42 本契約
「最悪じゃねえか!? どうにかして起こさないと!」
このままだと俺もシャーレもダイオンもほかに寝ている人たちだって死ぬっ。
「無駄。一度私の眠りに捕らわれたら、人間は私が魔法を止めないと起きることはない」
「じゃあ止めろ!」
言いながら焦りの感情に任せて殴りかかる。拳が当たる寸前にすっと放浪書獣の姿が消えて、数メートル横に現れる。そちらへと掴みかかるが、また消えて別のところに姿を見せる。
攻撃されたというのに放浪書獣はまったく表情を変えずこちらを見てくる。
「でも例外があった。それはあなた。本当ならこうして言葉を交わすこともない。それなのにあなたは半分とはいえ覚醒した」
「あれだけ同じことを繰り返したら夢であろうと違和感も抱くさ!」
殴りかかることをやめずに答える。
「あなたの夢は私が見たことのないものばかりで、とても興味深かったのに干渉できなかった」
「そりゃよかった! 干渉されていたらこうして目覚めることもなかったろうしな!」
くそっ当たらない。技術が足らないとかじゃなく、幻を相手しているみたいに攻撃する意味すらないように思える。本当は避ける必要もないんじゃないだろうか。
攻撃が当たれば事態が好転するとはいえないけど、今俺にできるのはこうすることくらいだ。
「だから私は交渉することにした」
「交渉?」
魔法ならばどうだと刃の竜巻を使う。それはシャーレたちも巻き込んだが、風が治まると相変わらず無表情でこっちを見てくる放浪書獣と寝たままのシャーレたちがいた。
魔法も効果なしか! 打つ手がないけど、どうにかしないと。
「そう。干渉できないことも見たことのないものもとても興味深い。だからあなたと所有契約を交わすことで、あなたのものとなり、あなたに干渉が可能になるはず」
「契約なんか交わすか! 皆のように眠りっぱなしになるじゃないか!」
メリットなんかなにもないこっちに不利益しかない契約を交わしてなんになる。
「これは無理矢理に仮契約を結んだから。正式な所有契約ならば、こうして眠り続けることはないし、身体的精神的に不利益は発生しない」
「一見まともな契約だけど魔獣の言うことなんか信じられない」
語られていない不利益があるかもしれず、はいそうですかと頷く気にはなれない。
交渉を突っぱねどうにか触れようとするが、放浪書獣は気にした様子なく避け続け、喋り続ける。
「たしかにこの身は魔獣にかぎりなく近い。だが私はもとは魔法書。その機能と在り方はいまだ失われていない。所有者に害を及ぼす気はない」
「俺以外にも害がでたら、所有者の俺はほかの誰かから責められることになる。そんなことはごめんだ」
間近にいるシャーレやダイオンも巻き込まれることになる。
「あなたが他者に害を及ぼすことを命じなければ、私が他者に害を及ぼすことはない。所有契約とはそういうもの」
ちっとも表情が変わらないから嘘か本当か判断つかねえ。
放浪書獣が言うことが本当なら、契約を結んでもいいとは思う。シャーレたちを目覚めさせることができるのだろうし、今後放浪書獣による被害はでないはず。
しかし嘘なら俺も皆ももろともに死ぬ。もっと判断材料がほしい。
捕まえるのをやめて尋ねる。
「……お前の目的はなんなんだ」
「私は未知を求める」
そりゃ俺の夢に興味を持つはずだ。異世界の光景なんぞ未知のものだろうし。
「未知とは?」
「私が見たことのないもの」
ずいぶんと素直に答える。誠意を見せて信じてもらおうとしているのか。それともそう見せかけて油断を誘おうとしているのか。
「それは簡単に見つかるものじゃないのか。生きている人間だれだって同じ行動はしない。植物だって同じように成長しない、動物だってそうだ」
なんとなく放浪書獣が求めているのはそういったものじゃないとは思うけど、確認も兼ねて聞く。
予想通り放浪書獣は首を横に振る。
「私が求める未知はそういったものではない。たしかに人間は同じ行動はしないが、似通った行動になる。植物も同じように成長し花を咲かせて散っていく。動物もそうだ。私が欲するのは、まったく見たことのないもの。そういった技術、考え方、物品」
「人を眠らせるのはどうしてだ?」
「夢という現実とはまた違った環境で、人の起こす行動を見る。その中に未知を求めた」
夢の中なら現実よりも感情のまま欲望のままに動きやすいからか?
