表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/96

1話



 あの日は雨風が激しい日だった。

 両親が、親戚の領地へと向かっていたある日。

 嵐のような天候の時に、「それ」は起きて両親は帰らぬ人となってしまった。




◇◆◇


「──アイーシャ! アイーシャ!」


 階下から怒鳴り声が聞こえ、赤紫の躑躅(つつじ)のような髪の毛がびくり、と震える。

 次いで宝石のエメラルドのような瞳が怯えたようにうろ、と揺れた。


 アイーシャ、と呼ばれた少女は金切り声で自分の名前を叫ぶ女性の下に恐る恐る向かった。


「──お、お呼びでしょうか……お義母様……」


 アイーシャがサロンの扉から恐る恐る顔を出すと、アイーシャの姿を見付けた義母──エリザベートは元から吊り上がっていた眦を更に吊り上げてアイーシャに向かってカップを投げた。

 ガシャン! と音を立て、床に叩き付けられたカップの破片が散らばる。

 サロンの中にいた使用人達がアイーシャを気遣うような表情を浮かべるが、アイーシャは小さく首を横に振り、制す。


(お母様が愛用していたティーカップだったのに……)


 アイーシャは心の中で呟くが、エリザベートに歯向かう事など出来やしない。

 歯向かえば最後、アイーシャはこの家から追い出されてしまうだろうと言う事は分かっていた。


「アイーシャ! 貴女、またエリシャに向かって自分の魔法の能力をひけらかして、エリシャを傷付けたわね!」

「お、お義母様……! 私はエリシャに対してそのような事は……!」


 アイーシャ自身にそんなつもりは一切無かった。そのため、咄嗟に言い返す。

 エリシャが何をどう義母に言ったのかは分からないが、「お義姉様はどんな魔法が使えるの?」と聞かれたから答えたまでで。

 そして、「見てみたい」と言われたから簡単な、初歩的な魔法を発動しただけだ。


「黙りなさい、アイーシャ! 貴女は、エリシャに対してどうしてそう酷い事が出来るの……!」

「……申し訳ございません」


 これ以上何か言っても義母は怒り続けるだけだ、とアイーシャは弁解する事を諦め、ただ只管に謝罪を口にする。

 先程投げられてしまい、割れてしまったのはアイーシャの母親の愛用していたカップだ。



 このルドラン子爵家には、アイーシャの父親と母親の思い出が沢山残っている。

 これ以上、義母のエリザベートを怒らせ思い出の品達を壊されてしまったり、捨てられてしまっては困る。


 アイーシャが幼い頃に、馬車の事故で両親を失ってしまってから十年。

 アイーシャの父親の弟がアイーシャを養女として引き取り、子爵位を継いだ。

 ルドラン子爵家にはアイーシャしか子供が居らず、嫡子である男の子も居ない。幼かったアイーシャには婚約者も居なかった事から、アイーシャの父の弟、ケネブが子爵家の跡を継いだが貿易で莫大な財産を築いていたルドラン子爵家の膨大な財産は湯水の如く、弟夫婦に使われてしまっていた。

 弟夫婦は実子であるエリシャが欲しがる物を何でも与え、甘やかし、我儘を全て許して来た。

 それでもまだまだルドラン子爵家の財政は大丈夫そうなので、本当に相当な財産を蓄えていたのだろう。


 だが、アイーシャの両親が築いた財産はアイーシャには殆ど使用される事は無く、必要最低限、ドレスや宝飾類を購入する為だけにアイーシャに使用されている。

 アイーシャがルドラン子爵家の中で蔑ろにされていないよう、最低限そう見えないだけの体裁を保たてさせている。



 サロンから追い出されたアイーシャは、とぼとぼと廊下を歩きながら自室へと向かう。


「──あと、ちょっと……。あと少しだけ我慢すれば……そうすれば学園に入学出来る……。それに、学園を卒業すれば……ベルトルト様と結婚する事が出来る……」


 アイーシャには一つ年上のベルトルト・ケティングと言う婚約者が居る。

 十七歳のベルトルトは、ケティング侯爵家の次男でアイーシャと結婚後、子爵家に入り跡を継ぐ予定である。

 ケティング侯爵家は、ここ近年はあまり財政状況が良くなく、資金繰りに奔走していたらしい。

 そこで、その侯爵家に目を付けたのがアイーシャの義母と義父である。


 子爵家の潤沢な資産でもって援助する変わりに、ベルトルトとの婚約をもぎ取ったのだ。

 高位貴族である侯爵家。

 高位貴族と縁を結びたかった弟夫婦の思惑と、領民を飢えに苦しませる訳にはいかない、と考えた侯爵家の当主が頷いた事により、アイーシャと侯爵家次男のベルトルトの婚約は相成った。


