222 攻防
手のひらを水晶のようなものに持っていくと、メランは硬いであろうそれに躊躇いなく噛り付いた。
ガチッと噛みつく音がした途端に、とてつもない勢いで力が流れ込んでくる。蛇口を全開にしたホースを口の中に突っ込まれている感じか。どんどん力が体内に溜まっていく。食欲刺激しただけあるな。
思わず左手をメランから離す。メランは水晶にしがみついていて降りない。力の流れは止まった。メランから離れると流れ込んでこないようだ。
再度メランに触れると流れ込んできた力が俺の中にいっきに溜まり、嘔吐感がして咄嗟に口を押える。
「こ、これはやばいかも」
「毒でもあった?」
「そうじゃない。思った以上に流れ込んでくる勢いがすごい。すぐに放出しないと俺の方が増加し続ける力に耐え切れない」
あの勢いならメランもさほど時間をかけずに満腹になりそうだ。
さっさと魔法を使ってしまおうと思っていると、内壁に変化が現れる。
炉の異変を察したのか、排除しようと何本もの蘇芳色の腕が生えてきた。
ちょうどいい、あれの排除に流れ込んでくる力を使わせてもらおう。
右手を手刀の形にして、冷気を勢いよく放出し、それを細く圧縮し、二メートルほどの冷気の剣を生み出す。いつもは使わないような魔法だけど、わざと手間をかけて使用する力を多くしないと消費が間に合わない。
迫る腕を切り払う。使用している力が潤沢なためか伸びてくる腕は容易く斬り落とすことができる。地面に落ちたそれは凍りついたところ以外が床に吸収されていく。そしてまた壁などから腕が生える。
腕は俺を狙わずに、水晶に噛り付き続けるメランを狙っているように思える。
メランに触れ続けるという動きが制限される姿勢だから討ち漏らすものはある。ただでさえ俺の接近戦の技量は卓越したものじゃないし、動きが制限されたら討ち漏らしがでて当然だ。そんな俺をローズリットがフォローしていた。俺の頭上から風の刃を打ち出して俺が斬れなかった腕を斬ってくれている。
ローズリットの協力もあって、次々と迫る腕をなんとか対処することができている。
俺を狙う知性がないのも、俺たちに有利に働いている。俺の足元から生えてきて、足や腕を掴まれたらもっとやりづらかっただろう。
しっかし斬っても斬っても腕が生えて迫る勢いが止まらない。最初は斬った腕を数えていたけど、百を超えて数えるのが馬鹿らしくなってやめた。
「きりがないってのはこのことか。床と壁を凍りつかせたら生えてこないかな?」
「力尽くで突き破りそうよ。それでも少しは時間稼げるかもしれないからやってみる?」
襲いかかってくる腕の合間に冷気の剣の圧縮率を下げて、さらに噴出の勢いを増して床などに冷気を吹きつけていく。その部分が白く染まり凍りついていった。
少し間そこから腕は出てこなかったけど、凍っている部分が割れて腕が出てきた。
「腕が出てくるのを一時的に止めることはできるんだな」
「ちょっと私が頑張るからいっきに内部を凍り付かせなさい。一息入れられるでしょ」
ローズリットが部屋全体へと風の刃を振りまき始める。その風の刃に腕が切り刻まれていき、俺が攻撃しなくてもよくなる。
この間に冷気をまき散らす。どんどん炉内部の気温が下がっていき、内部が白っぽく染まった。
腕が生えてこなくなり、私も休憩とローズリットが肩に降りてきた。攻撃魔法はあまり得意ではないから連続での行使は疲れやすいらしい。
俺も冷気の放出は続けながら、深呼吸を繰り返す。
炉の外ではシャーレも休憩を入れつつ、攻撃を繰り返しているらしい。連続した爆発音ではなく、途切れ途切れの爆発音が聞こえてくる。
「炉が力を生み出す速度が減ってるとかわかる?」
寒さに少しだけ震えながらローズリットに聞く。
「わからないわ。でも確実に巨獣を弱らせているはずよ」
そうだろうかと聞くと、ローズリットは頷いて続ける。
「想定外の巨体になっているから、必要な力も想定以上のものになっているはず」
「そうか、維持だけでもかなり力を使うのか」
「ええ。そんな状態で巨獣に行くはずの力が削れて、体の維持が困難になっていく。動きは鈍るけど、力の節約のため止まるという選択肢は取れない。巨獣が止まったところであなたたちは暴れるし、メランは力を吸い取っていく」
