32話
戦闘シーンがあります。
◇◆◇
「──……はっ、はぁ……っ、」
ざざざ、と森の中を駆け抜け、後方をちらりと確認しつつ前へ前へ進む。
「畜生っ何だあの魔物は!?」
ついつい口汚く罵ってしまうのも無理はない。
今まで自分が相手にしていた魔物などとは桁違いだ。
いくら切り付けても、四肢を落としても驚異的な再生力で体は元に戻ってしまい、しまいにはよく分からない毒霧を吐き出してくる。
視界が悪い森の中での戦闘では、こちらに分が悪い。
もう少し開けた場所であればまだやり易いだろう、と判断して森の中を疾走しているが夜の闇に視界は悪く、木々が空を覆い尽くし、月明かりも届かず方向感覚まで麻痺してくるようだ。
魔法の応用で知覚を鋭くさせてはいるが、それも微々たる物で気を抜けば魔物の鉤爪が自分の体を貫くだろう。
「──はっ、はは……っ」
夜明け色の髪の毛を、汗と血で濡らしながら金色の瞳を細めた。
「まさか、こんなことになるなんてな! これでは父もどうなっているか……」
夜明け色の髪の毛と、金の瞳を持つ男。クォンツ・ユルドラークは自分の奥歯を噛み締め、背後に迫って来ていた魔物の毒の尾を横に跳んで避け、振り向き様に氷魔法を魔物に叩き込む。
真正面からクォンツの氷魔法をまともに食らってしまった魔物は氷漬けにされるが、それも数秒間だけで。
すぐに氷魔法の呪縛から解放され、魔物は少し距離が出来てしまったクォンツを再び追い始めた。
森を疾走しつつ、クォンツは幾度となく魔物と戦闘をしながら違和感を覚えていた。
戦う度に反応速度が向上し、クォンツの攻撃パターンを学習しているらしく不意打ちの攻撃に対応し始めている。
「頭の悪い魔物にしては……っ、おかしいだろ……っ」
息を乱しつつ、クォンツは走っていた速度のまま前方に飛び込み、背後から迫っていた毒の尾の攻撃を避ける。即座に起き上がり、氷魔法で作り出した長剣を握った。
腰に下げていた愛用の長剣は度重なる戦闘と、森の中を疾走しつつ攻撃を防いでいる間に魔物が吐き出した毒霧を浴びてしまい、ボロボロに朽ちてしまった。
朽ちてしまってからは、クォンツは自身が使用出来うる限りの強力な魔法でもって魔物とやり合ってはいたが、このままでは自分の魔力が先に枯渇してしまう。
「畜生──……っ」
魔力が枯渇してしまえば、どうしようもない。
クォンツは、自分の侯爵家にいる筈のアイーシャを無意識に思い浮かべる。
このまま自分が帰らず、消息不明となってしまえばアイーシャは気に病んでしまうだろう。
いつまで経っても戻って来ない自分を心配し、もしかしたら自分を見つけようと奔走してしまうかもしれない。
まだ、ほんの少しの時間しか一緒に過ごしていないが、アイーシャ・ルドランとはそういう人間だ。
アイーシャは、自分の味方だと、友人だと認識した人間にはとても寛容で、心優しい人間で。心を開いてくれる。
それに。クォンツのことは、あの碌でもない家から、家族から救い出してくれた恩人と思ってくれているに違いない。クォンツにはそう、断言できる。
そんな恩人が行方知らずになってしまったら。
「アイーシャ嬢はまた要らぬことを考え、自分を責める……っ!」
クォンツは開けた場所に辿り着くと、くるりと体を反転して自分を追いかけて来ていた魔物に向かって氷魔法と雷魔法を融合させた魔法を放つ。
周囲の空気が氷魔法でキン、と凍りつき、雷魔法で一瞬だけ空がパッと明るく照らされる。
雷魔法で周囲が一瞬だけ明るく照らされた瞬間に、クォンツは周囲の様子を確認した。
自分の近くには崖があり、その場所では少し前に誰かが争った形跡がある。
そして、地面にこびり付いた赤黒く茶色く変色した何か。
それを目にクォンツは、目の前にいる魔物に向かって放った魔法が魔物の動作を一瞬だけ停止させたことを確認し、崖に向かって全速力で駆け出した。
(あの魔物には、飛行できるような器官はない……!!)
