13話
医務室で、クォンツと雑談を始めてからどれくらい時間が経っただろうか。
アイーシャは久しぶりに「学友」と呼べるような人と沢山会話をしていることに浮かれてしまい、色々と話してしまっていることに遅ればせながら気付いた。
「──ぁっも、申し訳ございませんクォンツ様! 私ばかり沢山話してしまって……! つまらない話ばかりですよね?」
しゅん、と申し訳なさそうに肩を落とすアイーシャにクォンツは苦笑する。
「アイーシャ嬢はあまり人と話すことに慣れていないのか? 素直で真っ直ぐな所はアイーシャ嬢の良い所だが……人を気にし過ぎるところは心配だな」
眉を下げ、まるで「しょうがないな」と優しく笑うクォンツに、アイーシャは何とも言えない感情を抱く。
「……クォンツ様が優しいからですよ。何だか、沢山話してしまいました……」
「まあ、俺はアイーシャ嬢のことを沢山知れて良かったけどな」
クォンツはそう告げると、アイーシャの座るベッドから腰を上げた。
背筋を伸ばすようにぐっ、と伸びをする。
「まあ、これで状況は理解した」
「……状況?」
ぽつり、と低く呟いた声にアイーシャは不思議そうにしながら同じ言葉を返す。
アイーシャの言葉に、クォンツは誤魔化すように話を変えた。
「いや、何でもないさ。……さて、もうそろそろ教室に戻らねえとヤバいか?」
「──あっ! そうですね、そろそろ……! 先生、手当ありがとうございました」
お礼を言われた常勤医は笑顔でどういたしまして、と返事をして二人に向かって軽く手を振る。
立ち上がろうとしたアイーシャを制し、クォンツは医務室にやって来た時と同じように再びアイーシャを抱き上げる。
「ク、クォンツ様!?」
「ああ、暴れるな暴れるな。落としちまうぞ?」
慌てふためくアイーシャと、楽しそうに笑うクォンツ。
じゃれ合うような二人を、常勤医は微笑ましく見送った。
医務室を出たアイーシャとクォンツは、授業が終わっていない時間帯だからか、人気の無い廊下をヒソヒソと小声で会話をしながら通る。
「クォンツ様、下ろして下さい私一人で歩けます……!」
「まだ足首が腫れてんのに何言ってんだ? この状態で学園中を練り歩かれたくなかったら、大人しく教室まで運ばれてろって……」
「で、ですが昨日からご迷惑をおかけしてばかりで……っ」
「迷惑なんて何一つかけられてないって」
ひそひそ、と声を落として話している内にアイーシャの教室に辿り着いた。
タイミング良く授業の終わる鐘が鳴り、教室内から学園生達が出て来る。
学園生達は、アイーシャを抱えるクォンツと抱えられているアイーシャに目を丸くしていたが、足首の治療痕を見てそれぞれ納得したのだろう。
視線は集まるが、アイーシャとクォンツに話しかけるような生徒はおらず、アイーシャはほっとした。
アイーシャを抱えて教室内に入ったクォンツは、「席は?」と短く問う。
「あそこの……窓側の二番目です」
「ああ、あそこか」
アイーシャの返事にクォンツは頷き返し、迷いなく席に向かう。
アイーシャの席に到着したクォンツは優しく椅子に座らせた。
「ありがとうございます、クォンツ様」
「どういたしまして」
笑顔を浮かべ、お礼を口にするアイーシャにクォンツも笑顔で答える。
その後きょろ、と周囲を見回すクォンツを不思議に思ったアイーシャは、どうしたのかとクォンツに問うと、疑問を口にした。
「──いや。……アイーシャ嬢の妹は同じ教室じゃないんだな」
「ええ。……エリシャは隣の教室です」
エリシャの話題を出されて、アイーシャはどきりと心臓が跳ねたが、聞いた本人クォンツは対して興味がなさそうに「ふうん」とだけ答え、アイーシャに向き直る。
「アイーシャ嬢。放課後、俺とリドルとの話し合いはアイーシャ嬢のルドラン子爵家でやろうぜ。放課後になったら迎えに来るから待っててくれ。動く時は、ゆっくり、足首に負担をかけないように歩くようにな」
