12話
「ク、クォンツ様……!?」
「おう」
アイーシャが驚き声を上げると、クォンツはにこやかな笑顔を浮かべながらアイーシャに向かって手を上げた。
太陽に照らされたクォンツの笑顔がキラキラと輝いていて、アイーシャは無意識に目を細める。
アイーシャの背後では、嬉しそうに「クォンツ様!?」と声を上げるエリシャがいるが、昨日クォンツとリドルに冷たい視線を送られてしまったベルトルトは、息を殺し、静かにアイーシャとクォンツの様子を窺っている。
「昨日の件で、話したいことがあったんだが……」
クォンツが笑みを浮かべたままアイーシャに向かって近付いてきたところで、ふ、とアイーシャの様子を見て違和感を覚えたクォンツがアイーシャの足元を見た瞬間。
笑みがふっ、と消え無表情になった。
顔立ちの整った人間が無表情になるとこれほど恐ろしいのか、とアイーシャが体を震えさせていると、クォンツが眉を寄せながら唸るように声を発した。
「アイーシャ嬢、その足は? 何で怪我してんだよ……。そっちの足は昨日の怪我とは違うだろ……しかも腫れてやがる……」
「……あっそのっ、これは……っ」
恐ろしいほど冷たい声を発したクォンツに、アイーシャが何と説明しよう、と口ごもってしまった瞬間。
何を思ったのか、エリシャがアイーシャをぐいっ、と押し退けクォンツに話しかけた。
「クォンツ様っ! この怪我はお姉様が悪いことをして、お母様に怒っていただいた際に負ったのですわ! ふふっ、あの時のお姉様……っ、転んじゃいましたもんねっ」
悪いことをしたのだから仕方ない、と自信満々に告げるエリシャ。
クォンツはエリシャに押し退けられ、体勢を崩して馬車の扉に凭れかかったアイーシャに手を伸ばす。
「アイーシャ嬢、抱き上げるぞ。暴れるなよ」
「──え、あ……きゃあっ!」
馬車のステップに足をかけたクォンツは、エリシャには何も言葉を返さず、アイーシャを自分の腕で抱き上げると馬車からさっさと降りてしまう。
「アイーシャ嬢の妹は鳥頭か……? 昨日言われた言葉も覚えていないのか?」
「エ、エリシャがまた申し訳ございません……」
「アイーシャ嬢が自分で怪我のことを説明してくれないと、あれの言った通りかどうか……俺はユルドラークの力を使って調べることになるが……いいのか……?」
「言います! ご説明しますっ!」
わざわざユルドラークの力を使い調べる、と口にしたということは。
ユルドラーク侯爵家がルドラン子爵家に調査隊を派遣し、昨日の件について調べると言ったも同然である。
犯罪行為があった訳でもなく、ただの家庭のいざこざでそのような調査隊を派遣してもらう訳にはいかない、とアイーシャは慌てて辞退したが、クォンツはひっそりと心の中でルドラン子爵家についても調べてみるか、と呟いた。
◇
傍から見れば、ぽんぽんと軽口を叩き合いながら仲睦まじく去って行くアイーシャとクォンツの後ろ姿。
二人の後ろ姿を、エリシャは悔しそうに唇を噛みながらじっとりと見つめた。
エリシャの横にいたベルトルトは、そわそわと落ち着きなくアイーシャを見やったり、エリシャを見やったり、と視線を交互に移しているがようやっとエリシャに向かって話しかけた。
「エ、エリシャ嬢。ユルドラーク卿を名で呼んではいけないよ……昨日言われただろう? それに……怪我をしてしまったアイーシャをあのように……馬鹿にするように笑ってはいけない」
「酷いわっベルトルト様……っ! ベルトルト様だってお姉様が悪いんだから、怪我をしてもしょうがないね、って言ってくれたじゃありませんか!」
「そっ、そうは言ったが……、怪我をして痛がる人を馬鹿にするようなことをしてはいけないよ……!」
「酷いっ! 何でそんなこと言うんですかベルトルト様! 私が、私が悪いって言うんですか……っ長年……っ、ずっとお姉様に辛い目に合わされてきたのは私なのにっ、私に酷い仕打ちをしたお姉様に、やっと神様がやり返して下さっているんです!」
エリシャは自分の魔力を言葉に宿らせ、ベルトルトに言葉を投げ続ける。
「ベルトルト様、私が今まで辛い思いをしてきたこと。ずっとずっとお話を聞いて下さっていたベルトルト様なら、分かって下さいますよね……?」
「あっ、ああ……。エリシャ嬢の言うことは分かる、けど……」
ベルトルトはエリシャの言葉に肯定はしつつ、行ってしまったアイーシャの姿をいつまでも探すように道の先に視線を向け続けた。
◇◆◇
スタスタ、と軽やかに歩く足音がしん、と静まり返った廊下に響く。
廊下を進んで行くクォンツの腕の中で、アイーシャは恥ずかしさに自分の顔を両手で覆っていた。
昨日に引き続き、今日もこうしてクォンツに抱き上げられ学園内に入ってしまった。
(す、凄く注目されていた……っ)
学園生から何事だ、と注目されてしまいアイーシャはこの後のことを考え、憂鬱になってしまう。
また昨日のように色々と質問責めに合ってしまうのだろうか、とアイーシャが遠い目をしていると、目的地に着いたのだろう。
