5話「エノキの過去 その4」
「──さて、改めて話をしようか」
二人が案内されたのは、先ほどシセンがいた会議室だった。
正方形の大きなテーブルがあり、その周りにはそれぞれ三つの椅子が詰め詰めに配置されていた。
ノラリとエノキは、案内の通りに両端の椅子に座り、シセンは机を挟んで反対側の椅子の真ん中に座った。
座って、シセンはそう言ってから、続ける。
「まずは自己紹介からだな。俺は先ほど申した通り、シセン・エンゼイだ。騎士団団長を務めていて、この国の安寧秩序を保つべく、日々活動している。お前達の名は何だ?」
「私はノラリ・ユキノシタです。この街のすぐ側にある森の中に住んでいて、普段は自給自足の上、採れた植物などをいくつかの店に売り渡すことで生計を立てています。そして隣にいるのが……」
「エノキ。エノキ・ユキノシタ。森の中で彷徨っていたところをノラリに拾われた。今は言葉を学びながらノラリと一緒に過ごしてる。敬語はまだ使えないけど、ちゃんと敬意はあるからよろしくね」
「……ノラリとエノキだな。それでは早速だが、本題に入らせてもらおうと思う。全裸の少女が街に出没し、兵の手を掻い潜って森の奥へと走り去った事件。部下の話によると、エノキが犯人であると自ら名乗り上げたと聞くが、間違いは無いんだな?」
「はい」
「そしてなぜそんなことになってしまったのか。あくまで故意ではないことを証明しに来た。そうだな?」
「はい……!」
「ならば説明してみせろ。経緯について」
お互いに認識の違いが無いかをしっかり確認した上で、そう言われた。
ノラリとエノキの体に電流が走る。ここをしくじればすべてが失敗に終わってしまう。そんな緊張が二人をこわばらせた。
ノラリは、エノキの前では隠していた本当の想いが、どうなってしまうか分からない恐怖が次第に出てきてしまい、口からうまく声が出なくなってしまう。
「ぇあ……うぅっ……」
「……どうした? 体調でも悪いのか?」
ノラリは重圧に押しつぶされそうになり、俯いたまま動けなくなってしまった。
エノキは、そんな様子を感じ取って、
「……!」
机の下でノラリの手を握った。ノラリはハッとしてエノキのほうを見る。エノキは何も言わずにただ頷く。ノラリならできる。そう言われているような気がした。
(そうだ……ここで怖気付くわけにはいかない……!)
ノラリは覚悟を決めて、シセンを見つめて話し始めた。
「それではまず、街の中に迷い込んでしまったところから、説明させていただきます。信じられないかもしれませんが、実は……」
先ほどの緊張はどこにいったのかというくらい流暢な喋りで、エノキが意識を獲得したところから、こうしてここまでやって来たところまで丁寧に一から話した。
森の中に逃げたり、服を作ったり、ジャイアントボアーと戦ったり、夜に怯え続けたり……。
シセンはそれを真面目に聞いていた。兵士達がジャイアントボアーを討伐したことに驚くなか、真剣に耳を傾けていた。
「──といったことから、私達は今日ここまでやって来ることを決めました。話は以上です……」
「ふむ……」
話が終わり、シセンは何かを考え始めた。顎を指でつまんでただ黙る。
その間、二人は緊張で鼓動が鳴り止まなくなっていた。下手したら周りに聞こえているのではないかと錯覚するほど緊張を覚えた。
とくにエノキは、ノラリを除けば初めて他人と話したということもあり、未知からくる恐怖が重なって、余計に不安が胸を締め付けた。
怖い……! そう思いながら、二人は冷や汗を流しながら待ち続ける。すると、
「そうだな……」
ようやく、シセンが口を開き始めた。
実は、時間にして十秒も経っていないのだが、緊張による思考の加速によって、二人にはその十秒が一時間にもニ時間にも、とにかく果てしなく感じた。
エノキが唾を飲むなか、シセンは結論を出した。
「おそらく、その話はすべて本当なのかもしれないな。だが、現時点では俺達はそれを信用することはできない」
「……っ!」
出た結論は、話を受け入れることはできない。だった。