「……えっ、あっ、お待ち下さ──っ、クォンツ様っ!」
クォンツは自分の言いたいことだけを告げ、アイーシャの呼び止めにひらひらと手を振り、足早に教室を出て行ってしまった。
◇
クォンツは背後から聞こえるアイーシャの「もう!」と拗ねたような、怒ったような声に楽しそうに口角を上げる。
廊下に出たクォンツは隣の教室に顔を向けた。
隣の教室。
先程アイーシャが話していた、妹のエリシャが授業を受けていた教室だ。
丁度その時、がらりと扉を開けて廊下に出て来るエリシャの姿を見たクォンツは、すっ、と無表情になった。
エリシャは、クォンツに気付くことなく、廊下の先に向かって駆けて行く。その後ろ姿はどこか浮かれているような、楽し気な様子が見て取れる。
じっと見ていると、エリシャは上位学年の教室に続く階段に姿を消した。
「……どうせ、行く場所は一つだろう」
クォンツはエリシャが向かった方向とは逆方向に体の向きを変えて歩き出す。
暫し歩いて、人気の少ない場所までやってきたクォンツは窓枠に背を預け、言葉を零した。
「調べて欲しいことがある。……十年前に起きた国内の馬車事故を全て調べてくれ」
ぽつり、と落ちたクォンツの呟きに、誰もいない筈のその場所に「御意」と声が響いた。
◇◆◇
アイーシャ・ルドランは暖かい春の日差しが降り注ぐ日に生まれた。
両親に可愛がられ、愛され、幸せに育っていた。
ルドラン子爵家は古くから続く子爵家だ。
優れた商才を持ち、先見の明があったため、貿易、経営に力を入れていて他国で流行った品を国内で流行らせることに長けていた。
貿易の益や経営で生じた利益が雪だるま式に増えていき、代々ルドラン子爵家は財産を増やし続けていた。
だが、莫大な財を築こうと代々の当主達は腑抜けることはなく、堅実に、誠実に領地を、領民を大切にし、仕事を大切にし、家族を大切にした。
下位貴族でありながら裕福さに驕ることもない、堅実な姿勢は周辺の貴族からも評判が良く、アイーシャと、両親は幸せに暮らしていた。
だが、ある日その幸せな毎日は突然終わりを迎えた。
十年前のアイーシャが六歳の頃。
両親はいつものように他国の品を買い付けに行く最中だった。
隣国の山間の地点を通過している際に崖から馬車が転落した。
かなりの高さから落下したからだろうか。両親以外にも、馬車の御者や護衛として供をしていた者達も全員が亡くなる痛ましい事故が起きたのだ。
そうして、一人残されてしまったアイーシャは父親の弟である叔父に引き取られ、叔父がそのままルドラン子爵家を継いだ。
弟ケネブは、亡き兄のようなずば抜けた才能はなかったが真面目に仕事はしている。
今のルドラン子爵は少し頼りないが、昔からの取引や付き合いがある者は生前の子爵の人柄を知っていたこともあり、現子爵が以前の子爵の弟、だと知り多少の仕事の出来なさには目を瞑ってくれている。
アイーシャの父親が当主として存在していた頃に比べれば、確実に収入は減少しているが、それでも一代で食い潰す程ではない。
そうした情報が記載された報告書を、クォンツは眉間に皺を寄せたままばさり、と眼前のテーブルに放る。
「今は、これだけか……」
クォンツは溜息を吐き出し、自分の口元に手を当て考え込む。
ルドラン子爵家のことは、調べればすぐに分かった。
古くから続く子爵家の痛ましい事件。当時は大きな騒ぎになったらしい、という所までは分かったが今はまだそれだけだ。
「くそ……っ、国内の貴族事情に目を向けてなかった俺が悪いんだが、討伐ばかりに勤しんでないでもっと内に目を向けていれば……」
起きてしまったことを、今更どうすることは出来ない。
それでもクォンツは詮無いことを考えてしまう。
アイーシャは、両親が健在の頃は良く笑い、明るい性格だったそうだ。
