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2.調査官ヴァランタン

 その数週間後──


 大使館付きの武官・ヴァランタンは、王都から最短でも一週間ほどかかる高原の避暑地へと向かった。

 変死した同国人の調査のためだ。

 普通なら、現地の警察の報告書を書き写して送るだけでいいのだが、変死したのが有力な侯爵家の息子だったために、母国の大臣から現地調査するよう指示が来たのだ。


 別途、侯爵家からも、内々に要請と資料が届いた。

 かつて、この国では、婦人の貞操を汚された時にその親族が報復として相手を殺す習慣があった。

 侯爵は、女性にだらしなかった息子がまたやらかして、ついに殺されたのではないかと疑っているらしい。

 着いて早々、避暑地で派手に遊び回っていたという噂は大使館にも届いていたから、まあありえなくはない。

 もし本当にそんなことになっていたのであれば、相手には法の裁きを受けさせなければならない。

 よく注意して調査してほしいとのことだった。

 調査の結果、事故だった場合、自殺だった場合の対処についても指示がある。

 もったいぶった文面はやたら細かく、ねちねちしていて、こんな父親のもとに生まれた青年に、ヴァランタンはほんの少し同情した。


 村に行くには、長距離旅行用の乗り合い馬車を何度か乗り換えなければならない。

 秋も深まりつつあるところで、燃えるように紅葉した山々は美しいが、王都から離れるにつれて、馬車の便は間遠になり、足止めをくらうことになった。


 どうにかこうにか村に着いたヴァランタンは、まず役場の者に挨拶に行った。

 幸い、大使の依頼状が無事届いていたようで、応接室に通される。

 ちょび髭を生やした年配の村長がすぐに出てきて、はるばるやって来たヴァランタンをねぎらい、フランソワが投宿していたホテルやら、発見者など話を訊くべき人を教えてくれた。

 遺品は神殿が預かっているそうだ。

 そして、調査官が来るなら、フランソワが亡くなる前夜、舞踏会で彼と話した地元の地主一家が、その時の様子を証言してもよいと申し出ているという。

 田舎のことだし、てっきり調査を嫌がられるだろうと思っていたのに、準備万端、むしろ前のめりな対応で、ヴァランタンは驚いた。

 

