10話「すべてを知る世界」
とある世界の野原の上で、白髪のオッドアイことエノキは、風を受けながら腕を上げて伸びをしていた。
「んっ……。この世界も面白かったな〜。まさか、物語の途中で主人公の勇者が病死して、王国の混乱を気に病んだ魔王が、新しい最強の勇者として正体を隠しながら生活している世界だなんて。事情を知らない私がそれを大勢の前で指摘しかけたときの魔王ちゃんのあの絶望に満ちた表情……。すっごく可愛かったなー」
エノキはこの世界での旅を終えたあとだった。ちょっと変態みたいに、にまにま顔を浮かべながら余韻に浸る。
目にハイライトが無いのもあって、側から見れば危ない人にしか見えなかった。
「まあ、さすがに空気を読んで適当に誤魔化したけど。私、部外者だし……。でも、魔を統べる王といえば征服を企むのが普通だよね。何で均衡を保とうとしたんだろ……」
勇者と魔王の構図と言えば、普通は魔王が世界の征服を企んで、勇者がそれを止めるためにパーティーを組んで冒険に出るのが普通だ。
そうして、勇者が少しずつ成長していくうちに魔王軍と衝突していって、最後には勇者が魔王を討ち滅ぼすのがセオリー。
だが、この世界の魔王は違った。人類側で最も強い勇者が死んで、征服は目前だというのに、魔王は勇者のふりをして人々に希望をもたらした。
しかも、ぬか喜びをさせようとするわけでもなく、ただ純粋に人類と魔王軍の均衡を保とうと必死な様子。はっきり言って普通ではない。
「なんでだろうなー……。まあ、もう出ていくからそれを知る必要もないんだけど。それじゃあ、次の世界へ行こうかな」
エノキは、目を蒼く発光させると、
「多次元干渉」
体が光に包まれて、光と共にあっという間に世界から消え去っていった。
「よし……」
瞬間移動をするかのように新しい世界に舞い降りると、エノキはまず、辺りを確認した。
発展度は凄まじいようだ。天に届きそうな勢いで、同じ高さの超高層ビルが碁盤目状に無数にそびえ建っている。
空にはネオンの光が投影されることで道路が形成され、実体のないネオンロードの上を空飛ぶ車が走っている。
そんな、ビルや車などが真上に広がる広場の真ん中に、エノキは立っているのだが、
「あれ……?」
ふと気が付くと、数千人の老若男女がエノキを取り囲んでいて、その全員がエノキのほうを見てにっこり笑顔を浮かべていた。
気味が悪くて、エノキは思わず肩がビクつく。
(何……これ……)
エノキが前後左右に首を向けて戸惑っていると、人集りの中からおじいさんが出てきた。
「ようこそ、お待ちしておりました。エノキ様」
「……っ!」
老人は、皆を代表してたしかにそう言った。
「私はこの国の総理大臣を務めております。ロージです。本日は誠に……」
「い、いや……ちょっと待ってください……!」
何事もなく話を進めようとするので、エノキは思わず老人ことロージの言葉を途中で遮る。
「どうしましたか?」
「何で私の名前を……私がここに来ることを知っているんですか? おかしいですよね……?」
エノキが、警戒しながら訊ねる。なぜ、自分のことを前もって知っていたのか。そしてその手段は何なのか。
これまで前例のない事態に遭遇してエノキは不安を抱いていた。冷や汗が頬を伝っている。鞄の中に手を突っ込んで、構えを取っていた。
そんなエノキの異常な様子に気が付いて、ロージは「ああっ」と、思い出すように質問に答える。
「申し訳ありません。説明を忘れていましたね。心配しなくても、私達があなたに危害を加えることはありません。ですから、そのバッグから手を離していただけませんか?」
ロージは、一切声色を変えることなく、穏やかな口調でそう言った。
「バッグの中身まで知ってるんですね……。分かりました。敵意がないのであれば、これは出しません。もっとも、そこまで事前に分かっている相手に敵うはずもないのでしょうが……」
エノキは、突っ込んだ手をバッグから出して、カチッとボタンで閉める。
「それで、なぜ私のことをそこまで知っているんですか? 教えてください」
再びエノキが訊ねる。すると、ロージはとくに躊躇することもなく、その手段を話し始めた。
「予言です」
「……予言?」
「そうです。信じられないかもしれませんが、実はエノキ様がこの世界にやって来ることは、すでに予言されていたんですよ。それも9192年前に」
「そんなに前から……。どんな風に予言されていたんですか?」
「そうですね……。あくまで予言の一つにすぎませんが、『西暦6154年。桜が散る七日の昼頃に、一人の少女が次元を渡ってこの世界に訪れる。場所は街の中心部の広場で、旅を理由に六日ほど滞在するだろう』という風に記されております」
「日時まで当てるとは、かなり正確なんですね……」
「はい。まあ、そういうことです。この世界では、これから起きるありとあらゆる事象が、すべて予言によって記されています。分からないことなど、万に一つもございません」
自信満々にロージは言った。そこまで言うほどなのだから、予言が外れたことなどないのだろう。エノキはそう思い、そのまま探りを入れる。
「すごいですね。……その様子から察するに、これまで一つも予言は外れていないということでしょうか」
だが、
