74 母→姉
王都から集めた壺に巨大スライムを入れ終わり、騎士や兵たちはこれでスライムに関してはあらかた片付いたとほっとしていた。
だがこれで全部が片付いたわけではなかった。地中に触手として伸ばされていたスライムが残っていたのだ。
この触手は近づく者を探知するためスライムが自分の周囲に延ばしていたものだ。歩く人間の振動を感じ取り、接近をいち早く知り、本体から奇襲もしくは先手をとれるようにと考えていた。凍らせられるのは痛かったため、近づく者を警戒していたのだ。
細い触手が動くことなくじっとしていたので、ダイオンたちにも気配を察知できなかったのだ。
探知用の触手だったが、凍らせられる以上の痛打を亮二から受けたため、本体から触手へ体の一部を送り、急遽地中からの攻撃として使われた。
予定になかった使い方をしたため、地中で千切れてしまった触手もある。そういったものが本体が壺に入れられたあとも残っていたのだ。
残ったのは十本の触手。そのうち半分は細すぎて自力では地中を移動するのに苦労して、そのまま死んだ。
生き残った五本の触手のうち四本は地上に出て、メロンほどの大きさのスライムとして行動を開始した。だが見回りの兵に三匹が見つかり退治され、一匹だけが王都の外へと逃げおおせることができた。
地上に出なかった触手は位置的に下水道に近かったため、そちらに出た。そこで虫やネズミなどを捕食して生き延びる。のちのち下水道の見回りをしていた兵に見つかり、討伐隊が組まれることになる。
深夜に巨大スライムへの対応がすんだと思われて、王都が静かになった頃、フーインは眠る前に酒瓶を持って宮殿に向かう。
騎士が護衛につこうとしたが、こんな状況では襲いかかってくる者もいないだろうと断り、一人歩いて宮殿を目指す。
宮殿はスライムに包まれたとき、負荷がかかったのかあちこちのヒビが入っていて、崩れているところもあった。
生き残りのスライムがいることや建物崩壊を警戒し、屋内には入らず外から家族や家臣の冥福を祈ろうと思っていたフーインはふらふらと建物の入口に入っていくトーローを見つけた。
危ないから連れ戻そうと、走って入口に向かい、中に入る。幸いトーローはペースを上げておらず、すぐに見つけることができた。
「トーロー、ここは危ない外に出よう」
呼びかけられたトーローは泣きはらした目でフーインを見る。
「フーイン様ですか。死んでしまってもいいです。あの人がいないのだから」
「そんなことを言うと兄上は悲しむ」
「……そうでしょうか」
自分からの好意はあったが、キーンからの好意があったか自信がないのだ。
「疑う気持ちはわからんでもない。加護持ちということで王家にその血を取り入れたいという考えはあった。でも兄上はあなたを好いていたよ。あなたとお茶を楽しんだあと、庭を散歩したあと、雑談したあと。きまって機嫌がよかった」
嘘ではない。キーンもトーローを愛そうとしていて、順調にいっていたのだ。
「……私も最初は緊張しましたけど、楽しかったです……何事もなければ幸せになれていたのですね」
「なれていただろう。その未来がこなかったことは残念だが」
「ええ、残念でしかたありません。だからここであの人のあとを追ってもいいじゃないですか」
「さっきも言ったが兄上は悲しむぞ」
「もう会えないのですよ。だったらこちらから会いに行ってもいいじゃないですか」
「会えるのなら俺も会いたいもんだよ」
切なさと悲しみの表情を浮かべたフーインは、ポケットの中に入れてあるファニからの別れの手紙に触れる。弱っていて上手く字が書けない状態で書かれたもので、愛を綴り別れを惜しむ内容だった。
「フーイン様」
その表情でフーインもまた望まぬ別れをしたのだとトーローは思い至る。悲しいのは自分だけではないのだとようやく気付くことができた。
「ごめ、ごめんなさいっ。私だけ悲しいとばかり」
