君のムネが好きだ!
はっきり言って、俺はモテる。
身長は高すぎず低すぎずの178センチ。
祖父がドイツ人で、彫りの深い顔立ちや茶色がかった髪、長い脚は血筋らしい。
勉強も得意で、成績は学年トップ。
ファッションは清潔感を優先しつつ、シンプルな服装を心がけている。
制服もだらしなくない程度に着崩している。
コミュ力も高めで、男女を問わずに友人も多いし、校外にも知り合いは少なくない。
何人かの女子から告られたことはあるし、好意を持ってくれていると感じることも多い。
ただ、申し訳ないが、特に誰とも付き合っていない。
今は友人たちと気楽な付き合いをしているほうが楽しい、ということにしている。
この春に、そこそこ知られた名門高校に入学し、二ヶ月。
新たな学校、新たな友人たちとの時間を楽しんでいるのも事実ではある。
それが俺、大羽星司の現状。
――そのはずだったのだが。
「えー……あの、なんでしょうか、大羽くん?」
「急に呼び出してごめん、森宮さん」
放課後の空き教室。
俺は、クラスメイトの女子と向き合っていた。
彼女は森宮翠華さん。
真っ黒な髪はセミロングで、毛先にわずかにクセがある。
黒縁の眼鏡をかけ、顔にはまるで化粧っ気はない。
身長は低めで、おそらく150センチちょっとだろう。
今日、六月になって衣替えがあり、ほとんどの生徒は半袖姿になったが――
森宮さんは長袖の白ブラウスの上に、クリーム色のスクールベストを着ている。
学校指定の赤いネクタイもきちんと締めているのが真面目な彼女らしい。
下のチェックのスカートは膝丈で、他の女子たちと比べると長めだ。
「ど、どうかしたんですか、大羽くん?」
「ああ、そうだった」
森宮さんは、明らかに不審そうな目を俺に向けてきている。
思わず、森宮さんをじろじろと眺めてしまっていたので当然だ。
いくら校内とはいえ、人気のない空き教室に男と二人きりで黙って見つめられれば警戒されるだろう。
「ごめん、変な話じゃないから安心してほしい」
「そ、そうなんですか」
実のところ、俺と森宮さんには接点はほとんどない。
クラスは同じだが、入学して二ヶ月ほどの間、ろくに言葉を交わしたこともない。
森宮さんは教室では、たいてい席で文庫本を読んでいる。
物静かな女子なのだ。
いつも友人たちとワイワイ騒いでる、やかましい俺なんかとの接点があるはずもない。
「俺、こんなこと言うのは初めてで――正直、緊張がすげぇんだけど」
「は、はぁ」
しまった、ますます森宮さんを警戒させたかもしれない。
これ以上怪しまれないうちに、用件を済ませないと。
「実は、森宮さん」
「…………」
森宮さんの緊張がますます高まってしまったようだ。
こっちは、もっと緊張してしまっているが――
「森宮さん、俺は――」
「は、はい」
「君のムネが好きだ!」
「変な話すぎます!」
意外に鋭い切り返しだった。
ぼんやりして見えて、なかなかやるな、森宮さん。
「ム、ムネって……!」
森宮さんは顔を真っ赤にして、自分の胸を両手で隠すようにして押さえた。
つい先月まではブレザーを着ていたので、ほとんどの人が気づいてなかっただろう。
森宮さんのおっぱいは、とても大きい。
このクリーム色のスクールベスト姿になって、それは明らかに凶器と化していた。
きちんと結んだ赤のネクタイがムネに沿うようにしてカーブを描き、丸いふくらみの頂点から垂れ下がっている。
こんもりと盛り上がった二つのふくらみは、ベスト、ブラウス、ブラジャーの三重の防壁の上からでもその形がはっきりとわかってしまうほどだ。
なんてもったいない。
その胸を隠してしまうなんて、世界の損失だ。
俺にとっては世界そのものが失われたに等しい。
「森宮さん、君のムネが俺のすべてなんだ」
「……私のムネは全部私のものなんですけど」
ずざっ、と森宮さんは一歩後ずさる。
「な、なんなんですか、いきなり」
「今日、衣替えがあっただろ」
説明は必要だよな。
「それで君が薄着になったもんだから。そのムネがいきなり目立ち始めて、放課後まではなんとか我慢したけど、とてもじゃないけど明日までは我慢できない」