一か八か。
クォンツは魔物の追撃を逃れるため、魔物が再び動き出す前に眼前の崖に飛び込んだ。
ぶわり、と感じる浮遊感。
クォンツは、落下して行く不快感に耐えながら風魔法を展開し、手にしていた氷の長剣を崖に突き立てる。
ぎゃりぎゃり、と不快な音が耳元で響くがクォンツは奥歯を噛み締め耐える。
ちらり、と頭上を確認すると魔物はやはり追って来ることはできず、うろうろと動き回り、崖を覗き込む。
次第にクォンツを諦めたのか、興味を失ったかのようにふっと顔を逸らし崖上から姿を消した。
(どうも人間臭い動きをしやがるな)
うろうろとしながら何度も崖下を確認する先ほどの魔物の姿にクォンツはぞっとする。
理性も、知性もない筈の魔物が、どうしてあのような行動をするのか。
クォンツは嫌な考えが頭に過り、舌を打つ。
(このまま落下したら、俺も無事ではすまねえな……)
風魔法を展開したことにより、落下の速度は和らいではいる。
だが崖に突き刺した氷の長剣では、落下速度を和らげる手助けはできても完全に止まることはない。
自分が握っている氷の長剣にびしびし、と亀裂が走ってきた所で、クォンツは眼下に迫っていた川に飛び込むように氷の長剣の柄から手を離した。
夜の闇に、どぼんと大きな音が轟き、水柱が高く上がる。
落下した衝撃によってクォンツはそのまま意識を失ってしまった。
川の流れは速く、意識を失ったクォンツの体は川に沈み流されて行ってしまう。
奇しくも、クォンツが落下した川はクォンツの父親が落ちて流された川と同じで。
クォンツが随分流され、川に打ち上げられた場所も父親と同じ場所であった。
どれだけクォンツは流されたのか。
打ち上げられ、クォンツが意識を失っている間に空は白み始めており、青白い顔をして目を閉じているクォンツに向かって近付いて来る足音が一つ。
その足音は、クォンツの姿を見付けると動揺したようにじゃり、と小石を踏み締めその場に立ち止まった。
「何だ? 最近は川に流される人間が多いな……」
男の声。
低い男の声がぼそり、と響きじゃりじゃり、と石を踏み締めてその声の持ち主はクォンツに近付いて来る。
クォンツの姿がはっきりと確認出来た男は、驚いたように一瞬足を止め、先日同じようにこの川に流されて来た男と同じ髪色のクォンツに首を傾げた。
「血縁者か?」
男は「全く」と呟き、じゃりじゃりと更に足音を鳴らしてクォンツの姿を確認するように近付くと四肢が無事なことを確認し、呼吸によって胸が上下に動いていることも確認する。
生きていることを確認した男はひょい、と軽く自分の指を動かした。
すると、その男の指先からは「真っ黒い」粒子のような物が放たれ、クォンツを包み込む。
そうして、その粒子はクォンツの体を軽々と持ち上げると男はくるりと踵を返して歩き始めた。
川から離れた場所には、その男が暮らしている小さな家がある。
その場所に戻るように男は足を進め、時折ちらちらとクォンツの様子を確認しながら自分の家に戻っていった。
◇
クォンツが川に落下し、流され男に助けられてからどれくらい時間が経っただろうか。
クォンツは、不意に浮上する意識にふっと目を覚ました。
「──っ?」
目覚めてすぐ視界に入ったのは、見慣れない天井。
貴族の邸などで見慣れている繊細で美しい細工が施されたような天井ではなく、質素で木目も荒く、まるで平民が住んでいる住居によくある単調な天井。
「……? ……っ!?」
自分は川に落ち、死んだのかとクォンツが半分混乱していると、クォンツが目覚めたことに気付いたのだろう。
ガツガツと足音荒く、自分に近付く気配を感じてクォンツは飛び起きた。
一瞬にして自分の手の中に氷の短剣を作り出し、自分に近付いて来る気配を注視する。
だが、クォンツが体の向きを変えるのと同時、良く聞き慣れた声がクォンツの耳に届いた。
「ああ、目が覚めたか!」
クォンツはその声に目を見開き、自分の目の前に姿を現した人物を見てくしゃり、と泣きそうに顔を歪めた。
「ご無事、でしたか。父上」




