79 家族湯
昨日の夜、温泉に入ったがそこは露天風呂で、俺が野営のときに作るものとは違い、プロがそのために作った場だけあって風情があった。センスの差がこれでもかってくらいにわかった。
ここの温泉は特徴的な匂いとか味はなく、お湯も透明。老人の体の調子がよくなるそうで、こういった温泉は単純泉っていったんだっけ。
俺たちにとってはただのお湯だったけど、それでも満足できた。
気のせいかもしれないけど、起きてから体の調子がいい気がするな。
ふんふんと鼻歌を歌うくらいにシャーレも機嫌がいい。
「家族湯楽しみですねっ」
ああ、機嫌がいいのはそっちだったか。
宿で聞こえてきた話によると、家族湯があるそうで予約が必要だけど男女が一緒に入れるそうな。
それをシャーレとイリーナも聞いていて、早速予約をとっていた。ここは湯浴み着をつけて入るところだから恥ずかしさとかないようだった。
イリーナはダイオンと入りたいようで、シャーレは俺の体を洗うのだと世話できる機会を逃す気がないらしい。しかも湯浴み着というものを知ったから、次の野営では一緒に入ってくるかもしれんな。
(私も入るわ)
家族湯ならローズリットが出てきても大丈夫だから、一緒に入るのだと気合の入った声が脳内に響く。
(一緒に入りたいなら、野営のときにでも入ってきそうなもんだけど)
(家族で入る温泉というのだから、姉である私は一緒に入らないと)
(いや義務じゃないんだし)
(家族団欒の機会を逃しては駄目よ)
うーん、このバグりようよ。俺としては変に暴走されるよりはありがたい変化だけど、放浪書獣を恐れる人からしたら信じられない変化だよな。
「シャーレ、楽しみにするのはいいが、警戒は怠らないようにな」
ダイオンが苦笑しながら言う。
今俺たちは町から徒歩二時間ほど離れた丘にいる。狩りのためだ。
ここには耳長ウサギと呼ばれる魔物が多く、それを餌にしている中型の魔物も集まるところだ。
耳長ウサギ自体は最下級の魔物で、駆け出しの傭兵でも倒せるが、たまに横取り目当ての魔物に襲われるため、駆け出しが死ぬこともあるそうだ。
大物は出てこないと聞いている。出てくるのはリザードマンをもっと魔物寄りにしたリザリガという魔物と、フクロウの魔物だ。
リザリガが一体でいたら、俺が武器のみで戦うことになっている。油断しなければ大丈夫だろうとダイオンが言っていた。
ここでの稼ぎはほどほどで、本格的に稼ぎたいなら半日行った平原で、ここらの傭兵は狩りをするそうな。
見かけた耳長ウサギをシャーレが矢で倒していき、それを餌にして、ダイオンとイリーナがフクロウの魔物を狙う。リザリガよりも稼ぎがいいらしい。
狩りを始めて、二時間ほど時間が流れ、昼食を取り、そのあと殺した耳長ウサギを放置していたところを回る。
三ヶ所に耳長ウサギを置いていて、一匹目は持っていかれていた。二匹目は三体のリザリガがいて、それをダイオンとイリーナが一体ずつ倒す。
「さて残った一体はリョウジの相手だ。魔法はなしでやってみるんだ」
「なんとかやってみる」
「頑張ってください、主様」
「なんとかなるよー」
腰に下げていた鉄の棒を右手に持って、仲間の死に戸惑っているリザリガに近づく。
リザリガは百四十センチを少し超えるくらいで、でっぷりとしていて猫背の二足歩行だ。緑や黒や茶の表皮で、武器などは持っておらず、鋭い爪と尾を武器にするようだ。強さは中級の一番下くらいだとダイオンたちが言っていた。
リザリガは近づいた俺に威嚇するように「ギャギャギャ」と声をだしている。その威嚇で俺が退かないことを理解すると、ジャンプして襲いかかってきた。
真上から振り下ろされる腕を、持っている棒で受け止める。押し負けることなく、防ぐことができている。着地したリザリガは爪を俺に届かそうと指を動かす。しかしそれ以上届かないとわかると、片方の手を薙ぐように振ってきた。
下がって避けると、リザリガが追撃してくる。目で追いきれる攻撃だ。振り下ろされようとしている手へと棒を振り上げる。そちらの手を潰せれば攻撃手段が減る。それを察したかリザリガの攻撃してこようとした腕が止まろうとしたが止めきれず、爪に棒の先の方が当たった。
「ギャアアッ!」
