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8話「勝者を決める世界」

 一面雪景色の森の中、服が汚れている一人の女の子が、木の幹に背中を預けてぐっすりと寝ていた。名をエノキ・ユキノシタという。

 凍えるような寒さの中、エノキはまるで毛布に身を包んでいるかのような暖かそうな表情で、夢の世界へと意識を旅させていた。冬眠しているわけでも、ましてや死んでいるわけでもない。

 雪が頭の上に降り積もっているのだが、エノキの髪が白いために、ぱっと見では積もっていることに気が付くことができなかった。

 森の中を風が吹き抜けて、エノキの髪や汚れの付いた服を揺らす。エノキは、それによってようやく目を覚ました。


「ん……」


 赤と青のハイライトのないオッドアイが、まぶたの下から現れる。かなりの時間寝ていたはずだが、まだ少し眠そうだった。伸びをして、むりやり体を起こす。

 潤った目を手で拭うと、頬を涙が伝っていることが分かった。


「あれ……まだ残ってたんだ。まあ、予熱みたいなものだし、気にしなくていいや」


 エノキは頬も手で拭うと、側に置いてあった白いミニベレー帽を被って立ち上がる。小さな白色のバッグを肩から腰にかけてかけると、


「まずは洗おう……」


 旅によって汚れたすっかり汚れてしまった服を洗いに、川へと向かうことにした。

 少しばかり森の中を彷徨(さまよ)っていると、縦長の開けた空間が出てくる。そこには、深く広い流れの強い川が流れていた。

 エノキは服を洗うために、川へと近付く。途中で足の感覚がじゃりじゃりとしたものに変化したことから、雪の下には石が散らばっていることが分かった。

 エノキは、川の手前まで来ると、ベレー帽や鞄を地面に置いて、靴を脱ぎ始めた。靴を脱ぐと今度は靴下を、靴下を脱ぐと今度はセーラー服を脱ぐ。


「よし……」


 それらを脱ぐと、スクール水着が服の下から姿を見せた。カラーは紺色で、スカートの付いたタイプだった。

 脱ぎ終わると、汚れの付いたそれらを、川の()んだ水へと浸して、ごしごしと洗う。本来であれば繊維が傷付いてしまうので推奨されないが、エノキの服は丈夫なので、とくに問題は無かった。

 洗ううちにどんどん汚れが落ちていき、元の黒セーラーへと戻っていく。洗い終わると、服や靴を畳んで置いた。


「やっと綺麗になった……。これで、心置きなく旅ができる。さて、どうしようかな……」


 エノキは、これからどうするか方針を考える。学校で勉強をしたり、ひたすら休養を取ったり、散歩をしたり、人々と交流を取ったり。毎回目的を決めているわけではないが、世界に来る度その目的は異なる。

 エノキは、この世界で自分に何ができるのかを熟考した。

 やがて、


「──よし、前の世界で少し疲れたし、休もうかな……」


 エノキは旅の目的を決めた。そうと決まれば話は早い。休養という目的の遂行のために、エノキは人間の住む地へと赴くことにした。


「んー、でも歩くのが面倒だなあ……。せめて森を出るまでは楽したいし……。あ、そうだ」


 エノキは、畳んだ服や靴を胸の前で抱えるようにして持つ。そして、森の中を突っ切るように流れる勢いの強い川へと両足を浸す。川は深くて、地に足が到底つくとは思えないほどだった。

 両足を川の中へ浸したら、あとはそのままお尻を滑らせて、川の中へダイブした。少し潜った後、エノキの体が浮かんできて、仰向けの体制になる。川の中を流れる流しエノキの完成だ。