「はい、その通りです。やはりエノキ様は予言の通り、好奇心旺盛で、観察眼が優れているご様子。この六日間もめいっぱい楽しんでいただけることでしょう」
「ええ、楽しみにしています……」
結局、謎が深まるばかりだった。何なら、エノキが六日間のみ滞在することを強調されて、不信感が増したくらいだ。
予言予言と言うだけで、その実態は何もつかめない。そういうものと思うしかないのだろうかとエノキは思考を放棄しようとしていた。
「では、ようこそ! 我が世界へ!」
ロージが高らかにそう言うと、一斉に拍手が起こる。数千人もいるので、音に途切れがなかった。拍手のマシンガンのようだった。
やがて少しずつ拍手が止むと、老若男女達は解散して、各々買い物や運動、仕事などを始めていく。
その場に残されたのは、エノキとロージと一人の女の子のみとなった。
「えっと……その人は?」
エノキが女の子について聞くと、
「この子は私の孫娘です。まだ14歳ですが、経験を積ませるために案内役を務めさせようと考えています。よろしいでしょうか?」
「ええ、構いませんが……」
そんな答えが返ってきた。その十四歳の女の子は百七十センチメートルくらいはありそうだった。
エノキがその子は? ではなくその人は? と聞いたのは、自身よりも三十センチメートル高いその子を見て、とても十四歳の子供とは思えなかったからだった。
女の子の風貌は、茶髪のポニーテールに赤いリボンが目立つ白のセーラー服で、案内役だからか、頭には『案内役』とそのまま書かれたハットを被っている。女の子が挨拶を始めた。
「案内役を務めさせていただきます! コナノです! よろしくお願いします!」
元気な挨拶だった。エノキからすれば、その巨体からハキハキと喋られているので、もはや圧すら感じているのだが……。
「よろしくね……」
エノキは、少し驚きつつも挨拶を返す。
「じゃあ、しっかり役目を果たすんだよ。くれぐれもエノキ様に粗相のないようにな」
「うん、頑張る……!」
女の子ことコナノはロージに笑顔で言った。
「ではエノキ様。この世界をお楽しみください。分からないことがあれば気軽にコナノに訊ねてください」
「はい、ありがとうございます」
ロージは一礼して去って行った。二人は、そんなロージの背中を見えなくなるまで目で追った。やがて見えなくなると、
「では、行きましょうか。エノキ様!」
「あ、うん。案内お願いね」
コナノがそう話しかけてきた。コナノによる案内と、この世界の旅が始まった。
二人は、街の中を歩いていた。人間の数は多いが、周りの人々がコナノの案内役の帽子を見て邪魔をしないように避けていく。おかげで快適に歩くことができた。
「そういえば、案内って何をするの? 何でも知ってること以外は普通の所だよね?」
エノキは、純粋に気になったことを述べる。見たところ、発展度の高さが著しい以外は普通な様子。
わざわざ、案内役をつけさせる意味があるようには思えなかった。
「実はですね。今日私がエノキ様を案内するのも、すべて予言されていたんです。なので、案内役をしてます!」
コナノがそう答える。どうやら、予言というのはやたら細かいことまで記されているようで、この行動もすべては予言されていたことだったらしい。
「つまり、予定通りに動いてるってこと?」
「いえ、予言通りです!」
「……そっか」
エノキは素っ気なく返した。そして同時に思った。そんな先のことが隅々まで見通されている世界で、ただ予言に付き従って生きるのは楽しいのだろうかと。
しかし、そこに口を挟むのも違うので、口にはしなかった。
(初日で帰ってみるのも一つの手かな……)
それから、コナノによる案内のもと、世界の観光が始まった。
まず案内されたのは、ビル群に囲まれている巨大な公園だった。無機質な空間の中に、ただ一つ緑が主張されている。
公園はのどかで、木々の間を舗装された道がまっすぐ、もしくはうねってどこまでも伸びていた。
そこでは子供が走っていたり、初老の夫婦がジョギングをしていたりと、公園ならではの光景が見られる。
二人は舗装された道を歩きながら話をしていた。
「ここは第一公園です。噴水のある広場や、大人も楽しめるような遊具が設置されているエリアがあったりと、憩いの場としてみんなに親しまれています」
「へえ、第一ってことは第二第三があるの?」
「はい、環境や見栄えに配慮されているので、この街だけで五つもあるんです!」
「それが多いのかは分からないけど……。とにかく、人気なスポットなんだね」
「です! 私もよく絵を描きにここに来ています」
「たしかに、ビルに囲まれているから、ここは解放されていて何だか落ち着くよ……」
「それは良かったです! 休憩されていきますか?」
「そうさせてもらおうかな」
二人は、初っ端ながら、少し休憩していくことにした。のんびりとしていった。
次に訪れたのは、商業ビルだった。ある高層ビルの中に入ると、そこはショッピングモールになっており、階層やエリアごとに異なる飲食店や娯楽施設などが出店していた。
エノキは案内されるがまま、エレベーターに乗ってお土産コーナーのある階までやって来た。
「ここはお土産コーナーで、世界各地のソウルフードが集まっています。どれも美味しいんですよ!」