「愛する者が死んで悲しむのは当然のことだ。責めるつもりなどない」
泣き出したトーローをそっと抱き寄せて、兄の代わりに胸を貸す。
服を濡らす涙の冷たさ。それと同種のものがフーインの頬を伝う。
しばしその場に立ち尽くしていた二人は、屋外へと歩き出す。トーローは一人ならば歩けないが、二人ならなんとか歩くことができた。立ち直ってはいないが、沈んだままではなくなったことにフーインはほっとして、死んだキーンに義姉になるはずだった人を今後不自由させないと誓う。
◇
激痛で意識を失ったと思ったら、映画館にいて、意識を失ったあとのことを見ていた。
ほんとに我が子ってなんだ。俺の親はお前じゃないぞ。
夢かと思って頬をつねってみたら痛くなかった。なんだ夢か、なんて落ち着けるか。
スクリーンには一人で魔法を合成しているところが映っているし、夢の可能性が高いと思えるんだけど、はっきり自意識があることに加えて、ローズリットは夢を操作しシチュエーションを整えることができる。だからローズリットが見せているとも思えるんだ。
出口がないし、見ることしかできないから、とりあえず成り行きを見ているうちにローズリットが俺に体を返すと言い、目を閉じたことでスクリーンに映る映像も消えた。
同時に館内が明るくなって、スクリーンの前にローズリットが出現した。
「我が子がやられた分はやり返した」
こっちに注がれる視線がとても柔らかい。慈愛のこもった目というのはあんな感じなんだろうか。急にそんな視線を向けられても居心地が悪いんだが。
「……ありがとう。でもお前の子じゃないぞ」
「ええ、そうね」
「だったらなんで我が子なんて言うんだ」
「知るため学ぶために、私があなたの記憶を見ていたのはすでに話した」
「そうだな」
「あなたが生まれて、どんどん大きくなっていく様子を見ていた。最初は学びに関係ないところはとばしていたわ。しかし見ていくうちに私の中に小さな感情が生じて、それは徐々に大きくなって私を変化させていった」
変化? それが俺を子供と見なすことに繋がるのか。
「あなたの成長を喜ぶ感情が生じた」
「なんでだ。人の成長なんて見飽きてそうなんだが」
「たしかに成長は見た。でも一人の人間を最初から見続けたのは初めて」
赤ん坊の頃から見てたからって、成長を喜ぶようになるものなのか? ローズリットのスタンスなら実験動物を見るような視点でいてもおかしくないと思う。
俺の表情はきっと疑問でいっぱいだろう。それを見てローズリットは頷いた。
「不思議に思うのは無理もないけど、見ることに飽きがこなかったのはあなたの周りに未知が溢れていたから。人の成長自体は見たことがあるけど、一緒に見ることになった育成に使われる道具。そういったあなたの周囲にあった物の作り、素材、使い方は未知。それらのおかげで飽きることなく見続けることができた」
「なるほど?」
乳母車とか哺乳瓶とかそういったものが気になって、どう使われるのか見ていたから、人間の成長というものがすでに見たことのあるものでも飽きることなく見ることができた。そんな感じでいいのか。
「そして見続けることで感情が生じ、大きくなっていき、影響を受けた。私の在り方を考えるとこの流れはありえた」
「在り方っていうと……」
自我を得て、疑似的な精霊へ、そして感情に振り回されて疑似的な魔獣へという流れだったか。
そう聞くと頷きが返ってくる。
「感情に振り回されて現状に至ったのが私。だから感情の影響を大きく受けても不思議ではないでしょう?」
「……納得できるようなできないような」
「あなたを見て生じた感情は私にとって初めてのものということも原因でしょう。それは未知。故に私は受け入れて私自身に影響を与えた」
「そういう流れか。変化を拒絶しなかったのか? 魔獣から見ればたかが人間だろうに」
