7 氾濫の終わり
三時間ゆっくり休んでまた俺の番がくる。魔法を使い終えた三人は疲れた様子で、何かを話すことなくその場に寝転んで休んでいる。
「俺は余裕あるし、長めにやった方がいいか?」
「できるなら頼む。もう少し休んでいたい」
次の番の男が寝転んだまま頼んでくる。それに了解と返して、魔法を使う。
水はあたり一面に満ちていて、地面に降りたら足の指が浸かるくらいは広がっていそうだ。休憩の間、以前戦ったワニの魔物とか、蛇やザリガニの魔物が川から押し出されるように出てきて、傭兵たちと戦っていた。次から次に出てくるから、傭兵たちも大変そうだったな。
川や傭兵の様子を見ながら魔法を使っていると、傭兵が近くにいないタイミングで大きなワニの魔物がのそりと上半身を見せる。
「あれが暴れるとこの足場が崩れるかもな」
「でけえな。誰か呼ばないと」
俺の声に反応した男が誰かを呼ぼうとする。
「押し返してみるから、少し待って」
「できるか?」
「たぶんできる」
川の位置まで押している水流をあのワニの魔物の位置まで寄せる。制御をミスするとあっというまに周囲の水かさが増しそうだから慎重に。
ちょいっと少しだけ水流を動かすと、あっという間に魔物を水が包んだ。魔物はその場で踏ん張っていたけど、やがて強い水の勢いに押されて川の中へと姿を消した。
それを見て男がほっと息を吐いた。
「よし、上手くいった」
寄せた水流を元に戻し、再度制御を続ける。
二時間ほど魔法を使い続けて、さすがに疲れが出てきだした。ここで交代してもらい、運ばれてきていた昼食のサンドイッチを食べてから俺も寝転んで目を閉じる。
そのまま周囲を音を聞いていると、うとうととして眠りかけのまま時間が過ぎていく。完全に寝入るにはうるさいけれど、これでも休息にはなった。
そろそろ交代だと起こされて、魔法を使う。水の勢いは少し衰えているように思える。でも緩やかというにはほど遠く、また出番が回ってくることになりそうだ。休んでいるほかの三人の様子を見る限り、疲れが溜まっていて制御しきれず水かさはどんどん増えていくと思われる。ほかの場所でも似たようなものだろうから、村中水浸しになるんじゃないかな。
また二時間くらい魔法を使い続けて、夕日に照らされていると、ばしゃばしゃと誰かが走っている音が聞こえてきた。
「すみません! ここにリョウジさんという男の人がいますよね!?」
呼ばれたので振り返り、手を振って返事をする。
息を乱した二十歳くらいの女性が再確認してきたので頷く。水の量は増していて、女性の脛半ばまでの高さになっていた。
「霊水をいただきたいのです」
「どうして?」
「シャーレという少女を知っていますよね。あの子が川から出てきた蛇の魔物に噛まれたんです。その魔物は弱めの毒を持っていて、毒のせいで体力を削られてっ」
「病気のせいで体弱っているんじゃなかった? まずくない?」
「まずいのです! 毒は薬でなんとかしましたけど、いつもより衰弱してしまって病気の苦しみが悪化してしまい。もしかしたらこのまま……そう思うといてもたってもいられず、巫女様に相談したらリョウジという人に霊水をもらってきて一時的に症状を抑えたらなんとかなるだろうと」
明日も知れぬ状態になったらファーネンさんも耐え切れなかったのか。
俺もそうだけどな。余裕がなくなったのなら、四の五の言わずに渡すしかないって思う。
「わかった。でも注意が必要だ」
「注意ですか?」
「水流制御の魔法を一度切る必要がある。水がいっきに押し寄せる可能性がある」
「魔法を同時に使えたりは?」
無理と短く返すと、女性は覚悟を決めた表情でお願いしますと言ってくる。
霊水を入れる器を出してもらい、魔法を切って、霊水を器に入れる。そしてすぐに水流制御に戻る。
その作業に一分もたっていないけど、水の勢いが一時的に強くなり、女性は少しよろけたがどうにか耐えた。
礼を言って急いで村へと帰っていく。
「助かるといいけど」
「お前は加護持ちだったんだな。どうりで余裕があるはずだ」
話を聞いていた次の番の男が羨ましそうに言ってくる。
