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2話


 アイーシャが自室に逃げるように戻ってから暫し。

 ルドラン子爵家の使用人がアイーシャの自室の扉をノックした。


「──お嬢様、ベルトルト様がお見えです」

「……今行くわ」


 扉を叩き、アイーシャを呼びに来てくれたのはこの子爵家に昔かは仕えてくれている使用人だ。

 アイーシャがまだ幼い頃から仕えてくれていて、即ちアイーシャの両親がまだこの子爵家で暮らしていた頃からの付き合いだ。

 その使用人、ルミアにアイーシャはお礼を伝え、部屋の外に出た。


「──ベルトルト様は、エリシャに先に会いに行ったのね……」

「……、? お嬢様?」


 ぽそり、と呟いたアイーシャの言葉は使用人のルミアには届かず、アイーシャは何でも無い、と笑顔でルミアに言葉を返した。


 サロンに通されていたベルトルトの所へ向かうと、何故かそこには義妹のエリシャも居て。


「……ベルトルト様、こんにちは」

「やあ、アイーシャ」


 ベルトルトの隣にはエリシャが座っていて、何故エリシャがここに居るのだろうかと考えているのがベルトルトにも通じたのだろう。

 ベルトルトは少しだけ眉を下げてアイーシャに向かって口を開いた。


「アイーシャ。君の妹君は僕が一人で待つ間、話し相手になってくれただけなんだ」

「ごめんなさい、お姉様。ただ……私はベルトルト様をお一人でお待たせしてしまうのが忍びなくて……」

「そうなんだよ、アイーシャ」

「……そう、ですか……。だけれどエリシャ。婚約者でもない男性をお名前で呼ぶのははしたないわ」

「ご、ごめんなさいお姉様……。怒らないで下さい……っ」


 くしゃり、と悲しげに表情を歪め、エリシャが瞳を潤ませると隣に座っていたベルトルトが慌ててエリシャを慰めにかかる。


「ごめんなさい、ごめんなさいお姉様……」

「そんな……エリシャ、泣かなくても……」


 エリシャの態度に逆にアイーシャが戸惑ってしまう。

 おろ、と視線を彷徨わせるアイーシャに、ベルトルトが困ったようにアイーシャに視線を向けた後、エリシャの肩を抱き、立ち上がった。


「アイーシャ……妹君を部屋に送って来るよ。きっと妹君も大好きな君に強く怒られてびっくりしてしまったんだろう」


 可哀想に、と小さくベルトルトが呟き、アイーシャの了承を得る前にエリシャを支えながらサロンの入口に歩いて行ってしまう。

 何故わざわざベルトルトがエリシャを送りに行く必要があるのだろうか。

 それに、強く怒ったりなどしていないと言うのに、何故自分が悪い事をしたように言われなければいけないのだろうか。

 アイーシャは、遠ざかるベルトルトとエリシャの背中をただぽつん、とソファから立ち上がった状態のまま見送った。



「──ご、ごめんなさい……っベルトルト様……。あっ、お名前で呼んでごめんなさい……っ、えっと……ケティング卿……」

「いや、無理に呼び名を変える必要は無いよルドラン嬢……。僕とアイーシャが結婚すれば、君は義理の妹になるんだから、名前で呼んでも構わないさ」


 ベルトルトはエリシャを支えながら廊下を歩き、サロンに一人残して来てしまったアイーシャを気にするように振り返ろうとしたが、エリシャが咽び泣き始めてしまい、慌ててベルトルトはエリシャに顔を向ける。


「ル、ルドラン嬢……?! ど、どうしたんだ? もしや体調が悪いのか……?」

「ち、ちが……っ、違うんです……っ」


 エリシャは自分の両手で顔を覆い、ふるふると顔を横に振る。

 ベルトルトは、どうしてこれほどエリシャが泣いているのか見当がつかず、困り果ててしまう。


「こっ、この後が……っ、怖くて……っ」

「怖い? 何故……? アイーシャが君に何かするとでも言うのか?」


 そんな馬鹿な、と言わんばかりにベルトルトがエリシャに声をかける。

 すると、エリシャは突然自分の腕をまるでベルトルトから隠すように、動いた。

 そんなエリシャの不自然な行動に、ベルトルトが「まさか」と思いエリシャが隠した腕にそっと触れる。

 途端、エリシャがびくりっ、と体を震わせ小さく悲鳴を上げた。


「──痛っ!」

「……っ、見せてくれ……っ!」


 ベルトルトはエリシャが覆った腕の部分の裾を慌てて上げると、現れたエリシャの腕を見て目を見開く。

 真っ白で、滑らかな美しい肌に、痛々しく真っ赤に腫れた蚯蚓脹れのような痕が醜く残っている。

 まるで、鞭のような物で何度も何度も強く腕を嬲った痕のようなその怪我を見て、ベルトルトは信じられない物を見るようにエリシャに視線を向けた。


「──まさか……、これ、を……アイーシャが……?」


 ベルトルトの言葉に、エリシャはぽろ、と涙を一筋零すと声も無く、小さくこくりと頷く。


「──何て、ことを……まさか、アイーシャが……」


 信じられない、と言うようにベルトルトがぽつりと言葉を落とす。

 エリシャの腕には痛々しく痕が残っており、相当強く鞭かなにかで打たなければこのような痕は残らないだろう。


「違うのです、ベルトルト様……。お姉様は、不甲斐ない私を……」

「違わないだろう……!? 例え、君が何か失敗をしたとしても、口で言えば言いものなのに! 傷を付ける事を許してはいけない!」

「──っ、怖っくて……っ。お姉様は、この家で大変な思いをしているから……っ、お辛い思いをずっと我慢しているから……っ、だから……っ、お姉様が辛い思いを私にぶつける事で……っ、少しでもお辛い気持ちが解消されるならいいんですっ、私がベルトルト様にお話した事は絶対にお姉様に言わないで下さい! お姉様にばれてしまったら、私っ、私……っ」