「もう少し忍耐心を持たれてはどうですかね……?」
照れられて、怖がられて、呆れられているが、それも当然のことだろう。
自分でも我慢が足りないとは思ってる。
けど、明日まで我慢できないのも事実。
「もし明日まで耐えてたら、たぶん教室で森宮さんの姿を見た途端に周りも気にせずに、さっきの告白と同じ台詞を口走ってただろうな」
「私、教室でとんでもない辱めを受けるところだったんですね……」
森宮さんは呆れすら乗り越えて、平坦な気持ちになっているらしい。
「辱め……あっ!」
かと思えば、森宮さんは目を細めてじぃっと俺を睨むようにしてきた。
「え、もしかして大羽くん……な、なにをするつもりですか!?」
「ただ告白しただけなんだが……」
「人類の歴史が始まって以来の最低な告白なのでは?」
「もちろん、キモいことは重々承知してる」
俺だって自分を客観的に見ることくらいできる。
いかに自分が気持ち悪いことを言っていて、陽キャモテ男キャラを台無しにしているか。
なにより、いかに森宮さんを困らせているか、よーく理解してるんだ。
「こ、告白して……私にどうしろと?」
「付き合ってくれと言ったわけじゃないから、イエスともノーとも言えないよな」
「あなた、そこまでわかっていて、いったいなにを口走ってるんです……?」
うん、いいぞ。
これは想定外かもしれない。
森宮さんはおとなしく見えて、言いたいことを言ってくれる人のようだ。
今のような、完全にキモモードに入った俺にはむしろその罵倒がありがたい。
罵られて嬉しいわけじゃなく、俺の間違った欲望を指摘してくれるのが助かる。
「ほ、本当にただ告白……しただけなんですか?」
「ん? なんだ、森宮さん?」
さっきからなにを疑われてるんだろう?
なにを疑われてもおかしくない状況だが。
「わ、私のムネにその……さ、触りたいとかもっとその……ひ、卑猥なことを……?」
「ああ、揉んだり吸ったりしゃぶったり挟んだりとか、そういう話か?」
「さわやかなイケメン顔でなにを言ってるんです?」
うん、本当に全然俺に怯まない。
森宮さんにイケメンだと褒められるのも嬉しいし。
言われ慣れているが、森宮さんに言ってもらうのはまた格別だ。
「ああ、そういう悪いことは考えてない。森宮さんが嫌がることは決してしない」
「私、今の状況を決して喜んで受け入れてるわけではないんですけど」
「そうか、それは悪いな」
もちろん、卑猥なことをさせてくれるなら是非やりたいが、それは今ではない。
「でも、もう少し説明するなら」
「私、決してこれ以上の説明を聞きたいわけではないですよ?」
「ほら、四月の終わり――GWの直前くらいに変に暑い日があっただろ?」
「えー……ああ、ありました。みんな、ブレザーなんか着てられなくて、Tシャツ姿になってる人とかもいました」
「あの日、君もブレザーを脱いで白いブラウスだけの姿になって、マジでムネすげぇって思ったんだよ」
「気持ち悪……気持ちいいくらい、遠慮のない批評ですね……」
「俺としたことが、入学して一ヶ月近くも森宮さんの並外れたムネに気づかないなんて。こんなに、こんなにも女子のおっぱいが好きなのに!」
「薄々感づいてましたが、そういう趣味の人なんですね……」
程度の差はあれ、女子のおっぱいが嫌いな高校生男子はいないだろう。
俺はその程度が並外れていて、おっぱいが好きすぎるだけのことだ。
「その日以来、気がつけば森宮さんのムネを目で追うようになって――」
「全然エモくないお話です」
「ムネの形がよくわかるジャージ姿の森宮さんを見かけたりしたら、密かに手を合わせて感謝の意を示してた。君は気づいてなかったと思うけど」
「気づいてたら、今日の呼び出しには応じてないでしょうね……」
おかしいな、どんどん俺の評価を下げてるような。
でも、一度溢れ出したこの情熱を引っ込めることなんてできやしない。
「ただ、俺はこの熱い気持ちを森宮さんに知ってもらいたかったんだ……!」
「ええ、それはもう嫌になるほど知ってしまいましたが……知りたくなかったです」
「代わりと言ってはなんだけど、俺にも言いたいことを言ってくれていい」
「帰っていいですか?」
