19話
クォンツは自分の額から手を離し、気遣うように声をかける。
「アイーシャ嬢。もしかしたら麻痺しているのかもしれないが、昔からそれが常習化してるなら、立派な虐待だ。幼少期から、ご両親が亡くなってしまった後……弟夫婦に引き取られてからのあの子爵家での生活を思い出せる限り教えてくれ」
クォンツの言葉に、アイーシャは話してもいいものなのだろうか、と一瞬言葉に詰まる。
(だって……、あの家での出来事を話して知られてしまったら……状況を何も変えられない無力な人間だ、って知られてしまう……)
アイーシャが俯く寸前、クォンツはアイーシャの頬に自分の手を添え、アイーシャと視線を合わせたまま、アイーシャに負担にならないよう、不安にならないよう言葉をかける。
「アイーシャ嬢から話を聞いても、俺はアイーシャ嬢に対して態度を変えたりしない。学園の、友人として友人が困っていたり助けを求めていたならば助けたいだけだ。だから、何も不安になることはない。アイーシャ嬢はアイーシャ嬢だろ?」
「あり、がとうございます……」
アイーシャはクォンツの言葉に、じわりと自分の視界が滲んでいく。
クォンツの言葉がじんわりと胸に染み渡り、ぽかぽかと暖かくなる。
胸が暖かくなるなんて、そんなことある訳がない、と思っていたアイーシャは人からの優しさで胸が満たされ、暖かくなり、心を守られているということに気付き涙を零しながらゆっくりと言葉を紡いだ。
途中途中、言葉に詰まりながらそれでもクォンツはアイーシャを焦らせたり急かしたりせずアイーシャが言葉を紡ぐのをただ黙って聞いてくれた。
アイーシャの口から語られる内容は、悲惨で。
幼少期の頃からそのような扱いを受けていたのか、とクォンツは奥歯を噛み締めた。
(幼い頃に両親を亡くし……それで引き取られた相手がアレだ……。昔、何かで読んだことがあるが一種の防衛反応だろう。自分の精神を保つために感情を殺して生きてきたのか)
甘えたい盛りの幼少期に、無条件で愛情を注いでくれる両親を失い、自分を引き取った人間に愛情を求めようとしたがそれは叶わず。
あろうことか、反対に自分の発言を、感情を全て拒絶されてきた。
(婚約者に愛情を求めようとした頃もあったようだが……)
その婚約者でさえも、いつの間にか周囲にいた友人達と同じようにエリシャの下に行ってしまった。
(自分の言葉を信じてもらえず、意見を否定されて来たのか……それでも良くぞここまで壊れずに生きてこれたものだな)
あの子爵家への諦めだろうか。
婚約者への諦めだろうか。
きっと、アイーシャは子爵家の人間にも婚約者へも期待などしていない。
(それならば、俺が──……)
アイーシャからの長い長い幼少期からの説明が終わり、クォンツは話し疲れてしまっているアイーシャに苦笑してソファから立ち上がる。
涙に濡れた瞳できょとん、と見上げるアイーシャの隣に座ったクォンツは、そのままアイーシャを抱き締めた。
「ク、クォンツ様っ!?」
「よしよし、俺の妹も泣いた後はこうして抱き締めて頭を撫でてやると泣き止むんだ。アイーシャ嬢も泣き止んだか?」
「いっ、妹さんと一緒にしないでくださいっ、私はもう十六です!」
アイーシャは恥ずかしがってクォンツの腕の中で暴れるが、クォンツは笑い声を上げ暫くアイーシャを抱き締めたまま離れなかった。
アイーシャの涙が収まって来た頃合に、クォンツはアイーシャを解放する。
アイーシャは真っ赤な顔のまま、素早くクォンツから離れた。
「悪い悪い。アイーシャ嬢の泣き顔がどうも妹のシャーロットと被って」
「も、もうっ」
ぶつぶつ、とアイーシャが文句を言っている横で、クォンツは逸る自分の胸の鼓動に気付かない振りをしつつ、気持ちを切り替えた。
アイーシャの隣に座ったまま「それで、だ」と切り出す。
