28話
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ケネブ・ルドランにはとても優秀で、皆から好かれる兄がいた。
子供の頃は優秀な兄が、皆から褒められる兄がとても誇らしく、まるで自分が褒められているように嬉しかった。
けれど、優秀な兄と比べて自分は平凡。
平凡な容姿に、平凡な頭脳。
比べて兄は容姿も良く、優れた頭脳を持ち、カリスマ性もあった。
兄の周囲には、常に人が集まる。
対して、自分の周りには人は集まらず、兄を誇らしく思っていた気持ちが。憧れていた気持ちが。
次第に妬ましく、疎ましく感じることに変化するのには時間がかからなかった。
自分にはない物を沢山持っている兄。
自分には到底手に出来ないような地位も、評価も、信頼も。全て全て兄が持って行ってしまった。
喉から手が出るほどに欲しかった、様々な物。
だから、幸せ絶頂の頃。
全てを奪ってやった。
順調に行っていた仕事も。
愛する一人娘の成長を見守る幸せも。
愛する伴侶も。家族も。
全部奪った。
成長していく可愛い娘の姿を、どれだけ見たかっただろうか。
愛する娘が、年頃になり良い人と結ばれ、幸せになる未来をどれだけ見たかっただろうか。
けれど、その未来への希望も、楽しみも何もかも奪った。
兄の愛する娘が、婚約者に蔑ろにされ、傷付く姿を見る度に胸がすっとした。
兄の愛する娘のために残された財産を娘のために殆ど使わず、自分達で消費した。
兄の愛する娘の心を傷付け、長年虐げ続けた。
どれだけ悔しい思いをしているのか。
その顔が見れないことだけが惜しいが、今となってはどうでも良い。
兄が残した商会を通じて、良い取引先とも出会えたのだから。
魔物は、良い商売になる。
ちまちまと品物を売って、ちまちまと金を稼ぐなど頭の悪い人間のやり方だ。
長年、金を注ぎ込み投資は莫大となってしまったが、近年ようやく形になった。なったと言うのに。それが全て無に帰してしまうことだけは、避けなければいけないのに。
それなのに、何故自分は王城で拘束され、このような拷問めいた仕打ちを受けねばならないのか。
あと少し、あと少しで可愛い自分の娘にあの兄の娘から奪った婚約者を与えてあげられた。
あと少しで、莫大な金が手に入る所だった。
あと少しで、あの兄の娘を壊すことが出来たのに。
ケネブは、強烈な激痛に耐えることは出来ず、意識を失った。
◇◆◇
アイーシャはリドルと別れて馬車に乗り込んだ後、真っ直ぐルドラン子爵邸に戻って来た。
邸に戻ると、正門で門番をしていた者達がアイーシャの顔を見て驚き、そうしてほっと安心したような顔になる。
馬車から降り、邸の玄関へと向かう。
歩き始めて眼前に見える邸のいつもと変わらぬ姿に、アイーシャは安堵した。
「もう……ここに戻るつもりはなかったのだけど……」
クォンツとリドルに助け出され、侯爵家に厄介になると決めた時にこの邸に二度と戻るつもりはなかった。
父と母と過ごした思い出はあるが、その楽しかった思い出に比べ、辛く悲しかった思い出の方が色濃く残っている。
アイーシャは、玄関までやって来るとそっと扉に腕を伸ばす。
悲しい記憶や辛い記憶がなくなることはない。だが、それでもアイーシャは今自分に求められている役目を全うしようと、扉を開けた。
「お嬢様っ!」
「っ!」
アイーシャが扉を開け、邸の中に足を踏み入れると、アイーシャの体にどんっ、と衝撃が走る。
驚いてアイーシャが瞳を瞬くと、衝撃を与えたのは使用人のルミアで。
邸の使用人は、正門に見慣れぬ豪奢な馬車が姿を表したことに驚いたが、アイーシャが馬車から降りたことに気付いて玄関ホールに集まってくれたようだった。
皆、申し訳なさそうな顔をしているが、それでもアイーシャが戻ったことが嬉しいようで、顔を綻ばせている。
ルミアも他の使用人と同じようにアイーシャの姿に気付き、アイーシャの帰宅をこうして歓迎してくれている。
「良かった、……っ、良かったですっ、お嬢様……っ!」
「ルミア。心配をかけてしまったわね、ごめんなさい。そして喜んでくれてありがとう」
アイーシャがくしゃり、と顔を歪ませて笑うと、ルミアは抱き着いていたアイーシャの体から涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。
「とんでもございませんっ、お帰りなさいお嬢様っ」
「ええ、ただいま」
そうして、アイーシャは自分を出迎えた使用人に笑顔で挨拶をして、夜も遅いためその場は解散とした。
アイーシャはルミアだけを連れ、自分の部屋に場所を移す。
室内に入り、ルミアがお茶の準備を行いながら嬉しそうに口を開く。
「お嬢様、ここを出て行かれた時よりも顔色が良くなられていて、安心いたしました。お怪我も治ったようで何よりです」
「ええ、クォンツ様を始め、ユルドラーク侯爵家の方々が良くして下さったの。侯爵家の方々には本当に感謝をしてもしきれないわ」
「そうだったのですね……! 本当に良かったです。お辛そうでしたから……」
ルミアが眉をしゅん、と下げ涙声で零す。
アイーシャは、すっかり完治した自分の足首にちらりと視線を向けてから、ルミアに説明した。
「ええ。怪我は王太子殿下のご厚意で、治癒術士を紹介いただいたの。数少ない光魔法の使い手を紹介いただいて、とても感謝しているわ」
「治癒術士の方ですか……! 確か、光魔法と闇魔法の使用者はこの国に殆どいらっしゃらないですものね……」
「ええ。そもそも、光魔法と闇魔法は自然の元素魔法の枠組みからは、外れているから」
私も詳しいことは分からないけれど、と苦笑いを浮かべながらアイーシャはルミアの言葉に頷く。
そもそも、自然の元素魔法である火・水・氷・風・土・雷の六種類の魔法とは違い、光魔法と闇魔法は詳細が分かっていない。
光魔法は治癒魔法と、精神干渉魔法を完全に打ち消すことが出来るらしいが、闇魔法は今現在国内に使い手がおらず、また過去の文献にも資料は残っておらず、詳細は判明していない。
だからこそ精神干渉魔法の効果を打ち消すために、光魔法の使い手の協力によって魔道具の開発が勧められているが、それが形となったのはここ百年にも満たないらしい。
そして、光魔法と闇魔法の発動条件も不明だ。
昔から人ならざる者から授けられる。やら、精霊と契約して発動できるようになる。やら、様々な憶測が飛び交っているが、光魔法の使用者もどういった仕組みで発動できているのか、分からないらしい。
気付いた時には発動できていた。らしく、子供の頃から発動できるのであれば、血筋が関係するのでは、と一時期は光魔法が発動出来る者同士で結婚させたりしたこともあったらしいが、生まれて来る子供が必ず光魔法の使い手になる、ということはなかった。
そのため、血筋は関係ないのだろう。ということは分かったが、それ以外は謎に包まれたままだ。
「普通の生活をしていたら、中々光魔法にはお目にかかれないから貴重な経験をさせていただいたわ」
「ええ、ええそうですね……! お嬢様が素晴らしいお方なので、殿下も手助けして下さったのですね……!」
うんうん、と嬉しそうに頷くルミアに、アイーシャは「そうだったら嬉しいけど」と笑顔を浮かべた。




