4話「エノキの過去 その3」
* * *
それから、二人は毎日森の中で生活を送っていた。
朝起きて、朝食を食べたりと身支度を済ませて、午前中はノラリが森の中から食べられるものを集めたり、時に街へと出かけたりする。
午後になると基本的に自由時間で、エノキの学習やお喋りの時間に充てられる。エノキの脅威的な飲み込みの速さにより、どんどん言葉を覚えていった。
それからお風呂に入ったりして、最後にはノラリが自作したダブルベッドの上で、枕を二つ置いて同じ空間で寝る。
これが二人の日常であり、かけがえのない時間となっていた。
そんな生活を数ヶ月ほど続けていたある日のことだった。
「エノキちゃんもすっかり馴染んできたね。もう話し方も片言じゃないし!」
朝食を食べながら、二人は話していた。
この日はクロワッサンとサンドイッチが一つずつだった。
エノキは、袖をまくって両手でクロワッサンを食べながら返す。
「うん。ここに来てから何もかもが変わった気がする。知らない何かに怯えながら生きていたけど、知っていくうちに、自ら楽しさを追求できるようになった」
「そうだね。初めて来たときは見た目に比べて中身が幼くてギャップがあったんだけど、今は年齢相応かそれ以上に見えるようになったし、本当のエノキちゃんになったって感じがするよ」
エノキは、少し照れくさそうに、ノラリの言葉をつなぐ。
「……それもこれも、全部ノラリが私を拾ってくれたおかげだよ。ノラリがいなかったら、私はきっと死んでいた。……だから、ありがとう」
「いいよ、そんなの気にしなくても。倒れている女の子を助けるのは普通のことだし、私も家族が増えて嬉しかったし。今までは一人で少し寂しかったからね」
「ノラリも寂しかったんだ」
「そりゃあねぇ……。人は助けあって生きるものだから、やっぱり一人は心細かったよ」
「あのノラリでもなんだ……」
「私を何だと思ってるのかな……?」
エノキの中でノラリの存在は肥大化しすぎていたようだ。
拾ってくれた恩、育ててくれた恩、愛情を注いでくれた恩。それらが積み重なったからだろう。
ノラリにとっては出会ってからたった数ヶ月だとしても、エノキにとっては生まれてから数ヶ月。エノキから見てノラリは姉でもあり、母でもあった。
だからこそ、頼れる存在であって完全無欠な存在だと勘違いをしてしまっているのだ。
「ノラリは世界一すごい人。尊敬という言葉はノラリのために生まれたと言っても過言ではない」
「ははっ……スケールが壮大だね。……でも、エノキちゃんにとっての世界一であれるなら、私も嬉しいや。ありがとう」
二人は朝食を食べ終えた。ノラリは着替えなどの支度を始める。今日はこれから街へと出かける予定だった。
ノラリは、白の長袖に黒のキャミソールワンピースを着て、準備を整えていく。
「今日も街なんだ。いってらっしゃい」
エノキは、いつものようにノラリを見送ろうと駆け寄る。
「んー……合ってるけど違うね」
「……どういうこと?」
「今日は、エノキちゃんにも街に着いてきてもらわないといけないんだよね。詳しくは移動中に話すんだけど……」
「街……」
エノキが生まれたあの場所。一体何がどうなって街に行かなければならなくなったのか、エノキはとても気になった。
差別意識が蔓延るあの場所に行きたくはない。だが、ノラリがそう言うのであればと、エノキはノラリのお願いを呑んだ。
「そうと決まれば、エノキちゃんも服を着ないとだね。何か着たいものはある?」
「何でもいい。ノラリの選んだ服が着たい」
「分かった。それじゃあね……」
ノラリは、クローゼットの中にあるいくつもの服の中から、エノキにあった服をチョイスする。
ノラリは長袖に半袖、長ズボンや半ズボンにスカートなど、組み合わせに時間をかけて悩んでいた。
ちなみに、これも違うな……。と何度も様々な服を着せ替えていくのだが、途中でスク水ニーソやチャイナドレスを着せられたあたりで、あ、これ遊んでるな……。とエノキは確信を抱いたこともあった。同時に、