「ルドラン嬢……っ!」


 廊下の床に崩れ落ちそうになったエリシャを、ベルトルトは慌てて抱き止める。


「──アイーシャの、過去は知っている……。確かに、ご両親があんな事になってしまい、アイーシャの辛い気持ちは分かるが……だが、良くしてくれている君の両親や、君に対して酷い事をしても良い、と言う事にはならないだろう?」

「──……っ、ぅっ、」

「……今までよりも、頻繁に子爵邸には通おう。僕が顔を出す事が増えれば、アイーシャも君に当たる回数が減るかもしれないだろう?」

「あ、ありがとうございます……っ、ベルトルト様っ」


 ぶわり、と涙を溢れさせ、ひしっとベルトルトに抱き着くエリシャにベルトルトは僅かに頬を染めたまま、エリシャの自室にゆっくり進んだ。



 ベルトルトがサロンに戻って来たのは、エリシャを連れて出て行ってから暫く経った後だった。

 アイーシャは、ルミアに淹れてもらった紅茶を何杯か飲んだ後、戻りが遅いベルトルトを探しに行こうか、と腰を上げた。

 ちょうどその時、ベルトルトがサロンに戻ってきた。


「ベルトルト様」

「……ああ、待たせてすまないねアイーシャ」


 婚約者の義妹の部屋に向かうのに、どれ程の時間がかかっているのだろうか。

 もう直ぐ夕食の時間になる。

 折角来て貰ったが、そろそろ時間も時間なのでベルトルトには帰ってもらった方がいいだろう。

 そう考え、ベルトルトに視線を向けたアイーシャに向かって、ベルトルトは口を開いた。


「──アイーシャ……。君が辛い過去を背負っているのは知っているが……。君を慕っている妹君に当たってはいけないよ。……君も、もう少ししたら学園に入学するだろう? 学園に入学すれば学友も出来て、いい気分転換にもなるだろうから……」

「当たる……、ですか……? 私がエリシャに……?」


 ベルトルトの言葉の意味が分からず、アイーシャが思わずきょとん、とした表情を浮かべるとベルトルトは眉を寄せる。

 しらばっくれている、とでも感じたのだろうか。

 気遣うようだったベルトルトの眦がつい、と厳しくなる。


「……隠し通そうとするのはいいが……悪行は必ず暴かれる。アイーシャ、君には自分が犯してしまった事をしっかり反省し、自分の行いを見つめ直して欲しい。……それでは、僕はそろそろお暇するよ」


 冷たくベルトルトが告げ、最後はアイーシャを見ることなくソファから腰を上げる。

 ベルトルトはアイーシャの返事を聞くことなく、サロンの入口へと歩いて行ってしまう。

 ベルトルトの後ろ姿は、アイーシャの態度に呆れたような、幻滅したような。そんな感情が透けて見えて。

 アイーシャは何故、ベルトルトがそのような態度を取るのか分からないまま、それでもベルトルトを見送りに行こうとしたが、真っ直ぐ歩いて行くベルトルトは振り返ることなくアイーシャに先程よりも冷たく言葉を発した。


「──見送りは結構」


 冷たく吐き捨てるようにベルトルトからそう言われてしまい、アイーシャは何が何だか分からないまま、その場に立ち尽くした。



 サロンが見下ろせる二階。

 サロンの天井は吹き抜けとなっており、二階部分からサロンを見下ろすことが出来る。

 手摺に手を付き、見下ろしていたアイーシャの義妹エリシャはふん、と鼻を鳴らし、にんまりと口を歪めた。


「馬鹿なお姉様。お姉様の物は全部全部、私たちルドラン子爵家の物なんだから……」


 くすくす、と可憐に笑うエリシャの隣で、エリシャの母エリザベートもふん、と鼻を鳴らす。


「ええそうね、エリシャ。アイーシャが持っている物は全部全部、可愛い私達の子供であるエリシャの物ですからね。養子としてここまで育ててあげただけ、感謝して欲しいわ」

「ふふっ、ありがとうございますお母様。ああ、早くベルトルト様も私の物にしたいわ……」


 ベルトルトは、流石侯爵家の人間だからか所作が美しく、洗練されている。

 見目も麗しく、品行方正で学園内でも人気の男性らしい。

 ただ、侯爵家を継ぐ立場では無く、侯爵家の次男と言う事、そして侯爵家が財政難に陥っている事から彼に手を伸ばす令嬢はあまりいないらしいが、容姿は極上。頭も良く、正義感も強い。

 ベルトルトの前で可憐な見た目であるエリシャはアイーシャを怖がって見せた。

 暴力を振るわれている。と印象付けることが出来た。


「ベルトルト様は、今後はこの邸に来る回数を増やしてくれると言ってましたわ。ふふ、お会いするのが楽しみです」

「ええ、そうね。ベルトルト様が来られたら先ずは貴女を呼びましょう。──あんな子、ベルトルト様と会う時間は少しだけで良いわ」


 くすくす、と母と娘は笑い合いながら、下にいるアイーシャを嘲笑い続けた。


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