「うん、寒中水泳は素晴らしい。冷たい水が気持ちいなあ……」


 歩くのが面倒なエノキは、このまま真冬の雪の中、冷たい川の水に流されて目的地を目指した。


     *     *     *


 十数分ほど流れていると、エノキの視界の両端から、鬱蒼(うっそう)とした木々の葉が消えていく。灰色の暗い雲と、降り積もる真っ白い雪のみが、一面に広がった。

 エノキは、抱えていた服達を地面へとぶん投げて、仰向けの状態から百八十度体を旋回させて、前半身の側を地面へと浸す。

 そこから両手で地面を掴んで、片足を川から引き上げると、そのままぐるりと転がって、地面へと上がった。


「ふう……。ここから人間の住む場所を探しそうかな」


 エノキは立ち上がって、軽く手足や髪をばたばたと振って、水をある程度落とす。風がドライヤー代わりになって、よく乾いた。自然乾燥だが、こればかりは仕方がない。

 それが終わると、少し歩いて先ほどぶん投げた服を回収しに行く。服などに関しては、十数分の漂流によってすでに乾き切っていた。

 再び黒のセーラー服を着て、白いミニベレー帽を被って、鞄を肩から腰にかけた。いつもの状態で、一面雪景色の中へと歩いていく。

 旅の始まりだ。


「最悪雪布団に包まれて冬眠するしか休む道はなさそうだね……」


 景色は元は野原だったのか、本当に真っ白い雪しか見えなかった。木は一つも生えておらず、ひたすら景色に変わり映えが無い。まるで砂漠のようだった。

 歩く度に雪に足を取られて、思うように歩くことができない。歩行速度はいつもより遅く、景色にも変化が訪れることがないので、どれだけ歩いても進んでいる気がしなかった。


「景色が変わらないとだれてくる……。ずっと流され続けるべきだったかな……?」


 しばらく歩き続けて、エノキは野原を突っ切る選択を後悔し始めていた。

 最初に転移した場所が森だったので無理もなかったが、この世界はどうやら、人間などの文化を形成する生物の影響が広範囲まで及んでいないようだ。

 建築物などは見当たらないし、雪のせいで生物もいないし、景色の彩りが見られるわけでもない。

 旅とは、変化を追い求め続けることでもある。だがそれと相反して、状況はまったく変化していない。エノキの心は退屈に満ちていた。

 しかし程なくして、ある物が地面に転がっていることに気が付いた。

 ゴッ……。


「あれ……?」


 雪を踏むのとはまったく違う感触。かと言って、土を踏むともまた違う謎の感覚がエノキの足に伝わった。

 視線を足のほうへと向けると、その正体が分かった。


「……死体か」


 男の死体が、側に転がっていた。体の大部分が雪に埋まっていて、うつ伏せのまま力なく横たわっている。

 凍え死んでしまったのかとエノキは一瞬思ったが、そうではなかった。


「何……これ……?」


 視線を前へと戻すと、視線いっぱいに人間の死体が転がっていた。老若男女に関わらず、数百から数千程度が皆横たわっていて、皆うつ伏せや仰向けの状態で、息絶えていた。

 とてもこの世のものとは思えない光景に、エノキは言葉を失った。人間性に多少欠けているエノキですら、少しばかりの恐怖を覚えそうなほどだった。

 ひとまずエノキは、この死体達を踏まないようにしながら、死体の先にあるであろう何かを目指すことにした。

 少しして、町を見つけた。


「……」


 幾数千のかつて生きていた人々が、町を囲むようにして魂を失い倒れていた。死体の数は町に近付くにつれてどんどん多くなっており、避けて歩くのにかなりの神経を消耗するほどになっていた。


「……ごめんなさい」


 エノキは申し訳のなさを感じながらも、時々死体を踏みながら町の中へと踏み入った。

 町は周辺の野原と比べると、まるで別世界かのように発展していた。

 雪で埋まっているが歩道が整備されていて、二階建てや三階建ての建物が両サイドに一列にずらっと並んでいる。交差点がいくつもあって、区画がきちんと整理されていた。

 そんな綺麗な街の中を、死体が汚していた。地面は雪で覆われているので分からないが、建物の壁や街灯などに血痕がびっしりと付いている。

 最初からこの色で塗装されたのではないかと思うほど、血痕に塗れている建物すらあった。

 エノキは、なぜこんなにも死体が量産されたのか、理由を知るために町を歩く。


「理由もなくこんなことにはならないはずだから、何かしら知る手掛かりがあると思うんだけど……」


 エノキは、町の中をひたすら散策したり、誰もいない建物の中に不法侵入をしたり、時には死体を軽く漁ったりして、こんな状況になったきっかけについて調べ始める。

 しかし、争いの形跡があるだけで、事の発端を知ることのできる物は、いくら時間をかけても見つけることができなかった。

 最後に町の入り口をぐるっと回りながら、事の発端を知ることを諦めようか迷い始めていると、


「あ……」


 手に小さな本を握ったまま生き絶えた死体と、一つの看板を見つけた。

 看板には、『この道まっすぐ 五キロメートル先 (みやこ)』と書かれている。どうやら、この町はあくまで地方の都市であって、都ではなかったらしい。

 エノキは、まだ諦めるには早いらしいと思うと同時に、本を握っている死体が気になった。エノキは両手を合わせて祈り、形式的な謝罪を済ませる。

 それが済むと、手に持つ本を拝借して、中身を開いた。中には日記が書き連ねられていた。この死体の手記のようだ。

 エノキは、そのまま手記を持ち歩いて、看板が示す都へと、まっすぐ進み始めた。


「さて……」


 道中、エノキはそこら中に落ちている死体に蹴躓(けつまず)かないように、注意しながら手記を開く。歩きながら、手記を読み始めた。

 以下は、その内容の一部を抜粋したものである。


『1335年 4月11日 最近、政府が国民を苦しめるような政策を決定するらしいと、友人から聞いた。やはり、この国は貧しくなっていくばかりだ。地理的状況が悪いのは仕方ない。だが、それにしても豊かになりやしないではないか。そんな世界に私は希望を見出すことができない。ああ、何か起こらないものか。寝よう』