「排除のため力は使い続けるしかない、と。節約したいのにできない」
「力が減り続けるのはもう確定しているの。そう遠からず動きを止めざるをえなくなるかもしれないわ。動きを止めて、体の維持のための力も減って、ショアリーのところにいる脳の役割を果たしている奴も活動を止めて、そこからはもう朽ちていくだけじゃないかしらね」
「早くそのときが来てくれると助かるんだけどね」
シャーレとマプルイたち、それにショアリーも疲労で倒れかねない。特にショアリーは強化したとはいえ、いつまでもそれが続くわけじゃない。強化が切れたら押されっぱなしになる可能性がある。
こっちもこっちで余裕というわけではないけど。
そう考えているとゴンゴンと床や壁から音がする。腕が現れようとしているらしい。この力尽くでの突破も巨獣が余分に力を使うことになるなら歓迎だ。
凍った壁などを突き破り腕が出てくる。凍ったところを力尽くで破るために強化されたらしく、これまでの腕よりも太く硬そうな腕だ。
「さて続きを頑張ろうか」
感覚的に炉に入って一時間ほどたった頃だろうか、生えてくる腕の勢いが落ちてきだした。
同時に炉の外からシャーレの声がする。
「主様。人型が動かなくなりました」
「シャーレたちは大丈夫だった?」
腕を斬り払いながら聞く。
「はい。マプルイも疲れた様子ですけど、頑張ってくれました」
「こっちも少し楽になってきた。休憩したらショアリーの様子を見に行ってくれないか」
「離れて大丈夫ですか?」
「この状況が続くなら特に問題はなさそうだよ」
「……急いで行って戻ってきます」
「少しは休んで行くんだぞ」
三分ほど休憩したシャーレたちが飛んでいくのが音などでわかった。
シャーレたちが離れて、五分ほどで腕の出現がピタリと止まる。
「こっちも活動限界が来たかな」
「あの勢いならまだ生えてきそうな気もしたけど」
警戒した声音でローズリットが言う。
それに応えるように壁や天井がぶるぶると震え出す。
なにが来ても大丈夫なように構えていると、周囲の壁が床に吸い込まれていった。
炉の重要部分である水晶のようなものが露出した形だ。
「炉の保護を消し去ってまでなにがくる?」
「さてね。でも予想するにここが最終点じゃないかしら。向こうも気合を入れてくるでしょうね」
離れた床から肉が噴出し、天井近くまで上がった肉の先端がコブラの頭部を形作る。
それはヤラハンの神獣とそっくりだった。肉は次々と出てきて、それは蛇の胴になっていく。
「肉の蛇か。巨獣の記憶の中で一番強かった姿になったのか? 巨獣の考えを予想すると、腕の群れをどうにか乗り切ったから、数ではなく質で押そうと考えたんだと思う」
「そんな感じでしょうね」
話しながら冷気の剣を振って刃部分を飛ばす。
飛んでいった刃は切り傷を残したけど、その部分が押し出されるように地面に落ちて、新たな肉で補修された。
肉の蛇が動く。噛みつこうというか飲み込もうというのか、大口を開けて迫る。
これは斬るよりも、全体を凍らせた方が有効だろうと、剣の収束を解いて、冷気を勢いよく放出する。
俺の手のひらから真っ白な奔流が出現し、迫る顔とぶつかる。
肉の蛇の顔は放出される冷気とぶつかりあう。肉の蛇は顔が凍ったことを無視して床を通して胴へ、胴から顔へと肉を送る。行き場を失った肉が小さな破片となって周囲にちらばり、床に吸収されていく。
そこからは冷気と肉のぶつかりあいが続く。
メランから注がれる力を放出するだけなので、疲労は腕の群れを相手していたときよりも少ない。肉の蛇がぶつかってくる勢いも現状衰えない。
さてこの状態がどれだけ続くだろうか。三時間くらいならなんとかなるが、一日これを維持しろと言われても無理だ。
「余裕があるうちに対策を練りたい」
この状態が続けば、巨獣も別の手を打つ可能性はある。たとえば二体目の蛇を生み出すとか。量より質をとったと予想したけど、さらに考えを進めて質を複数準備するということになってもおかしくはないと思う。
「拮抗状態といってもいいから、外部要因を期待しましょう。シャーレが戻ってきて加勢してくれるまでこのままでいられれば押し勝てるわ」
攻撃と休憩と周辺の警戒をローテーションしているローズリットが言う。
「このままでいてくれるといいんだけど」
四十分ほど冷気と肉のぶつけ合いを続ける。
