……けど、子爵家直系の血筋がどうしても必要らしくって……」
「――っ!? ふぐっ、うううっ!」
「僕だって、ルドラン家の血筋ならエリシャでもいいんじゃないかってそう思ったよ? けど、父上が……そうじゃないんだって。直系のアイーシャが産んだ子じゃないと意味がないんだって」
信じられない言葉を「仕方ない」と言い切るベルトルトに、アイーシャは目を見開く。
そして自分勝手なことを悪びれもなくすらすらと話すベルトルトに怒りが込み上げてくるのを感じた。
ベルトルト本人は、エリシャが良かったのだろう。だけどケティング侯爵家は「直系」のアイーシャでないと認めない、とベルトルトに告げた。
そう言われたからといって説得もせず「仕方ない」と行動に移すベルトルトに失望する。
(ふざけないで……! この人は、自分がないの!? 好きなのはエリシャなんでしょう!? それなのに、何を考えているのよ!)
先ほどアイーシャが発動しようとした魔法を消滅させられてしまった。
ベルトルトの行動からいって、ケティング侯爵から魔道具でも渡されたのだろう。抵抗されたら魔道具でアイーシャを無力化し、行動に移せ、と。
そうしている内に、アイーシャの体がかっと熱を持つ。
「――!?」
「ああ、効いてきたのかな。良かった」
アイーシャの熱が拘束しているベルトルトにも伝わったのだろう。
ベルトルトはアシーシャから手を離し、室内をきょろりと見回している。
その隙に逃げ出そうとしたアイーシャだったが、かくんと膝から力が抜けてしまい床に座り込んでしまった。
アイーシャの頭の中に「?」がいくつも浮かぶ。
それもその筈だ、とベルトルトは頭の中で呟く。
(アイーシャに飲ませたのは国内で禁止されている違法な媚薬だから……。本当にごめん)
ベルトルトは何が何だかわかっていない様子のアイーシャに一歩、また一歩近付いていく。
「……アイーシャって、魔力量はエリシャに及ばなくとも、エリシャより魔力制御は上手いし、沢山の魔法が使えるんだろう? ルドラン子爵の血筋を辿っていけばそう、だと父が言ってた」
「……っ、」
アイーシャは必死に体を動かし、床を這う。
声が出せれば、大声を出せれば外の使用人に気付いてもらえる。
けれど、アイーシャの喉は焼け付いたように熱を持ち、声を出そうと口を開いても、なにも言葉を発せない。はくはく、と何度も口を開けたり閉めたりするアイーシャの姿を憐れむように見下ろしたベルトルトは、信じられない言葉を口にした。
「……既成事実さえ作ってしまえば、婚約破棄はできないだろう?」
気付けば、床を這い逃げるアイーシャの前に回り込んだベルトルトの靴先が視界に映る。
ぶんぶん、と必死で首を横に振るアイーシャにベルトルトがゆっくり手を伸ばす。
ぞわり、と背筋に悪寒が走ったアイーシャはベルトルトを拒絶するように感情が爆発した――。
──カッ!!
と、アイーシャとベルトルトの間に一瞬にして炎が立ち上り、遅れて轟音が響く。
ベルトルトは自分とアイーシャの間に発生した、高圧縮された炎の塊が爆発する衝撃に後方に勢い良く叩き付けられた。
応接室からけたたましい轟音が響き、部屋の外に控えていた使用人が大慌てで室内に入ってくる気配がする。
「──お嬢様!?」
バタン、と荒々しく扉が開かれ数人の使用人が入室した時。
室内はちらほらとアイーシャの放った火魔法の余波で火が付き、このまま放っておけば火事になってしまいそうな惨状になり果てており、複数の使用人が大慌てで火が燻っている場所へと駆けて行き、水魔法で消火して行くのを確認したアイーシャは、安心した途端自分の体を蝕む魔力消費の疲労感に意識を失ってしまった。
アイーシャが気を失い、ルミアも気を失いソファに寝かされている。
アイーシャが床を這うようにして気を失っているのを見て邸の使用人はベルトルトに視線を向けた。
ベルトルトも今は気を失っているが、ベルトルトが悪事を働こうとしたのは誰がどう見ても明白だ。それだけ室内の惨状が物語っていた。
使用人はアイーシャとルミアの保護を最優先に、街の警備隊に報告を上げた。
◇
「――ぅっ」
どれくらい気を失っていたのか。
アイーシャは重だるい体を動かし、目を開けた。
未だに頭の中がぼんやりとしていて視界が霞みがかっている。
ただ、身を焼くような体の熱さはなりを潜めており、アイーシャは身動ぎした。