 役場からさほど遠くないホテルに入って、まずはさっぱりし、ついでに主人やらメイドにフランソワがどんな様子だったのかあれこれと聞いていると、村長が迎えに来た。

 地主一家が夕食に招いてくれるそうだ。


 山腹から村全体を見渡す邸宅に着くと、サロンに通された。

 いかにも豪放磊落そうな地主と優しげな夫人、夫人によく似た令嬢2人、さきほどの村長に、眼鏡をかけた神官が揃っている。

 神官は、手回し良く、フランソワの遺品を持ってきてくれていた。


 まずは、主だった遺品をみせてもらう。

 旅券を確認し、トランク、懐中時計など身の回りの物の特徴を、侯爵家から送られてきたリストと照合する。

 大きな齟齬はなかった。

 遺品の中には日記帳があり、パラパラとめくると、移動の記録や詩の断片が書き込まれている。


 次いで、侯爵家から送られてきた、手帳ほどの大きさのフランソワの絵姿を回覧する。

 確かにこの青年だと皆が頷いた。

 これで、この村で亡くなったのは、フランソワだと確定した。


 ヴァランタンはメモと鉛筆を取り出して構えた。


「では、彼が亡くなられた時のことをうかがいたいのですが。

 舞踏会に出たまま宿には戻らず、翌朝、小川で発見されたとのことですが、舞踏会ではどんな様子だったのでしょう」


 地主が、軽く手を挙げて止めた。


「その前に、亡くなった方がどういう人物だったのか、ご説明いただけますかな。

 当地に縁のない方が、いきなりここで亡くなられた。

 我々としては、せめてどういう人物だったのか、なぜこんなひなびたところに来ていたのか、知りたいんだが」


「あー……なるほど」


 妙に協力的だと思ったら、そういうことだったのかとヴァランタンは腑に落ちた。

 フランソワ卿の行状はあまり広めたくないが、ある程度は伝えないと、彼らは口を閉ざすだろう。

 はるばるこんな山奥まで来て、結局死に様はわかりませんでしたというオチだけは避けたい。


「半年ほど前、彼は……なんというかその、母国で騒動を起こしまして。

 それで、自分を知る者がいない、静かなところを探しているうちに、こちらにたどり着いたようです」


「騒動って、どういうことですか?」


 少し離れたところに座っていた令嬢達の、姉の方が質問してきた。

 ヴァランタンは戸惑った。


「ええと、ご令嬢がいらっしゃるところで申し上げるのは少々……」


「構いません。宅では、娘たちには世の中の恐ろしさもきちんと教えたいと思っておりますので」


 夫人が静かに続きを促す。

 ヴァランタンはため息をついた。


「要は、金のない恋人を捨て、金持ちの女性に乗り換えたんです。

 捨てられた恋人は公衆の面前で彼らに侮辱され、そのすぐ後に亡くなりました」


「まあ! そんな酷いことを!」


 驚いた姉妹が顔を見合わせる。


「『泉の奥様』があの人を懲らしめたんだわ!」


「そうよ! きっとそうよ!」


 興奮して口々に叫ぶ姉妹を夫人はなだめる。


「……ええと、『泉の奥様』というのは?」


「当地の伝説です。

 ウンディーネやセイレーンのような、水妖伝説の変種と私は捉えていますが」


 神官が早口に解説してくれるが、それだけでは全然意味がわからない。


 困ったヴァランタンは、地主に視線を投げた。

 地主は自分では話したくないようで、村長に視線を投げる。

 しばし、二人は視線で押しつけあったあげく、女神フローラの印を手早く結んでから、村長は口を開いた。


「いつの頃の話かいうのは、ようわからんのじゃけど……

 昔むかしの大昔、とにかくこの国が荒れに荒れておったころ、どこやらの宮廷から、貴婦人が逃れてきたいうんですわ。

 んが、このあたりまで来たところで、とうとう追手に追いつかれ、峠近くの泉のそばでなぶり殺しに殺されてしまわれた。

 国を取られでもしたんか、お家騒動に巻き込まれたんか、とにかくその方ご自身はなんにも悪いことしとりゃせんのに、そげなことになってしもうたそうなんですわ。

 お名前も伝わっとらんから、村の者は『泉の奥様』いう言い方をしとります」


「はあ」


「とにかく、儂らのご先祖様はいくらなんでもお気の毒じゃ思うて、泉のそばに小さな祠をこさえて奥様を祀ったんですわ。

 それで、娘らが花を摘んで供えたり、祭りの菓子を作ればおすそ分けしたりしよるうちに、奥様が姿をお見せになるようになったんよ。

 奥様奥様いうとるけど、まだ若うて、二十代なかばくらいにしか見えんがの。

 めっさかわいらしい方で、腰くらいまである黒髪を結わずに流して、このへんにはない赤い大きな花を耳元に挿しとるけ、すぐにわかる」


 ヴァランタンは口をぽかんと開けた。

 まるで、村長自身が見たことがあるような口ぶりだ。


「もしかして、皆さんご覧になっているんですか?」


「儂は、2度、見たことあります」


「私達も見ました!」


 姉妹が元気よく手を挙げた。


 子供の頃、放牧地のすみっこで花冠を作って遊んでいたら、現れたらしい。

 遠くからにこにことこちらを見ているだけで、気がついたらいなくなっていたそうだ。

 地主は、若い頃、狩りの途中で友人と一緒に目撃したと言い、夫人は「私はよそから嫁いできた者だからか、いまだにお目もじかなっておりませんの」と、むしろ残念そうだ。


 神官は無の表情で黙り込んでいる。


 死者は皆、女神フローラの花園に送られるという神殿の教義からすれば、何百年も前の女の霊がさまよっているとかいう話を神官が認めるはずがない。

 なのに否定もせず、かつ自分は見ていないとも言わないのは、実は神官も目撃しているのだと気づいて、ヴァランタンはぎょっとした。


「そんでね、ある時、子供らが遊びよるところに奥様がいらして。

 にこにこっとして、地面をしばらく指さして、すううっと消えたいうん。