「たしかに、エノキほどの身体能力を有していればジャイアントボアーだって倒せそうだし、倒れていたところを保護されることだってあるだろう。だが、側から見ればすべてがうまくいきすぎているとしか思えん。まともな考え方をするなら、あまりに不自然な点が多すぎる。だから俺達は認めない。証拠がない以上は、その主張を受け入れることはない。証拠はあるか? ないなら、以上をもって話を終了するが」
どう転ぶか分からないので、当然こうなる可能性はあった。というか、こっちのほうが可能性は高かっただろう。
それでも、いざ否定されると心にくるものがある。ノラリは、シセンの答えに動揺を隠せなくなっていた。証拠があるかどうかを問われているのに、それが頭からすっぽ抜けるほどに絶望に苛まれた。
一方でエノキは、焦ってこそいたが、ノラリに比べて冷静さを保つことができた。ノラリとは違って、自分を優しく包みこんでくれる保護者がいたからだ。だが、挙げられるほどの証拠が思い浮かばず、同じく絶望に苛まれていた。
セシンは、そんな二人の様子を見て、
「……残念ながら証拠は無さそうだな。仕方ない、話はここまでにしよう。次に、二人の処遇についてだが……」
証拠を挙げることはできないと判断して、すぐに次の話に移ってしまう。
エノキは、何としても証拠を挙げようと、
「ま、待って……!」
セシンの話を遮って、そう叫んだ。ただでさえ重苦しい空気なのに、その一言でさらに静まり返ることとなる。
「どうした? 何か言い忘れたことでもあるのか?」
「あ、えっと……」
咄嗟に言ってみたものの、挙げられる証拠がまるで思い浮かばない。
エノキは焦る。何としてでも、ここで証拠を挙げて信用を勝ち取らなければならないと。
エノキは場が静まり返るなか、ただ一人脳をフル回転させる。
(証拠は形がなければ体を成さない。だから、ここでどれだけ頑張っても形のない証拠しか思い浮かばない以上、シセンを納得させるのは難しい……。でも、形がなくてもシセンを納得させられるだけの根拠を示せばいいんだ。そのためには……)
場が静まり返ってから一秒で、そんなことを考えた。そこから二秒かけて、どうにか示せる根拠について熟考し始める。
周りから見ればほんの数秒だが、エノキにとってはそれが一分にも二分にも思えた。短いが、考えるにはあまりに長すぎる時間。
だが、どれだけ思考が加速しようと時間は止まらない。場が静まり返って五秒ほど経過して、エノキの異常な様子を察知したシセンが返す。
「おい、結局何も言わないのか? ……べつに証拠を挙げられなくてもいい。罪に問わないよう、精一杯の努力をする。その話を今からしようと思っていたからな」
その言葉は、エノキに届いてはいなかった。
(形のない証拠で納得させる……。そのためには、シセンが知っている情報につけ込めばいい……。森の外に逃げるときにシセンがいたとしたら……。……!)
エノキは考え続けた末に、やがて一つの結論に至った。
「あ……の……!」
「……どうした?」
直感的に浮かんだ考えを言語化するために、さらに頭を使う。数秒のうちに考え事をしすぎたせいで、次第にエノキの額が熱くなる。
エノキは、額を手で押さえたまま、言語化した考えをありのままに述べた。
「証拠はない……。けど、根拠を示すことはできる。……私が街の中で兵士と対峙したとき、私の反応はどうだった? 答えて」
「……俺達を睨んで、うめき声を出して威嚇していたな」
「そう、私は野生の獣のように叫んで、人間らしさが微塵も感じられないような態度を取った。じゃあ、今回はどう? 兵士に囲まれたときも、冷静さを保ったまま、あなた達と対話を望んでいたでしょ? それが根拠。たしかに、普通に考えたらそんなにうまくいくはずがない。でも、それは普通の場合だよ。私は普通の人間じゃない。ジャイアントボアーを一人で倒せるほど身体能力が高くて、言葉を数日で覚えられる異常者。おかしいとは思う。けど、それが事実なんだよ。さあ、判断してシセン。私の主張を受け入れるか否か」
「……」
シセンは、エノキの演説のような主張を聞いて、再び黙り込んだ。
聞いた情報を頭の中で整理した上で、それが正しいか間違いか。また、それを踏まえてどう行動するべきかを考えているのだろう。厳格な顔つきをしていた。
エノキは、物事が良い方向に転がることを信じてノラリの手を握った。ノラリは、変わらず俯いたまま絶望していた。
