12話「隻腕少女の戯言・前編」
とある真夜中の宮殿の廊下を、一人のバードテール(レギュラースタイル)の少女が静かに歩いていた。灰色の髪で赤い目をしている。名前を、ユナイト・キラーと言った。
黒い服やスカートの上から、さらに黒いローブをまとっている。片目を黒い眼帯で覆っていて、全体的に黒ずくめな印象を受ける服装をしている。
その不気味な赤い目や真っ黒な服から、禍々しさがあふれていた。
少女は、暗殺者だった。依頼を受けた組織から派遣され、標的となるある国の王様の寝首を掻きに、長い時をかけて潜入していた。
(罠はなし……。見張りもなし……。やはり、安全な国ほど平和ボケしていてやりやすい……)
ユナイトは、腰に携えた鞘から小型のコンバットナイフを取り出して、逆手で構える。
王様のいる寝室の扉の前までやって来ると、扉に耳を傾けて、中の様子を確認した。物音がまったくしないことから、すでに眠りについていることが窺えた。
ユナイトは深く息を吸って、深く息を吐く。呼吸を整えると、扉を勢い良く扉を開ける。
正面、部屋の奥には大きなベッドが置いてあって、王様がそこで寝息を立てていた。
ユナイトは、ゆっくりと歩く。部屋の中に一歩足を踏み入れた。すると、部屋の入り口の死角。部屋のすぐ側に、二人の男が武器を構えているのが分かった。王様の護衛だろう。
ユナイトを挟む位置で姿勢を低く保っていて、一歩足を踏み入れた瞬間、手に持っていた剣で一斉にユナイトを襲い始めた。
「わあ……」
ユナイトは、そのまま走って護衛の攻撃を躱わす。駆け抜けて高く飛び上がると、ベッドの上に着地して、すぐに構えたナイフで王様の喉元を突いた。
「がっ……ぁ……!」
突き刺した瞬間、喉元から血が流れ出して、深く突き刺すほどに反動で飛沫を上げるようになる。
王様は、痙攣しながらやがてぱたりと動かなくなった。よく確認しなくても、絶命していることが分かった。
「くっ……!」
護衛の一人は、手遅れだと理解しつつも再び襲ってくる。剣を薙いで、ユナイトの胴を真っ二つにする勢いで振った。
ユナイトは、それをバク転でアクロバティックに避けて、護衛の背後を取る。相手が反応する間もなく、男の首の裏をナイフで切りつけた。
男の首から血が流れ出して、声にならない声を上げながら剣を手から離して倒れる。男も同様に死んだ。
「ば、化け物……! やめてくれ……!」
ユナイトは、もう一人の護衛の男のほうへと首を向ける。最後の一人はその場で腰が抜けており、武器も持てずに戦慄していた。震えているのが見て取れた。
そんな男に彼女は慈悲など持たなかった。機械のような、感情を持っていないようにしか見えないその恐ろしい目で、男を鋭く睨みつける。
「残念……」
ユナイトは男にそう囁いて、片目に深々とナイフを突き刺すと、そのまま掻き回して殺した。その場には、三つの死体のみが残った。
「依頼は済んだし、誰かに見つけられる前に帰らないと……」
少女は暗殺者。ただし、ただの暗殺者ではない。世界に認められた、まごうことなき最強の暗殺者だった。
ユナイトは、ナイフを布で丁寧に拭き取って鞘にしまうと、辺りを見渡しながら、脱出し始めた。何てことのないいつも通りの日常を、今日も適当に乗り切った。
* * *
数時間後。
ユナイトは、ある大きな城の入り口の扉の前に立っていた。
殺伐とした古臭い外装で、生活をする場所にはとても見えない場所。ユナイトの所属する組織の本部だった。
ユナイトは、入り口の扉を一定の間隔で五回ノックをする。すると、扉の向こうから「暗号は?」といった声が返ってくる。
それにユナイトは「存在しない」と答えた。それを聞いた扉の向こうにいる者は、扉の施錠を解除した。
特定の動作を完了しないと中に入れてもらえない形式だった。ちなみに、手順を間違えるとユナイトと一部の上層部を除いて、誰であろうとただちに狙撃されるので注意しなければならない。
ユナイトは、扉を開けて中に入った。
「でさー」「ああ、でも次の依頼が」「そろそろ期限」
玄関のすぐ側には横長の廊下があって、色々な暗殺者が部屋を往来していた。