クォンツは軽く声をかけた。
「先生、いるか?」
そして昨日と同じように行儀悪く、足で扉を開けながら室内に入る。
アイーシャが周囲に視線を巡らせてみれば、そこは昨日クォンツに連れて来てもらった医務室で。
昨日の常勤医がアイーシャとクォンツの姿を見て驚き、抱えられたアイーシャの足元を見て、眉を顰めた。
「酷い怪我じゃないか、取り敢えず早くベッドに座らせてくれ」
「分かった」
常勤医の言葉に頷き、クォンツはベッドに足を進め、アイーシャを座らせる。
「あ、ありがとうございますクォンツ様」
「礼なんていらない。怪我してんだから今日は休めば良かったのに……」
「で、でも……放課後にクォンツ様とアーキワンデ卿とお約束があったので……」
「それなら、俺とリドルがアイーシャ嬢の邸に行ったっていいんだしな」
さらっ、とそう口にするクォンツにアイーシャは反射的に表情を曇らせた。
アイーシャのその変化にクォンツは違和感を覚え、瞳を細めて真剣な声音で問う。
「──その怪我をした経緯、話してもらってもいいか?」
正直に話さないと、クォンツは本当に侯爵家の調査隊を派遣してしまいそうだ。
クォンツの表情、声の真剣さからアイーシャは感じ取り、観念したように一度瞳を閉じてからゆっくりと怪我をしてしまった理由を説明した。
アイーシャが怪我の理由を全て話し終え、それまでただ黙って静かに聞いていたクォンツが不快感を顕に顔を歪めている。
「……質問していいか?」
「も、勿論です!」
クォンツは暫く難しい顔をして黙っていたが、ぱっとアイーシャと視線を合わせ、アイーシャを気遣いつつ優しく話しかけた。
アイーシャが話をしている内に常勤医の手当も終わっていて、常勤医は黙って椅子に座り控えめに二人に視線を向けている。
「まず、足の痛みは大丈夫なのか? 無理して学園に来て悪化してるだろう? ……帰宅するなら送るぞ」
「ありがとうございます。先生にしっかり手当していただきましたし、今は痛みはありません。この後の授業はしっかり受けます」
「そうか。無理はせず、な……。それで、アイーシャ嬢の両親は、その……かなりアイーシャ嬢に厳しいが……なぜアイーシャ嬢の妹の話を鵜呑みにして疑いもしない……? あの婚約者もそう、だよな?」
「それ、は……」
アイーシャは一瞬だけ言葉に詰まったが、ルドラン子爵家の状況は隠していても調べれば直ぐに分かる。
下位貴族であるアイーシャの子爵家のことを知らなかったクォンツも、調べれば簡単に分かるだろう。
あの家で、自分だけが「家族」ではないことは、クォンツやリドルにはきっと隠し通せない。
だから、アイーシャは素直に説明することにした。
「私のお父様とお母様は……幼い頃に馬車の事故で亡くなっております。今のお義父様とお義母様は、私のお父様の弟──叔父、です。叔父であるケネブ様が、当時まだ六歳だった私を養子として迎えて下さり、ケネブ様が子爵家の爵位を継ぎました」
「なるほどな……。それで、叔父夫婦がそのままアイーシャ嬢の親になったが……自分の娘可愛さにアイーシャ嬢に酷く当たっている、って訳か」
クォンツは納得したように答える。
そして痛ましげに眉を下げ、アイーシャに向かって言葉を続ける。
「……暴力は、日常的に振るわれてんのか? 先日も思ったが、体重が軽すぎる。飯も、抜かれてんのか?」
「そっ、そんなことはございません! 今まで手を上げられてしまったことは殆どなくて! それに、ご飯もきちんといただいています!」
アイーシャはぎょっとし、慌ててぶんぶんと首を振りながら否定する。
嘘はついていない。
子供の頃以外では暴力を振るわれたことはないし、ご飯だって滅多なことでは抜かれない。
昔、子供の頃は軽く叩かれたりしたことはあるし、ご飯も何度か抜かれてしまったことはあるが、ここ最近は本当になかったのだ。
アイーシャの様子を黙ってじぃっと見ていたクォンツは、些か違和感を覚えたが「そうか」とだけ発し、言葉を続けた。
「だが、アイーシャ嬢の子爵家が異常なのは俺でも分かる。自分の子供可愛さに贔屓したりするのは……まあ人間だからな、ある程度は理解できる。だが、アイーシャ嬢に対する妹の態度と婚約者の態度を見ていると……出会ってまだ日も経っていない俺でも変な家だ、と分かるぞ」
「えっ、ええ?」
「アイーシャ嬢は感覚が麻痺しているんじゃねえか? おら、まだあるだろ。洗いざらい全部吐け。幼い頃のことも、全部な」
喋っちまえ喋っちまえ、と軽い調子でぽんぽんと質問してくるクォンツにつられて、アイーシャもその質問にするする、と答えていってしまう。
その様子を二人から少し離れた場所で見ていた常勤医は、クォンツを見つめながら末恐ろしい、と独り言ちる。
(あれほど自然に、違和感無い誘導尋問は初めて見たな……)
常勤医は、クォンツの巧みな話術に楽しく会話をしながらぽろぽろとクォンツが欲しているだろう情報を口にするアイーシャに、哀れむような視線を送ったのだった。




