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29話


 アイーシャの暮らすルドラン子爵の邸は、王都の中心部にある。

 明日、向かう子爵領の別邸は馬車で数日ほどの位置にある。

 王太子のマーベリックが長い時間王城を離れても大丈夫なのだろうか、とアイーシャは一瞬不安が頭を過ぎるが、対策を講じていないことはないだろう。

 アイーシャはそう考え、旅路に必要な物をルミアと共に夜遅くまで準備した。



 翌日。

 早朝の、まだ早い時間帯。

 周囲が薄っすらと暗い時間帯に、マーベリックの乗る馬車が邸にやってきた。

 朝早くから起きていたアイーシャは、準備をしていた荷物を持って慌ててマーベリックを出迎えた。


「ルドラン嬢。朝早くからすまないな。ルドラン嬢もこちらの馬車に乗ってくれ」

「おはようございます、殿下。少しの間ではございますがよろしくお願いいたします」


 マーベリックと軽く挨拶を交わしたアイーシャは、マーベリックに促されるまま馬車に乗り込む。

 既に馬車にはリドルも乗っていて、アイーシャとリドルは和やかに挨拶をしあう。


「アーキワンデ卿、おはようございます。よろしくお願いしますね」

「ああ、おはようルドラン嬢。こちらこそよろしく頼むよ」


 アイーシャとリドルがにこやかに会話をしていると、マーベリックの言葉で馬車がゆっくり走り出す。

 マーベリックが到着した時、もう一台馬車が後ろに控えていたが馬車の窓はしっかり内側からカーテンが敷かれており、中を確認することはできなかった。

 アイーシャは殿下の護衛やリドルの護衛だろうか、と考えたがマーベリックの護衛は皆、外で馬車の警護にあたっている。

 それならば、リドルの護衛か、今回必要な荷物を運んでいるのだろう。と、アイーシャは大してそちらの馬車を気にすることはなかった。


 馬車の移動は順調に進み、余裕を持って三日ほど時間をかけて子爵領に到着した。

 三日後の夕方、別邸に到着したアイーシャ達は、一先ず邸内に入り荷物を客間に置き、その日は早めに休むことにして別邸内の確認は翌日に回すことになった。

 客間に置いた荷物を片しながら、アイーシャは室内にある窓から見える子爵領の景色に瞳を細める。

 幼少期に両親と過ごすことの多かったこの場所には、至る所に思い出がある。

 懐かしさと寂しさに、アイーシャは唇を噛み締めて逃げるように窓から視線を外した。


 両親の訃報が齎されたのは、酷く天候の悪い日で。

 雨風が強く、ガタガタと風に揺れる窓の音にアイーシャが震えている時にその報せは届いたのだ。


 何かの間違いであって欲しい、と何度思っただろうか。

 自分の両親はある日ひょっこり仕事から戻って来るのでは、と何度考えただろう。


 だが、幼かったアイーシャの小さな希望を打ち砕くように、いつまで待っても両親が帰って来ることはなかった。

 それどころか、粛々と両親の葬儀が行われてしまい、葬儀が終わった頃。

 茫然とするアイーシャの前に今の義父、ケネブが自分の妻と娘を連れてアイーシャの前にやって来たのだ。

 そこでアイーシャはふ、と思い出す。


「……待って。そう言えば……この邸に頻繁に訪れていたお義父様とエリシャは、ここで何をしていたのかしら」


 年々、ケネブがこの邸に赴くことが多くなっていたように思う。

 必ずと言っていいほど、ケネブはエリシャも連れて来ていたような気がする。


「お義父様は何のためにエリシャをここに連れて来たのかしら……」


 昨夜は時間がなく、タウンハウスの邸の中を確認することはできなかった。

 恐らくマーベリックの口振りからして、この別邸で何かがあったことは確かなのだろうと思う。

 タウンハウスではなく、このように何もない別邸に訪れていた理由はアイーシャには分からないが、アイーシャの知らない「何か」があるのは明白だった。


「お父様とお母様が転落死した場所とそう離れていないこの別邸に、お義父様はどうしてか度々通われていたわね……」


 どうして、度々来ていたのだろうか。

 何か理由があったのだろうが、アイーシャには見当もつかず眉を寄せる。


「……少しだけでも、内部を確認しておこうかしら」


 アイーシャはぽつりと呟き、ランタンを持って客間を後にした。


 薄ぼんやりと灯った廊下の灯りと、手元のランタンの明かりだけを頼りにアイーシャは足を進める。

 ひたひた、と自分が歩く音だけが響き、この別邸内にはまるで自分一人だけしかいないような気味の悪さを感じてしまう。

 リドルや、マーベリック、護衛騎士はアイーシャの客間がある階とは別の階の客間と、貴賓室をそれぞれ使用している。そのため、今この階にはアイーシャしかいないのだ。


「今更だけど……これだけ広大な敷地に、別邸をいくつも持っているなんて……子爵家は本当に昔から裕福だったのね」


 アイーシャがこの別邸で過ごした記憶は幼い頃の朧気な物しか残っていない。

 王都のタウンハウスも、辛い記憶で塗り潰され、両親と過ごしたキラキラとした思い出は朧気だ。

 タウンハウスも、カントリーハウスもアイーシャが自由に動き回ることをケネブは嫌がっていた。

 叱られ、備蓄庫に閉じ込められてしまうのが怖くて、アイーシャはいつも自室や限られた場所にしか出歩かなかった。


「けど……実際もう一度来てみれば……薄っすらとだけど記憶が残っているのね」


 どこか懐かしさも感じ、アイーシャは瞳をじわりと滲ませながら微かな明かりを頼りに廊下を進む。