一度話が受け入れられなかったことで、自責の念に駆られているのだろう。自分の世界に閉じこもったまま、出られなくなっていた。
二十秒ほどだろうか。少ししてシセンが口を開いた。この言葉次第で最終的なエノキの処遇が決まってしまう。
とはいえ、先ほどシセンが言ったように、その言葉が主張の否定だったとしても、最大限罪に問われないように努力はしてくれているのだが、エノキはそれを聞いていなかったので、緊張しながら聞いた。
「──結論から述べよう。ノラリ・ユキノシタ、及びエノキ・ユキノシタの主張を認める」
「……!」
主張は認められたらしい。エノキは眉を上げて驚いた。シセンが続ける。
「……本当なら認められないし、これを政府に話しても、受け入れさせるまでにかなりの時間を要するだろう。だがエノキの言う通り、エノキという少女は何もかもが例外な存在だ。それを積極的にアピールすれば、最終的には受け入れられるだろう」
「ってことは……」
「ああ、エノキは故意に事件を起こしたわけではない。よって、全裸の少女の出没事件について、諸々の罪の一切を不問とする」
「やった……」
シセンの言葉に、エノキは笑みを浮かべて、椅子の背もたれに頭をつけて、体の力を抜いた。
事件は、エノキに責任が問われないという形で終わりを迎えることになった。
「ここだけの話だが、実は俺達騎士団は街の住人による誹謗中傷に頭を抱えていてな。反乱を起こさないためにも、この事件を解決しようと必死だったんだ。だから、こういった形で結論が出たことが非常に嬉しい。俺が言うのも何だが、ありがとう」
シセンが、ここにきて私情を口から漏らす。エノキだからこそ言ったのだろうか。先ほどまでの厳格な顔つきが、少し柔らかくなったのを感じた。
「お互い様だよ。こっちからもありがとう。あーあ、シセンほど話の聞ける人間が街の住人だったらなー……」
「ふはははっ。なかなか面白いことを言う。俺もエノキやノラリのような話のできる人間が街に住んでほしいものだ。どうせ、解決しようと文句を言う奴等はいるだろうしな」
「気が合うね、私達」
「ああ、そうだな」
二人は楽しそうに話をした。
「ところで、ノラリを起こさなくてもいいのか? おそらく、まだ問題が解決したことを彼女は知らないぞ」
シセンが、指摘する。
「あ、そうだね。今も多分ノラリの頭の中には、自分を傷付ける言葉がうじゃうじゃ蔓延ってる。それを取り除かないと事件は解決しない」
エノキは、ノラリの太ももの上にお尻を乗せて、抱きついた。
「ノラリ、終わったよ!」
下から覗き込むように話しかけると、ノラリは意識を取り戻して、
「……ごめん。私の力不足で、エノキちゃんを守ることができなかった。あれだけ、何とかなるって言ったのに、嘘ついちゃった……。ごめん……ごめん……!」
涙を流しながら、ノラリもエノキの背中に手を回して抱きつく。
そんなノラリに、エノキは伝える。
「えっと……何とかなったよ。ノラリは途中から言葉が届かなくなってたから知らないかもだけど、私がシセンに説明したら、何とか聞き入れてくれたの」
「……え?」
ノラリは目を見開いて、シセンのほうへと顔を向ける。そんなノラリに、
「本当だ。あくまで、まだ騎士団が認めただけだが、政府も時期に認めるようになるだろう。つまり、結果的に二人の思惑通りになったということだ。だから気を落とす必要は無いぞ」
何がどうなったか、今の状況はどうなのかを、エノキの言葉をつないで教えてくれた。エノキもそれに続く。
「そうだよ。私の事件は一旦解決。ノラリのおかげでうまくいった。元気出して」
ノラリの顔を見つめながら、励ますように言う。ノラリは、その言葉をしっかりと受け止めて、
「……うん。エノキちゃん、ありがとう。シセンさんもありがとうございます」
笑顔を見せながらそう言った。もうノラリも問題は無さそうだ。これにて、全裸の少女の出没事件は一旦幕を閉じる。正確にはこのあと数ヶ月くらいは時間がかかるのだが、ここで割愛させていただく。
やるべきことを終えて、二人はようやく幸せな生活を送れるようになった。二人はそれを理解しているので、
「これからもよろしくね! エノキちゃん!」
「うん、ずっと一緒……!」
心を躍らせながら笑顔で家へと帰っていった。
二人は、幸せで平和な生活を送った。