208 オリンズたちの依頼
ポリジーア大陸のどこかの小さな漁村。空には薄雲がかかり、ぼんやりとした半月がある。ザザーンザザーンと波の音のみが響く夜に、異音が混じる。引いては寄せる波のリズムが乱れたのだ。
これが昼間だったら、波の音を聞き慣れた村人たちが波の乱れに気づけただろう。しかし今は皆が寝静まった深夜で、それに気づく者は皆無だった。
ザプザプと波を割って進むような音がして、そこにざりざりとした音が加わった。水の中から砂浜へと音の発生源が移動したのだ。
砂浜にはとても大きな黒い影がある。常に動いているようで、それが海から砂浜へそして家にある方へざりざりとした音を立てて進んでいく。二本足や四本足が砂地を移動する音ではない。引きずるような音だ。
その異音に子供が気づく。トイレに行きたくなって、眠い目をこすりながら家の外に出ていて気づけたのだ。それが幸運だったとは言えない。
子供の目が捉えたのは大きな、とても大きな常に蠢く黒い影だった。それが自分たちを村ごと飲み込んだ。
家が破壊される音で起きた大人たちも子供たちも皆、意味がわからないままなにかに飲み込まれて意識を再び失っていく。二度と目覚めることのない眠りへと落ちていった。
夜が明けて、漁村はすっかり風景が変わっていた。津波が押し流したかのように建物はすべて潰れ、生物はいない。この異変に海鳥や波辺の生き物すら逃げ出したかのようだ、
前日までこの時間帯は、朝早くから起きた漁師の声が聞こえていた。しかし今は波と風の音のみが聞こえてくるだけだ。
漁村の異常に気付いたのはここを商売のルートにしていた行商で、現状誰も漁村が壊滅したことに気づくことはなかった。
◇
「オリンズさん、もう一回お願いします!」
「おう! かまえろ」
己に向けられる未熟な戦意に、懐かしさから笑みが零れそうになるのをこらえて模擬戦用の斧を構える。
以前よりも身長が高くなったオリンズが、傭兵団が拠点にしている村の外で、傭兵団の後輩たちに訓練をつけている。
メリエッタと別れて二年ほど経過し、オリンズはたくましく成長していた。肉体的な成長もあるが、様々な魔物との戦いや人間関係での良いこと悪いことを経験し、精神的にも成長したことで、駆け出しとはいえない雰囲気を漂わせている。その活躍は王城に届くこともある。ステシス関連で情報が流れやすくなっているせいでもあるが、その活躍は良い方向に受け取られている。
「狙いがばればれだっ」
袈裟切りを斧で払い、空いた左拳で相手の顔面に寸止めする。
後輩は殴られると思い、おもわず目を閉じたが、感じたのは軽い衝撃だった。
こつんと後輩のでこを叩き、オリンズはどこが悪かったのか助言を送る。
「視線が攻撃したいところに向いていたぞ。そういった部分でもフェイントを入れていくといい」
「ありがとうございましたっ」
その後輩は頭を下げて離れ、次の後輩がお願いしますと進み出て、それにオリンズは頷く。
そこから離れたところではセレーヌが魔法を主に使うメンバーを集めて講義をしていた。
彼女もオリンズのように成長している。見た目にたくましさはなく、女性らしく柔らかい曲線を描く成長だ。しかしながらオリンズについていくため、ある程度の肉体鍛錬もやっていて、接近さえすれば勝てると思った人間が、杖で殴り倒されるのは傭兵団にとっては見慣れた光景になってきている。
氷の魔法の技量も上げていて、氷魔法ならば国有数という声も上がるくらいだ。
セレーヌ本人は、威力はその通りかもしれないが、魔法の使い方はまだまだだと考えて、そう発言もしている。
「セレーヌさんみたいに大きな魔法を当てるにはどうすればいいんでしょうか。そういった魔法を準備している間に対象が移動していて外すことがあるんです」
