71 巨体
フーインたちが出立して、たまに送られてくる報告書から推測するに、そろそろ帰ってくるだろうとロンジーたちは考えていた。
通常業務以外に労いの宴の準備や薬散布の指示、そして残党が宮殿にしかけたことの早急な対処とやることは山積みで、ロンジーたちは忙しい日々を過ごしていた。
そんな日々の中で、魔法による風の循環が順調なことは喜ばしいことで、このまま何事もなくいってくれと願う。
「残党が仕掛けたことはいまだにわからぬな」
三回目となる宮殿内調査報告書を机に置いてロンジーが言う。
「ええ、敷地内におかしな植物はありませんでしたし、なにかを植えた跡もありません。残党と繋がりのあった者たちからも情報は得られませんでした。ですが使用人から報告のあった水の異変についての報告がそろそろのはず」
その報告があった時点で、宮殿内の井戸は使用を中止している。今は魔法と宮殿外から水を調達することでどうにかしている。
「毒ではないことはすぐに判明しましたが、通常の水とはほんの少し違うということも判明しています。水源に異変はありませんでしたから、残党の仕掛けた何かの可能性が高いです」
「誰も病気になったり、死んだりしなかったから判明が遅れたのが痛いな。目立った異変があればすぐに報告が上がってきたろうに。少し違うだけなら報告していいか迷うか。我らも口に入れしまっている。もしものことを考えておかなければ」
自分が死んだ場合の引継ぎなどを書いた書類を作成し、地元に送る準備を進めていく。
新開発された遅効性の毒というのがロンジーたちの予測だ。既に飲んでしまっている自分たちは最悪死ぬことも考えている。飲んでいるのは宮殿で働く者すべてで、発表するとパニックは確定だろう。宮殿だけではなく町中にもパニックが広がる可能性を思うと、すまなく思いつつもロンジーはこの情報を秘する。そして王都の外にいる信じられる者には、宮殿で異変があるかもしれないと伝えておいた。
「最悪にはなってほしくはないのだがな。お前の結婚も迫っているというのに」
「対応の遅さが招いたことです。自業自得といっていいでしょう」
「すまんな」
せめてトーローが健やかに過ごせるよう、フーインに頼む手紙を書きながらキーンは首を横に振った。この手紙を書いたことが慎重すぎると笑ってすませられる日をキーンは願う。
異変が起きたのは二日後の夜だった。寝るには少し早いといった時間、メイドたちの部屋で同僚とお喋りを楽しんでいたメイドが腹に異常を感じた。
腹を押さえて急に苦しみだしたメイドに、同僚は心配して声をかける。
「え? ちょっと大丈夫!?」
「お腹がっ熱いっ」
「熱い? どういうことよ?」
表情を歪めて苦しむメイドの背をさすろうと、手を背中に当てる。
すぐに異常がわかる。体温が少しばかり熱いのだが、それ以外の異変の方が目立った。服の下の肉体が脈動しているのだ。
「なによこれ? 服をめくるわよっ」
同僚は背中のボタンをはずして、服の下を見る。そして顔を引きつらせた。
服の下になにかいたわけではない。皮膚の下でなにかが蠢いていた。
「ひっ」
思わずあとずさる同僚の目の前で、メイドが嘔吐する。
口からは食べたものではなく、でろんとした赤っぽい粘液が出てきた。嘔吐したメイドはそれに驚く間もなく、床に倒れて痙攣を始めた。
同僚はどうにかして助けようと思う前に、悲鳴を上げる。それを聞きつけた、廊下を歩いていたほかの同僚が部屋に中に入ってきて、同じように悲鳴を上げた。
この異常が起きた十分の間に、宮殿のあちこちで同じ事態が起きていた。
にわかに騒がしくなり、倒れた者の粘液を吐き出させ医療室へと運ぶといった光景が見られたが、その運んでいる者も同じように赤い粘液を吐き出すといったことが珍しくなかった。
被害者の中にはロンジーとキーンもいて、宮殿外でも毎日働きにきていた者が自宅で倒れ、家族が悲鳴を上げるといった光景も見られた。
そうして夜が明けた頃には、宮殿を包み込む巨大で血のように赤いスライムが、町の住人を恐怖させることになる。
◇
俺たちも含めたいくつもの馬車が王都へと進み、遠目に目的地が見えてきて、異常に気づいたのは騎士や兵だったらしい。
馬車が止まり動き出す気配がないことに疑問を感じ、なんだろうかと俺たちは後部ドアを開けて外に出る。
騎士の一人を捕まえて、どうして止まったのかと尋ねる。