リザリガが悲鳴を上げた。そりゃそうだろう。爪がはがれたんだ、魔物だって痛い。見ているこっちも思わず痛みを想像してしまった。痛いだろうけど隙だらけなので、こっちから追撃させてもらう。狙うはもう片方の手。
「当たれ!」
思いっきり振り下ろしたけど、スカッと見事に空ぶった。リザリガが退いたからだ。痛みで腰で引けたらしい。
攻めどきだと勢い込んで踏み出す。びくりとしたリザリガは戦意がなくなったようで下がる。
この距離だと突きが届くな。そう思って動いたとき、ばさりと羽音が聞こえた。
「主様、しゃがんで!」
焦り気味のシャーレの声が聞こえて、体が勝手に動いた。ローズリットが動かしたんだろう。そして頭上をなにかが通り過ぎた。
たぶんフクロウの魔物か? でもなんで俺を狙ったんだ。
そんなことを考えているとリザリガがさらに下がって背を見せて走り去っていき、甲高い悲鳴が聞こえてなにかが落ちる音がした。
落ちたものを見てみると、フクロウの魔物に矢が刺さっていた。そのまま視線をシャーレに移すとほっとした顔で弓を手にしていた。
「討伐失敗かな?」
ダイオンが頷く。
「そうだな。目の前の敵に集中しすぎだった。それに最後は倒すことに気が向きすぎて、そこをフクロウが隙だと思って襲いかかってきた。追い詰められて逃げ道を探して周囲を探っていたリザリガよりも、お前の方を狩りやすいと判断したんだな」
「それで襲われたのか」
たしかにリザリガだけを見てたし、最後は攻撃だけを考えていたからシャーレに呼びかけられないとフクロウの攻撃をまともに受けていたな。
一対一の大会でもないんだし、横やりが入ることは常に考えておかないと。接近戦はまだまだと今回の戦いでよくわかった。
ダイオンとイリーナがフクロウにとどめをさしに行き、俺はシャーレとローズリットに助けてくれた礼を言う。
「帰ろうか。狩りは十分だし、リョウジだけの戦闘もやることができた。今日の目標は達成だ」
「そうね。帰って家族風呂!」
「はい。家族風呂ですね」
(家族風呂よ)
本当に楽しみにしてんだなぁ。
ダイオンが苦笑し、それにつられて俺も苦笑を浮かべた。
全員で獲物を持って、町に戻り、獲物を売る。
宿への帰り道、シャーレが周囲を見る。
「やっぱり視線があります。それも一つだけじゃなくていくつか」
「まだあるのか」
俺も周囲を見る。少し嫌な感じが増したか?
「誤差かもしれないけど、嫌な感じが増したね。このまま嫌な感じが増加するなら早めにこの町から出ようか」
「そうしましょう」
ダイオンとイリーナも頷いてくる。
宿がもうすぐそこというところまできたとき、路地へと続く道の入口辺りに座っていた昨日の少年が笑みを浮かべて駆け寄ってくる。
「やあ、約束通り会いに来たよ!」
「え? 約束なんてしてない」
シャーレが本気で戸惑っているし、約束は一方的なものだったんだろう。
そんなシャーレの様子を気にせず少年は話を続ける。
「そうだっけ? まあいいや、この町に来たばかりなんだろう? 案内してやるよ。いろいろといいところあるんだぜ」
シャーレの手を掴もうとして伸ばしてくる。それをシャーレは下がって避けた。そして俺の手を握る。
「案内なんていらないです。主様早く帰りましょう」
「そういうことなんで少年すまないな」
「待てよ! あんたが無理矢理その子を奴隷にした主なのか? 解放してやれよ、可哀想だろ!」
お、おう? 無理矢理はしてないんだけどな。なんでそんな考えになってんだ。
周囲の人たちも、少年の言葉に俺を疑わしそうに見てきている。
「なにか誤解しているようだけど、解放は難しいんだ」
いつでも解放できるように軽度の契約を結んではいる。でもそれをシャーレが望まないし。いつの日か自分から望む日が来たらいいなとは思っている。
「言い訳なんて見苦しいぞ! お前になんかその子を任せられるか、こっちに来てくれよ」
話を聞く気がないのか、この子は。
少年は再度シャーレに手を伸ばし、その手をシャーレが叩き落とし拒絶した。
かなり痛そうな音が響いて、周りで騒ぎに注目していた人たちも顔を顰める。
「気持ち悪いです! 近寄らないで!」
かなり感情のこもった拒絶に、さすがの少年もショックを受けた表情になる。
「な、なんでそんなことを言うんだよ。俺は君のことを思って」
「主様ここにいたくないです」