「話していれば、笑ってはくれるが……」
だが「今の」子爵家、今の家族の妹と会話をしている時。婚約者のベルトルト・ケティングと話している時。
アイーシャから表情が消える。
「あれは、普通じゃない……。両親が亡くなった後、アイーシャ嬢の精神に影響を及ぼす何かが起きた筈」
まだアイーシャは十六だ。
「十六歳だろ……。それなのに、あんなに感情を失ったような顔……普通じゃねえだろ。何か起きていたのは明白だ。……若しくは、現在も続いている?」
クォンツは必死に今のルドラン子爵家を思い出す。
「一応他の家との交流の場には家族で参加していたな……ぎこちなさやよそよそしさはあるものの……それは仕方ないものだと見られてきたみたいだが……」
クォンツが呟いていると、授業の終わる鐘が鳴る。
その音を聞いたクォンツは、貴賓室のソファに腰かけていたが、腰を上げ軽く伸びをする。
調査部隊に依頼してからは、クォンツはずっとこの部屋にいたが、そろそろアイーシャを迎えに行く時間だ。
「実際、この目で見てやろうじゃねえか……アイーシャ嬢がどんな暮らしをしているか……」
クォンツは報告書に火魔法で火を灯す。
途端、ボロボロと崩れ焼けていく報告書をクォンツは無表情で見つめる。
完全に燃え切ったことを確認したクォンツは、貴賓室を出てアイーシャの下に向かった。
◇◆◇
授業が終わり、アイーシャは自分の教室で帰り支度をしつつクォンツを待っていた。
授業の合間に、同じ教室の学園生達からクォンツとのことについて聞かれることはあったが、貴族が通う学園ということもあり、不躾に根掘り葉掘り聞くような人はいない。
当たり障りのない質問に、アイーシャも笑顔で答えることができた。
(もうそろそろクォンツ様が来るかしら?)
アイーシャは自分の学園用の鞄を机の上に置き、足首を庇うようにして立ち上がる。
学園に来てすぐクォンツが医務室に連れて行ってくれたお陰で、まだ多少痛みはあるが朝に比べれば幾分か楽になっている。
そうして、アイーシャが待っているとクォンツよりも早く義妹のエリシャが教室にやって来てしまった。
「──お姉様! さあ帰りましょう!」
「エリシャ……?」
笑顔を浮かべ、ベルトルトを伴いアイーシャの教室に入って来たエリシャはずんずんとアイーシャに近付いて来る。
だがアイーシャはクォンツとリドルと待ち合わせをしている。
先に帰っていてもらおう、とアイーシャは断りの言葉を口にした。
「ごめんなさいエリシャ。……それにベルトルト様。私は放課後に約束があるから、先に戻っていてくれる? あと、今日はお客様がいらっしゃるから、お義母様に伝えておいてくれるかしら?」
「──え? お姉様一緒に帰らないんですか? もしかして……朝、私があんなことを言ったから怒っていらっしゃる……? だから私と同じ馬車には乗りたくないからってそんな嘘を言うのですか?」
「えっ、えぇ……?」
何故、そんな話になるのだろうか。
突然飛躍したエリシャの言葉に、アイーシャは困ったように眉を下げると「違うわよ」と声をかける。
「そんな……怒ってなんていないわよ。本当に約束があるの。だから──」
「いいえ……っ違いますわ! お姉様は私と同じ馬車に乗りたくないからそうやって意地の悪いことを言うのですわ……! お姉様が昨日怒られて、閉じ込められたのはお姉様が悪いからなのに……っ酷いですわ!」
ぐずぐず、と涙声でエリシャが叫んだことにより、まばらになっていた学園生達の視線がアイーシャ達に集中する。
アイーシャが困り果てていると、教室の入口から声が聞こえた。
「──閉じ込めた……? それは一体どういうことだ!?」
「それが本当ならば、教育とは言え些かやり過ぎな部分があるね……事実確認をしなくてはいけないんじゃないかい?」