 階段の所に護衛は立っているが、別邸とは言え邸内が広いこの邸は廊下も長く、使用人も維持のための最低限の者しかいない。

 使用人は仕事が終われば、地下にある自分の部屋に戻ってしまうため、アイーシャがいる階には本当に人の気配がなくなってしまう。


「──ルミアにも着いて来てもらえば良かったかしら」


 アイーシャはついつい心細くなり、弱音を零す。

 自分の身の回りのことはある程度できるから、とルミアを連れてこなかったことを後悔する。

 何かあれば魔道具のベルを鳴らして下さいね、とこの別邸の使用人に言われているが、暗くて怖いから一緒に着いて来てくれ、などとは言えない。


「クォンツ様だったら、邸内を見て回るの……楽しんでくださりそうだわ……」


 アイーシャは思わずこの場にはいないクォンツのことを思い出して、くすくすと笑う。

 クォンツが消息不明の自分の父親を探しに向かってから、一体どれだけの日が経っただろうか。

 父親を無事見付けることはできたのだろうか、と考える。


「お怪我などしていないといいのだけれど……」


 今頃、何処にいて、どう過ごしているのか。

 アイーシャは窓の外に視線を向け、クォンツの無事を願った。



 アイーシャは、子供の頃にこの邸内で遊んでいた記憶を頼りに父親と母親が良く利用していた蔵書室へ向かう。

 父も母も少し変わった所があり、普通あまり人が興味を示さない分野の物から始まり、俗説的な根拠のない、ただの噂話のような話を纏めた本などまで様々な分野の資料を集め、二人はよく蔵書室に篭って本を読み、話をしていたような気がする。

 今思えば、両親は探究心が強く、常に知識に飢えていたように感じる。

 知らないことがあれば目を輝かせて調べ、貪欲に知識を吸収し、知らなかった知識を得ることに喜びを感じていたように思う。


「今思えば……お父様も、お母様も、ちょっと変な方だったのかしら……」


 アイーシャはふふっ、と小さく声を漏らして笑う。

 とある部屋の前に辿り着き、ランタンを自分の顔の高さに持ち上げ、翳す。

 両親が利用していた蔵書室は誰にも邪魔をされないように、と少し分かりにくい場所に隠されている。

 アイーシャは、ランタンの灯りで照らされた扉を見つめ、取っ手に手をかけた。

 蝶番が錆びてしまっているのか不快な音を奏でながら扉が開き、アイーシャはそっと扉の中に入り込んだ。


 室内は何の変哲もない、小さな一室。

 恐らく、アイーシャが子供の頃に使用していた遊び部屋だったような気がする。

 子供の部屋等は通常邸の最上階にあるのだが、アイーシャの両親は自分達が多く過ごす階と同階にアイーシャが遊ぶ部屋を用意し、そこの部屋から蔵書室への階段も作った。


 アイーシャは部屋に入室し、くるりと周囲を見回す。

 室内は綺麗に保たれているが、子供の頃に使用していた内装とは変わっている。

 ケネブがエリシャを連れてここに滞在することが多くなり、内装をエリシャの好みに変えさせたのだろう。

 アイーシャが両親と共に過ごした景色ががらりと変わってしまっていて、アイーシャは寂しさに俯いた。


 もしかしたら、両親が使用していた蔵書室もケネブは発見していて、そこにも良く出入りしていたかもしれない。


「お父様と、お母様との思い出の場所が……変わってしまっているのは……嫌ね……」


 けれど、アイーシャの両親はもうこの世にはいない。

 ルドラン子爵家の現当主はケネブで。当主が自分の邸にどう手を加えようとも咎めることはできない。

 アイーシャが室内の奥。

 暖炉の側まで近付き、暖炉の横──分かりにくいが暖炉の横の壁に魔力を流すと仕掛けが動く装置のような物がある。


 アイーシャは、そこに自分の魔力を流し込み魔道具を起動した。


 ──こうして、魔力を流すと隠し部屋が出てくる、なんてワクワクしないか?

 ──貴方はいつまで経っても子供みたいなんだから……。ねぇ、アイーシャ? お父様みたいな旦那さんを連れて来ちゃ駄目よ?


 ふ、とアイーシャの頭の中に両親の会話が思い出される。

 いつだったか、アイーシャを抱っこした父親が子供のように瞳をキラキラとさせ、アイーシャにそう語り、母親が呆れたように笑っていた。


「──……っ、」


 アイーシャはくしゃり、と顔を歪め俯く。

 眉間に力を入れ、何度か深呼吸をして感情を落ち着かせる。


「……よし」


 零れそうになった涙をなんとか耐え、アイーシャが顔を上げると、目の前には魔道具が起動したことにより、地下への階段が現れていた。

 階段に足を進め、降りていく。

 アイーシャが一番下まで降り立ち、蔵書室の扉を開けた瞬間、視界に飛び込んできた光景に目を見開いた。


「え……っ、なに、これっ」


 両親がいた景色が。

 テーブルと椅子があり、そこに腰かけ楽しげに蔵書に目を通していた母親お気に入りのその場所が。


「何で……っ! どうして……っ!」


 壁際に備え付けられた低いローチェストに腰かけ、蔵書を読み耽っていた父親のその場所が。


「酷い……っ! どうしてこんなことになってるの!?」


 蔵書室は、まるで足の踏み場がないほどに蔵書が床に散乱し、テーブルと椅子は部屋の隅に押しやられ倒され、壁際にあったローチェストは棚の中身も全て出され。ローチェストは壊れていた。

 綺麗に整頓され、保たれていた蔵書室はまるで荒らされたように酷い状態に成り果ててしまっていて、アイーシャはその場にかくん、と崩れ落ちた。


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