「まあ、こんなに雪が積もるのに、国民の生活を豊かにする暇なんてなさそうだよね……」


 エノキは、読み進めていく。




『1335年 6月8日 結局、国民を苦しむ政策とはガセだったらしい。実際に噂されていた通りのことは起こらなかった。ああ、良かった。でも、されていないにしても現状は厳しい。もっと裕福な暮らしがしたい。でも働きたくない。私はわがままな人間であることを自覚する。寝よう』

「どこの世界でも、話が正しく伝わらないことが多いんだね。にしても、愉快な日記を書く人だな……」


 エノキは、読み進めていく。




『1335年 8月16日 今日、用事で都を訪れたのだが、都のほうでは現政権の打倒を支持する声が多くなっていることが分かった。私個人としては、打倒されようがされまいがどちらでも構わないのだが、その打倒の方法がテロを起こすとのことなので、素直に認められるべきではないだろう。過激なのは駄目。寝よう』

「んー、テロでこうなるかな……? さすがに規模が大きすぎる気がするけど……」


 エノキは、さらに読み進めていく。




『1335年 11月29日 いよいよまずい。最近になって、各地で暴動が起きることが多くなった。今まで穏やかだったあの都も、ここ数ヶ月で急激に治安が悪くなっている。時期にこの町にも悪い変化が訪れてくるはずだ。もしもの時に備えなければならない。準備しよう』

「……ここかな」




『1335年 12月2日 昨日から、本格的に都のほうでテロが起きてしまった。国民が議会や議員を武器で襲ったところから始まる。軍隊が弾圧しようにも、都のほぼすべての人間が政府打倒を企てていたために、収まる気配は無い。自衛しなければならない』

「……」




『1335年 12月4日 友人が殺された。政府打倒を掲げて都で戦って、軍人に殺されたらしい。私は泣きながら缶詰を開けて食べた。味がしなかった』

「……」




『1335年 12月7日 この混乱の最中、私はある一つのことを考え続けていた。それは、これまでは豊かな暮らしがしたいとばかり思い続けていたが、実際のところ、本当はその頃が一番幸せだったということだ。私は、幸せだったのに、苦しいと嘆き続けていた。幸せというものは、失って初めて気が付くことしかできないらしい。それがとても悔しい。もし平和が訪れるのであれば、これからは慎ましく生きようと思う』

「……」




『1335年 12月8日 約六日。たった六日で過激派が政府を打倒し、政権を壊すことに成功してしまった。問題はここからで、新たにテロを起こした国民が政権を乗っ取ることになったのだが、どうやら彼等は政府を倒すことしか考えていなかったらしく、今後の政権運営の方針がまったく立てられないらしいのだ。今まで与党の一極集中だったこともあり、政権運営のいろはを知る者はもういない。本当に苦しい時代が、これから待っているのだろうか。安定した生活を送れるようになるといいのだが……』

「……」




『1335年 12月9日 信じられないことが起こってしまった。書き記していても未だに信じられないのだが、今度は国民同士で争いを起こし始めたのだ。政府打倒によって世界の秩序が崩壊してしまったがために、今度は自分が実権を握って、世界を牛耳ろうとする馬鹿な連中が後を絶たなくなった。巻き込まれている人も多かったが、ほぼ全員が自分の意志で一番になろうと武器を手に取り争っていた。私は、この世界はもう終わったのだと思った。荷物をまとめたら、私はこの町を出ようと思う。そして、新しい地で生き抜こう。生き残れるかも分からないが……』

「…………」


 日記は、ここで途絶えていた。

 残りのページをいくらめくっても、罫線(けいせん)が引かれた薄汚れた紙が続いているだけだった。

 もしこの内容が本当であれば、ここにいる人々はみんなくだらない感情から憎き争いをして、その尊い命を失っていったことになる。

 エノキは、日記を読んでもなお、この光景とそれに至った経緯についての理解が追いつかなかった。


「内紛だとか戦争だとか、たしかに争いはどの世界でも起こっていることだけど……。まさか、こんなくだらない理由でここまで被害規模を拡大させることができるなんて……。盲信って良くないね」