「広範囲で強い魔法を使う。これで確実に当てられるでしょう。でもあなたが言いたいのは範囲は小さく高威力というものでしょう?」
質問者が使える魔法を脳裏にリストアップし、広範囲に効果を及ぼす魔法はまだ習得していなかったはずと思い聞く。
「はい。広範囲の魔法は使えなくて」
「だとしたら一緒に狩りに出ている皆に協力してもらうこと。あらかじめこういった魔法を使いたいから、どこそこに追い詰めてくれと頼んでおく。そして魔物が追い詰められたタイミングで魔法を使えるように準備しておく」
「事前に相談できない場合はどうしたら?」
「効果の小さな攻撃魔法で気を引く。足場を悪くして動きを制限する。私はこの二つの準備をして、魔法を当てるようにしているわね。この前の大角巨牛討伐のときも、初歩の魔法で気を引いて浅瀬へと誘導し、そこを凍らせて動きを制限して、大きな魔法を使ったでしょう?」
実例をあげると、そのとき同行していた質問者は納得したように頷く。
質問が終わると、別の後輩が質問を投げかける。
「セレーヌさんのように強い魔法を使えるようになるにはどうすればいいんですか?」
「繰り返し練習しなさい。私は運が良かったけど、練習もさぼらずやったわよ」
「運が良かった、ですか?」
「魔獣殺したちに指導を受けられたからね。彼らから成長の方向性を聞かれて、そのときに氷の魔法に特化すると決めて、目標を変えずに鍛錬してきたの」
資質を偏らせることができるという話は伏せておく。詩人の詩でスフェルノ大陸でも亮二たちは知名度が上がっていて、強さ以外に特殊な指導も行えるとなると、人が集まって大変だろうと考えた。
こう考えたのは現状亮二たちの行動が目立ったものではないからだ。名を広めることを望むなら、彼らならもっと有名になっているだろうと思えた。しかし現状彼らの行動や居場所はわからない。そのためあまり目立つつもりはないのだろうと思ったのだ。
「魔獣殺しの詩は聞いたことありますけど、本当に倒せるんでしょうか?」
「私も彼らから直接話を聞いたわけではなく、聞こえてくる話やその強さから判断したのだけど、おそらく本当だと思うわ。そう判断する一つの要因として、私がいまだに使用に失敗する白い竜巻があるでしょ? あれを軽々と使っていたの。使えるようになってわかったことだけど、あんなに気軽に使えるものじゃないのよね」
そのことだけでも実力差を感じ取れたのだ。そしてそれをやれないと魔獣には届かないと考え、魔獣の強さもなんとなくだが推測できた。
「私も指導受けたいです」
「そう言う人はたくさんいると思うわ」
セレーヌがそう言うと、講義を受けていた者たちが頷く。
でも居場所がわからないと続けると、彼らは残念そうに溜息を吐いた。
そこにリリンデが近づく。一線から退いていて、事務をメインでやるようになっているため、現役時代と比べると雰囲気が丸くなっている。
「セレーヌ、指導中ごめんなさい。オリンズと一緒に仕事を頼みたいの。来てくれない?」
「わかりました。皆、あとは自主練でお願い」
後輩たちに断りを入れて、リリンデと一緒にセレーヌは指導中のオリンズに声をかける。
オリンズも指導を中断して、リリンデたちと事務室に向かう。
「それで話とは?」
「国から仕事の誘いよ。とある組織の隠れ家を潰したいから実力者に誘いをかけているらしい。それなりに規模が大きいと想定されているようで、人を集めていると聞いているわ」
「国が標的にするくらいのことをやらかしたのですか」
「輝星樹が世代交代したという噂は聞いたことあるかしら」
あると二人は頷いた。
「その交代はもう少し先だったらしいの。でもその組織が輝星樹にちょっかいかけたせいで時期が早まったそうよ」
「輝星樹にちょっかいとか怖いことするなぁ。やって良いことと悪いことの区別がついていないのか」
