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10話


「お見苦しい姿をお見せしてしまい、大変申し訳ございませんでしたクォンツ様、アーキワンデ卿……」


 ベッドの上で、アイーシャは深々と頭を下げる。

 クォンツは「気にするな」とでも言うようにアイーシャの頭を乱暴に撫で、リドルは「大丈夫だよ、災難だったね」と優しく微笑んでくれる。


「それにしても……何でアイーシャ嬢の婚約者はあんな……礼儀知らずな妹の言葉を信じるんだろうな……あれは礼儀だけじゃなく常識も知らねえだろ」

「こら。ルドラン嬢の妹君だぞ、もう少し言葉を選べクォンツ」


 クォンツのはっきりとした物言いに、リドルが呆れたようにクォンツの頭を叩いている。

 だが、クォンツの疑問は尤もだ。

 アイーシャも、何故ベルトルトは疑いもせずエリシャの言葉を受け入れているのだろうかと疑問を抱く。。

 三人で首を捻っていると、三人から離れていた常勤医が「あの」と遠慮がちに声を発した。

 アイーシャは長々とこの場所を占有してしまっているから叱られてしまうのだろうか、と慌てて謝罪を口にする。


「も、申し訳ございません先生! このような騒ぎを起こしてしまって……お仕事に戻れませんでしたよね?」


 アイーシャが申し訳なさそうに告げると、常勤医はふるふると首を横に振り大丈夫だ、と示す。


「その、それよりも気になることが……」

「え?」

「その……ルドラン嬢の妹君が、少し前から魔力を放出し始めていたのですが、皆さん気付いておられない?」


 常勤医からの信じられない言葉に、アイーシャは勿論。

 クォンツも、リドルもぎょっと目を見開いた。


◇◆◇


 それから、時間が過ぎるのは早かった。


 あの後、常勤医の話を聞いたクォンツとリドルは難しい顔をして手短に「調べる」とだけアイーシャに告げた。

 アイーシャが医務室で休んでいる間に、リドルがエリシャとベルトルトが早退したことを教えてくれた。

 あの二人が医務室に来る危険がないと判断されたため、クォンツとリドルは調べ物のためにアイーシャと別れた。


 その調べ物には時間がかかるかもしれないが、進捗があり次第三人で情報を共有することにした。

 明日、アイーシャはクォンツとリドルと放課後に学園の中庭で落ち合う。

 クォンツとリドルが医務室を去る際に、この後家に戻るアイーシャの身を心配してくれたが、アイーシャは「大丈夫だ」と笑顔で二人に告げ、アイーシャは午後から授業に復帰した。


 自分の教室に戻るなり、同じ教室の生徒達からは興味津々、といった様子でクォンツのことを聞かれたが、当たり障りのない言葉で上手くはぐらかす。

 たまたまその場に居合わせて助けてくれただけだ、と言うアイーシャの言葉を信じてくれて、学園一日目はエリシャが暴走した事以外は、本当に穏やかに過ぎた。

 だが、学園の授業が終わりに近付くにつれ、アイーシャは自分の気持ちが落ち込んでくるのを自覚していた。


 ──家に帰ったら。きっと義母に叱られる。

 ――エリシャが早退した理由をエリシャ本人に聞かされ、怒りを募らせているかもしれない。


 アイーシャの頭の中にはその考えだけがぐるぐると回り続けていた。


◇◆◇


 学園の授業終了の鐘が鳴り、学園生達が次々と席を立つ。


(帰らなきゃ……)


 アイーシャはずん、とのしかかる重たい気持ちに溜息を零しながらのろのろと帰宅の準備を始める。

 嫌な時程、帰り支度が早く済んでしまうもので。

 早々に支度が済んでしまったアイーシャは、覚悟を決めたように鞄を掴んだ。


 学園の馬車停めで待っていた迎えの馬車にアイーシャは乗り込む。

 走り始めた馬車の窓をぼんやりと見つめる。

 エリシャとベルトルトが早退し、もしかしたら迎えの馬車が来ていないかもしれない、と心配していたのだが、馬車の御者はアイーシャを迎えに来てくれた。


(良かったわ……徒歩なんかで帰ったら、何時間もかかっちゃうから……)


 アイーシャは、馬車に揺られながら子爵邸までの帰り道を外を見て過ごした。




「お嬢様、到着致しました」

「ありがとう」


 馬車が小さく揺れ、止まる。

 御者の声と、差し出された腕に礼を告げ、馬車から降り立つ。

 玄関に向かって歩き、邸内に入った所で怒声が響いた。


「アイーシャ! 良くも厚かましく戻って来られたわね!」

「……っ」


 玄関ホールに響き渡った声──。

 エリシャの母親であり、アイーシャの義母エリザベートの怒りに満ちた声音に、アイーシャは恐怖で硬直してしまった。

 するとガツガツと足音荒くエリザベートがアイーシャの近くまで近付いて来て、右腕を力いっぱい振り抜いた。


 ──バチン!


