4話「謎の建築物調査」
「今、帰ったぞ」
円城寺邸から帰ってきた龍二が太々しい態度で事務所のドアを開けた。ひと昔前の亭主のようだが残念ながら出迎える妻は居ない。
居るのは現代に蘇った英雄のみ。
オデュッセウスも龍二に丁寧に扱われる気など更々無く、ポテトチップスの袋を抱えながら軽く手を挙げて返事をする。
「やあやあ、お目当ての物は無事にゲット出来たようだね。勇気君は無事だったかい?」
「なんか知り合いが居て助けて貰ったらしい。そんで?これはお前に預けとけば良いのか?」
「そうだな。預かろう」
「ちょっと待て」
龍二から剣を受け取ろうとするオデュッセウス。
だが、渡す直前で龍二がサッと手を後ろに引いた。
「手を洗え」
「ああ、悪い。忘れてた」
ポテトチップスを食べていたオデュッセウスの指は油でギットギト。幾らきらきらしていてもそんな甘美さからかけ離れた輝きは求めない。
オデュッセウスは手を洗い、油を綺麗に水に流してから剣を受け取る。
こうしてオデュッセウスが剣を預かるのには理由があった。
「龍二の御所望の色は緑。勇気君にはちゃんと聞いてきたかい?」
「青か黄色だとよ」
「ふむ…その心は」
「好きなバイクメーカーのイメージカラーだからだろ。事情があるなら赤と白でも良いと思うぜ」
現在では見られないが、かつてのバイクレースのスポンサーにはタバコ会社があった。それによりパッケージに合わせたマシンカラーが特徴になっていたのだ。
勇気の好きなメーカーを知っている龍二は希望が通らなかった時の為の予防線を張っておく。
そうでもしなければ勝手に変なことをしでかしそうと思ったからだ。
「で?これ何の為に聞いてんだ?好きな色なんて小学生の自己紹介じゃあるまいし」
話を聞いてわざとらしく頷くオデュッセウスに龍二が尋ねる。
「考えてみて欲しい。戦う時、民間人から敵は見えないが君たちは見えてしまうなんてあまりに不公平で戦いにくいとは思わないか?」
「そりゃ…まあ、そうだな」
戦う時は人目のない場所に敵を誘き出すか人払いをしなければ龍二たちは剣を持って暴れ回る頭の狂った異常者。犯人扱いされなくても捕まるのは目に見えている。
オデュッセウスは人差し指を立て、「そこでだ」と前置きをする。
「どうやら日本には仮面を被って悪を滅するヒーローがいると聞いたんだ」
「あー…なんだ?俺たちにフルフェイスでも被って戦えと?」
「違う違う。まあそんなヒーローに倣って身分を隠し、防御力も上げる代物を贈呈しようと言う訳だ」
「お!マジか!そりゃ嬉しい!」
「……ワタシは作らないが」
「なんか言ったか?」
「いいや、何にも言ってないぞ」
ゼウスたちとの戦闘で周りの目を気にしなくて良いのはかなり大きい。
ボソリと呟いたオデュッセウスの言葉には気付かなかったが龍二は素直に喜んだ。
粗野な物言いや乱暴な態度、稀にまわりくどい龍二だが、天邪鬼ではない。正しい意見は聞き入れる。
手持ち無沙汰になった龍二はバイクの鍵に付いたリング状のキーホルダーに指を突っ込み、くるくると回す。
話題もなく、タバコを取り出したところで気になることがあったのを思い出した。
「あいつらの鎧とかってヘパイストスが作ってんのか?」
「あぁ、基本は全てヘパイストス印の一級品さ」
「それを握り潰せる奴とか殴ったら拳の跡が付いちまう!……なんてことがあると言ったら信じるか?」
オデュッセウスは一瞬だけ顔を眉を八の字に曲げると元の顔に戻り、顎に手を当て思案する。
「武器などによる切り傷ではなく手の跡?」
「間違いなく」
大通り事件の前に裏路地で倒れていた兵士の鎧には間違いなくその跡がくっきり残っていた。
勇気とヘスティアも見ている。龍二の見間違えではないはずだ。
「普通の人間なら有り得ないだろうな。龍二の鬼化ならともかく」
「いや、俺だって殴って凹ませるのは出来っとは思うけど握り潰すのは無理だぞ…」
「神々の仲間割れ…にしてはスケールが小さい。だが、心当たりがなくもない」
「なんだ、その心当たりってのは」
「龍二もご存知ギリシア神話最強の英雄さ」
「あー!それがあっ…ゴホッ…ゴホッ…!」
龍二は納得と興奮でタバコの主流煙を勢いよく吸い込んでしまい、咳き込む。
龍二の口から白煙の弾丸が複数回に分けられ、飛び出す。
「大丈夫かい?」
「まあ…なんとか」
「話を戻すがヘラクレスが味方になれば心強いことこの上ない」