「その前に一つだけ頼みが!」
森宮さんが俺から距離を取ったまま、じりじりと横に移動し始めたので、慌ててその動きを遮る。
「その腕を――90センチのムネを隠している腕を下げてくれないか?」
「なんでサイズを知ってるんですか!?」
「まあ、ミリの誤差はあるが、普通わかるんじゃないか?」
「普通の定義について話し合いましょうか?」
森宮さんは、そう言ってから、はっとしたような顔になる。
「あ、すみません……今さらですが、私なんかが生意気な口を」
「生意気って。クラスメイトじゃん。それに、俺のほうがよっぽど失礼なんだし」
「本当に大羽くん、いろいろ自覚はあるんですね……」
「だが、一番自覚しているのは俺が君のムネが好きだってことだ!」
「勢いだけで生きすぎです、大羽くん!」
※
「なんてことだ……まるで相手にされてない」
「それがわかってて、私についてこられるメンタル、凄いですね……」
森宮さんはさっさと学校を出て、駅へと向かう道を歩き出した。
もちろん、俺もその横に並んで歩いている。
森宮さんが歩くと、たゆんたゆんとムネが弾むように揺れて、本当に凄い。
こんな派手に揺れるムネの持ち主が隣にいるなんて、幸せすぎる。
「というか森宮さん、タメなんだから敬語はおかしくないか?」
「敬語はただのクセです。私は、年下相手でも同じですよ」
「なるほど、クセなら他人がどうこう言うことでもないか」
言われてみれば、教室で聞いた森宮さんの言葉はすべて敬語だった気がする。
丁寧にしゃべる人だなあとは思っていたけれど。
「でも、俺のことは他人だと思わないでほしい」
「ただのクラスメイトって、他人同然だと思いますが……」
「他人のままだと、俺はよく知りもしない女子のムネに欲情して盛り上がってる危ないヤツじゃないか」
「割とそのとおりだと思いますが……」
「…………」
言われてみれば、おっしゃるとおりだ。
俺は、森宮さんのムネが90センチだということは知っているが、彼女のほうはこの大羽星司のことなどよく知りもしないだろう。
「俺は身長178センチ、体重68キロ、心身極めて健康だ」
「なんです、そのどうでもいいプロフィールは……」
「いや、俺のほうも数値を教えておこうと思って。Fカップだってことを一方的に知ってるのはよくない」
「え、Fとか……い、言わないでください!」
森宮さんは立ち止まって、キッと俺を睨んでくる。
「あのですね、だったらこちらからも言わせてもらいますが」
「うん、聞くよ」
「なぜそんな余裕たっぷりなんです……ああ、もう」
森宮さんは、セミロングの黒髪を軽くかき上げる。
「私は、その……こ、このムネはコンプレックスなんです!」
「そんなに素晴らしいのに?」
「女子は誰もが大きければいいと思ってるわけじゃないんです!」
「それは、男もそうだよ。貧乳派は決してマイノリティじゃない」
「そういう話ではなくてですね。私、早くもあなたのノンデリに慣れてきてるのが怖いです」
森宮さんはだいぶイラついているようだ。
俺、割とコミュ力は高いほうだが、ムネのことが――
森宮さんのムネが絡むと、途端にノンデリになるらしい。
「中学どころか、小学生の頃から大きくなってきて――男子にはじろじろ見られるし、女子には妬まれるし、良いことなかったんですよ」
「任せろ」
「な、なにがですか?」
「俺が、君がそのムネに誇りを持てるようにしてみせる。だから、今はコンプレックスを持っててもいい。いずれ、俺が君を変えてみせる」
「その前向きさ、完全に意味不明なんですが!」
あ、まずい。
そろそろ森宮さんが爆発寸前だ。
おとなしい彼女も、こんなに抱え込んでるものがあったんだな。
俺が火種がなかったところに火と油をまとめて注ぎ込んだ感はあるが、もう言ってしまったことは仕方ない。
「そ、それに……」
「んん?」
「言ってはなんですが……このくらいのムネのサイズの女子は他にもいます」
「いるだろうな」
「ど、どうして私に……私のムネにそんなにご執心なんですか?」
「俺に訊かれても」
「誰に訊けと!?」
「ただ、見かけ上のサイズが同じでも形とか柔らかさとかそれぞれ違うと思うんだよ。ムネにも好みがあるんだ」