「私にとって未知を与えてくれるなら人間だろうが精霊だろうが神だろうが関係ないわ。今となってはあなたは愛おしい大事な存在。そう感じることに嫌悪感はない」
かわらず注がれる柔らかな視線がどうにもむず痒い。
「といっても母を名乗られるのはどうにもな」
「だったら姉でもいいわ。母や祖母や姉ということが大事なのではなく、あなたを大事に思い、そばにいることが大事なのだから」
感情に左右されすぎではなかろうか。契約を結んだ俺にとって歓迎できる状況なのかもしれないし、今回助けられたのも事実。でもなんだろう、気持ち悪いとは言わないけど、言葉に言い表せないもやもや感。
突然こんなことを言われたから戸惑いを感じているのかもしれない。時間がたてば、慣れてくるのかな。母や姉と名乗るのを慣れるのもどうかと思うけどな。
「まあ、うん、なんで母と名乗るかはわかった。止めてって言っても聞かないだろうし、それでいいよ」
「では姉で決まり。今後ともよろしく」
姉にしたのか。母よりは受け入れやすいかなー。
よろしくと返すと微笑んで近づいてきて、隣に座る。
「あなたが目覚めるまでまだまだ時間はある。一緒にあなたの成長記録を見ましょう」
「その前にスライムになにをしたのか説明がほしい」
ダイオンが知りたがってたし、俺も知りたい。
頷いたローズリットが説明していく。聞き終わり、成長記録を一緒に見ることになる。
「忘れておきたい恥ずかしいことを見せられやしないか戦々恐々なんだが」
「そういったものも大事で可愛い記録」
保護者視点ならそうなのかもしれないけど! 見せられる側としては勘弁してほしいっていうかもう始まった!
起きたらきっと精神的に疲れてる、間違いない。
目が覚めた。ふふふ、自分じゃなければ微笑ましく思えることも、自分がやったことだとわかっているから転げ回りたい衝動がたびたび襲いかかってきた。
それなのに精神的な疲労がない。ローズリットが疲労が残らないように対処してくれたんだろうな。今のローズリットなら間違いなくやる。
身を起こすとすぐ近くにいたシャーレが泣きそうな顔で抱き着いてきた。
「心配しました! 大怪我したと聞いたときは心臓が止まるかと!」
「ごめん。行く前に心配ないって言ったのにね」
「本当です! もうっもうっ」
抱き着く力をさらに強くするシャーレの背をゆっくりとさする。
話し声が聞こえてきたのか、馬車の外からダイオンとイリーナが顔を見せる。イリーナはとても申し訳なさそうな顔だ。
「起きたのか。リョウジだよな?」
「そうだよ。俺が気絶したあとなにがあったか知ってるし、説明も受けた。スライムになにをしたか聞く?」
「ああ、聞かせてくれ」
そう言い馬車にダイオンとイリーナが入ってくる。
扉を閉めて、風の魔法で音が漏れないようにする。
さて話そうかと思ったら、真剣な表情のイリーナが床に額をぶつけそうな勢いで頭を下げてきた。
「ごめんなさい。あなたの勘を信用せずに動いたせいで、あなたが死にかけた。そのことを謝るわ」
「運よく死ななかったし後遺症もないから責める気はないよ。シャーレとダイオンは勘について実感してたけど、イリーナは話に聞いただけで実感はしてなかったしね」
ローズリットのおかげで地面に叩きつけられる前の状態に戻り、どこも痛くない。なんらかの後遺症が残っていたら、顔を見るのも辛くて同行するのをやめてもらっただろうな。
あとで知ったことだが、今回のことでシャーレがイリーナの頬を叩いていたらしかった。シャーレがそういった行動に出たのは初めてで、それだけ怒っていたということなんだろう。俺がイリーナの放逐を決めたら、シャーレは即座に同意したのかもしれない。
「今回のことで理解した。次同じことがないように勘を信じるわ」
「そうしてもらえると助かるかな」
謝罪はここまでにして、本題に入ろうか。
感想と誤字指摘ありがとうございます
親身になっても本としての使い勝手は変わらない模様