(何でこんなの持ってるの……)
そう思った。
そうして最終的に選ばれたのは、白ニットに膝上丈の黒スカートだった。それに加えてストッキングを履いて、頭には白のミニベレー帽を被った。
「エノキちゃんらしさを意識したんだ。白のミニベレー帽はエノキタケイメージだよ」
ノラリは、やり切ったという表情で言った。エノキは、キラキラとした目で服をジロジロと見た。その姿は、側から見れば年齢相応の女の子に見えた。
それから、必要最低限の荷物の準備を行なって、エノキは紐のついた小さな白バッグを肩から腰にかけて斜めにかけ、出発した。
扉の先は、当然森だ。鬱蒼とした木々が一面に広がっていて、方向感覚を見失いそうになる。
そんな森の中に一本の道筋があって、二人はそこを通っていく。踏み固められただけの道で整備はされていないが、目的地に向かうには十分な印だった。
道中、
「そういえば言い忘れていたけど、ここには魔物が出てくるんだ。だから私の側を離れないでね」
「魔物……? 魔力を持った生物のことだよね。この世界にもいるんだ。てっきりファンタジーのものとばかり……」
「実は意外といるんだよね。しかも、ここにはジャイアントボアーっていう名前の通り巨大なイノシシが出てきたことがあってね。今はいないからいいんだけど、そういった危険な魔物が出てくることもあるから、とにかく気を付けてね」
「分かった。でも、そのジャイアントボアーって魔物、多分見たことある」
「え、嘘でしょ? 遭遇したが最後、十数人でかかっても追い返すことしかできない、あの超危険なジャイアントボアーだよ? よく逃げ切れたね」
「うん、牙のついた奴でしょ。それなら、私倒したもん」
「へえ、そうなん……は? 倒した?」
「うん、倒したよ。突進してきたから、お鼻殴ったりして追い返した」
「……そのイノシシって牙が目に刺さってたりする?」
「刺さってた。というより私が刺したよ。大きな牙が生えていたから、こう、目にずばっと……!」
「ああ……。エノキちゃんの仕業だったか……」
「もしかして、まずかった……?」
「いや、むしろすごい! 偉業を成し遂げたんだけど……」
「けど?」
「私の中で確定しちゃったなあ……」
「……? どういうことか分からない。何が確定したの?」
「これから街に向かう理由に関わってくるんだけど……。まず、今回エノキちゃんが街に向かうのは、ある事件に関わっているかどうかの確認なんだよね。エノキちゃんは、事件の犯人と見た目の特徴が一致していたから、念のために連れて行って確認してもらう予定だったんだ」
「事件?」
「そう、身体能力が高すぎる全裸の少女が、街中に出現して兵士の手から逃れて森の中に消え去った事件なんだけど……」
「あっ……」
「……その反応は間違いなさそうだね。それで、偶然見た目が似ていただけだろうと思っていたんだけど、あのジャイアントボアーを倒したって聞いて確信したんだ。あ、これ犯人エノキちゃんだな……って」
「ご、ごめんなさい……」
「いいよ、気にしなくて。でも、何でそんなことになったの? 当時は言語も話せないくらいだから、たまたま迷い込んでしまったと思うんだけど……」
「分からない……。気が付いたら街の中にいたの。まるで街の中で生まれたみたいに、突然意識がはっきりして……。だから、それ以前の記憶はまったくない。迷い込んだのかも、何もかも分からない……」
「そっか……。なら、そう説明しよっか。正直に言えば、理解してくれるはずだし。……それに、事件の詳細を聞く限りだと、その少女はいつの間にか広場にいたらしいから、伝わるはずだよ」
「うん……ありがとう……」
そんな会話があった。
エノキは街へと向かう理由を知って、ああなったらどうしよう……。こうなったらどうしよう……。と緊張を覚え、物事が悪い方向にいかないか心配し始めた。