「でもよぉ…お前らみたいなのが街中歩ってたら超目立つぞ」
「さぁ?目立たない見た目なのかもしれない」
オデュッセウスが含みのある言い方をすると、龍二が胡散臭い商人を見るような目で一瞥する。
頭が切れるはずなのに何処か胡散臭さが抜けず、信用出来ないのは如何なものか。
龍二はそんなことを思いながら特にやることがないのなら、と事務所から出ようとする。
「ん?」
しかし、背後から鳥の鳴き声が聞こえてきて、振り返る。
見れば夕焼け色の顔をした鳥がオデュッセウスの腕を止まり木代わりにしていた。
おかしなことに鳥の体に小さな筒が付けられている。明らかに誰かが意図的に付けた物だった。
オデュッセウスは慣れた手つきで筒の中から丸められた紙を取り出す。
その手紙を読んだオデュッセウスは手紙を折り畳んで龍二に向かって手を伸ばすので龍二もそれに応じて手紙を取る。
「なんだ?」
「リトルウィングスの実質初仕事。そこに書いてある住所を調査する」
「ふーん…調査って?何処までやれば良い?」
住所を見ながら龍二が聞き返す。
「それが敵なのか、はたまた味方なのかを見極めてきて欲しい」
「了解。ここの番は任せたぞ」
「了解」
オデュッセウスは小さく手を振りながら龍二の背中を見送った。
目的地にやって来た龍二は言葉を失った。お口あんぐりで顰めっ面。
住所と言うからには何か建物があるのだろうと予想していた。誰も住んでない廃ビルに生活感があったり、廃屋だったり、もしかしたら怪しいモニュメントがあるのかもしれない、と。
「こりゃ…調査対象になる訳だ…」
龍二もまさか『怪しいモニュメント』と『建物』の2つの要素を満たしてるとは思わなかった。
「オルメカ文明かよ…」
龍二の口に出した文明と違ってこちらは胸から上の胸像で、2階建ての家よりよっぽどデカい。
青とも緑とも言えない曖昧な色で頭には兜を被った騎士のような姿。
胸の真ん中にはどうぞ入って下さいと言わんばかりに入り口のようなものが待ち構えている。
「青銅…?大仏でもねぇしなんだこりゃ」
流石の龍二も怪しさ満点で建物なのかどうかもよく分からない銅像に安易に足を踏み入れず、手で触ったり、視点を変えたりして様子を見る。
軽く叩いてみたりもしたが、やはり反応はない。叩いた分の音が反射するだけだ。
何にしろ生き物ではなさそうだった。
「………入ってみるか」
龍二は覚悟を決めて、胸像の中に足を運ぶ。
ゆっくりと、緩やかに足を動かす。ピンと張った緊張の糸はハプニングに対処する為のセンサーになる。
全身が屋内に収まったところで龍二は一旦、足を止める。
銅像の中は広い——それどころか普通に家としての基準を満たしていた。
入って真正面は階段が見えるだけで他には何もない。だが、その両サイドには複数の椅子やベッド、テレビや子ども用のおもちゃまで見える。
ちゃんと灯りまで点いていた。
「誰かいませんかー!もうお邪魔してるんすけどー!」
返事はない。
「なんだここ…実は何かしらの記念で建てられたりしてんじゃねぇのか」
龍二はタバコを取り出しながら右側のテーブルや椅子、テレビが置かれた方へ移動する。
タバコを咥えながら改めて見渡してみるが、人影らしきものは見当たらず、外見に対して期待外れな内側にうんざりしながらジッポーで火を付けようとした。
その時——。
「オイ…オマエ、コロされたいのか」
「!」
龍二の背後から喉が潰れていると言っても遜色ないほどの重鈍な声。
頭上から降り注いた声を聞いた龍二は即座に前へ飛び出し、声の方向に向き直る。
声の主の正体は牛。
正確には牛の角を持つ人間。2mを越す巨体で筋肉隆々としたその姿は威圧感さえ感じ取れる。
嫌でも分かる敵意が龍二の全身を纏わり付いてくる。絶対に離れなさそうなじっとりさでありながら攻撃的。
(ガキンチョだったらチビるぞこんなの…どんなお化け屋敷だ)
龍二も生まれながらの人相の悪さを活かしてガンを飛ばす。
「なんだそのメは」
「殺されたいのかと言われて敵愾心を燃やすなってか?舐めんな」
「タバコをスおうとしたのはオマエだ!」
「喫煙者は死ねとは嫌煙家にも限度があんだろ牛野郎!」
牛人間が声を張り上げれば龍二もそれに負けじと声のボリュームを上げる。
険悪なムードは止まるところを知らずに一触即発の状態にまで発展。
耐えきれなくなった龍二が先に仕掛けてやろうとすると。
——パンッ!