「どうして未知を求める」
「私は魔法を記録し後世に残すために作られた。長い年月の中で、あるとき私は自我を得た。おそらく精霊に近いものになったのだろう。それになったあとも私は作られた目的にそって新たな魔法を探した。その過程で、これまでに感じなかったものを感じた。感情というものが原因だろう。しかしそれを得たばかりの私にとって、それは有益ではなかった。魔法に関わる人々の起こすこと、起きたこと、理解を大きく超えることが多かった。それは私を大きく揺さぶっていった。感情というものを理解できず持て余した私は理解に努めて魔法の記録よりも、人々の行動へと関心を移していった。そして人々の行動が見なれたものばかりになると、見たことのないものを手段を選ばず求めた。こうして魔獣に近いものへと変質した。以来、私は未知を求めている」
感情なんて最初から持っている人間も持て余すものなのに、こいつは突然それを得て振り回されてきたのか。
こいつの根底にあるのは人間を理解するということでいいのかな。少なくとも人間が憎いとか、殺すのが楽しいとかではないと思う。
「俺と契約したとしよう。お前の求める未知を見たとしよう。やがてそれは既知になる。そうなったらその後お前はどうする。俺はどうなる」
「新たな未知を求める。契約は解除され、あなたのもとから去る」
「何事もなく去るのか? 命を削ったりは?」
「そういったことはしない。既知に興味はない」
ここまでの会話でわかったことは、こいつは興味を優先しすぎて周囲の迷惑を考えない奴ってことだ。そんなんだから興味のなくなった対象を起こさずほったらかして衰弱死させてしまうのだ。
興味が刺激されたから契約を交わしたい。これに嘘はないと思う。おそらくだけど不利益もないんだろう。嘘を吐いて契約を交わせないのは損だと考えているはず。
ただし聞いてこなかったから答えなかったということはあるかもしれない。
そこをしっかりと確認して、問題ないとわかれば契約を結ぶ条件の交渉に入ろう。おそらくそれが俺やシャーレたちを起こす一番確実な方法だ。
しつこいくらいに細かく話を聞いていく。違う表現で同じことを聞くということが何度かあったが、こいつはうんざりした様子もなく素直に答えていった。
「……わかった。契約を結ぶ」
こうして口に出すとローズリットの表情が少しだけ笑みに変わった。よほど嬉しいんだろうな。ずっと無表情だったから印象的だ。
名前で呼んだのは放浪書獣と外で呼ぶわけにはいかないから、今から慣れるためだ。
「手を」
「こうか」
ローズリットが手を差し出し、それに重ねるように手を置く。
俺たちの足元になんらかの魔法陣が描かれた。
「契約。主を亮二、従をローズリット。正式な所有者として繋がりを結ぶ」
ローズリットの胸から光の紐が伸びて、俺の胸に入っていく。そしてなにかが俺の魂や心というか、それに絡みついた。
「私は主の中に。用事があれば呼ぶといい」
そう言うとローズリットは光の塊となって繋がる紐を伝って俺の胸に入っていった。
ローズリットが消えて、周囲には眠る人たちのみが残る。所有契約が結ばれた今、ローズリットが強制的に結んだ仮契約は切れているようだ。ほっといても自然と起きるんだろう。それが嘘ではないと示すように、次々と眠った人たちの姿が徐々に透けて消えていく。シャーレとダイオンも同じように消えた。
最後の一人が消えて、俺の周囲がぼやけていく。俺も起きるんだろう。
◇
目が覚めてまずはじめに感じたのは、飢えと渇きとトイレに行きたいというということだ。
同じ部屋で寝ていたシャーレとダイオンも似たようなものらしく、一緒に部屋を出る。
ほかの部屋にいた客も同じなようでトイレの前には行列ができていた。
この宿以外でも同じようなことが起きているんだろう。そんな俺たちを見て、警備の者たちが驚いていた。たぶん眠りっぱなしの俺たちの様子を見ていてくれたんだろうな。ありがとう。
トイレをすませて、次はなにか食べたいということで屋台を探しにいっせいに宿を出る。宿の料理人も作るより、まずは食べたいということで調理が期待できなかったのだ。