ノラリは全貌を知って、とんでもない子を拾っちゃったな……。と若干エノキに引きつつ、おろおろするエノキに手を差し伸べる。
二人は、街に着くまで手をつないで歩き続けた。
「久しぶりの街……」
森を抜けた先に見えてきたのは、あの頃と変わらない城門。門は閉まっていて、側には槍を持った兵士が複数人立っていた。
ノラリは、普段通りに堂々と門へと歩いていく。エノキは気が進まなかったが、ここでおどおどしていては何も始まらないし、何よりつないだ手を離すのが怖いので、観念してついて行った。
門までたどり着いて、ノラリが門にいる兵士に挨拶をする。すると、それだけで簡単に通ることができた。
おそらく、この街もノラリの住む森も一つの国の中にあって、その中で魔物などの外敵から身を守るために門を建てているのだろう。
二人はあっという間に街の中に入っていく。
「わあ……」
相変わらずの西洋風のお洒落な建物。真ん中の広場を中心に、四方八方に大通りの道が伸びていて、その左右に大きな建物がずらりと並んでいる。
エノキは一度この景色を見たことがあるが、前回と異なり信頼できる人がいて、最低限の知識も身に付けている。
そのため、この街並みに抱いた印象も大きく変わっていた。
「どう? 大丈夫?」
「うん……。あのときと違って人も、言葉も、建物もみんな知ってる。だから怖くない……。むしろ、ワクワクするかも……」
初めて見たときは、それこそ恐怖以外の何物でもなかった。自分とは違う人が、自分が知らない言葉が、知らない街の中を行き交い、飛び交っていた。ただ恐怖するしかなかった。
でも今はそうではない。エノキには街並みを見て心を躍らせるだけの知力があった。知らないものをさらに知ろうとする飽くなき探究心があった。そんなエノキに、もう怖いものなんてない。知らないなら、理解するまで突き進むだけだ。
「じゃあ、街を見ながら目的の場所まで行こうか」
「やった……!」
二人は、目的地にたどり着くまでに観光をすることにした。
……したのだが、
「おい、また下民だぜ……。ここのところ増えすぎて困るよ……」
「何でこんな奴等に俺達の金が流れていくんだろうな。奴隷がいた頃のほうが、快適な生活を送れてたのに……」
「何の利益も生み出さないこいつらに権利なんて必要無いのよ! 一体、上の連中も何を考えてるのかしら……。あのだっさい服には高貴さの欠片もないし、この街もいよいよ終わりよ!」
そんなエノキの期待を裏切るように、街の住民が陰口を、というより溜まった鬱憤を撒き散らすように、あからさまに悪口を言い始めた。
住人はタキシードやドレスなどで己を着飾っていたので、二人の服装は場違いで、明らかに浮いていた。
悪口は止むことを知らなかった。老若男女、ありとあらゆる年代の男女が集団になって二人を差別する。
観光がしたかったエノキ達にとって、とても邪魔な存在だった。
「あはは……ごめんね。街は見て回れるけど、観光まではできないかも」
「大丈夫だよ。……ただ、すごく癪に障る。見た目が綺麗なだけで、心は誰よりも醜い。身分でしか価値を測れない有象無象に反吐が出る。ノラリを傷付けようとする住人が許せない……!」
エノキは、悪口にストレスを感じていた。それは、自分に向けられているからではない。ノラリに向けられているからだ。
自分の尊敬する大切な人に対して心無い言葉を向けられるのが、エノキにとっては苦痛で仕方がなかった。不機嫌そうな顔をしながら、ノラリに言う。
ノラリは、そんなエノキの心情を察して、
「ああ、私は大丈夫だよ。あの人達は言葉だけは達者だけど手は出してこないからね。陰口なんて無視しておけばいいだけだからさ。エノキちゃんが気にすることはないよ」
笑顔で言葉をかける。