「世界各地の……何かおすすめはある?」
「そうですね……。クラー県ゴクラ区の紅まんじゅうなどいかがでしょう。赤い生地でできたこしあんのまんじゅうで、食感はもちもちでふわふわ。中には甘いあんこが詰まっていて、口の中でとろけるような美味しさが好評なんですよ!」
「何その無性に食べたくなる説明……。ふわふわであまあま……食べたい……」
「買ってきますね!」
エノキの要望にお応えして、コナノが紅まんじゅうの売っている店へと入っていく。
不老不死の生命体は、生きれば生きるほど様々なものを知って幸が薄くなっていくので、美味しいものを食べたりするのが、何よりも楽しみで幸せなことだった。エノキはよだれを垂らしながら待ち侘びた。
少しして、紅まんじゅうがいくつも詰められている箱を持ってコナノがやって来た。すぐに、近くの空いているソファに座って、舗装紙を剥がして箱を開けた。
中にはまんじゅうが区切りの中に詰められている。二人はそこから紅まんじゅうを一つ取り出して、口に頬張った。
「……美味しい!」
その味はまさに絶品だった。皮が薄く、噛んだ瞬間にあんこが弾けるように口の中に広がっていく。
舌の上で皮やあんこが溶けていく感覚がたまらない。エノキは、あまりの美味しさで一瞬だけ目にハートマークが浮かんだ。
「ですよねー! 今トレンドの一品で、このまんじゅうを目当てにゴクラ区まで足を運びに来る人も少なくないんですよ〜」
「分かる、その人達の気持ち……。こんなに美味しいんだもん……」
エノキは、話をしながらも一口、また一口とまんじゅう手に取り頬張る。完全に紅まんじゅうの虜になっていた。
「美味しい……美味しいなあ……」
そして、食べ始めてから数分も経たずに紅まんじゅうがなくなった。
エノキは嘆いたが、一家族につき一つまでというルールがあることをコナノから知らされ、大人しく諦めることにした。
「もうくれないまんじゅうだよ……」
そのあとは、同じく商業ビルの中を散策していった。
ゲームセンターでリズムゲームを楽しんだり、娯楽施設でボウリングなどをして遊んだ。
身体能力の高いエノキだったが、そんな持ち前の力をまったく活かせずに、一緒に遊んだコナノに大敗を喫することになったのは内緒。
昼からの観光だったので、それらを済ませると、あっという間に夕方になっていた。
外に出ると、黄金色の太陽がビル群の隙間から見えるのが分かる。
「そろそろいい時間ですし、ホテルに行きましょうか。高級のホテルを手配しておりますので、案内しますね」
「用意周到だね……。ありがとう」
二人は、歩いてホテルに向かうことにした。
高級ホテルは、二人が遊んだ商業ビルから少し離れたところにあるそうで、五分もしないうちにたどり着いた。
エントランスは自動ドアで、入る前から高級感が漂っていることが分かる。エノキは場違いに思い気が引けたが、コナノが迷いなく入っていくので恐る恐るあとをついていく。
コナノの帽子を見て従業員が丁寧に挨拶をしてくれた。本当にここで合っているらしい。場違いではないようだ。
しかし、エノキは今さらながら、なぜここまで手厚い対応なのか気になり、エレベーターで部屋に向かっている途中、コナノに聞いた。
すると、
「ああ、当然ですよ! 何てたって、予言された出来事の中で最もイレギュラーな内容なのですから」
そんな答えが返ってきた。
「イレギュラー……? 私が?」
「はい。これまでも、そしてこれからもエノキ様のような別次元に干渉して世界を行き渡れるような方はいませんでした。エノキ様の到来は、この世界において最初で最後の一大イベントなのです。そんな特別な方が来ることが分かっていて、もてなさないわけにはいきません。ですので、これは当然の対応ですし、何ならこれでも足りないくらいです」
「ただ旅してるだけなんだけどな……」
エノキは、普通の人間にはできない力を持っていることから、ずっと期待されていたようだ。
だからこそ、こんな手厚い対応がなされているわけだが、エノキ自身は旅をしているだけなので、話を聞いてもなお気が引けた。
ちなみに、この世界に来たときいきなり待ち伏せされていたのも、取り囲まれて満面の笑みを浮かべていたのも、すべては手厚いもてなしだったことになるが、あれは心臓に悪いのでやめてほしかったなとエノキは心の中で思った。
話をしているうちにエレベーターが止まり、目的の階層まで着く。ドアが開いて、廊下をまたしばらく歩いて、部屋の前まで来た。
「失礼します……」
ドアノブを引いて中に入ると、目の前には廊下があり、その隙間からスイートルームが見えた。
奥にはカーテンがあって、カーテンを開くと窓からは碁盤目状にビルが建っていて、その景色がどこまでも続いている様子が見える。
下にいたときははるか高く見えた高層ビルが、今は見下ろす位置にあった。不思議な感覚と、発展度の高さ故の等間隔な景色に対する気味の悪さを同時に覚えた。
「すごい……こんな場所初めて……!」
「綺麗ですよね! 一泊するだけでもとんでもない値段になるので、この世界の住人でもなかなか見られない光景なんですよー」
「だろうね……。豪華すぎるもん」
二人は、一旦荷物を机の上に置いて家の中を物色した。