 と、大きな音が鳴り響き、アイーシャは強い衝撃に玄関ホールに倒れ込んだ。

 じんじん、と痛む頬にアイーシャは呆然としながらその箇所を手のひらで覆う。

 次いで口の中にじわり、と血の味が広がり、アイーシャは口内に満ちる鉄の味に眉を下げて自分を叩いたエリザベートを仰ぎ見た。

 エリザベートは続けてアイーシャの頬を打とうと腕を振り上げたのだが、その瞬間。


「し、子爵夫人……!」


 玄関ホールの大階段の上から、焦ったような声が聞こえ、バタバタと慌てて降りて来る足音が聞こえる。


(──何で、いるの……)


 アイーシャはその声の主──ベルトルトの声に眉を顰めた。

 エリシャを送った後、まさかそのままルドラン子爵邸に滞在していたとでも言うのだろうか。


婚約者(わたし)がいないのに……?)


 アイーシャがそう考えている内に、ベルトルトが階段を降りアイーシャの側に駆け寄った。


「ア、アイーシャ……大丈夫か……」

「平気、です」


 まるでアイーシャを心配するような、気遣うようなベルトルトにアイーシャは叩かれた自分の頬が見られないように顔を逸らす。

 ベルトルト本人も、まさかエリザベートがアイーシャを叩くとは思わなかったのだろう。

 帰って来たアイーシャを物凄い勢いで叩いたエリザベートに、ベルトルトは自分の頭の中が混乱していた。


(エリシャ、が……きっと学園から帰って来たアイーシャは夫人に口答えをする、と言っていたから……だから僕は、アイーシャを諌めよう、と思ったのに……)


 だが、実際目の前で行われたのは。

 エリザベートによる、アイーシャへの殴打である。


「しっ、子爵夫人……! いくらアイーシャが悪いとは言っても、手を上げるのは些かやり過ぎかと……!」

「あら? それならばケティング卿はエリシャがこの子に傷付けられても耐えろ、とでも言うの? この子が好き放題しても、エリシャが常に耐え続け、嫌な思いも何もかも飲み込め、とでも!?」

「そ、そうは言っておりません……っ! 手を上げるのがっ、やり過ぎではないか、と……!」


 頭に血が上り、興奮しているエリザベートにベルトルトはこれ以上自分が何を言ったとしても無駄だ、と考えた。

 取り敢えずアイーシャを助け起こさねば、とアイーシャに振り返る。

 だが、アイーシャはベルトルトの助けを得る前に自分自身で既にその場に立ち上がっている。


「ア、アイーシャ……」

「お騒がせしてしまい、申し訳ございませんベルトルト様。……どうぞエリシャの下にお戻り下さい」


 アイーシャが喋る度に、開く唇が血で滲んでいる事にベルトルトは気付き、慌てて自分の懐からハンカチを取り出す。


(い、いくらアイーシャが悪い人間だ、と言っても……令嬢が血を流しているのを見過ごす訳には……)


 ベルトルトがあわあわと慌てながらハンカチをアイーシャに手渡そう、とした所で階段の上からエリシャのか弱い声が聞こえて来た。


「──お母様もう良いのですっ、お姉様が怒るのは、私が愚かだったからなのです……っ」

「けれど、エリシャ! この子は居候の分際で……っ、我が子爵家の金銭で世話をしてあげていると言うのに感謝もせず、ましてやエリシャ貴女に恥をかかせたのですよ! 厳しく躾けなければ……!」

「お母様……っ! 止めて下さいっお姉様のせいでベルトルト様が困っておりますわ……!」


 エリシャはわっ、と泣き声を上げ階段の手摺にずるずるとしがみつき床にへたり込んでしまう。

 ベルトルトは、混沌と化した邸内の空気にどうしたものか、と茫然としていると玄関扉が開く音がした。


「何事だ、この騒ぎは。……おや、ベルトルト卿ではないか? エリシャに会いに?」

「お、お邪魔しております。ルドラン子爵」

「──あなた! あの子をっ、アイーシャを閉じ込めて! アイーシャは学園でエリシャに恥をかかせたのよ!」

「なに?」


 朗らかにベルトルトに挨拶をしていたこの邸の主人――ルドラン子爵であるケネブは、妻エリザベートの言葉に、頬を打たれたせいで真っ赤になった頬を抑えるアイーシャを冷たい目で見下ろし、邸の使用人を大声で呼ぶ。


「おい! あれを入れておけ……! 朝まで食事は抜きだ、勝手にあれに食事をやった者は解雇するからな!」

「か、かしこまりました。お嬢様、行きましょう……」


 ケネブの言葉に、固唾を飲んでハラハラと成り行きを見守っていた使用人がさっ、とアイーシャに近付きアイーシャにさりげなく肩を貸して支えながら玄関ホールから遠ざかって行く。


「アイーシャ……」


 ベルトルトは、何も言わず諦めたような表情で去って行くアイーシャに、唖然としたままで。

 アイーシャを追うことも、肩を貸す事もできずただ立ち尽くしていた。


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