筋肉質な大男に、色仕掛けが得意そうなレディー。一見優しそうに見える好青年や同年代くらいの少年まで、様々な暗殺者が互いに話を交わしながら歩いている。
だが、ユナイトの姿を見ると、みんな黙って足早にその場を立ち去り始めた。あまり、印象は良くないようだ。
ユナイトは、土足のまま廊下を歩き、階段を登る。しばらく廊下を歩いて、目的地である部屋の前にたどり着いた。普通に三回ノックをして、「失礼します」と言って入った。
「おお、帰ったか。漆黒のルベライト」
部屋の中は応接室だった。机を挟んで両隣に横長のソファーが置いてあって、そのうち片方に片眼鏡をかけたタキシード姿の老紳士が座っていた。
ユナイトを見るなり、漆黒のルベライトという彼女のコードネームを口にした。ユナイトは、少し不機嫌そうな顔をする。
「その呼び方はやめてください。厨二臭いです……」
「何を言う、れっきとしたコードネームだろう。もしかして、私の名前の付け方に文句があるというのかな?」
「大ありです。センスを疑います。まあ、ルベラと呼ばれる分には構いませんが……」
ユナイトは、そう言いながらソファーに腰掛ける。
「うむ……。私の孫はこういう名前が大好きなのだが、若い子の流行りではないのか……」
「判断基準が孫なんですか。勘弁してくださいよ、本当に……。──それより、依頼の話をしましょうか」
二人は、本題に入った。
「ああ、そうだな……。今回のショテシーヌ王国の王の暗殺の依頼、無事に達成されたようだな」
「はい。シーヌ王と護衛の二人を暗殺した後、速やかに撤退いたしました。問題はございません」
「さすがはユナ。組織に所属して以降すべての依頼を完璧にこなしているし、君に任せていれば何の心配も無いな」
「そうでもありませんよ……。完璧な人間なんていません。腕のこともありますし、必要以上に期待されても困ります」
「謙遜にしか見えないぞ。だが、まあそうだな……。かかるストレスも並大抵のものではないだろう。頼りすぎないようにはしよう」
「ええ、助かります……」
「だが、最後に一つだけ受けてほしい依頼がある。これが終わればしばらく休暇を与えよう。聞いてくれないか?」
「はい、何でしょうか?」
「……この子だ」
そう言って、老紳士が一枚の紙を取り出して、机に置く。依頼のために作成された、殺害対象者の写真と身体的特徴が書かれている紙だった。
そこには、白髪の肩ラインボブに、赤と青のハイライトのないオッドアイをした女の子の写真があった。依頼の内容について、詳しく説明が入る。
「……珍しいですね。こんな歳の女の子に依頼が出されるなんて」
「ああ、名前はエノキと言う。現在はツッギーノ共和国に滞在していて、今後しばらくも国の中を転々とする予定だそうだ。依頼を出したのは国の代表。要するに大統領だ」
「ノツギ大統領ですか……。イメージがありませんね。まさかそんな人だったとは」
「人は見かけによらないよ。本来であれば学業に勤しむ少女が世界最強の暗殺者だったりするしな」
「つまり、『お前が言うな』ですね……。それで、なぜ依頼が出されたのでしょうか?」
「真偽は不明なのだが……。どうやら、大統領曰く得体の知れない人物らしい。戸籍はなく、自らを別世界から来た旅人と称していて、そんな意味の分からない設定が周囲に納得されているとのことだ」
「何を言ってるんですか?」
「私にもよく分からない。ただ、この少女が国に現れてから、原因不明のアレルギーを発症して死ぬ者が出たり、子供のいない夫婦や独身の方の家から、存在しない子供の写真や衣服などが出てきたりと、不可解な事件が増えたらしい。あの国は、人一人が死ぬだけで大騒ぎになる平和な国だ。なのに、ここ最近は不審なことが起きすぎている。よって、大統領が謎が多すぎるこの少女を秘密裏に暗殺してほしいと依頼を出してきたわけだ。依頼の内容にも不可解な点が多いが、断るほどの理由は無いので引き受けることにした。頼めるのはユナしかいない。頼んだ」
「は、はあ……。とりあえず、承知いたしました。この少女は、私が暗殺します」