 エノキは一度立ち止まって、すれ違う死体をとくに何とも思わない表情で見つめる。よく見ると、死体の近くには剣や棍棒(こんぼう)などの武器が落ちていた。

 (むご)い光景ではあったが、理由を知るとそれが実に愚かに見える。


「加害者も被害者も、かわいそうな人達だ」


 誰にも聞こえないのに、死体の群れに向かってそう呟いた。再び歩き始めたとき、より一層強い風が吹き荒れた。




 数時間後。歩き続けているうちに、無限に続く一面の雪景色にも終わりが見えてきた。

 視界の悪い中、道の先に円形の大きな城門が建っているのが分かった。城門は緩やかなカーブを描いていて、中はとても広いのだろう。

 ただし、その城門はボロボロで、所々に大小に関わらず穴がいくつも空いていた。ひびが入って、今にも崩れ落ちそうなほどだった。

 城門も当然ボロボロで、もはや原型を留めていない。門番が立っているはずも無いので、容易に通ることができた。


「ここが都……」


 中も崩壊寸前。先ほどエノキが訪れた町よりもよほど規模が大きいが、その分損傷も比ではなかった。

 至る所に瓦礫やガラスが散らばっていて、その上を雪が覆い被さって隠している。裸足で歩けば、足の裏を破片が貫くだろう。

 死体は無数にあって、踏まなければ先に進めないほどびっしりと埋め尽くされている。エノキは、そんな死体の絨毯(デッドカーペット)の上を歩く。

 血で染まっていないところなどなかった。新しく降り積もる雪によって、紅白の景色が生まれてはいるが、それでも紅色()の割合のほうが多い。

 横倒れになったビルに、爆発したであろう外壁だけが残った一軒家。階数の低くなったアパートに、大穴が空いてトンネルになっているマンション。これらすべてに血が付着していた。

 エノキは、歩いて進もうとしても、何度も何度も行き止まりに当たってしまう。死体の山や崩れた瓦礫の山が塞いでしまっていたからだ。

 その度に進路を幾度となく変えて、都の中心部を目指した。

 しかし、


「なかなかたどりつかない……」

 

 視界不良、歩くたびに足を取られるほど降り積もる雪、瓦礫に死体と、様々な要因が重なることで、思うように先へ進むことができなかった。

 ちなみに、中心部を目指しているのは、国の中枢機関が真ん中にあると思ったからだ。円形の城門の中に人が住んでいる場合、自然と国会議事堂などの中枢機関は中心部に集まることが多い。

 なのでエノキは、中心部を最終的な目的地にして進もうとしているのだが、条件が悪すぎてそれも叶いそうにない。


「仕方ない……。歴史については知れたし、長居は無用かな……」


 エノキは、もう少し詳しく世界について精査したかったが、知りたいことはしれたし、当初の目的通りに休養を取れるような世界ではないので、この世界から出ていくことにした。

 エノキが蒼く目を発光させた。そのときだった。


「ま……ってくれ……」

「わ……!」


 男の掠れた声が、どこからか聞こえてきた。エノキは驚きのあまりに飛び跳ねる。声のする方向へと顔を向けると、瓦礫の山を背に一人の男が座っていた。

 雪を被っていて、それを払う余裕も無いほどに疲弊している。全身はボロボロで、息も上がっていた。


「どうしたんですか? もしかして、生き残りの方ですか……?」


 エノキは男の下に近付いて、膝をついて同じ目線で話しかける。


「ああ……。他に生きてる奴はいないだろうから、俺が最後の生き残りのはずだ……」


 男も、首を動かすほどの気力が残っていないのか、俯いたまま返す。


「そうですか。この争いが起こった経緯は、拾い物の手記からある程度把握しています。よく生き残りましたね」

「まあな…………。それで、あんたは一体誰なんだ……? 他所から来るにしても、ただ者じゃないだろ……?」


 エノキは、目を紅く発光させながら言った。


「私は別世界から旅をしにここへ来ました。ただの旅人です」

「へえ、そりゃ見慣れない格好なわけだ……」


 男は今できる最大限の努力で笑う。苦笑いのようにも見えた。エノキは、本題に入る。


「それで、一つ聞きたいことがあります。拾った手記には一番を決めるために争ったと書いてあるんですが、これは本当ですか?」

「ああ。どんな内容かは知らないが、それは正しいよ。自分が偉い地位につきたいがために、みんな王を目指して醜く争った。かくいう俺もだが……」


「……つまり、あなたがこの世界の王様ということになりますね」

「そういうことになるな……。まあ、いざ王様になったとて、まったく幸せじゃないんだが……。こんなことなら……」


 男は、涙を流しながらため息を吐いた。きっと、この男にも大切な人間がいたのだろう。私利私欲のために戦って、結果的に失いを得たのみ。一時の欲が、彼を残酷すぎる運命へと導いてしまった。