「ならいいんだけど……。でも、何であの人達はあんなことを言うの? 市場に出回っている食材だって、元はその下民が街の外で頑張って育てたり採ったりしたものなのに……。下民がいないと成り立たないことを何で理解してないの? 少なくとも、貶すのが間違ってることくらい分かるはずだよ?」
エノキはその言葉を聞いてひとまず落ち着くが、この街の住人が下民と読んで蔑み続ける理由が本気で分からず、ノラリに質問攻めをする。
ノラリは、うーん……そうだなあ。と返答に困る素振りを見せて、黙り込む。それから少しして、口を開いた。
「そういう人だと思って割り切るしかないかなあ……。この国には元々奴隷制度があってね。私が生まれる頃には廃止されたんだけど、そういった元奴隷への差別意識が、未だに根強く残ってるんだよね」
「ノラリは23歳だよね。ってことは、少なくとも20年以上は経ってるはずなのに、それでも残ってるんだ……」
「そう、多分だけど生まれた子供達に親がそういう教育を行うんだろうね。悪口を言ってる人の中には、エノキちゃんと同い年くらいの子も結構いたし」
「むう……割り切るしかないと言われても、理不尽で到底受け入れ難い……」
人々の意識はそう簡単には変わらない。とくに、それが差別意識のような負の感情であった場合はなおさらだ。第一印象が定着してしまうのと同じで、変わるには大きなきっかけや果てしない時間が必要だった。
エノキは、そんな加害者による一方的な言葉の暴力の数々を、易々と受け入れることができなかった。反抗したくてたまらない。そんな気持ちだった。
「まあ、最初はそう思っちゃうよね……。私も初めてこの街を訪れたときは、今みたいなことを言われてすごく傷付いた。もう二度と行きたくないって心の底から思ったよ」
「じゃあ、何で克服できたの……?」
「生きるためにはそうするしかないからだよ。私達みたいな昔なら奴隷身分にあたる人も、ここにいる住人に物を買ってもらわないと生きていけない。だから、恐怖に打ちのめされている場合じゃなかった。自分の心に嘘をついて、街に出向き続けた。そうしたら、自然と慣れていったんだ。まあ、本当はいけない慣れなんだけどね……」
「それじゃあ、結局あいつらが得してるだけじゃん……! 奴隷身分がなくなって権利が与えられただけで、本質的には何も変わってないじゃん!」
「んー……そうだね。でもそれは捉え方が少し違うかな。私達が一方的に損をしているわけではないよ」
「どういうこと……?」
「私達がここの人達がいないと生活が成り立たないように、住人達も私達がいないと生活が成り立たないってことだよ。昔から肉体労働を行うのは元奴隷身分の人達だったからね。建物を建てたり、物を供給したりってのは大部分が私達の役割だった。向こうだって私達がいないと生活を維持することができないんだ。……つまり、私が言いたいのは、人は助け合って生きているってこと。私がいないとあの人達も困っちゃうし、なおさら打ちのめされるわけにはいかないんだ。エノキちゃんがあの人達に反抗すると、巡り巡って私達が損をしちゃう。だから、抑えきれないかもしれないけど、ここは割り切ってほしい。お願い」
ノラリの本心が含まれたお願いだった。この国の過去やそれぞれの事情を説明されて、エノキは怒りや悲しみで心が少しぐちゃぐちゃになっていた。
本当は割り切りたくない、ただ赴くままにこのストレスを発散させてしまいたい。気分が凄まじく悪かった。
だが、
「分かっ……た……」
エノキは限界寸前まできていたが、何とかその要求を受け入れた。
受け入れたのは、それがノラリのためになるからだ。ここで自分が感情に呑まれてしまえば、ノラリに迷惑がかかってしまう。拾ってもらった身としては、それだけは絶対に避けたかった。
なので我慢した。ノラリのことを第一に考えて、感情を押し殺した。未だに顔には苦虫を噛み潰したような顔を浮かべているが、感情より理性を優先しようと、街の住人と同じ選択はしまいと我慢して耐え切った。