「頼んだぞ。詳しい日程は後ほど教える。気を抜かずに挑んでくれ」
「言われなくても……。では、失礼します」
ユナイトは、一礼して部屋から出る。
それから、またしばらく廊下を歩いて、自分の部屋へと入った。有力者にしか与えられない組織内有数の個人部屋だった。
中はベッドや机、クローゼットなどの家具が置いてある。殺伐とした外装から想像もつかないよくある普通の部屋だった。
ユナイトは、扉の鍵を閉めるとローブを脱ぎ始めた。脱いだローブや黒い眼帯をかごの中に入れて、着替えを始める。
探偵風のネクタイ付きワンピースをベッドに置いて、上の服を脱ぐ。
「……」
そこで初めて、二の腕ほどの長さのない、切断された腕が露出した。少女には、左腕がなかった。生まれつきではなく、後天性のものだった。
ユナイトは、とある貧困国のスラム街で生まれた。劣悪な環境で親にも恵まれず、普段から暴力を受けてろくに飯にもありつけずに過ごしていた。
共に生まれ育った兄や姉、弟や妹が死んでいくのが当たり前な日々で、ただ一人生きることに固執し続けていた。
だから、親にもなおのこと嫌われた。働かせるにもあまり役に立たないユナイトを殴り続けた。毎日毎日、殴り続けた。
しかしそれでも彼女はめげない。そんなユナイトを良く思わなかった親はある行動をとった。寝ている隙に彼女の手足を拘束して、左腕を刃物で切り始めたのだ。
当然、ユナイトは起きて、痛みに苦しみ悶える。麻酔もなく尋常でない痛みを感じながら、抵抗を試みる。だが、どう頑張っても動ける状態になかった。
とうとう、ユナイトの左腕は体から離れて、つながらなくなった。あまりの痛みにぴくぴくと体を震わせながら、気絶していた。
親がこんな行動を取ったのにも訳があった。それは、子供の手や足、臓器などがそれなりに高値で売れるからだ。
今までも、栄養失調などで亡くなる寸前の己の子供の手足を切って、それを売り捌いていた。瀕死寸前なのは、親なりの慈悲だった。その慈悲は害でしかないが、親にとっては優しさだった。
しかし、ユナイトはあまりに元気すぎる。放っておいても、殴っても弱る気配がない。どんな飯だってがっつくし、泥水だって平気で飲む。なので最後の手段を取った。
ユナイトは、気絶し続けたまま倒れていた。親は、もう亡くなるならとどんどん手足を切り落とそうとする。もはや容赦はなかった。
手足にどんどん伸びる刃物。拘束されたまま気絶している無抵抗の少女。あと一歩で、彼女の人生は終わる。そんなときだった。
刃物を持っていた親の手が瞬時に切り落とされる。少し遅れて親は自身のなくなった腕に気が付いて、痛みを覚える。涙を流しながら叫び始める。その姿はとても情けなかった。
そして、一人の男が場に現れる。その男こそが、片眼鏡をかけたタキシード姿の老紳士。組織のボスだった。
ボスは、コツコツと建物内に足音を響かせて、ゆっくりと親へと近付く。すると、親は懇願し始めた。もうこんなことはしないから助けてくれと。
親は親で、悪いことをしている自覚があったようだ。プライドなんて持たずに、堂々と謝り始める。
ボスはため息を吐くと、持っていたナイフで親の喉元を突き刺した。即死だった。勢いでそのまま後ろに倒れて、仰向けのまま動かなくなった。
ボスは死体を蹴飛ばして、そこにあるユナイトの姿を見る。血を流していて、放っておけば死んでしまう状況。
そこで彼は、自前の医療用具を取り出した。清潔な布を当てて、圧迫止血を行う。
とりあえず命が助かるだけの応急処置。時間をかけて出血を止めると。彼女の意識が戻る前にとすぐに拘束を解いて、おんぶをして連れ帰った。
数日後、ユナイトは目を覚ます。
辺りはよく分からない城壁で、ベッドの上で寝ていた。状況を呑めずにいると、ちょうどボスがやって来る。
意識を失う直前まで痛ぶられていた少女に、まず安全であることを伝える。それから、何があったかを説明した。腕がなくなったことや、親は殺されたことを。
ユナイトはすべてを理解した。そして、絶望した。これから自分はどうすればいいのか、必死に足掻くしか生き方を知らなかった彼女は、途方に暮れたような表情で俯き始める。
