21話
クォンツが出て行った玄関を見つめながら、アイーシャはその場にぺたり、と座り込んでしまう。
クォンツの見送りをしていた邸の使用人が慌ててやって来てくれ、気遣ってくれる姿に、申し訳なく感じてしまう。
アイーシャは謝罪をし、立ち上がると足早に自室に戻った。
(無理をしないように、とクォンツ様は仰って下さったけど……邸に残っても迷惑をかけるだけだわ)
クォンツの妹、シャーロットのマナーレッスン所ではなくなってしまっただろう。
侯爵家に無関係な人間がいては、邪魔になるだけになってしまう、とアイーシャは考える。
(使用人も、クォンツ様のお母様の侯爵も大変な時だもの……邪魔はできないわ)
きゅ、とアイーシャは唇を引き結び、学園に向かうために準備をした。
アイーシャが学園に向かう時間になっても、未だ邸内は騒がしく、アイーシャはクォンツの母親の補佐をしている家令に学園に向かうと伝言だけを頼んだ。
シャーロットの私室に向かい、様子を確認する。
シャーロットはやはり自分の父親が消息を絶った事実に動揺し、更にクォンツまで出て行ってしまったことで不安を感じていたのだろうが、流石侯爵家の令嬢とでも言うのだろうか。
事実を受け止め、学園に向かうアイーシャを気丈に笑顔で送ってくれた。
侯爵家が用意してくれていた馬車に乗り込んだアイーシャは、長い長い溜息を吐き出す。
「シャーロット嬢のほうが、私よりも落ち着いているように見えたわ。私の方が年上なのに、情けない……」
もし、自分にもっと力があればクォンツの助けになれたかもしれない。
強い──強力な攻撃魔法が使えれば、もしかしたらクォンツの父親探しに協力できたかもしれないのに、とアイーシャは詮無きことを考えてしまう。
「このままじゃあ……クォンツ様のお家に助けていただいて、迷惑をかけているだけの……ただの"居候"になっちゃう」
居候のくせに、と以前言われたことが頭の中に蘇り、鉛のように胸にのしかかる。
役立たずで、迷惑をかけるだけの存在になるなんて御免だ。
魔法の腕に関しては、既にこの国で魔法剣士として討伐に携わっているクォンツには及ばないだろう。
だからと言って、自分の頭脳がずば抜けて良いわけでもない。
頭の良さで言ったら、クォンツにもリドルにも及ばない。
アイーシャは、考えれば考えるほどに自分にできることなど何一つとしてない、ということに気付き、本当に自分はただの役立たずなんだ、と自覚してしまう。
「クォンツ様にたくさん助けていただいているのに、これじゃあ……」
情けなさに自分の顔を覆ったところで、馬車が止まる。
学園に到着したのだろう。
アイーシャは御者の手を借りて馬車から降りた。
アイーシャが馬車から降りて、すぐ。
「アイーシャ!」
「お姉様!?」
別々の方向からかけられた声に、アイーシャはびくり、と体を跳ねさせ振り向く。
今までは同じ馬車でやって来ていた筈のエリシャとベルトルトは、何故か今日は別々に学園に登校したらしい。
「エリシャに、ベルトルト様。おはようございます」
声をかけられたからには聞こえなかった振りは出来ない。
アイーシャは二人に振り返り、ぎこちなく笑みを張り付け、挨拶を口にする。
すぐにこの場を去ってしまおうとしたアイーシャだったが、杖を付き歩いているアイーシャを心配するようにベルトルトが駆け寄って来た。
「ア、アイーシャ大丈夫かい? その足では歩くのは大変だろう。僕の肩を支えに歩けばいいよ」
「あれ……? 今日はクォンツ様はご一緒じゃないんですね、お姉様」
二人からそれぞれ違う話題を振られてしまい、アイーシャは言葉少なにベルトルトとエリシャに答える。
「ベルトルト様、大丈夫です。一人で歩けますから……。エリシャ、クォンツ様はお休みをいただいています」
「ア、アイーシャ……」
「お休み? お体は丈夫そうでしたけど……お風邪でもひかれたのですか?」
アイーシャは早く会話を切り上げたいのに、怪我のせいで二人を振り切ることができない。
ベルトルトとエリシャがのんびりとアイーシヤに付いて来てしまう状態になってしまい、アイーシャは歯噛みした。
ベルトルトはちらちら、とアイーシャを気遣うような視線を寄越して来ているが、アイーシャはそれに気付くような素振りを見せない。
「風邪などではないわ……。私は歩くのが遅いから、エリシャもベルトルト様も先に行って下さい」
「足を怪我しているアイーシャを放ってなんておけないよ……もしよければ、抱き上げようか?」
「いえ、大丈夫です。足を怪我しているからと言って、楽をしてはいつまでたっても治りませんから」
「ふうん……。お風邪でないのなら、いつクォンツ様は学園に来られるのですか?」
「──さあ。それは私にも分からないわ」
エリシャの言葉にアイーシャは素っ気なく答える。するとエリシャは「可哀想」とアイーシャに憐れむような視線を向け、言葉を続けた。
「お姉様、可哀想……。私の家でも居候って悲しいことを言われたのに……クォンツ様のお家でも居候として扱われてしまっているんですね……。何も教えてくれないってことは、そういうことですもんね……」
いつもは気にならないエリシャの言葉が、アイーシャの心を深く抉った。
今までであれば、傷付くことなどなかった言葉だ。
それが今は、エリシャの言葉が深く深く心に突き刺さり、アイーシャの柔く脆い心を抉ってしまった。
自分自身、そう考えていたからこそ無邪気に言葉を発するエリシャに反応してしまった。
「──っ」
「!」
アイーシャの表情が歪んだことに、じぃっと隣でアイーシャの顔を見つめていたエリシャが目敏く気付いた。
(──お姉様が傷付いている!)