ノラリはエノキにハグをしながら、
「ごめん、ありがとう……」
そう言葉をかけた。ノラリは、ハグをした状態で頭を撫でたりして、エノキが落ち着くまでこうしていた。
落ち着いてから、二人は再び目的地へと歩き始めた。
* * *
「恐れながら申し上げます。団長、もう捜査が始まってから三ヶ月が経とうとしていますが、一向に少女が見つかる気配がありません。街の外に兵を送ることそのものが危険な行為ですし、少女の捜査のみに集中するのはよろしくないのでは……?」
「何を言っている! ただでさえ、多くの兵を使ったのに女の子一人も捕まえられない無能集団だと囁かれているんだぞ! 威厳を保ち、余計な反乱を起こさないためにも、責任を取るのが先決だ……」
「それはそうですが……。何の確証も無しに行動を起こすのは無謀です!」
「……なら、それに代わる最善の案を出してみろ! 話はそれからだ……」
「……っ」
ある建物の会議室の中で、ある一人の男と複数の兵士が会話をしていた。
一人はライオンのような勇ましい髭面で、ただ一人頭に兜を付けていなかった。
この王国騎士団の兵士を束ねるリーダーで、名をシセンと言う。残りはその部下達だった。
今は、会議室の中で少女の行方を掴むために作戦を立てていた。だが、シセンと部下との間では考え方に違いがあり、事態は難航を極めていた。
シセンは、捕えなければならなかった少女を自分達の手で捕まえることで、尻拭いをしようという考え方を重視している。
こうでもしなければ、いずれは街の住人が反乱を起こし混乱状態に陥る可能性があるからだ。
反乱の鎮圧にも労力を要するので、そうならないように一刻も早い汚名の返上を目論んでいた。
だが、三ヶ月という時間をかけても未だに手掛かりが掴めていない。
一方で部下である兵士達は、一旦少女の行方を追うことを打ち止めにしてしまいたいと考えていた。
なぜなら、少女が街の外に出た以上、捕えるのが雲を掴むよりも困難になってしまったからだ。
街の外には魔物がいるので、兵士側としても危険な任務になるし、何より街の中でも対応できなかったその少女の異常な身体能力の高さに、街の外でついていけるはずがない。
時間が経過して見つかっていないことから、少女が街の外で息絶えている可能性だってあるし、捕えることができたとしても、労力に対してあまりに割に合っていない。
なので、捜査を続けるにしても、少女の行方に力を注ぐのはやめたほうがいいと考えていた。
だが、やめるにしてもそれに代わるような具体的な案が出せていない。
よって話は平行線。騎士団の中で余計な争いが生まれて、住人から反感を書い、問題の少女の行方は掴めていない。最悪な状況とも言える。
「笑えるよな……。時間をかけるだけかけて何の成果も上げられていない団長に、他のことに時間をかけろと言うのに、その代替案を用意できない部下。まるで、無責任に喚くことしかできない街の連中みたいではないか。騎士団失格だ……」
「団長……」
シセンが落胆の表情を浮かべて、部下の兵士達もそれに釣られて悔しそうに握り拳を作る。
諦めムードになっていないにしても、もう一度立ち上がるには何かきっかけでもないと無理だろう。もはや絶望だった。
「街の外に住む元奴隷の彼等のほうが、よほど働いている。本当は彼等のようなものがこの街に住むべきなんだろうな……。そうすれば、そもそもこんなことで悩む必要なんてなかった」
「……もしも話はやめましょう。見苦しくなるだけです。俺達も懸命に取り組みますので、どうか気を確かに……」
「ああ、そうだな……。夢ばかり見ていても始まらないよな。とは言え、どうする? 国外に出たという情報が回ってきてないが、奴はどの場所に向かったと思う?」
「そうですね……あてもなく迷い込んだ様子でしたので、まだ森の中にでも……」
そうして、本格的に少女捕獲に向けて作戦を立て始めたときのことだった。
ガチャッ……!