そんな彼女にボスは問う。これからどうしたいか。つまり、どう生きたいかを。少女が望む道に進ませる。それがボスの意思だった。
ユナイトは、長時間悩んだ。ボスも、幼子には酷すぎる選択肢を突きつける自分を呪いながら、答えが出てくるのを待った。
しばらくして、ユナイトは口を開く。自分はどうすればいいか分からない。だから、できるのであればここにいたい。恩人であるボスに報いたい。そう言った。
ボスはその選択を尊重し、組織に所属させる決断をする。ユナイトも、生きるためにはそうするしかないと理解して、ボスの言う通りに訓練をこなした。
ユナイトには才能があった。殺しに関してなら、一回動きを見るだけで完璧に真似できるほどの適応力があった。
持ち前の才能と若さ故の吸収力を活かして、技術や知識をたくさん取り入れていく。
そうすることで、ユナイトはどんどん強くなっていった。初任務ではボスのサポートは必須だったが、今では世界最強の暗殺者として世界中から恐れられるほどに成長を遂げた。
狭い世界の中に囚われていた彼女はもういない。恩義に報いるために、日々任務をこなすようになった。
そして今に至る。
ユナイトは、スカートを脱いで探偵風のネクタイ付きワンピースを着た。年齢や色の相性もあって、よく似合っていた。暗殺者の格好に着替えると、それこそ厨二病にしか見えない。
ユナイトは、服をすべてかごの中に入れてベッドに転がった。天井を眺めながら、考え事をする。
「どうしてだろう……。次の任務、何だか嫌な予感がする。こんなこと、今まで無かったんだけどな……」
ユナイトは、妙な胸騒ぎがしていた。
次の殺害対象はただの女の子。ミスなんてするわけがない。だが、暗殺者としての勘が言っていた。これまで通りにはいかない何かがあると。
「気のせいだと思いたいけど……。まあ、今は考える必要もないか」
ユナイトは、とりあえず一息つくことにして、その日一日を穏やかに過ごした。
それから二日後のことだった。
依頼の詳細を詳しく聞いたユナイトは、早速暗殺のために下見に出ることにした。
ツッギーノ共和国の街道をよく見て回ったり、わざわざ山まで赴いたり。殺しやすい場所や逃げ道を念入りに確認する。
「実行日は三日後。服装は白いリボンが目立つ黒の半袖セーラー。白黒の対照的なカラーが特徴的で、顔立ちが幼い……。探すか」
依頼書の写真を見比べながら、リスクはあるが殺害対象者が今いるとされる大きな民家の近くまで向かった。
待ち人のふりをしてしばらく立っていると、家から対象者であるエノキ・ユキノシタが出てきた。服装はまったく変わらず黒のセーラー服だった。
「尾行開始だ……」
ユナイトは、絶対にばれないようにあとをついていく。壁の裏に隠れたり、時に先回りをしたり、徹底してエノキを観察し続けた。
エノキは、行動の読めない動きを取り続けた。目的もなく街を出歩いたり、小さな子供の群れに混じって公園でボール遊びをしたり。
初めは子供みたいな生活スタイルかとユナイトは思った。実際、見た目は完全に子供なのでそこまで違和感はなかった。
しかし、子供のように平和に遊んでいるかと思えば、今度は老夫婦に何かを聞いて談笑し始めたり、路地裏を歩いて絡んできた男の集団を殴って返り討ちにしたり、突然不穏な行動に出ることもあった。
ユナイトは、尾行をしている暗殺者の身ではあるが、エノキの不審な行動に警戒心を抱いた。
(動きが不規則すぎる……。予測のつかない人間が一番恐ろしい……)
その後も、ユナイトは背後から動きを追った。老若男女に関わらず、エノキはずっと不規則な動きを取り続けていたのだが、一つだけ行動が一貫していることがあった。
それは、人との会話を積極的に行うということだった。別世界から来た旅人だと自称していたが、仮にそうだとすると、こののらりくらりな動きにも納得がいく。
ユナイトは、依頼を完璧にこなすために『別世界の人間』というエノキの謎の設定に付き合うことにした。その上で、彼女を殺す方法を考えた。