 そんなことが何度かあって、ここになんぞあるんかもしれんいうて掘ってみたら、なんや変わった味の水が湧いた。

 それが今もある鉱泉。

 さ来年、発見六十周年を記念して、なんかやろういう話になっとるから、58年前の話か」


「なる、ほど……

 とにかく、長年、この村の人々に親しまれてきた存在、ということなんですね」


「そそそ。ま、要は村の守り神ちゅうとこですかの。

 がけ崩れに巻き込まれるところを、奥様のおかげで助かったいう話もあるし。

 普段は遠目にお姿を見せるくらいのことやけど。

 ただ、亡くなられ方が亡くなられ方じゃけ、女に酷いことをする男は大層憎まれる。

 あかんことする者に奥様が手厳しい罰を与えられたちゅう話も、ちょいちょい残っとります。

 なんとか卿が恋人捨てたいう話、そりゃ奥様が知ったらお許しにはならんじゃろうと儂も思うんですわ」


 フランソワ卿の死は、この村の中では「泉の奥様」の仕業ということになってしまいそうだ。

 ヴァランタンは半分やけくそで、メモを取った。


「そういう事情があったんですね。

 それで、亡くなる前の夜に出た舞踏会では、彼はどんな様子だったんでしょう?」


「それが……その」


 夫人と姉妹が困惑したように顔を見合わせた。


「最初のうちは、気軽にご挨拶くださって、すぐに皆さんと打ち解けられていたんですが」


「私もワルツ、踊っていただいたし」


「私もよ。とても感じのよい方で、別荘組の人たちは、王都に戻る前にぜひ別荘に遊びに来てくださいって、こぞって招待していたわ。

 でも、途中から……様子がおかしくなって」


 上の娘が言い淀む。

 地主が咳払いをした。


「気がついたら、見たことのない女が彼にべったりくっついていた。

 金髪の、背が高い女で、馴れ馴れしく卿の背に片手を置き、しきりに耳元にささやきかけるようなことをして。

 夫婦でも、人前であんな風にすることはない。

 えらく無作法だなと思っていたら、二人はすーっと庭の方へ出て、そのまま挨拶もせずに、消えた。

 11時前、これから盛り上がるという時に」


 夫人が困ったように頷く。


「おかしな話でしょう?

 その時は、彼女はフランソワ卿の連れで、身支度が遅れたとかなんとかで後から来たんでしょうということになったのだけれど、それならそれで普通は紹介するじゃありませんか。

 ああいう方から見れば、しょせん田舎の舞踏会だから、わざわざそんなことをする必要もないってことなのかしらと皆で少し怒ったのですけれど。

 翌朝、卿が川で亡くなられていたという話が回ってきて、じゃああの女はどうなったんだ、あの女がなにかしたんじゃないかって、皆で探したんですよ。

 でも、そんな女、ホテルにも他の宿にも、どこにも見当たらなくて。

 隣村でも外から来た者なんて通っていないと言うし」


 このあたりの人々は皆、黒髪にダークブラウンの瞳。

 背丈もそこまで高くない。

 金髪の背の高い女といえば相当目立ったはずだ。

 気味悪そうに顔を曇らせる夫人に、チョビ髭の村長が重々しく頷いた。


「ご覧の通り、この村は盆地になっちょりまして、隣の村いうたら峠を越えてどうしたって半日はかかる。

 馬車で越えられるのは、西の峠と東の峠だけで、後はみな杣道じゃけん。

 別に関所を設けとるわけやないけど、外から誰か来たないうのは、うちでも隣でもまぁまぁわかるんですわ。

 誰にも気づかれずにびゃーっと舞踏会めがけて来て、びゃーっと誰にも気づかれずに逃げおおせるいうのは、ちょっとね、だいぶね、難しいんかな思うんですが」


「と、いうことは?」


 ヴァランタンはメモを取っていた手を止めた。


「だからどういうことなんだろう、と困っているんだ」


 苦り切った顔で地主が言う。


「お父様、やっぱり『泉の奥様』が成敗されたんじゃないの?」


「でもあの方が、わざわざあんな気味の悪い女に化けて、ベタベタしたりする?

 なんでそんなことをしなきゃならないのよ」


「事故です。あれは酔余の事故です」


「神官様はそない言いなさるけど、金髪の女は舞踏会におった全員がはっきり見とるんじゃけ。

 その女は、どこから来てどこに行ったんや言う話やないですか」


 いっせいに皆がやいのやいの言い始めて、ヴァランタンはめまいがした。


「フランソワ卿の恋人って、どんな方だったんです?

 もしかしたら、金髪の方だったのでは?」


 夫人が、恐る恐るヴァランタンに訊ねてくる。

 たしか、ゴシップ紙に掲載されていた恋人の絵姿は、かなり明るい色の髪のようではあったが──


「いや、そこまでは知りません。

 ところで皆さん!」


 急に声を上げたヴァランタンを、皆がびっくりして見た。


「私は役人なんです。

 上司に提出する報告書を書かねばならないんです!」


 ヴァランタンは村長と神官に視線を向けた。


「お二人は、『泉の奥様』が絡んだ出来事を上に報告しなければならない時は、どうされているんですか?」


 んー?と村長と神官が顔を見合わせる。


「まあ、奥様のことを書かんでええように、適当に丸めて作文するよね。

 よその人にはわからん話やから」


「私は、『記録すべきでないことは、書かなくてもよい』と前任者から口頭で伝えられました」


「なるほど。私もその方式で行くしかなさそうですね」


 ヴァランタンは深々とため息をついた。


「明日、彼が発見された現場や、墓などを私がご案内しましょう。

 詳しいことは、その時に」


 神官が気の毒そうに申し出てくれて、ヴァランタンは「助かります」と頭を下げた。


 今日はここまでと見た夫人が、夕食の支度をさせているから、ぜひ食べていくようにと誘ってくれる。

 お言葉に甘え、ヴァランタンは地元料理をご馳走になった。


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