「加護をもらったのは数日前ですけどね。それまであまり魔法を使わない生活でしたんで、いそいで習熟訓練やりましたよ」
「数日でそれか、加護ってのはすごいな」
「これの練習を中心にしたからというものありますね。ほかの水魔法はおいおいやるつもりです」
嘘ではない。ほかの魔法も練習はしたが、一番時間をかけたのは氾濫対策の魔法なのだ。
それに水以外の属性は加護を持っていないため、習得すらできていない。発動しかけるのだけど、もう少しというところで止まるもどかしさがある。本来の魔法習得とはこうなのだろう。大精霊の加護が後押ししたから、水魔法に関してはだいぶ楽ができている。
話しつつ二十分ほど制御して交代する。次出番が回ってくるとしたら、完全に日が落ちた夜だけど、感じられる水の勢いから推測して出番はないかもしれない。
◇
ふわふわとしている。いつもは熱く息苦しいけど、今はそんな苦しみから解き放たれたような、でもそれは嬉しくない。頼りないんだ。自分がどこかにいってしまいそうで、必死になにかに捕まっていないと流されてしまいそう。
どうしてこんなことになっているんだっけ。その場に留まることに集中しながら、理由を思い出す。
数歩離れたところにそのときのことが浮かんだ。
ああ、そうだ。庭に水が流れ込んできて、小さい子が気になるからと出ていこうとしていて、止めようとしたんだ。でもその子は裏口を開けてしまって、急いで閉めようとしたらするりと魔物が入ってきて、私の足を噛んだ。その魔物はなんとか追い払ったけど、どんどん苦しくなっていって、床に倒れた。
ということは夢の中ってことなのかな。
そう思うと思い出すという行為が止まらず、どんどん昔のことが思い浮かんでくる。
孤児院での暮らし。両親に連れられて孤児院に来たこと。初めて家の敷地内から出たこと。霊熱病になったこと。今よりももっと小さい頃から両親にいろいろと教えられたこと。
私自身が覚えてないようなことも思い浮かんで、このまま赤ちゃんの頃のことも思い出すのかなと思っていると、不思議な感じがした。
心地よい冷たさが全身を駆け巡る。なんとなく自分にとって良いものだって思えた。ふわふわとした感じがなくなっていった。意識しなくてもその場に留まってる。かわりに周囲が暗くなっていく。でも不安はない。どこにも行かないと思えた。ただゆっくり休めると感じながら暗闇に溶けていく。
◇
暗くなって周囲の様子はよくわからない。半月の明かりのみが周囲を照らす。見える範囲の川の流れはだいぶ穏やか。水音も荒々しさがなく、朝に上流から感じられていた圧もなくなっている。
魔法を使ってはいるけど、集中せずともよくなっている。
「水の勢いはほとんど通常のものになってるよね?」
「ああ、俺もそう思う」
座りながら周囲を見ていた男たちが同意を返してくる。
となるともう少しだけ様子を見て、魔法を切ってもいいかな。
魔物にだけ警戒していればいいだろうと男たちも言ってくる。
そのまま三十分くらい時間がたって、松明の明かりがいくつも村の方から近づいてくる。ばちゃばちゃと濡れた地面を歩く音がここにも近づく。
こちらを見上げながら男が話しかけてくる。松明を持つ反対の手には短槍がある。
「お疲れ様です。もう少しだけ警戒をお願いします。これから川の確認をして大丈夫とわかったら、皆さんのお仕事はおしまいですので」
「りょーかいです」
俺の返事を聞いて、男は慎重に川へ近づいて行った。ほかのところでも松明の明かりが川に近づいている。
少しして松明がすべて大きく振られる。そして俺たちのところに男が戻ってきた。
「大丈夫です。魔物の警戒は必要ですが、水への警戒は必要ないでしょう。お疲れさまでした。宿に戻ってゆっくりと休んでください。報酬は明日対策所で渡します」
終わったと嬉しげに言いながら一緒に対応していた三人が立ち上がる。
彼らと苦労をねぎらい、地面に降りて村に帰る。村に入るとそのままそれぞれの宿や家に帰っていく。
俺も村を見ながら宿へと歩く。
村は大きく荒れた様子はない。どこかの家が壊れたりしていない、悲鳴や泣き声が聞こえてきたりしない。地面はぬかるんでいて、家屋の掃除が大変だと思うけど、村の中の被害はそれくらいだろう。