ふかふかなベッドに良さげな雰囲気のランプ。クローゼットや棚の中にはありとあらゆるものが揃っていて、所持品を持ってこなくても快適に生活ができるようになっていた。
お風呂もトイレも空間が広くて、綺麗だった。部屋の探検が終わると、スイートルームに戻って来た。
「ところで、コナノはどうするの? もう夜も遅いけど」
「あっ、えっと……その……」
コナノは痛い所でも突かれたかのように、突然黙り始める。
両手の人差し指をツンツンさせながら、そっぽを向く。先ほどまでのテンションが嘘みたいに場が静まり返った。
「ん、どうしたの……?」
エノキが訊ねると、
「大変申し上げにくいのですが……二人で予約してしまっているので、ご一緒させていただくことになります……。よろしいでしょうか……?」
コナノが俯きながらそう言った。二人で泊まることを事前に告げ忘れた不手際を、申し訳なく思っているのだろう。
エノキはそれを何となく察して、手を全力で伸ばしてコナノの頭に手をぽんっと置いた。戸惑うコナノに、
「もちろん大丈夫だよ。むしろ、一人だと部屋が広すぎるから、そっちのほうが賑やかでいい」
そう言葉をかけた。
「あ、ありがとうございます……。でも、報連相を怠るのは社会人として失格と言いますし……」
「コナノは14歳の女の子でしょ? この世界ではあなたは子供。無理して背伸びなんてしなくていいんだよ。それに、人間誰だって失敗はする。一回失敗したくらいでへこたれてるほうが社会人失格なの。だから、前を向いて改善できるように頑張ろ?」
「え、エノキ様……!」
コナノは、はっとした顔で目を開く。新たな気付きを得ることができたみたいだ。そして、
「ありがとうございます! 私、ミスを減らせるように頑張ります!」
「へぶっ……」
いつも通りのハイテンションに戻って、感謝を込めてエノキにハグをする。
いきなりのことだったのもあり、自身よりもはるかに長い手足に体を包まれて、エノキは身動きが取れなくなった。
このあと、コナノが自分の失態に気が付いて、また謝罪をしてエノキが慰めるという、たった今やったばかりの光景を繰り広げることになった。
それが落ち着いて、ようやく一息つけるようになった。
「ふう……疲れた」
「すみません……もうこんなことにならないように……」
「まだやる? このくだり……」
「あ……」
「まあ、冗談は置いておくとして……そろそろお風呂の時間にしよっか」
「は、はい! では、エノキ様がお先にどうぞ!」
「んー……。いや、私はあとでいいや。先に入っていてくれないかな?」
「え? あ、分かりました。お言葉に甘えて先に入らせていただきます。行ってきます!」
「行ってらっしゃい」
二人は順番にお風呂に入ることにした。エノキから指示を受けて、コナノはハットを机の上に置いて、お風呂の用意を持って脱衣所へと向かって行く。
エノキは、コナノが風呂に入るのを待った。耳をすまして、服を脱ぐ過程で肌に擦れる音を聞き逃さないようにする。
やがて音がなくなると、浴室ドアの開閉音が聞こえて、コナノがシャワーを浴び始めた。
「……さて、そろそろ始めようかな」
エノキは、机の上のバッグを手に取り、肩から腰にかけて下げる。目を蒼く発光させて、次の世界へと向かう準備を始めた。
(この世界の人々にとって予言は絶対。信頼を寄せられる唯一の拠り所で、言わば宗教のようなもの。でも私は違う。余所者だから、予言に従う必要なんてない。コナノには悪いけど、囚われたくない私はこの世界を脱出させてもらうよ……)
エノキは、本当はこの世界からとっとと抜け出したかった。
なぜなら、予言だとかいう根も葉もない戯言によって、自身の動きを完全に読まれてしまったことに気味の悪さを覚えたからだ。
おまけに、自分は六日後にこの世界から去っていくと事前に示されたときた。反抗したくなる気持ちが湧いてこないわけがない。
この世界の住人がエノキに危害を加える気がないことは百も承知だったが、それでも未知の力に対して抱いた恐怖を、エノキは簡単に拭うことができなかった。
エノキは、準備を終えて、転送を始めようとした。
「多次元干……」
そのときだった。
ミ♭ ド シ♭ ラ シ♭ ド レ シ♭ ミ♭ シ♭ ソ ファ ミ♭〜♪
「わっ……!」
突然メロディーが流れ始めて、驚いたエノキは目の発光が薄らいだ。
能力の発動が意図せずキャンセルされてしまう。音のする方向を見ると、ハットからメロディーが流れてきているのが分かった。
「何の音楽……?」
近付いてハットに触れると、何かが認証されたのか、エノキに反応を示して、裏地からイヤホン型のマイクが飛び出てくる。
音楽が止まった代わりに、ハットの中から声が聞こえてきた。
「〜〜〜!」
「誰かが喋ってる……。被れってことかな……?」
エノキがハットを被ると、声と内容がはっきりと聞こえるようになった。
「もしもし、ロージです。エノキ様ですね?」
声の持ち主は、ロージだった。まだエノキは名乗ってすらいないというのに、ロージは話し相手を知っていて、相手がエノキであることを前提に話しかけてくる。
何だか嫌な気分だが、それはひとまず置いておくことにした。
「はい……。コナノなら今お風呂に入っていますが、何かありましたか?」
エノキが訊ねると、ロージはエノキにとって物凄く不本意な回答を始めた。