「──お嬢様! お目覚めですか!?」
「るみあ?」
アイーシャの声と、微かに身動いだ音に気付いたのだろう。
ばたばた、と慌てて近付いてくる足音が聞こえ、アイーシャは自分の顔を覗き込むルミアの姿にほっと安堵の息をついた。
「お嬢様、お体は無事ですか? お医者様に解毒薬を処方していただきましたので、私がお嬢様に飲ませていただきました!」
「そうだったのね。ありがとう、ルミア。体の調子は、そうね大分戻っているわ、熱さも感じない」
ルミアの言葉に返答しつつ、アイーシャが体を起こそうとするとルミアが手伝ってくれる。
室内を確認してみれば、そこはアイーシャの自室。
見慣れた景色に、アイーシャはほっと安心して体から力が抜けた。
未だに体に纏わりつく気怠さは、急激に魔力を失ったことから起きる枯渇の症状だろう。
そうあたりを付けたアイーシャは、自身の額に手をやり、あの後のことをルミアに尋ねた。
「えっと、私はあれから。――そうだわ! ルミア、ルミアこそ大丈夫なの!? ケティング卿に首を叩かれていたでしょう!?」
「わわっ、落ち着いて下さいお嬢様っ! 私は大丈夫です! あの後、異変に気付いた使用人がすぐに部屋に入って来てくれて、お嬢様と私を部屋から連れ出してくれました。すぐに医者も手配し、お嬢様の診察を行ったのです!」
「そう、良かった。ルミアに何もなくて本当に良かったわ。使用人の皆にもお礼を言わないとね……」
眉を下げて微笑むアイーシャに、ルミアも瞳を滲ませつつこくりと頷く。
「そ、そうだ、お嬢様! 使用人が街の警備隊を呼んでくれて、それでっ!」
「警備隊を? なるほど、そうね。警備隊の方々私が意識を失っていて、詳細が分からないわよね。動けそうだから、手伝ってくれるかしら? 説明をしに行かなくちゃ」
ベッドから足を下ろし、警備隊の元へ向かおうとするアイーシャを手助けしながら、ルミアは「その……」と躊躇いがちに声を上げる。
「お嬢様。その、警備隊から王太子殿下に報告が行ったようで……」
「──え、まさか!」
アイーシャが驚き、慌て出すのを見ながらルミアはこくりと頷いた。
「王太子殿下と、リドル・アーキワンデ卿がお出でです。応接室は使えない状況でしたので、一番広い客間にお通ししております」
お会い出来そうですか? と言うルミアの声にアイーシャは勿論だわ! と叫び、急いでマーベリックとリドルの下に向かうため支度を始めた。
支度を終えたアイーシャは、客間に向かって駆けた。
はしたない、などと気にしている場合ではない。
(あれから既に数時間経っているなんて! 外はもう陽が落ちている! 私は殿下とアーキワンデ卿をどれだけお待たせしてしまったの!?)
ひい、と小さな悲鳴が口から漏れ出そうになってしまう。
忙しい二人を長時間拘束してしまっている現状に、ぱたぱた、と忙しなく足を動かし廊下を進む。
(ベルトルト・ケティング卿は、少し前に目を覚ましたらしいけど、何も喋らないそうね。まさか違法薬物を女性に盛った、と知られればケティング卿も、ご実家の侯爵家もただでは済まない……っ)
アイーシャは、マーベリックとリドルが待機しているであろう部屋の前に到着するとすぅっ、と息を吸い込んで扉をノックした。
「た、大変お待たせしました。アイーシャ・ルドランです」
アイーシャが扉をノックすると、直ぐに扉の向こうからマーベリックの穏やかな声が返って来る。
「入ってくれ」
「失礼いたします」
マーベリックの声に、アイーシャが扉を開けて入室する。
が、驚きに目を見開いた。
「えっえ? 殿下とアーキワンデ卿、は?」
室内を軽く見回しても、そこにマーベリックとリドルの姿はない。
目に映る範囲には女性使用人しかおらず、アイーシャが混乱していると、部屋の奥──。
壁があり、死角となっている場所からマーベリックの優しい声が聞こえた。
「私達が姿を見せても大丈夫かな? それとも、私達では詳しい話しを聞くのが難しいのであれば、室内に女性医師を同席させている。できたら、今回の一件を私とリドルもルドラン嬢の口から報告を受けたい、のだが……大丈夫そうだろうか? 無理そうなら遠慮なく言ってくれて構わない」
マーベリックの優しい配慮と声音に、アイーシャは自然と微笑みを浮かべると「勿論、お二人にお話させて頂きます」と口にした。