(対象者は身体能力が高い……。相手の不意をつける方法がベストだけど……。あ、一ついい方法がある……)
世界最強の暗殺者は、最善の暗殺方法を思いついた。心の胸騒ぎが、じわじわと収まっていく。自信が心の内を占め始めた。
ユナイトは、対象者の様子を最後に一目見て、そっとその場を立ち去る。
「絶対に殺す……」
そう捨て台詞を吐いて、組織の本拠地へと帰った。実行日は二日後。
それまで、逃げ道を確認したり、殺害方法を考えたりと念入りに計画を練った。ユナイトは、時間をすべてエノキの暗殺に費やした。
* * *
ある建物のベッドの上で、一人の女の子が目を覚ました。
「ふへぇ……」
白髪の肩ラインボブにハイライトの無い赤と青のオッドアイをしていて、黒のセーラーに膝上丈のスカートを着ている。名前をエノキ・ユキノシタと言った。とても眠そうだった。
普段は少女は世界を転々とする旅人で、この世界には訳あって長期期間滞在していた。
そんな、眠そうにうとうととする二度寝態勢に入るエノキの前に、一人の女の人が現れる。
「今日も眠そうですね。でも、起きてくださいよ?」
女の人が、エノキの体を揺らして起こす。エノキは、「うえぇ……」とか「うへぇ……」とかよく分からない声を漏らしながら、体を起こした。
「おはようございます……。今日も一日よろしくお願いします……」
「ええ、今日こそ会えるといいですね」
「はい……今日こそは漆黒のルベライトに会ってみせます」
エノキは、ある一つの興味から長期にわたってこの世界に滞在していた。それが、この暗殺者だった。
エノキがこの世界に来て一日目。まず最初に耳にしたのは、世界最強の暗殺者の噂だった。何でも、その暗殺者はローブをまとった学生くらいの女の子で、組織から依頼を受けたら誰だって無慈悲に殺してしまうらしい。
そんな噂を聞いて、エノキは興味を持ってしまった。ああ、会ってみたいと。早速そう考えたエノキは、ある行動を取り始めた。それは、とにかく目立つことである。
男に襲われそうだったこの女の人を助けて、恩返しとして少しだけ居候させてもらったり。色々な人に話しかけて、別世界の旅人であることを吹聴して名前を広めたり。襲いかかってきた集団を返り討ちにしたり、時には存在を抹消してみたり。
そうして不可解な要素をたくさん刻んで、暗殺の依頼が出るように動き回っていた。
エノキは朝食をいただいて準備を済ませると、鞄を肩から腰へとかけて、白いミニベレー帽を被って外に出た。
「でも、旅人である以上、滞在のしすぎは良くないよね……。やることもなくなってきたし、滞在の期限を設けることも考えないと」
エノキは、街中を歩きながらそう考える。目立つためにやることはちゃんとやった。あとはその辺を散策して暗殺されるのを待つだけ。
とは言っても、必ず殺されるとは限らないので、期限について妥当な期間を決めることにした。一日、三日、五日……。暗殺者に会いたいという欲と、会えない可能性を考慮しなければならない葛藤がぶつかり合う。とりあえず、三日にしようと考えたときだった。
「わっ……ひゃぁ……!」
「ん?」
エノキの反対側から歩いてきた少女が、突然転んで持っている買い物カゴをぶちまけてしまった。中に入っている果物や野菜が周辺に散らばる。
「あわわわ……」
バードテール(レギュラースタイル)の少女だった。赤い目をしていて、白セーターとデニムスカートから、さらに三角巾とエプロンを着ている。少女は、慌てふためきながら急いで果物や野菜をかごに詰める。よく見ると、少女は左腕がなかった。
「ああ、手伝うよ」
エノキはそれに気が付いて、散らばったものを手に取って、カゴへと入れていく。少しして、すべて入れ終わった。
「あ、ありがとうございます……。わざわざ拾ってくださったおかげで、とても助かりました……!」
おどおどした態度で、申し訳なさそうに呟いて、九十度の礼をする。
「べつにいいよ。暇だったし。でも、転ばないように気を付けてね」
エノキは、余計な不安を感じさせないために、気さくにそう言った。