メランから力が送られてくる速度は変わらない。俺もそこまで消耗はない。
しかし巨獣側には変化があった。周辺の肉の色がやや黒ずんでいるのだ。ゆっくり変化していたようでローズリットに指摘されて気付いた。
「力が減ってきている証拠でしょうね。このまま力を使いつくしてくれれば攻撃してくることもできなくなるわ」
そうだねと返そうとして変化に気づく。周辺の肉の変色速度がどんどん増している。その範囲も広がっていき、かわりに床から噴出する肉の勢いが増して、少しずつ均衡が崩れてきた。
ほんの少しずつ凍った蛇の頭部が近づいてきている。
「自身にダメージを与えてまで、あなたたちの排除に動くことにしたのね。正直判断が遅いと思うけど、暴走しているならこんなものなのでしょう」
「理性というより本能で、その決断をしたって感じか」
「あなたたちがいたら死ぬと生存本能が働いたのね」
話している間にも凍った頭部がこちらにじょじょに迫っているんで、話している場合じゃないんだけどな。
ここでシャーレが帰ってきて助けてくれると嬉しいんだけど、姿はまだ見えない。
俺も勝負するところなんだろう。
「ローズリット。俺も勝負にでる」
「このままだと押し負けるのは確実だからいいけどどうするの?」
「肉の蛇を完全に凍らせて、復活する前に魔法を使いまくってこの空間のあちこちにダメージを与えていく。治癒させることで力の消費を増大させる。この押し合いを一度やめるから数秒だけ防御してほしいんだけどできる?」
冷気放出での押し合いを止めたら、いっきに肉の蛇がこっちに向かってくるだろう。メランに力を食わせ続けている現状、この場から動けないから肉の蛇に突っ込んでこられると避けられないのだ。
避けて一度水晶から離れてしまうと、巨獣に潤沢な力が流れることになって、これまでの苦労が水の泡だ。
「できるわ。でも本当に五秒くらいしか止められないからね」
「うん、ありがとう」
タイミングを計って、冷気の放出をやめた。
途端に肉の蛇が迫る。ローズリットを信じて、メランから注がれ溜まっていく力からくる嘔吐感に耐えて、魔法を使う準備を行う。
すぐに肉の蛇との距離が五メートルまで迫って、ローズリットが動く。
暴風と呼べる風が肉の蛇を押しとどめた。
心の中でローズリットに再度礼を言ってから氷の魔法を使う。
「スー。すべてが凍てつく風よ、うねりて削れ。あとに残るものはなし」
白い竜巻が肉の蛇を襲う。
肉の蛇の表面を白く染めて、その表面を風に乗った氷が削り、さらに内部を白く染めて、また削る。凍り削れた肉片が風に乗り、肉の蛇自身を攻撃する。
竜巻から逃れようと肉の蛇は動き、その動作でひびが入って、肉が露出する。そこを凍らされて削られる。
じょじょに肉の蛇は小さくなっていき、同時に床や天井もこの白い竜巻の影響で白く凍りついていった。
竜巻が消え去ると、凍りついた肉片が床に落ちていく。
「よっし、今のうちに! まずはヴァス。水成りの蛇よ。激しい水の力、知らしめよ!」
体が水でできた全長十メートルほどの蛇を魔法で生み出し、壁に体当たりさせる。巨体の勢いのよい体当たりによって、壁がへこむ。水の蛇はまた別の壁へとぶつかっていく。
ゴーレム作成のような魔法で、一度出してしまえば注ぎ込んだ力がなくなるまで命令なしに動いてくれる。
「次! ラド。石の巨体の大猿よ。剛力無双の雄姿を見せつけろ!」
身長四メートル超えの大きな猿が、床や壁へと拳を叩きつけていく。殴られた部分には拳の跡がくっきりと残る。
「次! レーメ。紅の焔馬よ。熱き体と魂、それらに燃やせぬものはなし!」
サラブレッドよりも大きな炎の馬が、凍らせた部分を避けて駆けていく。駆けた跡には焼け焦げた床がぶすぶすと煙を上げている。
「最後! ヴィント。風纏いし大鷲よ! 鋭き翼、鋭き爪、なにもかも切り裂いてゆけ!」
その身を風で作った大きな鷲が天井を飛び回る。その移動に沿って天井が切り裂かれていく。
たっぷりと力を注いだ全自動で大暴れする奴らを生み出し、俺自身もまた冷気を放出して、四体がいないところを凍りつかせていく。
それらは修復されていく。治癒に力を奪われて余裕がないのか、肉の蛇が出現する様子はない。
感想と誤字指摘ありがとうございます