役割をまっとうできたことに充足感を得て、宿に入り、部屋で汚れを落としてベッドに寝転ぶ。
疲れたけど水魔法の扱いに関してはかなりの経験が積めた。これで報酬ももらえるのだから、良い仕事だったのかもしれないな。
あとはシャーレのことがどうなるか。それが終わったら次の村か町に行こう。
起きて、朝食をとり、宿を出る。
明るくなって再度村を観察する。建物の下部が汚れていて、地面はあちこちにぬかるみがある。
人々は散らかったものを片付けながらも明るい様子だ。無事災害を乗り越えたことを喜んでいる。村の外にあった畑は駄目になっていそうだけど、この様子ならめげずにやりなおすんだろう。
そんなことを考えつつ対策所に上がる。そこは昨日よりもがらんとしていた。避難していた人たちが家に帰っていた。
今はテントや運び込んだ家具を移動させている。
それらを邪魔しないように移動し、 まだ片付けられていないテントにいる受付嬢に話しかける。
「おはようございます」
「はい、おはようございます」
「ここで報酬をもらえると聞いたんですけど」
「お名前と役割をお願いします」
「亮二。役割は魔法を使って水の制御」
受付嬢は書類を確認し、頷いた。
「こちらが報酬です。ご確認ください」
木製トレーに載せられたのは銀板十枚と金板一枚。一緒に出された書類にもそう書かれていて間違いない。受け取り、財布にしまう。
「ファーネンから伝言を預かっています」
「なんて言ってました?」
「報酬を受け取ったら奉納殿に来てほしいと」
シャーレのことだろうな。面倒ならこのままばっくれても……というのはなしかな。多少なりとも関わったからなぁ。どうなるのやら。
受付にわかったと返して、奉納殿へと向かう。
奉納殿も少し散らかったり汚れたりしているけど、大きく荒れてはいない。子供と大人が混ざって片付けをしている。その中にどこか楽しげなシャーレの姿もあった。あの様子だと霊熱病の症状がかなり抑えられてると思われる。楽になって動き回れるのだから楽しいよなぁ。
ここにはファーネンさんはいないし、屋内だろうか。
中に入ってみたが、そこでも掃除をしている人はいたが、ファーネンさんはいない。
掃除をしている大人に、呼ばれて来たのだと伝える。するとファーネンさんに伝えてくるので待っていてほしいと言われたので、長椅子に座って待つことにする。
待つこと五分弱。大人が戻ってきて、案内するということでついていく。
応接室に案内されて、大人はここまでと言って去っていく。扉を開けるとファーネンさんが待っていた。
「おはようございます。向こうに頼んでいた伝言が無事伝わったようですね」
「ええ、報酬を受けるときに伝言を受け取りました。おそらくシャーレのことだと思うのですけど」
「そうです。あなたに断りなく、勝手に霊水を与えることを決めてしまいました。駄目ですね、あの子が死ぬかもしれないと思うと頭の中が、助けなくてはという思いだけになってしまいました」
「まあ、気持ちはわかります」
俺だって助けなきゃって思ったし。何年も世話をしていれば情も湧くだろうから仕方ない。そこを責める気にはなれない。
「霊水を使ったことで、あの子は今症状が抑えられ自由に動くことができています」
「外で掃除をしているのを見ました。楽しそうでしたね」
「ですがあの状態は長くはない」
だろうな。そしてまた苦しむ。
ファーネンさんは手で顔を覆う。
「……どうすればいいのでしょうね。私にはわかりません」
「俺もですね。いっそのこと本人にすべて話して判断してもらいませんか? 本人が決めることでしょう。俺たちには判断は無理です」
「そう、ですね。おそらくなんですが、あの子は私が思いついたことを受け入れます」
「昨日も言ってましたけど。なにを思いついたなんですか?」
「あなたの奴隷として登録する、ということです」
「は? はあぁ!?」
奴隷ってあの奴隷だよな? 自由がなく、主の好き勝手に扱われ、ぼろぼろになって死んでいくやつ。そんなのにシャーレをしようとするのか!?
いやでもファーネンさんが進んでそんなことするかと、慌てながら与えられた知識を確認してみる。