「今のアイーシャ嬢の話を聞いた限り、アイーシャ嬢の両親が築いた財産……本来ならば実子であるアイーシャ嬢が受け継ぐ物だな。それをアイーシャ嬢に無断で家の者は使用している。財産は正式な手続きを行い、全て回収しよう。次に、妹の魔法だな。幼少期の頃から信用魔法をかけ続けられていると仮定するなら、両親は駄目かもしれない。元々実子に甘い両親だから、妹の発言を無条件で信じ込むだろう。だが、それでもやはり信用魔法の類いを発動しているならば罪は罪だな、早急に王城に召喚してもらうよう手を打つか」
すらすら、と今後について提案するクォンツに、アイーシャはただこくこくと頷くことしか出来ない。
アイーシャは今までの子爵家が「変」だったことも、自分にそのような権利があることも知らなかった。
そもそも、どの機関にどのようなことを訴えればいいのかすらも分からないのだ。
「リドルに連絡しておこう。王太子殿下に王城での審査を捩じ込んでもらう。後は、そうだな……あの子爵が十五年前から頻繁に隣国に行っていた理由を調べるか」
「え……」
「どんな理由でどんな目的で、誰と会っていたのか……いや、相手が人かどうかも分からねえな」
「お義父様が隣国に向かっていた?」
アイーシャのきょと、とした瞳にクォンツは「ああ」と言葉を返す。
少し気まずそうにしながら教えてくれた。
「まだ詳しい事は説明できないが……何もなければそれでいい」
「はい、分かりました……?」
アイーシャは首を捻っているが、クォンツはまだ不確かなことをアイーシャに告げることはできない、と口を閉ざす。
もし、万が一自分の両親が事故死ではなくて、誰かに害されていたら。
今のアイーシャはどうなるか分からない。
クォンツは後はないか、と視線を彷徨わせた後「ああそうだった」と口を開く。
「アイーシャ嬢に確認しておきたいんだが……」
「はい、何でしょう?」
アイーシャはすんっ、と鼻を鳴らし目尻を軽くハンカチで押さえた後クォンツに顔を向ける。
顔を向けた先のクォンツは、何処か緊張した面持ちで聞くのを躊躇うような、聞きたくないような、そんな神妙な面持ちで怖々とアイーシャに向かって問うた。
「アイーシャ嬢の婚約者……あの男との関係。婚約関係も解消した方がいいと思うんだが……アイーシャ嬢はあの婚約者を好いているんだ、よな……?」
クォンツの言葉にアイーシャは「婚約者」と小さく呟くと一拍遅れてベルトルトのことを思い出す。
そう言えば、ベルトルトはエリシャではなく自分の婚約者だったのだ。
以前までは妹を優先するベルトルトに悲しい気持ちを抱いていたが、それももう慣れた物になり、今では全く気にしなくなってしまっていたのだ。
アイーシャはクォンツの言葉にきっぱりと告げた。
「いいえ、ベルトルト様のことはお慕いしておりません」
「そ、そうなのか……?」
「はい。元々、ベルトルト様との婚約は政略的な意味合いが大きいと聞かされておりました。……将来、結婚するならばお互い良い関係を築ければ、と思っていた時期もございますが……今はエリシャとの仲が良いみたいですし……エリシャとベルトルト様が婚約を結び直せば良いのに、と思っていました」
アイーシャのあっさりとした態度と表情に、クォンツはほっとしたように息を付き、「ならば」と続ける。
「それなら、妹が王城で審査を受ける時に婚約を解消すれば良い。……だが、婚約解消だと癪だな……相手有責の婚約破棄をしたらどうだ? 妹に乗り換える奴なんざ、碌なもんじゃねえぞ?」
「た、確かにそうですね。今は良いとして、当時は悩みましたし……ちょっぴり傷付きましたし」
「そうだろ? 人を傷付けておいてへらへらしてるあいつが気に食わねえ。婚約破棄された側の傷くらい負ってもらわねえとな」
クォンツはにんまり、と口角を上げ嬉々としてアイーシャとベルトルトの婚約破棄についても受理されるよう、早急に手を回すことを決めた。