「ついてないから国から討伐されるようなことになっているんでしょ」
セレーヌにそうねと頷き、リリンデは続ける。
「そいつらがおとなしくしていたら、こうして討伐の誘いはこなかったでしょうしね。それで二人はこの依頼はどうする?」
「輝星樹に手を出すような奴らを放置しておくのは怖い。次はなにをしでかすか」
「ええ、私も同じ考えよ。依頼を受けます」
その返事にリリンデは頷き、話を持ってきた城からの使者に承諾を伝えるため、二人と一緒に事務所を出る。
滞在していると聞いていた宿に入り、従業員に用件を伝えて使者を呼んでもらう。
「どうもリリンデさん。そちらが誘ったお二人ですか」
「はい、オリンズとセレーヌです」
使者に視線を向けられた二人は頷いた。
「ここに来てくれたということは、誘いを受けてくれるということでいいのですか」
「はい。放置するのは問題あると思ったので」
頷いた使者は三人を部屋に誘う。
使者は近くにいた従業員に椅子を頼み、受け取った二つの椅子を持って部屋に戻る。
全員が椅子に座って使者は書類を取り出し、話し始める。
「今回は誘いを受けていただきありがとうございます。人手が足りるかどうかわからず、少しでも協力してくれる人が多いと助かるのですよ」
「どれくらいの傭兵を誘ったんですか?」
オリンズが聞くと、有名どころや有望株を百人ほどと使者は返す。
「そこに兵も加えて、国内の候補地三ヶ所に集めた戦力をわけて向かってもらいます」
「候補地ということは、向かっても空振りの可能性がありそうですね」
「あり得ますが、一年以上をかけて情報を集めて特定した場所なので、どこか一ヶ所は当たるだろうというのが上層部の見解ですね」
「国外から協力を得られないのでしょうか」
そう聞くのはセレーヌだ。
「国外でも同時期に自国の候補地へと兵や傭兵を向かわせるという話です」
「この国だけの動きではなかったのですね」
使者は当然だと頷いた。輝星樹と大陸の薬箱とも呼ばれる輝星樹の村に手を出されて、各国が対応を一国だけに任せるわけがないのだ。確実に潰すため時間をかけて、情報を集めて、綿密な計画を立ててきたのだ。
「輝星樹に手を出すような組織がこの大陸に存在することは許されないというのが、各国の話し合いで決定されたことですから」
「大陸のどこにも居場所がなくなるのは怖いな。それで俺たちはこれからどうすればいいのでしょうか」
「お二人には北東に向かってもらいたい。目的地は塔の森と呼ばれるところ。その近くにあるレッセーンという村に兵と傭兵が集まることになっています。到着期限は十五日後までです」
塔の森とは、森の中に塔のように隆起した地面がいくつもある場所だ。わりと強めの魔物たちがそこを縄張りとしていて、一般の傭兵も積極的に狩りに向かうところではない。
今オリンズたちがいるところから徒歩だと期日を過ぎるが、道中馬車も使えば十日とかからない距離だ。
オリンズとリリンデは塔の森までの正確な道のりやそこにいる魔物について、使者に確認していく。
使者は資料を確認しながら答え、その資料を含めた書類の入った封筒を二人に渡す。これが誘われたという証明書になる。
「受けてもらえるということで前金も渡しておきます。旅費などに使ってください」
鞄から小袋を取り出して、それを二人へと差し出す。
「セレーヌが持っていてくれ」
「わかった」
小袋を受け取ったセレーヌはポケットにそれをしまう。
「なにかアクシデントで塔の森に行けなくなった場合は、ここの町長に前金と書類を渡してくれればいい」
「わかりました」
話し合いを終えて、リリンデたちは使者の泊まる宿から出る。
そのまま旅の準備を整えるため、買い物をやっていく。
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