「はい。一つ伝え忘れたことがありまして、もしよろしければ聞いていただけませんか?」
「……何ですか?」
「エノキ様は目を紅く発光させて発動する『矛盾縫合』と、蒼く発光させて発動する『多次元干渉』という二つ能力をお持ちですよね?」
「……はい」
「ですが、実はエノキ様にはまだ隠された能力が一つあるんですよ」
「は……?」
なぜ、予言しかできないはずの住人が、知り得ないはずの矛盾縫合を、それも隅々まで把握しているのか。
本当に隠された能力があるとして、なぜエノキがそれを知っていないことを知っているのか。
エノキは突然のロージの発言に恐怖を覚え、背筋が震えた。言葉を返せずに戸惑っていると、
「それについて詳しくお話ししようと思っておりますので、六日後にぜひお会いできればと思っています。いかがでしょうか?」
六日後という条件まで指定してきた。エノキの本来の出発予定の人まったく同じだった。エノキは、それを聞いて鎖に縛られる感覚に襲われた。
三つ目の能力について聞くには予言に従わなければならないし、知らずに出て行こうにも、自身の好奇心がそれを拒んでいる。
実際には何の損もないのだが、エノキは退路を塞がれたような気がして、不快な気持ちになった。
とりあえず、
「六日後ですね……分かりました……」
了承しておくことにした。最悪、気が変わったら逃げてしまえばいい。だから、そうなることをただひたすら願おう。というか変わってくれ。そう思いながらエノキは返した。
「はい! では六日後にお会いしましょう。それまでこの世界の観光をお楽しみください」
「ありがとうございます……」
「では失礼します」
ブツッ……。
電話が終了した。エノキは、その瞬間すぐにハットを頭から外した。イヤホン型のマイクが瞬時に格納され、元通りの状態に戻る。
そしてそれを叩きつけるように机の上に置く。さすがに投げるのは躊躇した。
「はあ……はあ……」
エノキは、猛烈な不快感に襲われていた。呼吸を乱しながら、頭を抱える。
「くそっ……!」
柄にもなく汚い言葉を吐き捨てる。エノキは、もう怖くて仕方がなかった。
未知に対する恐怖が増大し、幽霊に怯えて布団から出られなくなるような、形のないものに抱く恐怖の靄が、エノキを包む始める。
視界が悪くなり、視野が狭くなる。ある一つのことしか考えられなくなり、そこから抜け出せなくなった。
存在しない靄に包まれたまま、ただ未知に怯えることしかできない。
(何なんだこの世界は……! 予言という言葉で片付けられないほど発言に矛盾が生じてる……。普通に考えて、予言で別世界の誰かの能力を完全に把握できるわけないでしょ……。本当に何がしたいの……? 分からない……分からないが怖い……)
住人に敵意はない。だからこそ不気味で怖かった。
エノキをキャラクターとして盤面に乗せて、それをプレイヤーとして操れるほどの未知の力を有しておきながら、やることはただの六日間の観光案内。意図が読めなさすぎた。
ただ純粋に観光を楽しんでもらおうとしている可能性もあるが、予言という言葉を前面に押し出して、エノキの能力を知る術を隠していることから、エノキはそう信じることができなかった。
どれだけ考えても話は平行線。エノキが悶え苦しんでいると、
ガチャッ……。
「ただいま上がりました! 湯船に浸かってさっぱりすっきりで最高の気分です! ちなみに入浴剤などは使っていませんよ! 粉ノーですので! コナノだけに!」
意味の分からない発言をしながら、コナノが風呂から帰ってきた。
髪はほどけていて、毛先が背中まで伸びている。服はラフなパジャマに着替えていて、湯気がほわほわと上がっていた。
高級なホテルの高級な風呂ということでテンションが高いのだろう。総理大臣の孫娘と言っても、意外と庶民的な生活を送っているらしい。
空気が読めない人間のようなハイテンションで入ってきたコナノは、床で頭を抱えるエノキを見て、
「あれ、どうかしたんですか……?」
心配そうに声をかける。エノキは体を震わせていて、その背中からただ事ではないことを感じ取った。そっと歩み寄って、エノキの肩に触れようとする。
すると、
「……大丈夫」
肩に触れようとした瞬間に、エノキがコナノに返した。
コナノは腕がピクッとなって、そのまま肩に触れることなく腕を引く。
「でも……」
「大丈夫だよ」
エノキが振り返ってコナノのほうを見る。その顔は、やや引きつりつつも笑みを浮かべていた。エノキが続ける。
「対応が良すぎて怖かっただけ。ほら、私の生まれ故郷はこんなに豊かじゃなかったからさ……。断食のあとにいきなりドカ食いするのと一緒で、ギャップでちょっとしんどくなっちゃって……」
もちろん嘘だが、それらしいことを述べて言い逃れようとした。それを聞いたコナノは、
「なるほど……。たしかにさっきもお疲れの様子でしたしね……。動くことはできますか?」
「うん、少し休憩したら回復するから、そのあとお風呂に行くね」
「はい、分かりました!」
何とか納得してくれたようで、疑うことなく荷物の確認などを行い始めた。
(これでいい。弱さを見せるわけにはいかない……)
エノキは、背中の後ろで震える手を強く握った。