時間的にはおそらく十時くらいだろう。早い昼食だったが、屋台の主たちは起きたことを祝い、次々と料理を作ってくれた。
屋台が大繁盛し、料理を食べている俺たちに警備たちがなぜ起きたのか聞いて回る。だが誰も答えられなかった。当然だ、彼らは夢を見ていただけだからな。俺も同じように答えたから、真相はわからずじまいだ。
放浪書獣のせいではないかと考えていたらしいけど、本を発見できず、被害者が起きたことで魔法使いの実験ではないのかと考えを改めたらしい。
こちらかもどれくらい寝ていたのか聞いてみた。どうやら異変が発生して二日目だとか。寝たのが午後十時過ぎくらいだから三十六時間くらい寝ていたことになるんだな。
食事や質問を終えて宿に戻る。
「まさか魔法使いの実験に巻き込まれるとは。リョウジは嫌な予感とかなかったのか?」
「なかったよ。むしろ良い予感がするって言ったね」
そう、ローズリットが近くにいるのにそう感じたのだ。結果的には主となったんだから良いのかもしれない。これまでローズリットが蓄えた知識を俺も知ることができるそうなので、魔法探しは楽になる。これは良いことだ。
でもローズリットの起こしたことに巻き込まれたことで、ただ眠るだけではなく被害を受けた者もいる。寝ている間に病状が悪化したが、それに気づかれず死んだ者がいるのだ。
縁の能力は俺にとって良いもの悪いものを感じ取るものであって、他者にとっては俺の良い結果も悪い結果になりうるとわかった出来事だった。今回被害を受けた人には悪いけど、教訓にさせてもらう。今後シャーレとダイオンが被害が受けるかもしれないからな。
「勘が外れることもあるんですね」
シャーレが神妙に言う。それに俺は無言で首を横に振る。
ローズリットのことを二人には話そうと思う。一緒に行動するのだから、いずればれると思うのだ。隠されたままだと二人も気分が良くないはず。
強い魔物に襲われたりして、そのときに強力な魔法を使うとどうやってそれを得たのか聞かれるだろう。こっそりと習得を頑張ったという理由には納得できないと思う。こっそりと習得する理由がないのだから。
そんな魔法を使わなければ、ローズリットのことはばれないのだろうけど、危機なんていつ来るかわからない。いつか危機は来るものと考えて行動した方がいい。
まず捨てろと言われると思う。でも捨てると逆に危ないし、なんとか納得してもらうしかない。
「外れてないんですか?」
「俺にとってはね。たぶんここらへんに……あった」
荷物を探ると、立派な装丁の本がみつかる。知識どうりに真紅色の革が使われ、表紙には銀色の鳥が描かれている。本が開かないように金具が付けられ、そこも銀だ。古く見えないのは、正式な契約をしたからか?
「お前っそれ!?」
ダイオンは不思議そうに本を見ていたけど、なにかに気づき驚き立ち上がる。放浪書獣の外見を知っていて、今回の件と結び付けたんだろう。カバーをかけてないとほかに知っている人が見たら、これを使って犯罪起こそうとしているとか思われそうだ。
「ダイオンはわかったみたいだけど、これは放浪書獣。夢の中で契約したんだよ」
「なんでそんなことを!?」
「そうしないと夢から起きれそうになかった。どうにか繰り返す夢からは抜け出したんだけど、それ以上はどうにもならなくてさ。そんなとき放浪書獣と遭遇して、倒そうとしたんだよ。でも攻撃が当たらないし、向こうは契約を交わしたいとか言ってくるし。んで話して契約を交わした」
「それは」
自分たちを助けるためとわかったのだろう。ダイオンは何か言いたそうにするが、言うことはなかった。
かわりにシャーレが聞いてくる。
「どういった契約を交わしたんですか?」
「放浪書獣の所有者になること」
「なぜその魔獣は主様を所有者に選んだの?」
「俺が放浪書獣の求める未知を持っていたからかな」
それだけではわからないとシャーレは不思議そうにする。ダイオンも似たようなものだ。
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