 エノキは後悔する男の心情を察して、


「悲しいですね。変えようのない現実って」


 同調して声をかける。


「ああ、過去に戻れたらなんて、馬鹿げた妄想がしたくなる……」


「……ですね」


 エノキの脳裏に、ノラリとクラリの顔が浮かんだ。過去に戻れるなら、どれほど良かったか。

 もう一度会いたいだなんて、叶うはずのない想いを抱いてしまう。エノキは、そこで初めて男の気持ちを理解できた気がした。

 エノキは、思いつきで一つ考えたことを口にする。


「……王様に聞いてもいいですか?」


「答えられる範囲なら……。いくらでも聞いてくれ。この民のいない最後の独裁者に……」


「ええ、ありがとうございます。では、何か望みはありますか?」


「望み……?」


「はい、望みです。あなたは愚かにも権力を望み争いましたが、幸いにもすべてを失ってそれを手に入れました。せめて、私が簡単なお願いを聞いてあげます」


「……そうだな」


 男は、考え込んで黙り始めた。エノキが、「何でもいいですよ。たとえば、労いの言葉をかけるとか。私があなたをすごく褒めます」なんて言って、少しでも場を和ませようとする。

 男もははっ……と少し笑って、悩み続ける。しばらくして、答えが出たようだ。


「……旅人だからこそお願いしたい」


 男が再び口を開いた。


「はい、何でしょう」


 エノキが返すと、


「──俺を……殺してほしい……」


 男は言った。エノキは目を見開いた。予想外の返答に、少し困惑した。


「……?」


「もう限界なんだ……。俺はこの近くでくたばっている最後の敵をこの手で殺した。そして一人になって数日、食うものもなければ生きる術もない。動けるほどの体力も残ってないし、この降り積もる雪が俺の体をじわじわと蝕んでいく。このまま死を待つしか道は残されていないんだ……。だから、殺してほしい。敵じゃない、旅人のあんたに俺を殺してほしい……!」


 男は、困惑するエノキの様子を鑑みることなく、俯いたまま必死に懇願する。


「……簡単に言ってくれますね」

「ああ、簡単な願い……だろ?」

「…………」


 エノキは少し考えた後、ため息を吐いた。吐いた息が、白く火の玉のように揺らいで、すぐに消えていく

 エノキは、鞄を開けて、中にある銃を取り出した。自身の体内を循環するエネルギーを込めて放つ、唯一無二の専用銃。それをエノキは、男へと向けた。


「分かりました。あなたを殺しましょう。この場に限っては忠実なる僕として、王の命令を遵守して、その王であるあなたを屠ります。……それでいいんですね?」

「男に二言などない」

「……そうですか。この引き金を引いた瞬間、あなたの体内に、この銃口から放たれた私のエネルギーが入り込んで、やがて死に至ります。遺言があればどうぞ」


 男は、最後に言った。


「本当にありがとう……。最後にあんたの名前を教えてくれないか……? 恩人の名を知ってから逝きてえ……」


 エノキは引き金を引く直前、目を蒼く発光させながら、


「エノキ……。エノキ・ユキノシタと言います……」


 そう言って、引き金を引いた。男は最後に笑った気がした。

 銃口からエネルギーが目にも止まらぬ速度で放たれて、あっという間に男の体内に取り込まれる。エノキは、すぐに親指と中指をぱちんと鳴らした。

 その瞬間、男は瞬間移動をするかのように体が消えていく。男の存在は、今この時をもって完全に抹消された。はなから、存在していないことになった。

 エノキは鞄の中に銃をしまうと、男の元いた場所を眺めて、それから辺りを見渡した。

 相変わらず、崩壊した街並みや死体が広がっている。悲しみに満ちた愚かな光景を見て、エノキは呟いた。


「結局、休めなかったな……。ログハウスなんてものはなく、ただただ無数の死体が残るばかりだった。こんな場所で休めるわけなんてないし、次の世界に行くしかないね……」


 雪が降り続けるなか、凍えるほど冷たい風が、エノキの髪を揺らす。エノキは、最後にまたため息をついた。やがて目を蒼く発光させて、


「多次元干渉」


 世界からいなくなった。

 勝者は、いなくなった。

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