分からないことが多く、それを自身の手で突き止めることができない以上は、自分を強く保つ必要があると思ったからだ。
分からないままでもいい。だが未知に怯えるな。エノキは、心の悲鳴を押し殺して手の震えを止めた。エノキはまた一つ、強くなった。
* * *
それから、エノキはお風呂に入って、ホテル内のレストランで食事を摂って、コナノと談笑をして寝た。
二日目以降も同じように様々な場所を巡った。商業ビルを巡って遊んだり、都市の外に出て本場の紅まんじゅうを食べに行ったり、さらに田舎に行って数十人の老人に可愛がられたり、ある山の頂上にいる予言の神のもとにお参りをして、心の中で予言なんて外れてしまえ……と罰当たりなことを願ってみたり。
何だかんだで観光を楽しみながら、あっという間に六日目になった。
「起きてくださーい! 朝ですよー!」
「……んぅ」
朝からテンションの高いコナノに起こされて、エノキはゆっくりと体を起こす。
だが、朝に弱いエノキは、そのまま体を前に倒して前のめりの姿勢で寝始めてしまう。
この数日間同じことを何度もさせられることで慣れていたコナノは、耳元で囁くかのように口を耳の側まで持ってきて、
「あ! さ! で! す! よー!」
「ぎゃああああ……!」
叫んでエノキをむりやり起こした。エノキは驚きのあまり飛び跳ねて、呼吸を乱す。
「はあ……はあ……心臓に悪いよコナノ……」
「今日はやることがたんまりあるんですからね? 寝てもらっちゃ困ります!」
「つ、強くなりやがってぇ……」
コナノはこの数日間ですっかりたくましくなっており、初対面のときのような余所余所しい態度から一変して、エノキに強い姿勢で出られるようになっていた。
エノキは不満を示しながらも、仕方なくパジャマからいつものセーラー服姿に着替え始める。
着替え終わったらレストランで朝食を摂って、また部屋に戻って諸々の準備を始めた。
鞄を肩から下げて、ミニベレー帽を被ったら、準備完了だ。
「では、いきましょうか」
「うん」
目指すは、ロージの下だった。
チェックアウトを済ませてホテルから出ると、そのまま徒歩で駅へと向かう。駅までたどり着くと、そのまま入っていって、改札をくぐって電車へと乗る。
各駅停車の綺麗な電車に乗って、三駅ほど進む。電車から降りて駅から出ると、さらに徒歩で二十分ほど歩くことになる。
そうしてようやく目的地へとたどり着いた。
「ここが……」
目の前にあったのは、庭のある大きな建物だった。ここは首相官邸で、総理大臣が執務を行う場所だ。門には警備が複数人立っている。
そこにコナノは堂々と歩いて、確認を行い始めた。
「では、どうぞ」
無事立ち入ることが許可されたので、エノキはコナノに案内されつつ、ロージのいる建物まで入って行った。
エノキは、緊張でバクバクと鼓動が鳴っていた。一歩、また一歩と進む度に隠している不安が体に現れて手や足が一瞬だけビクッと震える。
その度に不安を隠そうと体に力を込めるため、かなりぎこちない動きになっていた。
ここさえ乗り越えればすべてが終わる。エノキはそう言い聞かせながら歩いた。
やがて、部屋の前までたどり着いた。コナノが扉を三回ノックする。
「どうぞー」
中から合図が出たので、扉を開けて二人で入る。
「失礼します!」「し、失礼します……」
部屋の中の空気は重かった。いや、重く感じた。
エノキが警戒心を解かないために、本来であれば何ともない何色でもない空気が、不安色に染まって重くエノキへとのしかかる。
部屋は会議室なのか、机を挟んで横長のソファーが向かい合わせに二つあって、その片方の椅子の前にロージは立っていた。
ロージが喋り始める。
「お久しぶりです、エノキ様。改めまして、ロージと申します。本日はよろしくお願いします」
にっこり笑顔で、そう言った。その笑顔に裏はないのかもしれないが、エノキにはどうしても裏があるようにしか思えなかった。
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
「では座ってください」
案内の通り、エノキとコナノはロージの正面の椅子の前に立ち、失礼しますと言って座る。
ロージも同じように失礼しますと一言言って座ると、話が始まった。
「では早速始めたいところなのですが、その前にまずこの五日間について伺わせていただきますね。この世界はどうでしたか?」
「……発展度が高くて、場所によっては観光名所などもあって、それぞれ個性が輝いているという印象でした。ただ驚いたのは、色々場所を巡っていて、まったくと言っていいほど予言というものが絡んでこなかったことです。てっきり予言が日常に溶け込んでいるものだと思っていたので」
この五日間、たしかにエノキは楽しく過ごした。だが、本当にただ楽しいというだけで、それ以外の世界特有の個性らしきものが何一つなかったのだ。
てっきり天気の予言だとか、明日の予言だとか日常に様々な予言があふれているのだろうと思っていたエノキは、そこが不思議で仕方がなかった。拍子抜けという感じだった。
「ああ、そうですね。予言は政府の中でもさらに一部の限られた者しか情報を知ることはできませんからね。その中で必要な情報を必要なときにニュースや新聞などを通して広める。こういう形式を取っています。ですから、予言であふれているわけではありません」