「は、はい! そのお言葉、肝に銘じておきます……! あの、ところでエノキさん……ですよね?」
「え? あ、うん。そうだけど……。知ってるんだね」
「ええ、巷では少し噂になっていますから。人助けをしたり、襲ってきた人を返り討ちにする謎の少女がいると……。もしよろしければ、お礼に時間を潰しながら、私の両親が経営しているレストランでお食事でもどうですか? もちろん、お代は結構です……!」
別れる流れになるかと思えば、向こうが大胆な行動に出た。少女は、勇気を振り絞りながらエノキを誘う。
エノキは、どうしようか迷ったが、暇でやることもなかったので、ついていくことにした。
「分かった。よろしくね」
「は、はい!」
「そういえば、あなたの名前は?」
「ユナイトです……! 友人からはユナって呼ばれてます」
「いい名前だね。じゃあユナ、昼食まで時間を潰すんだったよね? この街の案内でもお願いできる?」
「お任せあれです!」
二人は寄り道をしながら、ユナイトの両親が経営しているとされるレストランまで向かうことにした。
「まさか、山の中だとは思わなかったよ……」
二人は険しい山の中を登る。体力に関しては問題なかったが、レストランがあるとは思えない道のりだったので、エノキは驚く。
「そうなんです……。おかげさまでお客様が来なくて、破綻寸前です……」
「じゃあ街降りようよ! 突っ込みどころしかないじゃん!」
「ううっ……返す言葉もございません……。でも、お母さんもお父さんも全然聞いてくれないんですよー……」
「大変そうだね……。そんなところに恩人を案内させる理由は……。もしかして、客稼ぎ……?」
「うっ……!」
ユナイトは、あからさまに驚く。
「モロじゃん……。まあいいけどね。暇を持て余すくらいなら、変わり映えのある生活のほうが楽しいし。その代わり、美味しくなかったら容赦しない……!」
「ど、努力いたします……」
二人は、ひたすら歩き続けてレストランへと向かう。
しばらく歩いていると、開けた場所に出た。木々や草がまったく生えていない、日光がよく当たるぽっかりと空いた楕円の空間だった。二人は、その空間のど真ん中まで来る。
「あと、どれくらいで着きそう?」
エノキは、背を向けて何かを準備するユナイトに向けてそう質問する。
ユナイトは、エプロンを脱ぎながら、
「……あと20分くらいです」
先ほどまでのおどおどした声色が感じられないかしこまった口調で、返す。少し、様子が変わっていた。暑いのだろうか。
エノキがユナイトの準備を待っていると、
「準備が整いました。ではいきましょうか」
ユナイトが相変わらず背を向けながらそう言う。それを見たエノキは、
「うん、ゆっくりで……」
ゆっくりでいいからね。そう優しく言葉をかけようとする。そのときだった。
「あれ……?」
ユナイトの姿が突然消えた。瞬間移動をするかのように、エノキの視界からぱっと消える。エノキが辺りを見渡す。
すると、
「ここですよ……」
「なっ……!」
片手剣を持ったユナイトが、エノキの背後を取って言った。エノキが気が付いて首を向けたその瞬間、ユナイトはエノキの片腕を目にも止まらぬ速さで切断した。
エノキが反応する間もなく、片腕が吹っ飛んで、少し離れた場所に落ちていく。ユナイトは、すぐに距離を取る。
「え、何で……?」
エノキが聞くと、
「あなたに暗殺の依頼が出されたからです。──改めまして私は暗殺者。コードネームは漆黒のルベライトと申します。組織内ではルベラなんて呼ばれていますね。長期間滞在しているなら、聞いたことくらいはあるのではないでしょうか?」
ユナイトはたしかにそう言った。エノキは目を見開いた。彼女の言う通りならば、彼女こそが世界最強の暗殺者であり、エノキが会いたがっていた相手だった。
まさか、あんな大胆に一般人のふりをして近付いてくるなんて……。エノキは、ユナイトの作戦の内容を何となく理解して、驚いた。
遅すぎる気もするが、エノキは警戒心を強める。そんなエノキの様子を見て、ユナイトはある一つの疑問を覚える。
「そういえば、一つ聞いてもいいですか?」
「ん、どうしたの?」