エリシャはアイーシャのその表情に、ぞくぞくとした快感を得る。
エリシャは自分の口元を厭な笑みの形に歪め、更にアイーシャを容赦無い言葉で刺し、貫く。
「そっかー……クォンツ様もただ単に可哀想なお姉様を助けてあげただけなんですね。ふふっ、確かにお家で、お父様やお母様にあんな風に怒られて……怪我までされちゃいそうになっているのを目の前で見ちゃったら同情しちゃいますもんね?」
でも、全部お姉様の自業自得なのに狡いですね、とエリシャはにこやかにアイーシャに言葉を放つ。
一見して「悪気が無いように見える」エリシャの言葉は、本人も笑顔でさらりと告げているために周囲の者には悪気があるようには見えない。
エリシャはちらり、とアイーシャに視線を向け更に優越感に浸る。
今まではエリシャの言葉に一切反応しなかったアイーシャの瞳が動揺に揺れていて、あからさまに傷付いている。
ベルトルトはアイーシャの怪我の事を気にしているようで、エリシャの言葉にアイーシャが傷付いていることなど一切気付いておらず、エリシャは益々笑みを深くした。
「お姉様。なるべく早く邸に戻った方が良いと思いますよ。お父様も、お母様も今だったらお姉様の無礼を許してくださると思いますし」
まるで止めを刺すように歪な笑みを浮かべたエリシャがアイーシャの顔を覗き込むようにして放った言葉に、アイーシャではない人物の声が答えた。
「アイーシャ・ルドラン嬢を子爵邸に戻すつもりはないよ」
いつからそこに居たのだろうか。
不快感を顕わにしたリドル・アーキワンデが立っていた。
「アーキワンデ、卿……」
「おはよう、ルドラン嬢。今朝は迎えに行けなくてすまないね」
アイーシャが茫然、としたままリドルの名前を呟くと、リドルは「やあ」と軽く片手を上げてアイーシャに笑顔を向けた。
学園の入り口で待ってくれていたのだろう。
リドルはアイーシャの方に向かってゆっくりと歩き近付いてくる。
リドルの後ろには、見慣れぬ学生も一緒にいて。アイーシャが同じ学園役員の者だろうか、と考えているとリドルが背後にいる男子生徒のことを話してくれた。
「情けないが、俺はクォンツ程体を鍛えていなくてね……恥ずかしい限りではあるが、ルドラン嬢を背負って教室まで行ってくれるのがこの男だ。この学園役員の一員で、トラジスタと言う」
スラッとしたリドルとは違い、体を鍛えているのが制服の上からでも良く分かる彼は、トラジスタ、と言うらしい。
リドルから紹介を受けたトラジスタは胸に手をあて、アイーシャに向かって軽く腰を折る。
「初めまして、ルドラン嬢。トラジスタ・マークナーだ。触れることを許してくれ」
トラジスタ・マークナーと呼ばれた男子生徒は、アイーシャに向かってにかっと笑い、アイーシャに背中を向けてその場にしゃがみ込んだ。
さあ乗ってくれ、と言わんばかりにしゃがんで待っているトラジスタに、アイーシャは慌てて言葉を返す。
「えっ、あ、申し遅れましたっ。アイーシャ・ルドランです! けど、本当によろしいのでしょうか?」
「ああ。勿論だよ、ルドラン嬢。クォンツから学園ではルドラン嬢を頼む、と連絡があったよ。朝の会議で迎えに行けなかったけれど、明日以降は迎えに行くから安心してくれ」
戸惑うアイーシャにリドルは否と言わせないような笑顔を浮かべ、エリシャとベルトルトにちらりと視線を向ける。
「エリシャ・ルドラン嬢。君の家には王城に登城する支度をしておいてくれ、と言った筈だが……。呑気に学園に登校している暇があるのかい? 登城は明日だぞ?」
「え? だって、準備と言っても……特に何を準備するか分かりませんし……。それでしたら学園に向かった方がいいと思いまして! 学生の本分ですから!」
エリシャはふふん、と得意気に笑顔を浮かべ自分の胸を張り、手を当てている。
何処からその自信が現れているか分からないが、リドルはエリシャを興味無さげに一瞥し、アイーシャを背負ったトラジスタと共に屋内に向かう。
リドルは呆れつつちらりと背後を振り返った。
「自分の行いを反省する、良い機会になればいいと思うが……」
ぼそり、と呟いたリドルの言葉はエリシャの耳には届くことはなかった。