「へえ……」
どうやら自分の中で肥大化しすぎていただけで、この世界は予言という絶対的な存在がある以外は、発展度が高いだけで普通の世界だったようだ。
まあ、その中でも唯一普通ではない予言の内容をすべて知る総理大臣が目の前にいるので、結局安心なんてできないのだが。
「それより、コナノはどうでしたか? 立派に役目を果たすことができたでしょうか……?」
ロージが、心配そうな顔で言う。
「ええ、大変助かりましたよ。むしろ、だらけている私をむりやり矯正しようと奮闘していたくらいですから」
「む、むりやり?! コナノ、何を……!」
「いや、懐かしい気分になりました。誰かとこうして親しくすることがありませんでしたから。本当に嬉しかったんです……」
エノキは、コナノに説教を始めようとするロージの言葉を遮ってそう言う。そんなエノキの様子を見て、
「……喜んでいただけたのであれば良かったです」
冷静さを取り戻して、再び笑みを浮かべた。
「──では、本題に入りましょうか。あの件について」
いよいよ、話が始まった。エノキは覚悟を決めて、まっすぐな瞳でただロージを見つめた。ロージが喋り始める。
「前にもお話ししましたが、エノキ様には目を紅く発光させて発動する『矛盾縫合』と、目を蒼く発光させて発動する『多次元干渉』と能力がありますよね? ですが、実はエノキ様にはもう一つ隠された力があるのです」
「……それは何ですか?」
「名を『理干渉』と言います。これは矛盾縫合と多次元干渉を合わせた複合能力で、精神力が大幅に削られる代わりに、絶大なる力を発揮することができます」
「具体的にはどんな力があるんですか?」
「詳しくは私にも分かりかねます。何せ、予言ができないほどの常識を覆す力なのですから……」
「そうですか……」
嘘か誠かは分からないが、おそらく本当なのだろう。エノキはそう思ってその話を頭に入れる。その上で、
「なぜそれを話そうと思ったんですか?」
わざわざこのような場を設けてまで話した理由を訊ねた。返ってきたのは、
「詳しくは言えません。この世界の機密事項に関わりますので……。ただ一つ言えるのは、そうしたほうがいい理由が、メリットがこの世界に存在すると、私が勝手に判断したからです」
そんな答えだった。広く浅く、深く追求されない程度にロージは答える。
「……分かりました。その勝手が予言通りの行動なのかは知る由もありませんが、そういうことであれば、素直に聞き入れましょう。わざわざ教えてくれてありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ……」
最終的にエノキはその話を信じて、呑むことにした。人ではない余所者の自分ですら抗うことのできなかった予言とやらに、ここは付き合おうと考えたのだ。
「あーあ。その理干渉が今使えたら、予言の正体も突き止められたのになあ……」
「あはは、そうですね。失礼ですが、まだエノキ様が力を使えなくてほっとしています。ですが、時期に使えるようにると思いますよ。あなたは特別な存在なのですから」
「ええ、そう信じてます」
その後、三人は談笑をした。
来たときとは違う明るい空気の中で、この世界での観光の話や、以前エノキが訪れた世界について思い出話をして盛り上がった。
「それでそれで、最後に何て言ったんですか?!」
「えーと……。たしか、この世界を否定したいなら、世界に否定されても抵抗し続けなさい。だったかな」
「か、かっこいいです……!」
「そうかな……」
「その青年は今頃どうしてるでしょうか。そう考えるのも、旅の一つの面白さかもしれませんね」
「ですね。もどかしさもありますが、知らないからこその楽しみもあります。宝くじを買って当たる妄想をするのと同じですね」
「それって、青年は悪い方向に転がってるってことですか?」
「あっ……」「あっ……」
それから、時間はあっという間に過ぎて、昼になった。
「──そろそろですね」
ロージが突然言った。エノキもそれを察して、
「ですね。時間がきたようです」
荷物を持って立ち上がった。エノキが来たときも昼頃だったので、この時をもって六日が経過したことになる。
予言の通りに、二人は動き始める。しかし、一人だけ違った。
「も、もう行ってしまうんですか……? もう会えないのですか……?」
コナノが寂しそうな表情で呟いた。その目は少しうるっとしていた。
「うん、残念だけどもうこの世界に残る理由は無い。行かないと」
「い、嫌です! もっとエノキ様と一緒に……! ううっ……」
そこで、コナノは言葉が詰まって泣き始めてしまった。
涙があふれる度に、手で涙を拭っている。
別れたくないのだろう。本当はエノキに旅をしてほしくはないのだろう。
わがままな感情を前面に押し出して、ついにはロージを困らせてしまう。
「こ、コナノ……」
ロージは動けなくなっていた。予言とは違うことが起こったのだろうか。想定外という表情で立ち尽くしてしまっていた。
エノキは、そんな状況の中でコナノに抱き締めながら、
「気持ちは分かるよ。私も別れたくはないよ。でもね、こうしないとこの世界は成り立たないんだ。私は無意味に世界の常識を否定したくはない。だから、行かないといけないの」