手と手を打ち合わせて鳴る乾いた音が部屋に響いた。
龍二は訝しげに音のした方向に目を向けるが、牛人間はびくりと親に悪戯がバレた子どものように体を激しく震わせた。
「おやめなさい。アステリオス。そちらの殿方は、お客様でしてよ」
素人目でも分かるくらい丁寧な振る舞いで螺旋階段を降りながら、ゆったりとした口調でアステリオスと呼んだ牛人間を諭すのはティアラを頭に乗せた女性だ。
室内でも底知れない輝きを放つ金髪は波打っており、澄んだ碧眼がアステリオスを見つめている。
「でも…タバコを…!」
「えぇ、注意書きもないのですから、当然の帰結と、思いませんこと?」
そう言われてアステリオスは黙りこくってしまう。
2人だけで会話が終わりそうになり、龍二が口を挟む。
「あー、俺を置いてかないで貰えませんかね」
「申し訳ございません。ご挨拶が、遅れてしまいました」
階段から降り切った金髪碧眼の女性は龍二に謝罪を述べながら接近する。
金髪碧眼にティアラ、青銅の巨人を模した家、アステリオス。この3つで龍二は目の前の人物が誰なのかもう分かっていた。
「お初に、お目にかかります。ワタクシはエウロペ。この『タロスの宿』の主人、そうですね…和風に言うとするなら、女将を務めています。以後、お見知り置きを」
「俺……あーっと…」
「どのような言葉遣いでも、構いませんことよ」
「じゃ、お言葉に甘えて。俺は鬼崎龍二。ここへ来たのはちょっとした調査だ」
「立ち話もなんですし、どうぞ、こちらへ」
龍二が挨拶を終えるとエウロペはにこやかに笑い、階段を登るように促す。
エウロペの話し方は龍二の知っている中でもかなり独特だと感じた。
言葉遣いはお嬢様っぽさを感じさせ、話す言葉の区切りが人より多く、テンポがスローペースでゆったりしている。
それなのに不思議と早く話して欲しいなどのイライラは湧いてこない。
寧ろその逆、話に耳を強く傾けたくなる。
「どうぞ、おかけ下さいな」
胸像の中心で2階。つまり、頭部。
龍二はどんな玉座が待ち構えてるのかと思ったが、意外にも想像より普通の応接室っぽい部屋になっていた。
ただし、それでも椅子もテーブルも金色の装飾が施されていて豪華さは隠しきれない様子。奥にはベッドまである。
「うわぁ…」
「どうか、なさいましたか?」
「いんや…なんでも」
龍二は「落ち着かねぇ…」の一言を飲み込んだ。
「今日は、どういった、ご用件で?」
「さっきも言った通り調査だよ。怪しい建造物の噂を聞きつけて」
「そうでしたか。ワタクシたちに、気付いてくださるのですね」
「昔から神話とか好きだったから」
まだエウロペを完全に信用出来ず、龍二は鬼であることを隠した。
するとエウロペは手で口を覆い隠し、笑う。
「愉快なことを、仰るのですね。神話が好き、その水準ではワタクシたちを、認識するなんて、とてもとても。リュージさんはきっと、感受性が、とっても豊かなのでしょうね」
「いやぁ…それほどでも…あるかもしんないっすね!だっはっはっは!」
あのゼウスさえ唸らせるほど美人なエウロペに褒められて悪い気はしない。
龍二はだらしなく鼻の下をビヨーンと伸ばして、頬を赤く染める。
エウロペの背後ではアステリオスがそんな龍二を目の当たりにして、顔を真っ赤にしている。
しかし、こちらは照れているのではなく激昂だ。
「うふふ。本当に、面白いお方。謙遜をなさらない方は、初めてかも知れませんわ」
「男は多少自信満々なくらいが丁度良いんだ」
龍二も笑顔で応じる。
「それでは、話を本題に。リュージさんは、ゼウスに仇なす存在となるのでしょうか?」
エウロペの話し方は依然として変わらない。だが、声色だけは凄みを増し、女王の風格、オーラを遺憾無く発揮する。
エウロペに戦闘手段はない。
アステリオスなどを除けば龍二がエウロペの問いに対してどう答えても害が及ぶことはないだろう。
しかし、龍二は答えをミスったら首が飛ぶんじゃないか、と疑いたくなった。
それほどにエウロペの放つオーラは凄まじい——が、その程度で怖気付く龍二ではない。
「あぁ、そうだ。俺は神に挑む」
「それは………とても素晴らしいと思いますわ!」
「はっ?えっ…あっ?おう?ありがとう…なのか?」
さっきまでの女王の風格は投げ捨ててしまったのだろうか。
目を輝かせながら手をガッチリと握ってくるエウロペに龍二は照れるよりも戸惑いの方が大きい。
「まさか今の時代にワタクシたちを見ることが出来て剰え立ち向かおうとしてくれる強いお方がいるなんて驚愕を通り越して感謝感激雨嵐ですわ!うふふふふ!」
「怖い怖い怖い怖い!ちょっと落ち着けって!」
「……こほん。申し訳ございません。取り乱してしまいました」
「今更取り繕っても遅い気がすっけどな」
エウロペは龍二の想像よりもお転婆娘。
ただ、少なくとも龍二たち人間の敵ではなさそうだった。