「王都の様子がおかしいらしい。宮殿の辺りに赤いなにかがいる」
「こっから見えるくらいなら相当にでかいじゃないんですか?」
「だろうな。明らかに異常だっていうんで、一度ここで止まって斥候を出した」
自分の目でも確かめようと見える位置まで移動する。
今いる場所は小高い丘で、かなり先に王都が見える。そこに注視すると、赤いなにかが俺にも見えた。俺の遠近感覚がおかしくのないのなら、三階建ての建物を超える高さだぞあれ。
「なんだあれ」
「柔らかそうななにかに見えるわ」
じっと王都を見ていたイリーナが言う。
柔らかいなにか? すぐに思ついたのは神守の森で見たスライムだ。あれもでかかった。今回のはあのスライムを超えるでかさだが。もしもスライムだとしたら、あれほどの巨体が迫るのに気づかないはずはない。地中からやってきたとしても地震といった予兆があったはずだろうし、変異し地中を進むスライムの情報は国に渡っているはず。素早く対応し町への被害は抑えられたと思いたい。
一時間ほどで斥候が情報を持って戻ってきた。
フーイン様は全員に聞こえるように馬車の外で、斥候が持ち帰ってきた情報を聞く。
「あれが現れたのは三日前ということです。夜に町や宮殿で苦しむ人がでたかと思うと、体内から赤い粘液を吐き出す者たちが続出。その赤い粘液はおそらくスライムであり、人々がパニックを起こしている間に、寄生された者を消化して大きくなり、そののちスライムが集まって巨大化。騒ぎの翌朝には宮殿を包むほどの大きなスライムとなったそうです」
「スライムが人に寄生?」
フーイン様は瞬時にいろいろなことを考えたのだろう表情が歪んだが、すぐに冷静な表情に戻る。
「被害は? スライムは町の住人を捕食しようと動ているか? 対処はどうなっている」
「被害について詳しいことはなにも。対処は油を使ってあれを燃やそうとしたそうです。ですが目に見えた効果はでなかったと」
「対策などの指揮は誰が取っているかわかったか?」
「聞いた限りでは兵のまとめ役が動いていたそうです」
「……陛下や兄上の姿を見たといった者はいたか?」
「聞いておりません」
その返事にフーイン様は表情をさらに歪め、近くから「トーローさん!?」というレンソの声が聞こえきた。そちらを見ると気を失ったらしいトーローさんがレンソとシャイマンさんに支えられていた。
キーン様が指揮をする場にいないと聞いて、最悪の事態を想像してしまったんだろう。
フーイン様はトーロー様を馬車の中で休ませるよう言い、全員に町まで移動するように指示を出す。
魔法発動を成功させて帰ってきたという浮かれた雰囲気はこの一団にはない。あるのは王都の異常事態に、緊張した雰囲気だ。
王都へと続く街道を進み、すれちがう人たちの表情は不安一色だった。
王都に到着すると、町の外に避難している人であふれていた。その人たちに避けてもらい、馬車ごと王都に入る。
兵が制止する声が馬車の外から聞こえてきたが、すぐにこちらの騎士か兵が説明したのだろう、馬車は止まらずに進む。
十分ほどゆっくりと進み、馬車が止まる。外の様子を見てみようと馬車から降りる。
「でっか」
人のいない大通りの向こう、数百メートル先に赤いぶよぶよとした物体が見えた。周囲の建物よりも高く、赤い体内の中に黒い影が見える。おそらく宮殿だろう。その大きさに皆一様に驚いた様子だ。
怖いのだろう、シャーレが俺の服を掴む。少しでも不安が晴れたらと、その手に俺の手を重ねた。
俺たちがスライムを見ている間に、フーイン様が周囲に声をかける。
「外に出ていたフーインだ。現状の責任者は誰だっ。こっちに来てくれ!」
少しして鎧姿の四十歳半ばの男が走ってきて、フーイン様の前で止まる。
「現状指揮をとっています。警備隊長ロジーヌと申します。殿下のご帰還喜ばしく思います」
「ありがとう。今から俺が指揮を取ろうと思う。なにか問題はあるか?」
「いえ、ありません」
「ではロジーヌは補佐を頼む」
「はっ」
「早速だが、帰ってきたばかりで詳細がわからない。説明が欲しい。あれはなんなのか、どうして現れたのか、対策はどうなっているのか、被害状況、避難状況などなどだ」
「対策本部を作ってあります。そこで説明しようと思います」
「わかった」
移動前にフーイン様は同行していた者たちにとりあえず休息を指示する。