「話がますますキモい方向に」
さらに俺の評価が下がっているようだが、説明は必要だ。
「美人だっていっぱいいるし、顔のタイプもそれぞれ違う。全然違うことも珍しくない。俺、美人女優とかアイドルとか見ても、全然ピンと来ないことってけっこうあるぞ。そんなに美人かなあとか可愛いかなあとか」
「大羽くん、イケメンだとか女子が騒いでますけど、私もうそんなこと一ミリも思えなくなってきましたよ……」
森宮さんは、じとーっとした目で俺を睨んできてる。
「別に俺のことはいいんだよ。顔もムネと同じってこと」
ここ、大事なところだ。
「俺には、森宮さんのムネがばちーんとハマったんだ。もう、森宮翠華さんを越えるムネの持ち主は俺の人生に現れないだろう。まさに運命のムネだった……!」
「そんなムネ、持ったおぼえがありません……!」
今度は、はっきりとお怒りの目を向けられた。
そろそろヤバいかな。
俺は別に、森宮さんを怒らせたいわけじゃない。
むしろ逆で、森宮さんとは親密なお付き合いをしたいんだよな。
そのムネの少しでも近くにいるために。
「ああ、道端でなんの話をしてるんですか、私たちは。すみません、今日は帰ります」
「待った!」
「こ、今度はなんですか?」
「森宮さん、電車なんだよな?」
「え、ええ」
俺は前に何度か、駅のホームで森宮さんの姿を見かけている。
これも気持ち悪いが、森宮さんが電車通学であることを知っているのだ。
「もうそろそろ、電車が混み始める時間帯だろ」
「呼び出されていなければ、混む前に帰れたんですが」
「だから、俺が責任を取って森宮さんの最寄り駅まで付き添うよ」
「大羽くん、別の路線なのでは?」
「そうだが、是非付き添わせてほしい。俺のせいで混んだ電車に乗ることになったんだから」
「……そこまでしてもらわなくても。電車は毎日乗ってますし、混むことも珍しくありませんし」
「君のムネを守りたいんだ!」
「どうせなら私全体を守ってください!」
※
そういうわけで、俺は森宮さんと一緒に電車に乗り込んだ。
実際、混み始めていて座席には座れない。
森宮さんは定位置があるようで、迷いなく電車のドアそばに陣取った。
もちろん、俺もその隣に立つ。
「こちら側のドアは、私の最寄り駅まで開かないので」
「そうか。じゃあ、通路側には俺がいるから安心してくれ」
「大羽くんがそばにいるのが、一番危険な気が……」
「俺は勝手に触ったりしないよ。そこは安心してくれ」
「はぁ……」
疑いのまなざしを感じる。
でも、言ってることは本当だし、森宮さんのムネに指一本触れるつもりはない。
こうして近くで見ると、本当に森宮さんのおっぱいの盛り上がりは凄い。
あまりにも理想的な曲線を描いていて、重力に逆らって、ぐっと下から持ち上げられているかのように張りもある。
こんな素晴らしいムネと数十センチの距離まで近づいているなんて。
「あの、触らなければいいというものではなくてですね?」
「ああ、悪い。横目で見たほうがいいかな」
「それなら堂々と見てください……見ないに越したことはないですが!」
「ちぇ」
堂々と見ていいのかと喜ぶ暇もなく、塩対応か。
森宮さんは、厳しい。
「大羽くんは…………」
「ん? 森宮さん、まだ俺に言いたいことが?」
「それはもう数え切れないほどあります。ですが……」
「なに? なにを言ってくれたってかまわないって。普通ならガチギレするような悪口でも全然いいからさ」
「ガチギレする悪口を言われる自覚もあるんですね……では、言わせてもらいますけど」
すうっ、と森宮さんは顔を上げて俺を見つめてきた。
黒縁眼鏡の向こうの目は、意外なほど澄んでる。
「大羽くんは仲が良い女子もたくさんいますし、みなさん可愛いでしょう?」
「うん」
「……だったら、なんで私なんかにかまうんですか。あの人たちと比べたら、私なんて。地味ですし、眼鏡ですし、チビですし、目立ちませんし、男の子向けのラノベを読むくらいしか趣味ないですし」
「ラノベ読んでたんだ」
それは初耳情報だ。
ともかく、俺が普段仲良くしている友人グループには女子が何人もいる。