 だが、弟夫婦は実子のエリシャとベルトルトを婚約させたかったようだったが、まだ十五歳と言うエリシャよりも一つ年上のアイーシャを息子の婚約者として望んだ為、アイーシャがベルトルトと婚約を結んだのだが、それも義母の怒りに火を付けたようだった。

 それからは義母、エリザベートの八つ当たりとでも言うような態度が酷くなりアイーシャに当たり始めたのだ。



 アイーシャが自室に戻る途中。

 義妹であるエリシャの自室の前を通りかかった時。

 中からクスクスと機嫌良さそうに笑う声と、エリシャの侍女の笑い声。


 ──そして。

 何故か、アイーシャの婚約者であるベルトルトの笑い声が聞こえて来て、アイーシャはぴたり、と部屋の前で足を止めてしまった。


 穏やかで、優しげなベルトルトの声。

 相手を慈しむようなその声が、何故自分の義妹の部屋から聞こえて来るのだろうか、とアイーシャは薄らと開かれている義妹エリシャの部屋の扉からそっと中を窺った。

 年若い男女が二人きりで過ごさないように、侍女を同席させ、そして部屋の扉を開けて歓談しているのだろう。


(けれど、私室でなんて……っ)


 婚約者が居ながら、他の女性の私室で会うなど許される行為では無い。

 アイーシャはドキドキと早鐘を打つ心臓を何とか落ち着かせながらそっと隙間から中を覗く。


「──ふふっ、ベルトルト様はとても面白いですのね」


 エリシャの部屋から、エリシャの甘い声が聞こえて来て、アイーシャは思わず眉を寄せた。

 他者の婚約者を名前で呼ぶなど、とアイーシャが考えていると、エリシャはベルトルトに向かって少しばかり沈んだ声音で言葉を紡ぐ。


「ベルトルト様は……こんなに優しくて……素敵なのに……」

「──ルドラン嬢……?」


 しゅん、と沈んだエリシャにベルトルトは心配そうに声を掛ける。

 自分を心配し、体を寄せてくれたベルトルトにエリシャはきゅう、と眉を下げて瞳を潤ませて唇を噛み締める。


「お姉様は、私が魔法も上手く使いこなせない妹だから……っ、情けなくていつも……っ」

「──いつも……? アイーシャが何かルドラン嬢にしているのかな……?」

「──っ、! ち、違います……っ! お姉様は何もっ。私が至らないせいですわ……!」


 エリシャはベルトルトに向かってまるで姉を庇うかのような表情、声音、態度でそう告げる。

 その態度は誰が何処からどう見ても不自然で。

 その不自然さに、アイーシャの婚約者でもあるベルトルトも眉を寄せる。

 何か、姉妹の間にあるのだろうか、と思わず疑ってしまう程のエリシャの態度にベルトルトは考え込むように自分の口元に指先を持って行った。

 そのベルトルトの様子を見たエリシャは更に悲しげに表情を歪ませると、涙をほろほろと流し、ベルトルトに縋り付く。


「何でも無いのです、本当に……っ。ですからどうかこれ以上考えないで下さいまし……っ」

「──ル、ルドラン嬢……っ」


 ベルトルトの胸元に縋り付いて来たエリシャに、ベルトルトはわたわたとしている。

 泣いている少女を乱暴に引き剥がす事も出来ず、躊躇いながらそっとエリシャの背中に腕を回し、慰めるように、落ち着かせるように手のひらを背中に当てて落ち着かせている。


 婚約者が、自分の義妹と抱き合っている光景を見てしまい、アイーシャは呆然としてしまう。

 いくら義妹が泣き出したとしても、胸に抱き慰めるなど些かやり過ぎでは無いのだろうか。

 ベルトルトは困り果てたような表情ではあるが、エリシャを自分から引き離す事はせず、抱き止めている。

 自分の知らぬ所で、婚約者は今までもこうして義妹と会い、話し、接していたのだろうか。

 アイーシャがそう考えてしまっていると、ベルトルトの腕の中に居たエリシャがまるでそこにアイーシャが居るのを分かっているかのように顔をちらりと向けた。


「──っ、」


 そして、にたりと口端を厭らしく吊り上げてベルトルトへ更に体を寄せた光景を見てしまったアイーシャは、その光景から逃げるように顔を背け、廊下を足音を立てぬように足早に通り過ぎた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツギクルバナー
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