そして俺たち加護持ち組とファロント爺さんを呼んで、同行を頼んでくる。
トーローさんはいまだ気絶したままで、シェーゾンはショックが大きくこちらも休ませた方がいいということで、残りの加護持ち組と俺の仲間とファロント爺さんとフーイン様の側近がついていく。
対策本部は、避難して人のいない宿を借りて作られていた。普段ならば賑やかであろう食堂に、険しい顔の騎士と兵がいて、テーブルをくっつけ情報の書かれた紙を手に話し合っている。
「フーイン様の帰還だ。今から指揮は殿下がとる」
ロジーヌさんの言葉に、少しは安心できる材料ができたと、食堂にほっとした雰囲気が漂うがすぐに引き締まる。
フーイン様は食堂を見渡し、小さく溜息を吐くとすぐに口を開く。
「ロジーヌにも言ったが、帰ってきたばかりであれがなんなのかもわかっていない。説明を頼む」
「はい」
頷いたロジーヌが部屋の中にいた人に視線を向けた。視線を受けた彼は頷いて説明を始める。
情報を集めてきた斥候の話が詳しくなった内容だった。
「やはりスライムだったのか」
「はい。宮殿から脱出してきた魔法使い殿からそう聞いています」
「その魔法使いは無事なのか?」
「今日の朝に亡くなりました。そばにいる精霊のおかげで症状の進行を弱めることができたらしいのですが、治癒までは無理だったらしく」
フーイン様は片手で顔を覆い、表情を隠し尋ねる。それはファニという名前ではなかったかと。
「はい。そう名乗っていました」
「そう、か。遺体はどうしている?」
「スライムに消化される前に火葬してほしいというのが本人からの希望でしたので、息を引き取ったのを確認し燃やしました」
「わかった。墓があるなら教えてほしい」
「まだ墓は作っていませんが、骨は集めて保管してあります。あと殿下にあてた手紙が。帰ってきたら渡してほしいと」
少し驚いたと表情を変えたフーイン様は、一度を目を閉じて表情を引き締める。
「あとで必ず受け取る。ファニはスライムについてなにか言っていたか?」
「確信はなかったようですが、宮殿で使う水源に改造されたスライムを入れられて、それを長期間使用していたことが寄生された原因ではないかと」
フーイン様の側近と参加を要請され宮殿で過ごしていたシャイマンさんが顔を歪めた。
「宮殿の水は俺も使っていた。だったら俺も寄生されているのではないか?」
「殿下はこの数ヶ月外に出ていました。おそらくそれだけの期間使用が途切れたら寄生できないのかもしれません。現状なにか自覚症状はありますか? 体温が上がり、皮膚の下でなにか動くらしいのですが」
「そういった症状はないな」
シャイマンと側近も頷く。
「症状がまだ出ていないか、寄生されていないかのどちらかだと思うのですが、私には判断つきかねます」
「ファロント、どう思う?」
ファロント爺さんはそうですなと答えて、考え込む。一分ほど思考して口を開いた。
「宮殿の水は管理がしっかりとしているでしょう。そこに異物を放り込むのですから、ばれないようにするのが当然。なので少しの変化も感じさせないよう、水に入れられたスライムのようななにかはとても薄いものだったはず。体内に蓄積して一定量が溜まると効果を発揮するものと思われますから、持続的に体内に入れなければ尿や糞と一緒に排出されて効果を引き起こせないと思われます。今後宮殿の井戸を使うなら、同じことが起きるかもしれませんが、今は大丈夫と思われます」
絶対とは言い切れませんと付け加えた。それにフーイン様は頷いた。
「あの状況では宮殿の井戸は使えぬよ。ところで町の者たちは問題なかったのだろう?」
「はい。町で同じ症状が出たものは宮殿勤めの者ばかりでした。町で使う水を急ぎ調べてもらいましたが、おそらく異常はないと報告されています」
「だったらひとまず同じことが起きることはないとしよう。俺たち宮殿暮らしをしていた者も異常はないものとして動く」
フーイン様は寄生よりもデカいスライムをどうにかすることを優先したようだ。
現状なんともなくとも、後遺症があるかもしれない。だが今考えることではないとわざと放置したんだろう。
「あれがなんなのかはわかった。どうして現れたのかもだ。では次にどのような対策をとった?」
火を使ったのは聞いたよな。ほかになにかやったんだろうか。
感想と誤字指摘ありがとうございます




