36話
翌朝。
アイーシャ達は朝食後、正午前に王都に帰還する馬車に乗った。
道中馬車を飛ばし、そのまま王城に戻るマーベリックとリドルとアイーシャは途中で別れることになる。
国王から山中の調査許可を得て、再度調査隊と共に山中に入りケネブ・ルドランが何をしていたのか、と確認する予定らしい。その罪を明らかにし、三人を処罰する予定だとマーベリックから説明されていた。
「ルドラン嬢、山中への同行だが……」
「はい」
アイーシャを子爵邸に送る最中。
マーベリックはぽつり、と言葉を零した。
「ルドラン子爵領の山中とは言え、獣や魔物の出現の危険がある。戦闘可能な小隊と共に我々は山中に入る予定ではあるが、ルドラン嬢は山中の調査は体力的に難しい可能性がある」
「はい」
「だがルドラン子爵領地であり、ルドラン嬢は幼少の頃お父君と山中に向かったことがあるな? それならば、道案内が出来るかもしれん。同行してもらうべきかいなか……」
マーベリックが悩んでいると、リドルが困ったように眉を下げ、笑う。
「ここにクォンツがいれば"アイーシャ嬢は俺が守るから大丈夫だ"って言いそうですね」
リドルの口からクォンツの名前が出て、アイーシャはどきり、と心臓が跳ねる。
そうしてどこか寂しそうに眉を寄せ、肯定するように頷いた。
「ふふっ、アーキワンデ卿の仰る通りですね。私もクォンツ様は自信満々に言っているお姿が想像できます」
「そうか、ルドラン嬢は以前ユルドラーク侯爵邸に避難していたんだったな。クォンツであれば確かにそう言うだろう。あいつの腕は確かだからな」
「そうですね。クォンツがこの場にいれば、殿下の護衛と、我々とで調査に入ることができたかもしれません」
「ああ……」
アイーシャは、リドルとマーベリックの会話を聞きながらクォンツの戦闘能力に驚く。
もし、この場にクォンツがいてくれれば、山中への調査同行も何の問題もなかったかもしれない。
(でも、今までだってクォンツ様には沢山助けていただいているもの。これ以上ご迷惑をおかけするのは忍びないわ。自分でできることはやらなくては)
それよりも、とアイーシャは馬車の窓に視線を向けた。
クォンツが父親を捜しに行ってから、一度も連絡がない。
無事なのだろうか、怪我はしていないだろうか、とアイーシャはクォンツの無事を強く願った。
行きは三日ほど時間をかけた道のりだったが、王都への帰還には急ぎ馬車を走らせたため、二日ほどで王都に戻ってきた一行は、先にアイーシャをルドラン子爵邸に送った。
子爵邸に到着した馬車からアイーシャが降り立つと、後を追うようにマーベリックとリドルも馬車から降り立った。
護衛の手を借り、馬車から降りたアイーシャはマーベリックとリドルに向き直る。
「お手数をおかけしてしまい、申し訳ございません殿下。送ってくださりありがとうございました」
胸に手を当て、礼を執るアイーシャにマーベリックは軽く片手を上げて応えると、口を開く。
「気にしないでくれルドラン嬢。今後どうなるかはわからないが、山中の調査同行を依頼する可能性がある。その際はすまないが協力を頼む」
「かしこまりました、殿下。私でお力になれるのであれば、いくらでも」
「そう言ってもらえて有難い。準備だけはしておいてくれ」
「かしこまりました。お気をつけてお戻りください」
頭を下げるアイーシャに、マーベリックは「ああ」と短く返答し、馬車に戻る。
馬車に戻るマーベリックの背中を見やったリドルも続いて馬車に乗ろうとしたところで、アイーシャに振り向いた。
「ルドラン嬢。危険はないと思うけど……もし万が一困ったことがあったらすぐに連絡してね。直接アーキワンデ公爵家に連絡をくれてもいいし、王城にいる可能性も高いから、王城に連絡蝶を飛ばしてくれてもいいから」
「アーキワンデ卿、お気遣いいただきありがとうございます。困ったことがあれば、お言葉に甘えさせていただきますね」
リドルの気遣いにアイーシャが有難く言葉を返す。そしてほわっと嬉しそうに笑うアイーシャに、リドルも微笑み返した。
じゃあ、また。と言葉を残し馬車に戻るリドルとマーベリックを、アイーシャは馬車が邸の正門を出て、見えなくなるまでその場で見送った。
馬車が子爵邸から去った後、アイーシャはきゅっと唇を噛み締めくるり、と向き直る。
どこか緊張した面持ちで玄関に足を進める。
「調査同行の許可は難しいかもしれない。ちょっとばかり魔法が使えても、きっと私は足手まといになってしまうわ」
自分は邸に残って、どうしようかと考える。
「一度クォンツ様の侯爵邸にもご挨拶に行きたいし、お礼もさせていただかないと……」
クォンツからの連絡は、まだない。
一体、何処にいるのか。
アイーシャが考えながら邸の中に戻ると、アイーシャを出迎えた邸の使用人の顔色が悪いことに気が付いた。
「ど、どうしたの、皆?」
何かあったのだろうか、と不思議に思い、アイーシャが使用人の方に足を一歩踏み出した所で。
この場で聞きたくもない男の声が響いた。
「アイーシャ! 待っていたよ!」
「――な、んでっ!?」
声が聞こえた方向に弾かれたように顔を向けたアイーシャは、驚愕に目を見開く。
アイーシャが固まってしまっている間、ルミアがささっとアイーシャに近付き、経緯を耳打ちしてくれた。
「お嬢様、大変申し訳ございません。ケティング侯爵子息が、お嬢様が別邸に立たれた後何度も子爵邸にお越しになっていて……」