「何で血が出てないんですか……? 痛がる様子もありませんし、おかしいですよね?」
「ああ、これのこと?」
エノキは、切断されて無くなった自分の腕を見つめながら、答える。
「私、基本的に物理攻撃は効かないんだよね」
「……は?」
「魔力を持った攻撃や魔法に感じてなら、場合によってはダメージが生じて痛みを負うんだけど、刃物でぐさりとかばっさりとか、そういうのは一切効かないよ」
「ええ……」
「精神攻撃なら例外なく通るけど、それが対策できていない以上今さらできるはずもない。だから、もう詰んでるよ。ユナ。……ユナでも良かったっけ?」
「そ、そんな……」
ユナイトは絶望を覚えた。胸騒ぎは正しく、嫌な予感は的中してしまった。
エノキは間違いなく常識が通用しない化け物だ……。ユナイトは今の一連の流れで直感的にそう考える。
任務成功のために別世界から来た旅人なんて無理な設定を信じていたが、本当にそうだなんて思うはずがない。ユナイトは己の不運さを呪った。
だがその上で考える。私は暗殺者。今最善の選択を取らなければ任務は失敗する。それだけは避けなければならない。
ユナイトは考える。
(奴は片腕がない……。このまま手足を切断して動けない状態くらいには……)
そんなときだった。
「さて、腕直すかー」
「……はい?」
エノキは、二の腕から先の無い片腕を目を発光させると、光に包まれながら腕を再生し始めた。
まるで最初から切断などされていなかったかのように綺麗に腕が光と共に現れる。
気が付けば地面に転がっていた腕はなくなっており、何事も無かったように修復が完了した。
「はあああああ……?!」
普段は冷静沈着な彼女だが、さすがの人外すぎる行動に驚きを隠せなくなっていた。思わず声が漏れてしまう。
「ふふっ、だから言ったでしょ。私に物理攻撃は効かないって」
エノキは物理攻撃は効かないことを、わざわざ顔の前でピースをしてアピールする。ユナイトは引いて、言葉も出なくなる。
「さて、そろそろこっちもいこうか」
「あ……」
ユナイトが唖然したままでいると、そのうちエノキが戦闘体制に入り始めた。ユナイトは、はっとして片手剣を構え始める。
今は何も考えるな……。戦っているうちに必ず何か勝つヒントが浮かぶはず……! そんな期待を胸に、エノキを睨んだ。
そんな睨まれているエノキは、鞄から中にあるものを取り出し始めた。ユナイトは、それを注視する。やがてエノキが中から取り出したのは、銃だった。
ユナイトは首を傾げた。なぜなら、この世界には銃が存在しなかったからだ。歴史上銃が生まれて一般に流通するのは、この世界では数十年以上先のことになる。なので、知らない形状の何かが出てきて、ユナイトは困惑する。
エノキはその銃を両手で構えると、
パンッ……!
何の躊躇いもなく引き金を引いた。銃口から白いエネルギーの弾が発射され、目にも止まらぬ速さで飛んでいく。
「……っ!」
ユナイトは、それをすんでのところで躱した。あと一瞬反応が遅れていれば、今頃弾が命中して、エネルギーを体内に取り込むことで拒絶反応を起こし、悶絶していたことだろう。
銃を知らない者からすれば明らかに初見殺しだった。躱わせたのは彼女だからだ。ユナイトでなければ今頃喰らっていた。
だが、ぎりぎり避けられたユナイトも気が気ではなく、銃という未知の武器に恐怖を覚え、鼓動がバクバクとなり始めた。
「さあ、どんどんいくよ」
エノキはユナイトの回避に驚きつつも、どんどん撃ち始めた。パンッ……! という音が周囲に響き渡る。
ユナイトは銃口の向きを見ながら、右へ左へと飛び込んだりして避ける。
「おお、すごい……」
エノキも、撃ちながら敵を称賛する。そんなことを言える余裕があるのは、物理攻撃が効かないという精神的な余裕があるからだろう。呑気に呟く。
ユナイトは、避けながらどんどんエノキの下へと近付いていく。何度も回避するうちに、確実に距離は縮まっていた。
ユナイトは確信する。次の攻撃を躱わしたら、あとは飛び込めば動きを抑えられると。ユナイトは、最後に銃口の向きをよく見る。
パンッ……!