中にはプロのモデルをやってる女子もいて、確かにみんな可愛い。
実のところ、彼女たちの数人から告られたことだってある。
「でも言っただろ。俺は君のム――」
「電車の中ではそれは言っちゃダメ、です!」
ああ、止められてしまった。
俺と違って、森宮さんには常識がある。
別に俺は、電車内だろうが教室だろうが、ムネの話ならいくらでもできるが。
彼女の意に沿わないことをするつもりはない。
「少なくとも、友達のみんなには悪いが、俺にとっては森宮さんの――ほうが魅力的だってことだよ」
我ながら歯が浮くような台詞だが、大事なところを省略しただけで驚きの気障っぷりだ。
省略しなかったら、おっぱい好きの変態の台詞にしかならないけどな。
「うっ……そ、それでも私は――きゃっ」
「うおっ」
電車が駅で停車し、ドドッと乗客が入ってきた。
こっち方向の電車には初めて乗ったが、ここで一気に人が増えるのか。
森宮さんはドアに背中を預けて、俺と向き合っていたが――
俺のほうは押し寄せてきた乗客たちに背中を押されて――
「あ……お、大羽くん……」
「ごめん、森宮さん。大丈夫か?」
「は、はい……」
押された勢いで俺は森宮さんにぶつかり、その豊かな二つのふくらみにこっちの胸が当たってしまっている。
森宮さんの90センチFカップのおっぱいが、ぐんにゃりと潰れるようにして俺に強く押しつけられてる。
「きゃ……ご、ごめんなさい、ごめんなさい」
「いや、なんで森宮さんが謝るんだよ。大丈夫か、苦しくないか?」
俺は森宮さんの後ろのドアに手をつき、これ以上くっつかないようにしているが――
もう車内はぎゅうぎゅうなので、密着してしまうのは止めようがない。
「あ、あれ?」
「え、どうかしたのか、森宮さん?」
「い、いえ……その……こ、この状況だと喜ばれるかと思ったのに冷静だなって……本当にごめんなさい!」
「だから謝ることはないって。言ったろ、俺はまだノータッチだって。こんな事故みたいな形で触れても嬉しくない」
嬉しくないというのはもちろん嘘だが、こう言うべきだろう。
実際、俺は事故で森宮ムネの感触を楽しむのではなく、ちゃんと彼女の許可を得た上で触れたいのだ。
「なにか企んでいませんか?」
「いいえ」
つい敬語で答えてしまう俺。これは怪しい。
「でも、これは心配だな。この路線、朝は同じくらい混むんじゃないか?」
「ええ、そこそこ。毎朝、リュックを前に抱いてますけど……」
「ん? 今日は背負ったままじゃないか」
「……今日の流れでリュックを前に抱えたら、大羽くんを警戒してるみたいで失礼じゃないですか?」
「俺は警戒すべきだろ。見た目がこれで中身はアレなんだから、逆にヤバすぎるくらいだぞ」
「私が思っていたことを代弁してくれてありがとうございます」
皮肉が効いてるな、森宮さん。
「けどさ、俺はこんなんだけど君の――君を守りたいのはマジだから」
「守ってもらうほどのことは……誰でも普通に電車通学してるんですし、私なんて目立たないチビなんで、変なことも……」
「変なことが起きてからでは遅いんだ!」
「今日あなたに言われたこと以上に変なことはありません!」
つい、大声で言い合ってしまう俺たち。
周りに変な目を向けられるが、俺は気にしない。
森宮さんは大いに気にしたようで、顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。
※
電車で五駅進み、そこで森宮さんは下りた。
俺もついていって、改札を出た。
「あの、大羽くん? いったいどこまで……?」
「家まではついていかないよ。森宮さん、俺みたいなのに家を知られたくないだろ?」
「どうしてそこまで自分が見えていて、性癖を治そうとしないんでしょう?」
「治らないものを性癖というんだよ」
言葉の定義は知らないが、俺の認識ではそうだ。
「はぁ……そうですか」
森宮さんはさらに歩いて駅を出て、大通りを進んでいく。
「ここからウチは歩いて五分くらいです」
「そうか、じゃあそろそろ引き返すかな。もう薄暗いけど、大丈夫かな?」
「毎日通ってる道ですから」
