23話
マーベリックの鋭い声に、室内にいた衛兵が素早くエリシャを始めとした他の子爵家の面々を取り囲む。
室内の雰囲気から流石にエリシャも自分達の身に良くないことが起きる、と察し表情を強張らせた。
おろおろと周囲を見回し、助けを求めるようにケネブに視線を向ける。
「いやっ、何でぇ……っ! だ、だって私はっ、お父様っ!」
「エリシャ……!」
近付く衛兵から逃れようと、エリシャは慌てて両親に駆け寄る。
だが、三人集まった所を取り押さえられた。
◇
階下で起きた一瞬の出来事。
アイーシャは唖然、としつつ胸のあたりにある手摺りをぎゅう、と力強く握り締めた。
一拍置いて、アイーシャとリドルのいる場所に近付いてくる足音が聞こえてきた。
近付いて来ていた足音は、アイーシャの背後でぴたり、と止まり低く義務的な声がかけられた。
「アイーシャ・ルドラン嬢。子爵家の長女である貴女にも捕縛命令がでております。……抵抗せずにご同行を」
「……それは王太子殿下のご命令か?」
衛兵の言葉にリドルが代わりに返答すると、衛兵はこくりと頷いた。
アイーシャに近付いた衛兵は、アイーシャの怪我に気が付いたのだろう。先程までの険しい表情を幾らか和らげ、言葉を続けた。
「怪我をしている女性に手荒な真似はしたくありません。大人しく我々に着いて来て下さい」
「分かり、ました……」
さあっと血の気が失せたような顔色のアイーシャに、リドルは気遣うような視線を向けた。
リドルの視線に気付いたアイーシャは、気にしないで、というように弱々しい笑みを浮かべて衛兵に向き直った。
逃走・抵抗の様子も見られないことから、アイーシャには魔封じの枷だけを付けられた状態で城の衛兵に抱えられ、階下へと降りた。
すると、室内で抵抗でもしたのだろうか。エリシャの父親であるケネブは頬を殴打された様子で床に押さえ付けられ、母親であるエリザベートはぺたり、と床に座り込んでいる。
エリシャはしくしくと泣きながら何故かベルトルトに縋り付いており、ベルトルトはエリシャを守るようにしっかりと抱き締めている。
「殿下、ルドラン子爵家のご息女。アイーシャ・ルドラン嬢にご同行いただきました」
衛兵の言葉に、室内の視線がアイーシャに集中する。
「ご苦労。アイーシャ・ルドラン嬢。突然のことで驚いただろうが協力を感謝する。女性に手荒な真似はしたくないからな」
「とんでもございません。このような姿で申し訳ございません、王太子殿下……。ルドラン子爵家が長女、アイーシャ・ルドランと申します」
衛兵から床に降ろされたアイーシャは、杖を床に置き、足に負担がいかないようそっとカーテシーを取る。
ぱちり、とマーベリックと視線があったアイーシャはマーベリックの瞳にこちらを気遣うような、詫びるような色が一瞬だけ見えたように感じて疑問を抱く。
だが、そのような色が見えたのは一瞬で。
アイーシャはそれが自分の勘違いだったか、とそっと視線を俯かせる。
(自分の願望だったのかも……)
気遣いなど、子爵家の一員にする訳がない。この国の王太子である人が詫びるような視線を寄越す訳がない、とアイーシャが自嘲気味に口元に笑みを浮かべ俯いていると。
アイーシャが室内にやって来たことに気付いたエリシャが涙に濡れた瞳でアイーシャを見やった。
「──お姉様? お姉様、酷いですっ! お姉様のせいで何で私達がこんな目に合わなきゃいけないんですか!?」
「アイーシャ……? お前が……! お前がこんなことを仕出かしたのか!?」
エリシャの声に反応して、床に押さえ付けられていたケネブが暴れ始める。
だが、リドルはその二人の場違いな言葉に呆れたように声を発した。
「アイーシャ嬢が仕出かしたのではなく、異様な子爵家の様子に気付いた俺とクォンツが殿下に報告したのだが。あの時、何一つ理解していなかったのか?」
「アイーシャが? アイーシャが、私の可愛いエリシャをこんな目に合わせたの!?」