「だ、団長! 重大な報告があります! 今すぐに玄関まで来てください!」
一人の兵士が大慌てで息を切らしながら、ノックもせず扉を開ける。
「どうした、作戦会議よりも重要なことか? ならば用件を話せ。手短にな」
シセンが返すと、
「は、はい……! で、出たんです! 奴が出たんです!」
兵士は焦りすぎて、要件を話さずそう言い切った。
「……落ち着け。誰が出たのかまったく分からないぞ」
「し、失礼しました……。スー……ハー……」
兵士は、深呼吸をして心身の乱れを整えていく。それから、再度言い直した。
「我々が行方を追っているあの少女が、一人の人間を引き連れて我々の下までやって来ました! 今はこの建物の前で、拘束しています。すぐに来てください!」
「何だと?!」
シセン含むその場にいる兵士達は、すぐに玄関まで向かった。
* * *
「何この状況……」「理不尽……」
二人は、大勢の槍を構える兵士達に囲まれていた。全員に睨まれた状態で、ただ立ち尽くすしかなかった。なぜこうなったかと言うと、それは十分前まで遡る。
ノラリとエノキは、あれから目的地である騎士団の本部を目指して、門までやって来ていた。
それから、門番の兵士に、
「ここにいる女の子が街から逃げた少女で、私はこの子の保護者をしているのですが、上の人に話を通していただけませんか?」
ノラリが丁寧な口調で話した。
すると、兵士が顔色を変えて槍を二人に向け始める。
「……れ、例の少女が出た! 至急、応援求む!」
「……へ?」「む……」
その声を聞いた周辺の兵士達が、どんどんと駆けつけて来て、槍を構え始める。十人、二十人。果ては百人近くがやって来て、続々と二人を囲む。ある意味シュールな光景になっていった。
「ねえノラリ……。話し合いに来たのに、あんまりだと思わない?」
「ま、まあ仕方ないよ……。相手から見ればエノキちゃんは得体の知れない存在に違いないし、槍だって持ちたくなるんじゃない……? 多分……」
「いや、犯人が自らここに来る時点で、何か裏があると思うでしょ普通……。困ったな……」
少しくらい話が通じるだろうと思っていたので、想定とは正反対の反応に二人は困惑した。
べつに、逃げようと思えば逃げられるのだが、逃げたところで何も始まらないし、むしろ逃げたら逃げたでノラリの生活が危ぶまれるだけなので、とりあえず様子を見るしかなかった。
(それにしても、何か圧が強いな……)
エノキの身長は百四十センチメートル。対して兵士達の身長は大抵が百八十センチメートルだった。エノキの目線から見て兵士達はもはや壁。そんな状態から百人近くに睨まれれば、それはもう圧を感じるというものだ。
睨まれた状態でエノキは、何をするべきか考えた。もしかしたら、このまま言い分も聞かずに捕えられる可能性だってあるので、せめて行動だけでも起こそうと考えたのだ。とりあえず、話しかけてみよう……。早速エノキは実行することにした。
「あの……」
「黙れ! 喋るな!」
「あ、了解……」
無理だった。
まあ、無駄に百人も集まって槍を構えてる時点で、話す猶予なんて与えてくれるはずもないのだが。
エノキは、もう流れに身を任せるしかないのか……。と未来を憂いた。
そんなこんなで囲まれていたときのことだった。
「おい、お前が例の少女で間違いないんだな? もしそうなら返事をしろ!」
「ん?」
ある一人の男が、兵士の波を押し除けてやって来た。髭面の男だった。
「あなたは誰?」
エノキが訊ねると、
「俺は騎士団団長、シセン・エンゼイと申す者だ。今からお前達を拘束させてもらう。大人しくついて来い」
そう答えてきた。
「あの……私達は話をしに来たんだけど……」
エノキは、突然の拘束宣言に戸惑い、そう返した。
もしかしてまた話の通じないパターンなのかも……。立て続けの出来事に、二人は半ば絶望していた。
しかし、思っていた反応とは違って、
「ん? 自首をしに来たわけではないのか? 話とは何だ」
エノキの言葉に耳を傾けてくれた。そこからはノラリが答えた。
「はい。例の少女に……エノキちゃんに罪を犯す気は無かったことを、証明しに来ました。なので、まずは話をさせてください……!」
「ふむ、そうか……。まあ、敵意が無いことは見れば分かるしな。いいだろう、この者達を通せ」
シセンは、他の兵士達と違って話の通じるタイプの人間だったみたいで、何とか話をさせてくれることになった。
「た、隊長……。いいのですか……?」
「ああ、これは命令だ。話を聞いてから判断する。だから、お前達はとっとと武器を下ろせ。あのとき俺達の手から逃れた子だ。百人で囲んだ程度で捕らえられるはずもないしな」
シセンがそう言うと、部下の兵士達はそれに従い、すぐに武器を構えるのをやめた。
そしてずらりと並んで道を形成し、玄関までの道のりを作ってくれた。
「さあ、来てくれ。悪いようにはしないさ」
「ありがとうございます……」「ありがとう、おじさん」
「おじさんか。俺ももうそう呼ばれる歳に……。くっ……」
「あわわわ……。え、エノキちゃん! シセンさんって呼んでね? お願いだから……!」
「……分かった?」
エノキの何気無い言葉がシセンに刺さってしまったようで、その背中が少し寂しそうに見えた。
二人は、そんなおじさんの背中の後を追って歩いた。