特に危険はないようなら、俺に家を知られるほうが危ないだろう。
「じゃあ、森宮さん。気をつけて帰って」
「意外にあっさり引き下がるんですね……」
「とりあえず告れたし、大満足だよ」
「私は特に満足できてませんね。そうですね、このままだと明日からどうなるのか気が気でないです……」
「別につきまとったりしないよ? いきなり親しげな口を利いたりもしないしな。その辺は俺のコミュ能力を信じてほしい」
「この短時間でいろいろやらかして、信頼を求めてくるのも凄いですが……」
ふと、唐突に森宮さんは黒縁眼鏡を外した。
丁寧にフレームを折りたたんで、リュックの中から取り出したケースに収めて。
「ちょっと、《《ここから先ははっきり見たくないので》》」
「ん?」
森宮さんはリュックを背負い直すと。
俺の右手首をいきなり、がっと掴んで。
「えっ?」
「…………」
その手首を引っ張り、俺の手を――自分のふくよかなムネへと埋もれるほどに押しつけてきた。
手がトロけそうなほどの、柔らかな感触が伝わってくる――
「も、森宮さんっ!?」
「…………こ、ここまでです」
森宮さんは顔を真っ赤にして、ぱっと俺の手首を放した。
「ど、どうして? 急になんでそんな大サービスを……?」
「サ、サービスじゃないです。私のムネなんて言っても……こんなものですよ! たいしたことないですよ! 一度触ってみればわかるでしょう!」
「今の左胸だったから、右胸も触ってみないとわからないかも……」
「右も左も同じですよ! 謎な理由でもう一度触ろうとしないでください!」
怒られてしまった。
だが、ここ一ヶ月、気になって仕方なかった森宮ムネを触らせてもらって。
これでおしまい、みたいに言われても。
「と、とにかく! わかってください、私のムネなんて――好きになる理由はないですよ」
森宮さんはくるっと背中を向けて、走り出そうとして――
「……GW前って言いましたよね?」
「え? あ、ああ」
俺が森宮さんの驚異的なムネに気づいたときのことか。
「私の名前、フルネームで言えますか?」
「森宮翠華さんだろ」
いくらムネへの興味に集中していても、下の名前くらいは当然知ってる。
「だったら、《《私のほうが先です》》」
「先? どういうことだ……?」
「私なんて地味で目立たない、陰キャ女です。ブレザーを着てたら、こんなムネだって目立ちません。でも、入学してすぐの頃に、大羽くんは――」
森宮さんは顔だけ振り向いて、ちらりと俺を見てきて。
「教室で誰かが私を見て、『あいつ誰?』って言ったんです。どうしてそんなことを言われたのかわかりませんが、当たり前ですよね。目立たない、どうでもいい存在なんですから私は」
森宮さんは、さらに俺をじっと見つめて。
「なのにあなたは、私と話したこともないくせに、『森宮翠華さんだろ』って」
「んん……?」
「あなたは、こんな私の存在に気づいてました。あなたみたいな別世界の人の心に自分がいるんだなって……ああ、恥ずかしい!」
「も、森宮さん?」
確かに俺は、ブレザーを脱ぐ前から森宮さんの名前を知ってた。
かといって、俺はクラスの女子全員の名前を覚えるほどマメでもない。
俺は、もしかして無意識に、森宮さんのムネに気づく前から彼女を知ってた――?
「私みたいな陰キャ女子が、陽キャ男子に呼び出されたら普通は怖くて逃げます」
「えっ……」
「でも今日、逃げなかったのは――」
そこまで言って、森宮さんは首を横に振った。
それに合わせて、豊かな胸がぷるるっと揺れる。
「さよなら、大羽くん。また明日」
「あ、ああ。明日も――君のムネに会いたい」
「普通の挨拶はできないんですかね!」
キッと俺を睨んでから、森宮さんは小走りに行ってしまった。
俺はぼんやりと彼女の小さな背中を見送る。
モテる陽キャの大羽星司――そんな自分を捨てて、俺はようやく素直になれた。
ただ、森宮さんに迷惑をかけるだけかと思っていたが――
俺はもしかしたら、思っていた以上のものを手に入れたのかもしれない。
明日もまた、森宮翠華さんのムネに会って。
彼女のムネが好きだと何度でも伝えたい。
※こちらは「カクヨム」様に掲載した短編となります。