少年になにも答えることなくシャーレは歩き出し、繋いだ手に引っ張られるように俺も歩く。
振り返ると少年はその場に立ちっぱなしでシャーレを見ていた。その少年の肩を警備の男が叩いていた。あの警備が上手いことフォローをしてくれたらいいんだけど。
不機嫌なシャーレに引っ張られて部屋に戻り、武装を解いていく。
シャーレは自身の頬を叩いて気分を入れ替えて、風呂に入る準備を整えていく。
「お風呂です! 疲れも嫌な気分もリフレッシュです!」
そうだな。今のシャーレには必要なものだろう。
ダイオンとイリーナもタオルなどを持って、一緒に部屋を出る。
「家族風呂を予約してます」
番台のようなものに座る従業員にシャーレが言い、なにかしらの迫力でも感じたのか従業員はコクコク頷いて名前を確認する。
確認を終えて、従業員は家族風呂の鍵をシャーレに渡す。
ちらりと見えた鍵に紐づけされているプレートには3という数字が刻まれていた。
家族風呂用の入口から入り、そこから通路があって学校の教室のように入口にプレートがついている。家族風呂は三つある。
3と書かれたプレートのついた扉から中に入る。脱衣室の向こうに浴場へと続く扉がある。
服に手をかけた女たちから視線をそらし、服を脱いで湯浴み着に着替える。相変わらず女二人は恥ずかしがらずに着替えるな。シャーレはまだわかるけど、イリーナはそれでいいのか。
「こっちも準備完了。入りましょう」
シャーレたちと同じようなワンピース型湯浴み着の小さなローズリットが俺の肩に座る。
初めてローズリットの姿を見るイリーナはさすがにまじまじと見てきた。それをローズリットは流す。
浴場に移動する。湯舟は六人ほどが座れる大きさだ。これなら俺たちは問題なく入れるな。
「主様、洗います」
泡にまみれた両手で気合を入れたシャーレがずいっと近づく。
気分転換になるだろうし好きにやらせよう。
「頼む」
「はい!」
喜ぶシャーレに背を向けて、木製の風呂椅子に座る。
髪にお湯をかけられて、丁寧に髪を洗われていく。その間に自分で洗える部分は洗っていこうとへちまたわしを手に取って腕や胴を洗う。
(ローズリットは洗う必要あんの?)
(ないわ。この体は幻影みたいなものだもの。魔力をかなり使えば肉体のようなものを作り出すことはできるけど、今そこまでする必要はないし)
せやな。ただ風呂に入るだけなのに、大量の魔力を使ってもらいたくはない。
髪を洗い終わって、お湯をまたかけられる。
「では次に背中を」
「はいよ」
使っていたへちまたわしを渡す。
受け取ったそれでシャーレは力を入れすぎないように背中を洗っていく。
痛くないかと聞かれて、痛くないと返す。多少力を込めても肉体の強度がそれなりにあるから気にならない。
背中も洗い終えて、俺の方は終わった。
「俺もシャーレの背中くらい洗おうか?」
「そうですね……ではお願いします」
俺が座っていた風呂椅子に座って、湯浴み着をずらして背中を露出する。
そういや間近でシャーレの肌を見るのは初めてか? 旅に出たばかりの頃と比べて肌は綺麗になっていると思う。思わず観察している間に、シャーレは髪を洗い始める。
力を入れすぎないようにへちまたわしを動かすと、くすぐったいのか小さく体を震わせた。
「もう少し力を入れた方がいい?」
「はい」
俺とシャーレが体を洗っているうちに、ダイオンたちは湯舟に入っていて、力の抜けた吐息が聞こえてきた。
シャーレの背中を洗い、へちまたわしをシャーレに返して、俺も湯舟に浸かる。手足の先からじーんとお湯の温かさに慣れていく。
ローズリットは肩から移動し、俺の胸を背もたれにした状態でお湯に浸かっている。
少しして髪をまとめたシャーレが隣に入ってくる。
「はふぅ」
温かさから漏れた吐息が少し色っぽい。成長したら絶対艶が増すな。
今のシャーレは上機嫌で、少年との会話なんぞ忘れたかのようだった。
思い出させたらまた不機嫌になるだろうし、このまま話題にはしないでおこう。
十分にお湯を楽しんで、全員一緒に上がる。
浴場から出ると、シャーレがまた明日の予約をとっていた。いやうん、いいけどね。こうして慣れていくんだなぁ。
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