床に蹲っていたエリザベートが俯いていた顔を上げると、憎しみの籠った視線をアイーシャに向ける。
エリザベートにも、ケネブにも、そしてエリシャにもリドルの言葉は全く耳に届いていないようで。
リドルも、マーベリックも怪訝そうに眉を顰めた。
「お姉様が、お姉様がいけないんです! 私は覚えたくないって言ったのに、お姉様が覚えろって私を脅したんです!」
「え?」
エリシャが訳の分からない言い訳を口にして、アイーシャが驚きに瞳を見開いたその時。
この室内に何かを弾くような「ぱちん!」という甲高い音が聞こえた。
アイーシャがその音に吃驚して小さく声を上げた瞬間。
椅子に座っていたマーベリックが弾かれたように立ち上がり、衛兵に向かって叫んだ。
「信用魔法の使用を確認した! 他にも得体の知れない魔法を使用した痕跡もある。直ちに捕縛して吐かせろ!」
マーベリックの鋭い声に呼応した衛兵が即座にエリシャを取り囲み、ベルトルトに張り付いていたエリシャを床へと引き倒した。
慣れた様子で暴れるエリシャを物ともせず、拘束する。
「いやぁっ! 私はっ! 何もしてないのに! お姉様よ、全部お姉様に言われたの!」
エリシャが叫ぶ度に、室内から何かが破裂するような音が響き渡る。
「魔力封じの枷を付けている筈なのに……魔力だけは豊富だな」
マーベリックは呆れたように呟き、衛兵に更に上位の魔力封じの魔道具を持ってくるように指示を出す。
「エ、エリシャ……っ何がどうなって……っ」
ベルトルトが戸惑い、怯んでいる間に床に押さえ付けた衛兵がベルトルトをエリシャから遠ざける。
「ベルトルト様っ、ベルトルト様は私を信じて下さいますよね? ずっとずっと、お姉様に虐げられていた私を知っていますよね? 鞭で打たれた私を知っていますよね!?」
「あ、ああ、勿論だよエリシャ嬢。アイーシャに打たれ、痛々しく腫れ上がった君の腕の傷を見た時に……エリシャ嬢を守らねば、と思ったのだから……!」
「アイーシャは、エリシャに対してそのような蛮行を!?」
「アイーシャ! お前が全て悪いのだから王太子殿下にご説明して、お前がエリシャの代わりに拘束されろ! 今まで食わせてやっていたのに……っ、役にも立たぬお前を引き取り、育ててやっていた恩を今こそ返せ!」
アイーシャに対して好き勝手酷い言葉を紡ぐ子爵家の面々と、アイーシャの婚約者である筈のベルトルトに、リドルもマーベリックも呆れたように溜息をつく。
リドルはエリシャが喚き出した辺りからアイーシャに近付き、アイーシャの耳を塞いでいたので子爵家の面々の言葉はアイーシャの耳には入っていないだろう。
クォンツは、王都を立つ前に「くれぐれもアイーシャを傷付けぬよう頼む」とリドルに言い含めて出立した。
(……クォンツが戻った時にアイーシャ嬢が傷付き悲しんでいたら、あいつは何をするか分からないもんな……。我が国でも上位の魔法剣士に暴れられたら軍に損害が出る)
リドルがどこか遠い目をしていると、アイーシャが戸惑いつつ声をかけてくる。
「ア、アーキワンデ卿……?」
「ん、? ああ、申し訳ないルドラン嬢。強く塞ぎ過ぎてしまったね。耳に痛みはないかい?」
「え、ええ……、大丈夫です。きっと、彼らがまた聞くに絶えない言葉を発していたのですよね……お気遣いいただき、ありがとうございます」
アイーシャは自分の耳を塞いでいてくれたリドルに申し訳なさそうに笑いかけた。
信用魔法の発動。そして、それ以外の魔法を発動した痕跡を察知された。しかも、この国の王族に。
最早、言い逃れなど出来ないエリシャを筆頭に、ケネブとエリザベートは衛兵に引き摺られながらそれでもアイーシャや、王太子であるマーベリックに言葉を放っている。
「マーベリック様、マーベリック殿下! 私を信じて下さいっ、これはお姉様の陰謀です!!」
エリシャは必死の形相で言葉を連ねる。
(王太子殿下のお名前を口にするなんて……! 不敬罪で罰せられるわ……!)