共感しながら言葉をかける。
「わ、分かってます……私が間違ってるって……。でも、私の感情が許してくれないんです……! ちゃんと見送りますから……もうしばらくこうしていてはくれませんか……?」
コナノも自分で自分の間違いを認めていたようで、大人らしく引き下がり、そして子供のように抱擁を求めた。
「分かった」
コナノが泣き止むまで、エノキは抱きしめ続けた。
* * *
一時間後、世界を去る準備が整ったので、エノキは荷物の確認を行って持って、忘れ物がないことが分かると、椅子から立ち上がった。
「では、そろそろ行きます」
「はい、お元気で。良い旅を送ってください」
ロージが言った。
「あの、エノキ様……」
「ん、どうしたの?」
「……これからも頑張ってください! 私も心の中でずっと応援してますから!」
コナノは、ようやくいつもの調子を取り戻したようで、笑顔でエノキを見送れるようになっていた。
エノキは、コナノはもう大丈夫だと判断して、
「うん、コナノも頑張ってね」
コナノに手を差し伸べた。コナノも両手でエノキの手を包んで握手をする。
それが終わると、エノキは目を蒼く発光させて、世界から消え去っていった。
「──ねえ、おじいちゃん」
二人取り残された部屋で、コナノがロージに話しかける。
「どうした?」
「約束したよね。エノキ様を送り出したあと、この世界の真実について教えてくれるって」
「ああ、たしかに言ったね」
「じゃあ教えてほしい。本当は予言とは何なのか。エノキ様に関することをすべて話してほしい」
「……分かった。約束は守ろう」
ロージは、コナノに隠していたことを話し始めた。
「まず予言についてだけど、あれは真実を隠すための口実さ。本当は予言なんてものはない」
「じゃあ何で未来が分かったの?」
「……技術の発展だよ」
「技術?」
「ああ、この世界はどの次元でも類を見ないほど発展度が高いからね。だから、長い年月をかけることで、すべてを知ることができる装置を発明することに成功してしまったんだ。それで、今までこの装置を使って未来を正確に予測していたわけさ」
「へえ……じゃあ、何で9000年前の予言だと嘘をついてるの?」
「簡単なことだよ。それは、情報を独占するため。不都合な未来を誰でも簡単に知ることができたら、次第に民衆はパニックを起こし始めるだろう。そうならないために、必要な情報だけを与えるようにしているんだ。予言という風に教育すれば、それに疑いを抱くこともなくなるだろうしね」
「……未来は変わらないってことなの?」
「いや、変わる場合もあるよ。かなり難しいことだけど、世界全体を揺るがすような大きな行動を取れば、世界の軸がずれて、本来たどるはずだった未来が変更されることがある。たとえば、さっき私がエノキ様に能力を伝えたときのようにね」
「え、あのときのがそうだったんだ……」
「そう。もしエノキ様に能力のことを伝えなかった場合、最悪の未来が訪れていた可能性が高かったからね。だから、一か八か伝えてみた。エノキ様が本来知るはずのなかった情報について」
「つまり、エノキ様がこの世界を救う鍵だったんだね」
「そういうことになる。何なら、この世界だけでなく、すべての世界を救うことができるのかもしれない」
「どんだけ壮大なの……。じゃあ、それだけの大義を背負えるほどのエノキ様の存在って何……?」
ロージは、一呼吸おいて喋り始める。
「何と説明するべきだろうか……。一番近いもので言えば、がん細胞やプログラムのバグ的存在かな」
「……ど、どういうこと?」
「順を追って説明しようか。実はこの世界を含むすべての世界は、外の世界の創造主によって意図的に作り出されたものなんだ。世界一つ一つはそのプログラムの一部」
「唐突にぶっ込むね……」
「そう説明するしかなくてね……。で、エノキ様はそんな創造主がプログラムを組む過程で意図せず生まれてしまったバグのような存在だ。はっきり言うと邪魔な存在かな」
「そんな邪魔な存在がどうして私達を救うことに……あっ!」
「もう気が付いたようだね。そうだ、プログラムを組むことができる創造主は、ありとあらゆる世界を削除することもできる。元々見えていた最悪な未来というのはそれのことだ。エノキ様が理干渉を知らないまま世界を旅し続けた場合、すべての世界、果てはエノキ様自身も創造者に見つかって滅ぼされてしまう。そんな未来が見えてしまった。だから、理干渉の存在を教えて新たな道筋を示したんだ」
「そういうことだったんだ……。じゃあ、これでいい未来になるのかな?」
「それは分からない。未来はいつでも変動する可能性があるからね。だがまあ、エノキ様の力があれば、良い方向に転じる可能性は十分あるだろう。私達は、それを信じ願い続けるだけだ」
「だね……。ありがとう、おじいちゃん。教えてくれて」
「うん、うまく伝えられて良かった。さて、案内役も終わったことだし、今から学校に行こうか」
「えー、あと数時間だよ? いいじゃんー……!」
「なら、じゃんけんで決めよう。コナノが勝てば休みの連絡を入れてもいい」
「言ったよおじいちゃん? 覚悟しててね。最初はグー!」
エノキが旅に戻ると同時に、二人もまた、それぞれの日常へと戻っていった。
「負けたー!」