「ほっ……!」
そしてそれを見事に避けた。それから、すぐさま地面を蹴って、高く飛び上がる。このまま太陽を背に上から襲い掛かれば、視界が遮られて対応できないはず。長年の経験から、ユナイトは絶対的な自信を胸に飛び込んだ。
だが……、
「よし、かかった」
「……え?」
ユナイトが勝利を確信したのも束の間、エノキは、銃を空中に置くようにして手から離すと、そのまま飛び込んでくるユナイトの首根っこを力強く掴んで、そのままねじ伏せるように地面に叩きつけた。
「がはっ……!」
体勢が体勢だったがために、背中の辺りが強く叩きつけられることで、痛みで動けなくなってしまう。そんな仰向けに倒れるユナイトの首を掴んだまま、エノキはユナイトの上に馬乗りになる。
「焦りは禁物だよ。それじゃあ私には勝てない。大人しく引いておくべきだったね」
「くそっ……!」
柄にもなく汚い言葉を吐き捨てる。それは負けたことが悔しかったからではない。世界最強の暗殺者としてのプライドが許さなかったからでもない。
ただ、単純に依頼をこなせなかったことが、何よりも悔しかったからだ。
恩返しのために組織に入って、依頼を完璧に達成させることだけを考えて生きてきた。人生、初めての失敗。
組織に迷惑がかかってしまう。そんな焦りと不安から、汚い言葉が口から出てしまう。
エノキは、言う。
「さて、今だから言うけど、実は私は以前からあなたに興味があったんだ。正体不明の少女が世界最強の暗殺者として大小に関わらず色々な人物を殺していると聞いてね。なぜだか分かる?」
「き、急に何を……」
「それはね……」
エノキはそう言うと、首を掴んでいる手の力を、いきなり強め始めた。きつくしまって、ユナイトは呼吸ができなくなる。
「あ゛ああ゛あっ……!」
「こうしたかったからだよ……! 世界中の人々があなたを恐れるせいで、中には日常生活もままならなくなる人間すら出ていた。王様などの要人が殺されることで、地域に多大なる混乱が発生していた。それが社会問題になっていることを、色々な人間から聞いたんだ。だから私は考えた。暇つぶしに解決してみようと。世界最強の暗殺者とやらを誘き出して、話をしてみようと。……ということで、女の子をいたぶる趣味はないんだけど、このまま意識を落とさせてもらうよ……!」
エノキは、どんどん掴む力を強めていく。ユナイトは、片腕でエノキの腕を引っ掻いて、精一杯もがく。
しかしその程度で脱出などできるはずもない。ユナイトは苦しみが頂点に達して、震えが止まらなくなる。
(あぁっ……! やばいやばいやばいやばい……。ダメだ……! 死ぬ! 死んじゃう……! こいつやばい……! 顔がイッてる……! 何が趣味じゃないだよ馬鹿じゃないの……?! 抜け出せない、全然抜け出せないよぉ……! あ゛ああ゛あああ゛っ……!)
エノキは珍しく笑みを浮かべていた。にまにまと興奮した表情で、ユナイトの苦しむ顔を眺めながら、首を力強く掴み続ける。とてもじゃないがまともではなかった。
ユナイトは死を確信して、遠のく意識に身を任せる。そのままぱたりと動かなくなった。体の震えが止まった。
「うん、意識は飛ばせたみたいだ。あとはどうやって話をする流れに持っていくかだね……。んー、人質にでも取っておこうかな?」
エノキは、ユナイトが気絶したことを確認すると、組織の者が来たときのために人質に取ることに決めた。
「にしても、かわいい顔だったなー……」
ユナイトの暗殺は、失敗に終わった。