エリシャの失言に、アイーシャは真っ青になってケネブとエリザベートに止めてもらおうと顔を向けたが、、アイーシャの視線に気付いたケネブとエリザベートは強い憎しみの籠った感情をアイーシャにぶつけてくるだけで。
アイーシャが自分がエリシャを止めるしかないか、とエリシャに視線を向けた瞬間。
──パリン
と、澄んだ音が周囲に響いた。
音の発生源を確認したアイーシャは、ぎょっと目を見開く。
その音は、マーベリックが耳にしていた魔法石の付いていたイヤリングが弾け飛んだ際に発生したようで――。
粉々になり、目の前で弾け散りパラパラと落ちて行く様を、マーベリックは驚愕に満ちた表情で凝視する。
額には薄らと汗が一筋伝っており、良くないことが起きたのだろう、と遠目にも見て取れた。
「これ程、とはな」
「殿下! 枷ですっ! 直ぐに装着いたします!」
バタバタと大慌てでやって来た衛兵が、喚いているエリシャの口に布を詰め、口を塞ぐ。
そうしてエリシャの両腕に枷を嵌めると、暴れるエリシャを引き摺って行き、部屋から連れ出した。
連れ出されて行く中、エリシャはアイーシャに言葉では言い表すことが出来ない程の負の感情が籠った視線を向けており、アイーシャはエリシャの視線にぞわり、と背筋を震わせた。
アイーシャが自分の腕を動かそうとしたところで、自分の腕が枷によって自由を奪われていることに気付いた。
アイーシャの状態にマーベリックも遅ればせながら気付き、アイーシャに向かって歩いてくる。
「拘束をしてすまなかったな。今外す」
「え」
マーベリックが自分の指先に魔力を込めるなり、アイーシャの腕を拘束していた枷がガシャリ、と音を立てて床へと落下した。
慣れたように近くに控えていた衛兵が枷を素早く回収する。
アイーシャが解放された腕に戸惑いつつ目を向け、混乱するままマーベリックに視線を戻す。すると、マーベリックは眉を下げて苦笑していた。
「いや、すまない。貴女をこの場所に連れて来たのは子爵家の面々の思惑を暴くためだったのだが……。報告にあった、貴女個人への憎悪だけなのか、それともそれを隠れ蓑にして本当の思惑が裏にあるのかを確認したかったのだけれどな……。裏の思惑など無いような浅はかな結末だったようだ」
「それ、は……」
マーベリックにちらり、と背後を視線で示され、アイーシャもそちらに視線を向けるとアイーシャに向かって未だに何やら口汚い言葉を放つ、かつての両親の姿がある。
「あれらは……エリシャ・ルドランが使用していたような魔法は発動していない。先程から王城に設置された精神干渉の防御結界が発動していないからな」
「あの人達は、……どうなるのですか?」
アイーシャの言葉に、マーベリックは微笑み、ゆっくり口を開いた。
「王城で身柄を押さえたまま、エリシャ・ルドラン嬢がどうしてあのような魔法を取得したのかを尋問する。信用魔法だけならばまだしも、魅了に消滅魔術は少しばかりやり過ぎだ」
忙しくなりそうだ、と肩を竦めてみせるマーベリックに、アイーシャは未だにぽかんとしたまま生返事を返すことしかできなかった。