「侯爵家の方だもの、皆が強く言えないのも分かるわ……」
ルミアから告げられた言葉にアイーシャは疲れたように溜息を吐き出した。
今日のように、まだ陽も高い時間に邸に戻って来てしまった自分に失敗した、と後悔するが後悔しても遅い。
恐らく、陽が落ちてから邸に戻れば、顔を合わせることはなかっただろう。
アイーシャがルミアと話している間にベルトルトは大階段を降りて来て、腕を広げ嬉しそうに話し出す。
「アイーシャ、良かったよ。ここ数日会えずにいたから」
「以前お話した通り、私とケティング卿の婚約のお話は──」
「ちょ、ちょっと待ってアイーシャ! 君も長旅だったんだろう? 取りあえず場所を移動して話さないか?」
さっさと話しを終わらせ、帰宅を促したかったアイーシャの心情を察したのだろう。
ベルトルトは慌てたように口を挟み、場所を移動を提案してくる。
(確かに、このままここで話を続けるのは得策ではないわね。一応お客様であるベルトルト様に失礼に当たるわ。ルミアに同席してもらって、応接室でベルトルト様と話をしましょう)
そう考えたアイーシャは、すっとベルトルトに視線を向け平坦な声で告げる。
「分かりました。話が終わりましたらお帰り下さい」
「あ、ああ……」
応接室に向かうアイーシャの背を見つめながら、ベルトルトは自分の胸元に手をやる。
かたかた、と震える指先を目にしたベルトルトは、ぐっと一度目を閉じてから開く。アイーシャの背中を見つめ、気まずそうに目を逸らした。
◇
アイーシャとベルトルトが応接室に入り、使用人のルミアも同席の形を取る。
部屋の外には男性使用人も控えさせ、ベルトルトが不審な行動を取ればルミアの合図で外の男性使用人が入室してくれるよう手筈を整えた。
アイーシャとベルトルトはお互い向かい合ってソファーに座り、ルミアがお茶を用意する。
お茶のカップをアイーシャは持ち上げ、お茶を一口嚥下する。ふ、と息を零し、そわそわとした様子のベルトルトにちらり、と視線を向けた。
「それでケティング卿。本日はどのようなご用件でしょう? エリシャは訳あって王城におります。エリシャにお会いになりたいのであれば、王城に登城し、面会の許可を取って下さい」
「いや、違うんだ。僕はアイーシャに会いたくて……」
弱々しくそう呟くベルトルトに、アイーシャは眉を寄せる。
「私にですか? 理由をお伺いしても? 私とケティング卿の婚約については、破棄をお願いしている最中です」
「ア、アイーシャ一人だけでそうやって決めてしまっているけど、僕はアイーシャと婚約破棄しない!」
ソファから腰を浮かせ、切羽詰まったように叫ぶベルトルトに、アイーシャは怪訝そうに眉を寄せる。
散々、エリシャとの仲を見せ付けておいて今更それはないだろう、と流石に苛立ちを覚えた。
「ケティング卿はエリシャがお好きなのですよね? それならば、エリシャと婚約を結び直せばよろしいのではないでしょうか」
今となっては、エリシャは魅了魔法や信用魔法、果てには何やら国で禁忌とされる消滅魔術の魔法まで取得していたらしいので、刑罰を受けるのは確か。
だが、それが分かる以前から目の前の男はエリシャに惹かれ、エリシャを好いているように見えた。
そうでなければ、曲がりなりにも自分の婚約者であるアイーシャの話を一切聞かず頭から否定し、エリシャとばかり行動を共にしないだろう。
「ぼっ、僕の婚約者はアイーシャだけだ! エリシャとは、確かに、そのっお互い惹かれ合ってしまっていたけど、気の迷いというか……っ」
「──気の迷い?」
ベルトルトの勝手な言い分に、アイーシャは苛立ちが募る。
気の迷いで、何年間も自分は苦しんだのだろうか、と怒りを込めた視線をベルトルトに向けると、ベルトルトは自分の失言に気付いたのだろう。
あっ、と小さく声を出して瞳を揺らし狼狽えている。
「気の迷いでも何でも、私達の婚約はもう――」
アイーシャがベルトルトの顔を見たく無い、と言うように視線を逸らし「婚約は白紙」なのだ。と告げようとした時。
ベルトルトは焦った様子でガタン! とソファの足を大きく鳴らし立ち上がった。
ルミアは外の男性使用人を呼ぼうか、とベルトルトとアイーシャから視線を外してしまっていた。だからこそ、ベルトルトの行動に一瞬だけ反応が遅れてしまい――。
その一瞬の隙を付き、ベルトルトは一瞬で魔力を練り上げた。
最初から「こうする」つもりだった。だからこそ事前に準備をして構築式を練り上げていた。躊躇も何もなく自分自身に身体強化の魔法を発動する。
一足飛びにベルトルトはルミアに迫る。
「――だ、誰」
外に向けて大声を発しようとしていたルミアの首裏を手刀でとん、と叩く。
目を見開き、かくん、と気を失ったルミアを受け止めたベルトルトはルミアをソファに寝かせ、唖然としているアイーシャに振り返った。
「――何をっ、ベルト、むぐっ!」
「ごめん、ごめんアイーシャ」
叫ぼうとしたアイーシャに素早く近付いたベルトルトは素早くアイーシャの背後から口元に手をやり、口を塞ぐ。
ベルトルトはだらだらと汗をかき、真っ青な顔で懐に手を入れ、小瓶を取り出した。
アイーシャの目にちゃぷん、と桃色の液体が入った小瓶が眼前に晒される。
驚愕と、身の危険を察し、真っ青になるアイーシャが魔法を発動しようとした瞬間、ベルトルトは小瓶の蓋を開けて無理矢理アイーシャにその中身を飲み込ませた。




